地方自治体や民間企業に対し法定雇用率を示し、到達できない場合は違反金を納付させてきたその元締めたる国の省庁が、これほどのでたらめを42年間も続けてきたとは。ここまで腐っているのか、この国の官僚は。

    深夜3時ごろに寒気を感じて目が覚める。エアコンを消そうとテラスを開ける。
乾いた少し冷たい風が入ってくる。反対側にある玄関も網戸にする。

    寝床に戻ったころに突然、半分に折れる網戸が開く音。誰かが入ってきたようだ。
    暁闇の訪問者?そんなことはありえない。

    風が強すぎて開いてしまったようだ。鍵をかけないとこうなることがある。
 

    天気予報では渋谷の今朝の気温は25℃。菅平は10.3℃だとか。真冬には-20℃ほどにもなるところだからさもありなんなのだが、調べてみたらこれは横浜の2月の最高気温。かなり寒い。

    冬に仕事で何度か行った信州・菅平の、この時期の風景はあまり思い浮かばない。赤とんぼが群れ飛び、すすきが揺れているのだろうか。
 今日、季節がほんの少しまわったようだ。

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菅平の秋

 朝刊では、国土交通省総務省などが、中央官庁に義務付けられていた障害者の雇用割合を42年間にわたって水増しし、定められた目標値を大幅に下回っていたことが報じられている。

 障碍者手帳を持たない職員を算入するやりかたで、雇用は公表数の半数にも満たない可能性があるという。
 地方自治体や民間企業に対し法定雇用率を示し、到達できない場合は違反金を納付させてきたその元締めたる国の省庁が、これほどのでたらめを42年間も続けてきたとは。ここまで腐っているのか、この国の官僚は。言葉もない。
 

   この4月からは障害者の雇用促進等に関する法律の改正により、法定雇用率は精神障害者を算定基礎に加え、民間では2.0%から2.2%になった(国、地方公共団体2.3%➡2.5% 都道府県等の教育委員会2.2%➡2.4%)。

   国の政策として、それ自体悪いことではないと私は考えてきた。

   もちろん法定雇用率の設定に問題がないわけではない。違反金を払えば雇用しなくて良いという制度も問題だ。ただ少なくとも国や地方自治体においては数字を満額達成するような形にはなるだろうと思えば、障害者の労働の場所が確実に広がることにつながる。まずは官が率先して行うことは意味があると考えてきた。

 

    また精神障害の場合、障害者保健福祉手帳の取得に逡巡する人がいることも事実だ。障害をカミングアウトしなくても何とか今までやってこられているから、もし手帳を取得したことが会社や役所に知られて解雇などということになったら、といった懸念も了解できる。

   しかし障害を障害として認めずに、個人的な能力の問題としてたとえば「努力が足りない」「やる気がない」「仕事をおぼえようとしていない」「何度も同じ間違いを繰り返す」といった理由でいじめられ、仕事をおわれるケースも少なくないことからすれば、取得も一つの便法だと私は考えてきた。それに厚労省は、手帳の取得の有無による差別は許されないとしている。どこまで実効性が担保されるかはわからないが。

  そうした点からも法定雇用率を厳密に達成させることにあわせて、となりで働く人の障害をどのようにとらえるのか、どのような支援をすれば障害を持つ人が力を発揮できるのかといった視点をもった研修が同時に進めていく政策が求められてきている。これは私自身、労働組合の活動家として現場でのトラブルに対応しながら考えてきたことだ。

 

    今日の地方版(東京新聞横浜版8月17日付)に、厚木市の元小学校の教員の方が中心となって「あつぎごちゃまぜフェス」を開催するとの告知記事が載っている。小野純子さん(37歳)という方だが、長男が自閉症と診断されており、ご自分も注意欠陥多動性障害ADHD)があり、昨年まで厚木市内の小学校で教員として働いてきたという。

 小野さんの場合、仕事で支障をきたすところもあったが、心療内科を受診、ブログで息子さんのことを発信するなどしながら、精神的に安定していったという。おととしには職場でカミングアウト、同僚から理解と助けが得られ、「ミスをしてはいけない」と気負っていた以前に比べ楽になったという。
 

 一般的に教員の場合、ほとんどが同じ仕事をしているため、周囲の視線はきつくなるようだ。

 「忘れ物が多い」「時間が守れない」「集団での仕事ができない」「対人関係に問題がある」などの状態を「障害」のあらわれのひとつとは見ない。その人個人の能力のなさ、バランスの悪さとしてみてしまう。障害児教育に携わっている教員でさえ、教員の「障害」には厳しい視線を送るものだ。

 

小野さんがたどりついた「ごちゃまぜ」という発想に強く共感するが、ここまでたどり着くのはたやすいことではない。あえて外に打って出ようとする小野さんには敬服する。


 精神障害の場合、大人になってから、行動に現れる「問題」が性格や個人の能力ではなく、障害によるものと自覚するケースが多い。教員になったのちに障害に気づく人もいる。そういう人が、職場で排除されずに何らかの支援を受けながら仕事ができるような環境作りが、今度の精神障害者を含めた雇用率のアップによって進められないのかと考えていた矢先の、今日の報道だった。
 

 厚生労働省HPには、雇用者に対して、障害者に対し、募集、採用、賃金、配置、昇進、退職の勧奨において、差別は許されないことが強く打ち出されている。厚労省までが法定雇用率をごまかしてきたなどということはまさか、ないと思うが。
 

 いくつかの中央省庁は42年間にわたって国民を愚弄し続けてきた責任をどうとるのか。と書いて思い浮かべるこの間の中央省庁の山のような不祥事、でたらめぶり。政治は政治で腐っていて、期待できないことがはっきりしているとすれば、私たちは何に怒りをぶつけるべきなのか、どう怒りを表現すべきなのか、考え込んでしまうのである。

 

 

f:id:keisuke42001:20180817160809j:plain菅平


  

 

 

「珊瑚礁の外で」(文學界2018年5月号) つまるところ、青来はこの国の「戦後」とか「近代」のうわっつらにかけられたベールを、自らの日常を通して剥いでみせたかったのではないか。

 今回,芥川賞を受賞した高橋弘希氏の「送り火」を読むために文學界5月号をAmazonで買い求めたことは以前にも書いた。一時はずいぶん価格が高かったが、私が買ったころには定価に戻っていた。
 

 「送り火」は160枚。もうひとつ青来有一珊瑚礁の外で」240枚が載っていた。単行本2冊分。


 青来有一氏は「聖水」「爆心」から読んできたが、私にとって楽しく読める作家ではない。読み終わったあとにいつも何かすっきりしない澱のようなものが残る感覚がある。
 

 青来は1958年、長崎市生まれ、長崎在住。市の職員で、2010年から長崎原爆資料館の館長。1995年「ジェロニモの十字架」で文学界新人賞、2001年に「聖水」で芥川賞被爆2世である。

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 彼の作品にはいつも戦争、原爆、キリシタン、といった土地の記憶に耳を傾ける志向が働いている。戦後世代として、長崎という土地のもつ独特の物語を紡ぎだしている。

 

 さて「珊瑚礁の外で」。
 ここ数作で青来は私小説的な傾向を強めているように感じてきたが、この作品はさらにその傾向が強まっている。この私小説風に傾いていく傾向をどう受け止めるか、読者によってかなり違うような気がする。


 私には青来が、現在の自分の境遇に、いわゆる私小説的な意義を見いだしているようには思われない。

 

 60歳に差し掛かる青来を取り囲む日々のディテール、それは解決の糸口すら見いだせない厳しい閉塞状況であることは理解できるし、それに対し青来は、この作品である種のうつ的な怨念を込めて自らの精神のありようを精緻に表現しているのだが、取り上げられている一つひとつの事象をつないでいるのは、やはり戦争や原爆であり、信仰であり、長崎という土地のもつ記憶と現在である。


 とすれば青来は、今までの「創作」からはみ出るように自分の生活を通してもう一度長崎や原爆や戦争をとらえ返そうとしているということになる。”つくりもの”ではとらえきれないものがあると感じられているのだろうか。

 少なくともこの小説は日本的な私小説の流れとは一線を画しているように私には思える。

 

 小説は冒頭、アーケード街の入り口でポケットに手を突っ込んで頭を垂れている70代の老人の様子を見て、「わたし」が沖縄の海でシュノーケリングの途中に珊瑚礁の外まで泳いでいき、海の深みを覗き込んだ時のせっぱつまった感じを思い出すところから始まる。

 「わたし」はそこで死ぬ思いをするのだが、そこがサーファーたちからはsuicide(自殺) と呼ばれている場所であることからsuicide attack(特攻)をイメージし、それが外海の闇とつながって、海に呑み込まれる恐怖と重なる。

 このイメージが、現在の「わたし」の生活の中に何度も浮かび上がってくるという構造が、この小説の大きな外枠である。
 

 「私」の日常は、妻が実家に帰っていない大晦日一日のこととして描かれるが、幾つもの回想も含まれていて読者は時々道に迷いそうになる。少なくとも私はそうだった。

 新造船のためにどこか知らない外国から連れてこられた「ガイジン」らがまき散らす無法者ぶりに「わたし」はささやかな抵抗を試みるのだが、それはほとんど有効性をもたないばかりか軽侮を交えた反抗に遭い、どうすることもできず「わたし」はただただ「ガイジン」を呪詛するのみだ。

 水道管の奥から聞こえてくる人の声のような不気味な音は、商店街で買い求め「ガイジン」に投げつけたナマコとともに、ここでも深海での死の恐怖と諦念が重ねられる。きわめて文学的な部分である。

f:id:keisuke42001:20180816142420j:plain青来有一


 「わたし」には、認知症の初期症状なのか時間の感覚と金銭感覚の狂ってしまった母親がいる。その母親に取り入って金を無心しようとする親戚の女について、これにもまた「わたし」はどうにもならない無力ぶりをさらすのだが、まるで彼女への意趣返しのようにその手口、やり口が悪意を含んでとまで言っていいほど克明に描かれる。
 

 出口のない日常の中で、「わたし」は異文化交流とか人権とか国際化といった近代的な発想にくるまれた生活の中に、沖縄の海でみた深い深淵のような海を見てしまう。

 どうにもならないのならいっそ・・・といったうつ的閉塞的な感情の中で、右翼団体の年老いたリーダーとのかかわりが語られる。そこではまるでリーダーの方が戦後民主主義的な位置にいて「わたし」の方が右翼的な発想に導かれていくかに見える。

 この小説の重要な部分と思われる。


 作中、母親と女にかかわる部分にはかなり迫力があり、私小説として引き込まれる部分が続く。出口のないうつ的な状況にあっても、思考と表現は的確で深く、うならせるところが随所にある。

 つまるところ、青来はこの国の「戦後」とか「近代」のうわっつらにかけられたベールを、自らの日常を通して剥いでみせたかったのではないか。

 戦争という実体が今目の前にないにしても、青来にとっては、長崎という街の変容と母親を取り巻く状況自体がまさに戦争状態であり、人が生きていくうえで人間的につながることのない常に死の恐怖におびえる「珊瑚礁の外」であることを伝えようとしているようにみえる。
 生煮えの感想であることは承知のうえだが、青来が長崎を離れずに書き続けていることの意味に少しだけ近づけたような気もする読後感ではある。

 

 

f:id:keisuke42001:20180816164023j:plain         本文とは関係ありません。

撮影自由のオランダ国立美術館、奥の方に”夜警”が見えます。 

 

 

特攻への批判に対してよく言われるのは「尊い命を犠牲にしてお国のために死んでいった人たちを馬鹿にするのか」というものだが、それが「命令した側」の無意識の免罪にもつながっているという指摘は鋭いと思う。

 今日、8月15日。風はあるが、暑い一日。


 昨日、ラジオを聴いていたら、映画評論家の方が、お名前は失念したが三船敏郎全映画(映画秘宝COLLECTION』(洋泉社・3800円)という本の紹介をしていた。7月に売り出したが、値段が高くてなかなか売れず、ネットにレビューも出ていないのだとか。

 ご自分でも一部執筆しているというこの本、資料や写真が多く445頁という大変に大部の本とのこと。手元に置いて見てみたいものだが。時間が経てば図書館で借りられるかもしれない。この方、「明日は敗戦記念日ですが…」と枕を振って話を始めた。

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 三船敏郎の軍隊時代のエピソードについて詳しく触れていて面白かった。中でも三船は軍隊に5年間もいたのに上等兵どまりだったという話が面白かった。
 

 理由は明快。三船はまつろわぬ兵隊だったということだ。


 これは有名な話だが、関東軍の初年兵のころ、隊内でのリンチが激しい中、三船は1発2発のビンタでは倒れないという理由で余分に殴られ、声がでかいという理由でまた余分に殴られたという。上の者からすると、堂々としていて不遜な態度が癇に障るところがあって気に入らなかったのだろう。

 古参兵のリンチが激しいと我慢ができず、自分の階級章を外して「お前も階級章を外せ。階級を忘れておれと勝負しろ。人間対人間でいこう」と古参兵に啖呵を切ったという。軍隊内で昇格できなかったのは当然のことかもしれない。相手の古参兵は意気消沈してしまったとか。

 

 まるで松本清張の『昭和史発掘』に出てくる部落出身の兵隊の闘いのようだ。「上官の命令は陛下の命令」というトンデモ理屈で階級の下の者をいじめつくす旧日本軍の伝統も、確信犯に対してはつぶしきれないところがあったようだ。

 三船もまたそういう存在として認められていたということか。出過ぎた杭は叩かれないのたとえのように。

 

 内地に戻ってからは、滋賀県八日市飛行場「中部九八部隊・第八航空教育隊」に写真工手(もともと実家は写真館)として配属され、のちに特別業務上等兵として炊事の責任者をしていたというが、長男史郎さんの話では、特攻に出る少年航空兵にスキヤキを作って食べさせたと涙を流して語ったそうだ。

 後々、海外でのインタビューに対して、「あの戦争は無益な殺戮だった」と語ったエピソードは有名な話だ。

 三船敏郎という人は、やはり独特の信念を持った人物だったようだ。

 

 

 鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(2017年・講談社現代新書・880円+税)が売れているという。私が読んだのは3月ごろだったが、あのころで10万部と帯に書いているから、もう20万部を超えているのだろうか。こういう本がそんなに売れるものか。 

 内容を細かく覚えているわけではないが、興味深く読んだことを憶えている。

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 9回特攻の命令を受けて9回とも帰ってきた特攻兵佐々木友二さんの話が中心だ。

 今までにも機体の不良で島に不時着して戻ってきた特攻兵の話はいくつも読んだことがあるが、特攻を成功させるために「死ぬ必要はない」「何度でも爆弾を命中させてみせる」と言った人の話は初めてだった。

 

 鴻上は、特攻という作戦の「意義」を注意深く切開し、最終的に日本型組織の在り方にまで言及している。

 特に命令した側と命令された側は画然とわけるべきだとして、特攻への批判は「命令した側」への批判であるにも関わらず、「命令された側」への批判と混同してしまう傾向について注意深く指摘している。

 特攻への批判に対してよく言われるのは「尊い命を犠牲にしてお国のために死んでいった人たちを馬鹿にするのか」というものだが、それが「命令した側」の無意識の免罪にもつながっているという指摘は鋭いと思う。


 鴻上が指摘しているように、現代においても、たとえば炎天下で毎年行われる高校野球に対し、真夏はやめようとか、せめて12時から3時にはやらないようにしようとか、夏は外して秋にしようとか、いろいろな考えがあるにせよ、誰も言い出さないところ、だれも改善しようとしないところが特攻と似ているという。

 「命令する側」と「命令される側」で言えば、高野連NHK朝日新聞が「命令する側」に立つことになる。具体的な判断を下さない、何らかの「うまみ」を手放さないという点で、特攻と高校野球は確かによく似ている。

 

 鴻上は

 「美濃部少佐のように、論理的に分析して、何が必要かを堂々と言えるようになりたいと思います。少なくとも、「夏を乗り切るのは根性だ!」とか「死ぬ気でやれ!」とか精神論だけを語る人間にはなりたくないと思うのです。」

 

と述べ、後半で美濃部正という特攻の指揮官について詳しく述べている。

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 美濃部正少佐(少佐は海軍での最終階級)は、太平洋戦争末期、連合艦隊司令部の会議で「全軍特攻」が決議される場面で、居並ぶ高官を前にただ一人異議を唱えた軍人である。

 美濃部は、芙蓉部隊という自分で命名した夜襲専門の部隊を率いて数々の戦果を挙げていた。芙蓉部隊は徹底した夜間訓練を行い、敵に気づかれずに接近し爆撃して帰還するという作戦のための厳しい訓練を部下に課し、整備兵も含めて1000人の兵を率いていたという。当時弱冠29歳である。美濃部は、昭和19年にたった一人で敵に飛行場に大打撃を与えるという戦果を挙げている。

 美濃部には、まだまだ飛行部隊による闘い方があるという確信があった。そのためになすべきことがたくさんあるのに、死ぬことを前提とする特攻など認められないというのが発言の背景にあったようだ。
 
「(あなた方は)搭乗員の練度不足を特攻の理由に挙げているが、指導訓練の工夫が足りないのではないか。私の所では総飛行時間200時間の零戦パイロットでも皆、夜間洋上進撃可能です。劣速の練習機が何千機進撃しようとも、昼間ではバッタのごとく落とされます」
「今の若い搭乗員の中に死を恐れる者はおりません。ただ、一命を賭して国に殉ずるには、それだけの成算と意義が要ります。死に甲斐のある戦果を上げたいのは当然。精神力一点ばかりの空念仏では心から勇んで立つことは出来ません。同じ死ぬなら、確算ある手段を立てていただきたい」
「練習機で特攻しても十重二十重と待ち受けるグラマンに撃墜され、戦果をあげることが出来ないのは明白です。白菊や練習機による特攻を推進なさるなら、ここにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといいでしょう。私が零戦一機で全部、撃ち落として見せます」

 ワクワクするような演説である。一つ間違えば抗命罪で軍法会議にかけられるような発言だが、三船の場合と同じように高官らは、結局芙蓉部隊を特攻から外し、独自の作戦を許容していく。敗戦の前日までに630機を出撃させ、損機は47機のみ。こうした事実は特攻の「美しくも悲しい物語」の前には、なかなか伝わらない。

 

Wikipediaには次のようなエピソードも載っている。

 

 戦闘901飛行隊の活躍を聞きつけた第一航空艦隊司令長官大西瀧治郎は、11月10日に美濃部を司令部に呼び出した。大西は美濃部に多号作戦で輸送艦隊の脅威となっている、コッソル水道のアメリカ軍飛行艇とPTボート基地の攻撃を命じたが、美濃部が月光で基地攻撃は困難であると反論すると大西は「特攻ではどうか?」と切り返してきた。美濃部は「特攻以外の方法で長官の意図に副えるならば、その方がすぐれているわけです。私は、それに全力を尽くすべきと思います。」「だいいち、特攻には指揮官は要りません、私は指揮官として自分の方法を持っています。私は部隊の兵の使い方は長官のご指示を受けません」と安易な特攻依存をはねつけた。気性の激しい大西であったが、美濃部のことばに怒ることもなく「それだけの気概と抱負をもった指揮官であったか、よしすべて君に任せる」と特攻しないことを容認した。

 


 引用は、『特攻セズ 美濃部正の生涯』(2017年・境克彦著・方丈社・1800円+税)からだが、鴻上の本を読んですぐにこの本を購入したが、これはめっぽう面白かった。400頁近い本だが、美濃部正という人物が過不足なく客観的に描かれていると思う。


 実は、美濃部正が生前に著した『大正っ子の太平洋戦記』という私家版の本がある。この復刻版が同じ方丈社から『特攻セズ』に先だって出版されている。ただし価格が6400円+税、なかなか手が出ない。市内の図書館にもまだ入っていない。

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 美濃部正が亡くなって21年目の夏である。

 

 

 10年ほど前、ヒロシマ修学旅行の下見の際、個人的に江田島自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校跡地)を見学したことがある。広大な敷地の中の見学は、すべて案内の係官の誘導で行われ、見学経路も決められていて自由に見学はできない。海につながる構内は案内の係官の白の制服とともに全体が白で統一されている。特攻記念館も白い壁の立派な建物である。 

 ここには写真、遺品や遺書、手紙が展示されており、小グループひとかたまりの人数しか入らないために、独特の静謐さが保たれている。知覧の特攻記念館の猥雑さはなく、ここには特攻の「命令された側」の悲壮と純粋さだけが如実に表れ「命令した側」の存在はきれいに消されていた。

 

 

f:id:keisuke42001:20180815152748j:plainツバメの羽の色は黒ではないことに最近気がつきました。

 


 
 

昨年の広島の平和記念式典での安倍首相を睨みつける翁長さんの眼は鋭かった。大人ぶって常識的に振る舞いがちな政治家が多い中、「コノヤロー」とばかりに睨みつける翁長さんを、私はかっこいいと思う。

   沖縄知事選挙が9月30日に行われることになった。自民党は、佐喜真淳宜野湾市長を擁立する方針を明らかにしているが、翁長知事後継候補はまだ決定していない。城間幹子那覇市長が有力視されているようだ。


   一期目の途中で病に斃れ,亡くなった翁長知事、面変わりした様子をテレビのニュースで見るにつけ、悲壮さが際立っていて辛いものがあった。

    政治家はいつか?いつも?妥協するが、翁長知事は辺野古に関して徹底して反対を貫いた。稀有な政治家だと思う。

 

    自分にとって沖縄とは何か。物理的な遠さだけでなく、気持ちの面でもすぐに距離が出来てしまう沖縄、辺野古反対の気持ちは一緒だよ思いながら、気持ちしか一緒でないことの後ろめたさ。

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    翁長知事が亡くなったことにどれだけ気持ちを寄せることができるのか、そんな思いがゆらゆらとしているときに、広島に住む友人が沖縄の知り合いの方からの短いメールを転送してくれた。

    沖縄の人は翁長知事をこんなふうにみているのだ。ここには私の知らない翁長知事がいる。
 自分が住む都道府県の首長をこんなふうに讃えることのできる県民が、この国にどれほどいるのだろうか。知事の名前すら知らない人が多いのに。

 

翁長知事は残念でした。
本当に素晴らしい知事でした。
辺野古以外でも、政府がしてくれないのでグアム、台湾、中国、韓国、ハワイに行って経済人と会い、観光を誘致していました。
その努力が実って、毎年毎月観光客が増え、過去最高になっています。
貧困問題でも、早くに対策チームを立ち上げて、努力を重ねておられました。
他県の知事のように、中央省庁の事実上の天下りのような無責任な腰掛知事とは比べものにもなりません。
8月11日は数万人規模の辺野古反対集会が予定されており、回復して参加されるものと思っていました。
メッセージは託されたようですので、今はそれを聞くしかありません。


 昨年横浜に戻ってこられた元沖縄大学学長の加藤彰彦さん、沖縄の子どもの貧困問題に取り組んでこられた方だが、沖縄県の行政がとっても協力的だったと話しておられた。基地問題だけでなく、翁長知事は国の非協力に対して、率先垂範、一歩前を歩く行政を心がけておられたのだなと思う。

 

 安倍首相は、カンヌでパルムドールを受賞した是枝裕和監督を軽く扱ったように、今回も同じ時期に亡くなった津川雅彦さんに比べ、翁長さんへの弔意は薄い。

 「安倍応援団」の友人への厚い弔意の表明は、人として当然のことかもしれないが、「宿敵」への弔意とリスペクトもまた忘れてはならない大切なものだろう。

 お友達ばかり優先するこの宰相の気持ちの未成熟さはどうしたものか。見たくないもの、聞きたくないものは視野に入れないし、耳を塞いでしまう。・・・ちっちゃい。

 

 対照的に、昨年の広島の平和記念式典での安倍首相を睨みつける翁長さんの眼は鋭かった。大人ぶって常識的に振る舞いがちな政治家が多い中、「コノヤロー」とばかりに睨みつける翁長さんを、私はかっこいいと思う。

 合掌。

『ダンガル~きっと強くなる」皆それぞれ自分の物語を映画に反映するのだ。映画の中から自分の好きなものをトッピングして自分の物語を飾る。その幅が広いのがこの映画の特徴だ。だれもが思いを込められる、ひとことで言えばわかりやすい「スポ根映画」である。

 12日、日曜日。珍しく日中エアコンを使わないで過ごす。

 あすからお盆、今日が帰省ラッシュのピークだという。何十キロの渋滞に200%以上の乗車率。気の毒である。

 日航機の事故から33年、追悼登山の報道に見入る。 

 あの頃は毎年子どもを連れて帰省していた。まだ父も元気なころで、結構、長逗留をしたものだ。東北の朝は涼しく、田んぼは青々と稲が育っていた。目を輝かせてカエルを捕まえる子どもたち。

 そろそろ孫たちがその年齢になる。

 旅の途中ではからずも命を落とされた520人の方々の冥福を祈りたい。

 

 9日に『ダンガル~きっと強くなる』(2016年・インド・140分・原題:Dangal・監督ニティーシュ・ティワリー・主演アーミル・カーン)と『ロンドン、人生始めます』(2017年・イギリス・102分・原題:Hampstead・監督ジョエル・ホプキンス・主演ダイアン・キートン)をみた。
 


 『ダンガル』のサブタイトルは、『きっとうまくいく』(2009年)をもじったもの。

  配給会社は“ダンガル”だけでは意味不明と考えたのだろう。


 “ダンガル”とは、レスリング競技そのものを表すだけでなく、戦い続けるものへの称賛などを表すようだ。

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 主演は『きっとうまくいく』と同じアーミル・カーン。父親マハヴィル役。彼は『PK』でも主演。宇宙人の役だった。これもよかった。とっても渋くていい男、“ダンガル”の中では「あれ?ロバート・デニーロに似ている」と思ったシーンがいくつかあった。


 インド映画にはもともと興味もなく、ほとんどみたことがなかった。それが最近は、インド映画というと関心が向くようになった。

 『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年)『きっとうまくいく』、それに『マダム・イン・ユーヨーク』(2012年)『めぐりあわせのお弁当』(2013年)『PK』(2014年)など、どれもシンプルなのに独特の情感と臨場感がある。気がつくと映画の中に引きずり込まれてしまっている。この求心力は明らかにほかの国の映画にはない特質だ。大作の『バーフバリ』はみていないが、二部作併せてみてみたいと思っている。

 


 さて『ダンガル』。早くみたかったのだが、家事に追われ?なかなか都合がつかず(こういうことがよくある)、見逃す寸前に時間が取れて上映最終日に間に合った。まずあらすじ・・・。

 

「・・・生活のため選手の道を諦めた彼(マハヴィル)は、いつか自分の息子を金メダリストにすることを夢見ながら道場で若手の指導に励む日々を送っていた。しかし生まれたのは4人連続で女の子。意気消沈した男は道場からも遠ざかってしまうが、ある日ケンカで男の子を打ち負かした長女(ギータ)と次女(バビータ)の格闘センスに希望を見出し、コーチとして2人を鍛えはじめる。町中の笑いものになっても意に介さず突き進もうとする父と、そんな父にささやかな抵抗を続ける娘たちだったが……。」(映画.comより拝借)

 実話をもとにしたとあるが、ネットには中心に描かれる姉のギータが、2013年女子ワールドカップで日本人選手栄希和と、妹のバビータが2014年のアジア大会吉田沙保里と闘っているそうだ。ちなみに栄希和は、パワハラで日本協会本部長をやめた栄和人氏の娘さん。


 もちろん演じているのは本人ではない。なのに全編すごい迫力だ。


 テーマは、インドの女性蔑視の習俗を批判し、人間としての可能性を追求することの尊さということになるのだが、マハヴィルはひたすら男子をのぞみ、かなわず結果として姉妹を鍛え上げることになるわけで、「インドの女の子の星になれ」的なこの崇高なテーマはややあと付けっぽく軽い。


 映画の中で描かれる地方の村では、女子がレスリングをやることなど考えられないのだが、都会では女子のレスリングのナショナルチームがつくられており、大変に人気のある競技になっている。このあたりがよくわからない。インドという国の一辺倒でない広さと深さということか。

 わたしには映画の中で描かれる彼女たちへの熱狂は、田舎の小さな村から国際大会まで勝ち上がっていくインディアンドリーム?への期待と渇望に源泉があるように思えた。

 

 この映画、宣伝惹句が面白い。公式ホームページから。

 松岡修造

「この感動は金メダル!この映画で流す涙は、君の人生を変える!」。

 残念だが、涙と映画では人生は変わらない。

 吉田沙保里

「父を思い、泣きました。最高!!」

 自分のこと?親子の葛藤は?

 アントニオ猪木

「元気ですかー!元気があれば何でもできる!!インドの映画は面白い!興味深く見せて貰いました」

あいかわらず。でも意外に謙虚。

伊調馨

「どれだけ非難されても信念を貫く父の姿に愛を感じた」

「よくおれの前でレスリングができるな」・・・信念を貫いたのはキミだ。

水道橋博士

「誰がみても文句なく金メダルを差し上げるだろう。タイガー・ジェット・シン以来の衝撃だ!」

どういう衝撃か?つながらない。

藤波辰爾

「この映画を観て、若き日の自分と師匠カールゴッチとの歩みを思い出しました。あの日の自分のような主人公達に胸を打ちました」。

映画より自分をみている?無意識に自意識過剰?

アジャコング

「インド版星一徹のオヤジの金言は、全ての人に勇気を与えてくれる‼そして、その教えとともに見事に成長を続ける娘たち、天晴れ‼男でも女でも努力は身を結ぶ」

男でも女でも努力で”身を結ぶ”はちょっとまずい。「身」じゃなくて「実」だと思うけど。校正ミス。

 

きりがないのでやめるが、最後に極め付き。

栄和

「泣いた。一人の人間を育てる、その難しさと喜びを、指導者として、娘の父として痛感した」

人の心の中にはたくさんの矛盾した感情があるんだね。
 

 皆それぞれ自分の物語を映画に反映するのだ。映画の中から自分の好きなものをトッピングして自分の物語を飾る。その幅が広いのがこの映画の特徴だ。だれもが思いを込められる、ひとことで言えばわかりやすい「スポ根映画」である。

 

 「スポ根」には欠いてはならないテーマがある。親子、家族、ライバル、指導者、友情、恋愛、秘密兵器の、敵の謀略、いやがらせ・・・これらの葛藤を超えて最後に栄光をつかむというパターン。間違ってもパワハラやセクハラは出てこないし、政治問題など入り込む隙もない。


 そんなことを考えながらみても、この映画は断然面白い。

 「ギータ!がんばれ!」なんて思うし、「バビータ、負けるな!」なんて。

 老人をワクワクさせる回春?映画でもある(笑)。
 

 

 どうしてこれほどこの映画は人をのめり込ませるのか。

 答えははっきりしている。

 スポーツそのものをちゃんと見せているからだ。

 砂の上での男子との闘いから国際大会での実力者たちとの闘いまで、ギータとバビータの、精神はともかく肉体的な変化、筋力の強さをしっかり見せてくれる(幼少時と国際大会出場時は役者が代わっているが)。いくつもの対戦シーンのリアリティは出色だ。ロッキーに十分対抗できるレベル。

 

 レスリングの技そのものも素人にもわかりやすく、そのうえ迫力満点。生の国際試合をテレビで見ているような気分にさせてくれる。

 

 最後のシーンなど「あしたのジョー」の“クロスカウンター”に匹敵する技が用意してある。これら演出力は並大抵のものではない。


 もうひとつ、冒頭のシーンがにくい。ネタバレになるので詳しくは書かないが、映画の導入としてメンタルもビジュアルも併せて一つの短編映画のようだ。
 

 日本のスポーツ映画、というジャンルがあるかどうかわからないが、最近の日本の映画でこういう興奮に近いものを感じたのは『百円の恋』(2014年・安藤サクラ)ぐらいだろうか。

 

 

 


 『ロンドン、人生始めます』は、ややありきたり。原題の“Hampstead”ハムステッドはロンドン郊外の高級住宅地の名前。その近くに住む自給自足のブレンダン・グリーソン演じるドナルドとダイアン・キートン演じるエミリーがひょんなことから知り合いになり・・・。

 

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 立ち退きから裁判、そしてドナルドが土地の所有権を獲得するという夢物語のような実話をもとにしているが、それより夫との死別後発覚する浮気や借金のこと、貯金の目減り、マンションの修繕費用など気にかかることがいろいろとあるのに、うわべだけの友人との付き合いから離れられないエミリーの生活にリアリティがある。

 老境に差し掛かりながらもなかなか自分の生き方に確信がもてないエミリーを、何ともチャーミングなダイアン・キートンが好演している。

 ドナルドとの老いらくの恋の面倒くささ?もとってもいい。

 ラストシーンもしゃれていていいのだが、なぜか全編どこかでみたようなという感じが払しょくできない。ありきたりと思うゆえんである。

 

 

 

 

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今年初めて手に入った小茄子(山形産)を塩とミョウバンで漬ける。

きゅうりとにんじんはぬかみそ漬け。

 

 

 

 

 

 

 

『スターリン葬送狂騒曲』映画なのだから、ああ面白かった!でいいのだと思う。それなのに最後まで笑いきれない居心地の悪さ、つい後ろを振り返ってしまうような心もとなさが残る映画でもあった。

 

 

 『スターリン葬送狂騒曲』(2017年・イギリス・原題:The Death of Stalin・107分・監督アーマンド・イアヌッチ)をみた。ららぽーと横浜のTOHOシネマズ。


 TOHOシネマズはJR横浜線鴨居駅から鶴見川にかかる人道橋をわたって北へ1㌖ほど行ったところにある。大型ショッピングパーク“ららぽーと横浜”の一角にある。近隣にはシネマコンプレックスがいくつかあるが、ここは時々面白い番組を組む。「これ、みたいな」と思って調べると、ここだけにかかっていることがよくある。
 

 スクリーンは12面ほどあるが、この日はプレミアシートでの上映。どうしてこの映画が?観客は30人ほど。封切りにしては少ない。

 ここは120席ほどで、座席が大きくゆったりしている。となりの座席との間に小さなテーブルがあり息苦しさがない。

 お得感はあるのだが、つい気持ちよく寝てしまうことも。

 


 さてスターリン。1953年ソ連。冒頭、まだスターリンは生きている。教科書などのスターリンの写真は威風堂々としているが、こちらは小柄でずる賢そうなせせこましい人物として描かれる。

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モスクワ放送でピアノコンチェルトの生放送が行われている。
突然スタジオに電話が入る。スターリンからである。


「17分後に電話をしろ」。

 

 局員はかけなおす番号を確かめるだけでパニック状態に。電話を切ってから、いったいどの時点からの17分後なのか同僚ともめる。恐怖心。同僚は、あからさまに自分には関係ないという態度。


 17分後に電話をすると、スターリンは「生放送の曲が気に入ったから録音がほしい、これから取りに行かせるから」と。

 

 局員は「録音したよな!」と同僚に詰めよるが、同僚はさらっと「していない」。

 

 もう一度やるしかない。この慌てぶりが尋常ではない。指揮者も地に足がつかず、スタジオでバケツに足を引っかけて倒れ、動かない。急に呼ばれた老指揮者は粛清と勘違いして悄然とパジャマ姿で現れる。ギャグである。

 ピアニストの女性は反スターリン。父親をスターリンに粛清されている。スターリンのための演奏など断固拒否。しかしすぐにお金で解決。面白い。

 あとは観客。帰ってしまった客を呼び戻しても人数が足りない。響きをよくするために街から音楽に関心などない人をたくさん連れてくる。


 こうして再度演奏、録音が完了する。レコードを取りに来た軍人は、遅れたことを「記録する」と局員に通告。顔色を失う局員。


 人々の慌てぶりはみな「記録する=リストに載る」ことを恐れるゆえだ。リストに載れば殺される。そうならないために上から下までみなまさに忖度、奔走する姿がコミカルに描かれる。

 

 これはイギリス映画だ。だから舞台はソ連なのにみな英語で話している。ロシア語は分からないけれど、やっぱりこれって変。片言のロシア語すら出てこない。英語でソ連を演じるという確信犯。

 

 イギリスではこの10年あまり、元スパイや亡命したロシア人が殺されるという事件が頻発している。この3月にも亡命している元スパイとその娘が薬剤で殺されるという事件が起きている。イギリス警察はこの事件をロシア政府による神経剤による暗殺と断定、捜査に乗り出しているが、これにロシアは反発、国際問題化している。


 そんな中でのこの映画、舞台がソ連時代とは言え、現代にも通じる部分を誰もが読み取る。プーチンの独裁化は深まるばかりだし、反プーチン派は厳しく排斥されている。殺害されたジャーナリストもいる。いったいこの映画、現代とどこが違うんだ?とも。予告編は上映されたようだが、本編はロシアでは上映禁止だとか。

 

 スターリンの独裁時代、ある日突然、部屋のドアがノックされる。秘密警察NKVDである。罪状はスターリンが決める。リストに載れば連行され拷問され、殺される。映画の中では日常的な拷問のシーンも出てくるがテンポが速いため、それまでもがギャグの一部になっている。


 みないちように、自分には突っ込まれるところがないかどうか、生き抜くためにはどうすればいいかを考えている。政治家や軍人はもちろん、息子の密告によって逮捕される父親もいる。が、スターリン死去の恩赦で戻ってきて再会なんてシーンも。笑えるけど笑えない。


 1953年スターリンの突然の死去。ここからが本編、跡目争いが始まる。社会主義国家の建前を互いに振りかざして国葬を舞台にライバルが競い合う。旧来のロシア文化と社会主義のミスマッチも面白い。

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 登場人物で私が知っているのはフルシチョフとマレンコフぐらいだが、ここにスターリンの息子や娘がまじって主導権争いの狂騒が繰り広げられる。歴史上の人物に対しての敬意などまったくない。自分の身を守ることと自分がいかに生き延びるか、欲望と欲望のぶつかり合いだけが描かれる。滑稽この上ないのだが。

 

 映画は突然終わる。それほどの盛り上がりがあるわけではない。これで終わり?という感じ。

 とにかくテンポが速く、音楽がそれをどんどん加速させていく。

 所詮、他人のこうした争いや諍いは、自分を埒外に置けばみなギャグっぽくばかばかしく見えるもの。

 しかし、たぶんだれもがそうするように、私もトランプや金正恩プーチンエルドアンロドリゴ・ドゥテルテなどを思い浮かべるし、この国のもりかけ宰相から、今話題のボクシングの山根会長やレスリングの栄監督、日大の田中理事長、アメフットの内田監督などを思い浮かべる。そして私が生きてきた狭い世界にもいたミニチュアの独裁者たちのことも。

 

 経験的に云えば、恐怖と忖度によって成立する社会は、時々その姿を白日の下にさらすものだが、いったんはチャラになったと見せかけてゾンビのようにまたあちこちで再生するものである。

帰ってきたヒトラー』に通じるものがこの映画にはある。嗤うものとわらわれるものと。 

 映画なのだから、ああ面白かった!でいいのだと思う。それなのに最後まで笑いきれない居心地の悪さ、つい後ろを振り返ってしまうような心もとなさが残る映画でもあった。

 

f:id:keisuke42001:20180811145620j:plain          平山郁夫が描いた原爆のきのこ雲(平山郁夫記念館)

 

 

”トロは仕入れが八割、シンコは仕込みが八割”

 

「夏の間は逼塞して、涼しくなって行動開始だね」と決めていた。


 6月中に梅雨が明け、異常な暑さに見舞われた7月。夏には出かけるところとてない私たち老夫婦には「静かな夏」が待ち受けていたはずだ。


 7月26日、千葉に住む長女から「足首骨折」との連絡。松葉杖だという。彼女のところにはもうすぐ3歳と5歳になる姉弟の孫がいる。夫は長期の出張を控えている。近所に住む世話好きの姑は、長男が一家で赴任しているハンガリーを訪れている。


 ギプスで固定しているわけでなく、痛みもまだあるという状態、このままでは家事はすぐに滞る。買い物すらできない。

 

 救援隊の派遣である。

 

 つれあいがすぐにクルマで行くことに。空いていれば首都高を通って1時間半。

 

 つれあいは一泊して食事や洗濯ほか家事全般を請け負ったようだが、このままでは立ち行かないと判断。うちでまとめて面倒を見ることに。

 

 次の日、長女と孫二人をのせて帰宅。とはいえ、一週間ぶりの再会である。

 

 先週、孫のダンスの発表会があり、千葉を往復したばかり。アンデルセン公園の野外ステージはすさまじい暑さだった。その時にみた岡本太郎の作品“平和のなんとか”の写真をこのブログにも載せた。


 ついでにちょっと早いけどということで、近くのイタリアンで私の誕生日を祝ってもらった。立派なケーキをお店につくってもらった。

 

 で27日、この日が本番の誕生日。またまた♪ハッピバースデイトゥユー♪である。またケーキを食べた。恥ずかしながら65歳である。ちなみに朝鮮戦争休戦が決まった日、休戦はいまだ続いている。

 

 突然「静かな夏」は終わりをつげ、ふたりで家事と育児に精を出すこと約2週間。

 長女はこちらの整形外科に通い、なんとか治癒のめどが立った。大事にならずに済んでよかった。

 夫はようやくいくつもの出張を終え、夏季休暇に入り、迎えに来てくれた。一家4人で一泊して、8日に台風13号の襲来におびえながら横浜を立って行った。

 

 

 家の中からシーンという音が聞こえるようになった。夜中に感じるのはカサカサという爪の音を立てて歩くライの気配だけである。

 

 つれあいにはやや疲れが出た。咳が出てのどが痛いという。風邪気味である。

 私は厨房に立つぐらいだったからいたって元気なのだが、つれあいは家事全般、育児も含めて少しオーバーワークになったのかもしれない。

 きのう、かかりつけの医院を受診。薬を使わないで治そうということになったという。昨日今日はお疲れ休みである。

 

 横浜最後の夜になった7日、近くのすし屋でお別れパーティー。

 

 5歳になる女児は昨年この店に来たことを憶えているという。

 下の男児は長女に「おととし○○ちゃんは、産まれる数日前にこの店に来たんだよ」と言われてきょとんとしている。

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 横浜の北西部に転居して9年になるが、以来、年に何度か伺うようになったお店。小さな店なので店名は伏すが、近在ではよく知られた良い店である。店主が和食はもちろん、洋食やアジアンテイストまで何でも作る。そしてそれがみなストライク。この日もなんと「もつ煮」を用意してくれた。

 

 酒を呑む人間にはうれしい店である。はなから寿司を頼まず、呑んでばかりという客は寿司屋では好まれない。昔はそういう寿司屋が多かった。私は寿司屋に好かれない種類の人間なのだが、時代は変わり、店主の趣向も変わる。伝統的なすし屋は今でも健在だと思うが、私はこういう店が好きである。


 もう一つ、この店、店主が大の子ども好き(だと思う。確信はないが)。昨年は縁日のおもちゃをいただいた。今年もアイスが用意してあった。受け入れられているということを子どもも感じるのか、ぐずることがない。大人は安心して飲み食いができるということになる。

 

 写真は大人の一人前のおまかせ握り。卵焼きに焼き印があるが、うまく店名が隠れている。3歳男児は卵焼きが好みだが、5歳女児は「いくらください」。やるものである。
刺し盛りにシンコが入っていた。うれしい。

 

 わたしが若いころ、シンコの季節は夏の終わり、8月から9月半ばぐらいだった。今は少し早まり、9月には終わっていることが多い。盛りは6月から7月になっている。

 シンコはコノシロの幼魚。シンコ、コハダ、ナカズミ、コノシロと大きくなっていく。シンコが4~5㌢、コノシロが15㌢くらいか。

 
 シンコについての蘊蓄は、野毛のすし屋「北海寿司」の店主に教わった。

 店じまいして10年にもなるだろうか。寿司職人らしい風呂の上がりたてのような肌色をした年配の店主だった。

 小体(こてい)のしもたやという言い方がぴったりのお店。ある時、玄関の引き戸が倒れてきたことがあった。

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 7席ほどの店。4人と3人の角のカウンター。そのいちばん端、トイレの入り口近くには脳梗塞を患った店主の妻が坐っていて、あまり動かずにお茶や箸などを出す。

 私たちは親しい友人夫妻と4人で行くことが多かった。4人が入るとほぼ満席状態に。居心地のいいお店だった。”北の誉”が置いてあったのを憶えている。ほぼ毎月のように寄っていたので、シンコにあたることも多かったようだ。

  

 シンコは寿司職人とって特別のたね。柄が小さいので、下処理に手間がかかる。鮮度や大きさで塩、酢加減が変わらざるを得ず、難しいとのこと。レシピはつくれないという。

 

 ”トロは仕入れが八割、シンコは仕込みが八割”は、シンコのことが書かれているところには必ず書いてある。
 
 シンコを注文すると、3㌢から4㌢ほどのシンコ3~4枚が少しずつずらして重ねられ、一枚のネタのようになってでてきた。うろこのような見てくれと絶妙な酢加減が忘れられない。いつしかこれを夏の風物と感じるようになっていた。味はこうして覚えるものらしい。

 

 ここ数年、シンコには出会えていない。気がつくと9月で、夏前にすし屋には行っていないのだ。


 そのシンコが久しぶりに目の前にある。やや大ぶりだがコハダまではいかない。コハダやコノシロはスーパーや居酒屋でも見かけるが、シンコはでてこない。大人4人で一切れずついただいた。

 

 ようやく「静かな夏」、お盆を前に車の数も減ってきている。都心が年に二度静かになる。

 

さて、どこに出掛けようか。

 

 

 次回は、映画『スターリン葬送狂騒曲』『ダンガル』『ロンドン、人生始めます』について書くつもり。

 

f:id:keisuke42001:20180810202517j:plain本文には関係ありません。ささやかな収穫物。