『その手に触れるまで』(ダルデンヌ兄弟)まるで、ドキュメンタリーの画面を見ているような気分で、実はダルデンヌ兄弟の術中にはまってしまっている。その想念はしっかり計算された求心的なテーマ設定に基づいているからだ。  

16日にジャック&ベティで見た二本目。

 

『その手に触れるまで』(2019年/84分/ベルギー・フランス合作/原題:Le jeune Ahmed(若いアメッド)/監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ=(ダルデンヌ兄弟)/2020年6月12日公開)

 

ダルデンヌ兄弟の映画が好きだ。

この映画も早く見たかったのだが、うまく都合が合わず、3か月が経ってしまった。

兄弟で想を練り、脚本をつくり、製作もし、監督をする。年齢も近い二人と作品に何かしらシンパシーを感じる。

今回もよかった。

 

「ある子供」「ロルナの祈り」「少年と自転車」などカンヌ国際映画祭で受賞を重ねてきたベルギーのダルデンヌ兄弟が、過激な宗教思想にのめりこみ教師を殺害しようと試みた少年の姿を描き、2019年の同映画祭で監督賞を受賞した人間ドラマ。13歳のアメッドはどこにでもいるゲーム好きな普通の少年だったが、尊敬するイスラム指導者に感化され、次第に過激な思想にのめりこんでいく。やがて学校の先生をイスラムの敵だと考えはじめたアメッドは、先生を抹殺しようと企むが……。これまでにカンヌ国際映画祭で2度のパルムドール(「ロゼッタ」「ある子供」)と脚本賞(「ロルナの祈り」)、グランプリ(「少年と自転車」)を受賞してきたダルデンヌ兄弟にとって、初のカンヌ監督賞受賞作となった。(映画ドットコムから)

 

つくりはシンプルである。

原理主義的なイスラム教にのめり込んでいくアメッド。

母親はアメッドの変化に戸惑い、叱責するが、アメッドは母親が父親との関係につかれて酒を飲むことを「呑んだくれ」と批判する。

理解ある女教師はアメッドと握手をしようとするが、アメッドは拒否する。導師のことばを受けてアメッドは女教師への攻撃を企図する。いわゆるジハード。

家族以外との握手も、飲酒もイスラムでは原則的に禁じられている。

アメッドは先生にけがをさせて更生施設に入る。

傷が癒えて面会を希望する女教師、そして面会を了承した方が早く施設を出られると説得する母親。

はじめは拒否するアメッドだったが、翻って面会を受け入れようとする。

しかしそこには別の意図が…。

面会は女教師の感情が高ぶって成立しない。心の傷は癒えていない。

更生のプログラムの一環として牧場で働くアメッド。そこの娘ルイーズと互いに好意を抱きキスをされるが、すぐに後悔するアメッド。そしてアメッドはルイーズに改宗を迫る。そしてフラれる。

農場からの帰りの車から逃げ出したアメッドが、歯ブラシを削って作ったナイフをもって向かった先は‥‥。

 

エンディング以外は音楽は入らない。

カメラはいつものように手持ちカメラと固定カメラの共用。

もちろんナレーションもない。

ただただ長めのシーンを積み重ねていく。

見る側は、アメッド、導師、母親、先生、ルイーズそれぞれのことばや表情から感情を想像する。

たぶんダルデンヌ兄弟の映画に惹かれる原因はこのあたりにあるような気がする。

感情の複雑さ、ずれのようなものを、演技やセリフや音楽で作り上げるのではなく、

人物の動きを丁寧に写し取ることで、みる者に何らかの想念を抱かせる。

まるで、ドキュメンタリーの画面を見ているような気分で、実はダルデンヌ兄弟の術中にはまってしまっている。その想念はしっかり計算された求心的なテーマ設定に基づいているからだ。

 

『サンドラの週末』『午後8時の訪問者』『少年と自転車』『ある子ども』『息子のまなざし』まで一貫した手法だ。

 

ラストシーンがいい。アメッドは女教師の家に向かうのだが…。

 

単なるテーマ主義でない、ある深みをもったシーン。ぜひみてほしいものだ。イスラム原理主義に感化されてテロに向かった若者たちの心情がどのようなもので、その行きつく先は?というテーマを超えたある「希望」のようなものがほのかに提示されるシーンだ。

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左がジャン=ピエール・ダルデンヌ、右がリュック・ダルデンヌ