5月のあれこれ③ 兄弟の会、鬼怒川温泉へ。Kさんお見舞いツアーで三島へ。

岐阜にでかけたことについては書いたが、その後もあちこち出掛けていた。

少しだけ。

 

5月27日、鬼怒川温泉。3人の兄弟が夫婦で集まる。

北千住から東武電車のスペーシアXに初めて乗る。

子どもたちが小さかった頃、スペーシアには何度も乗った。帰省するには最もリーズナブルなのが東武電車から野岩鉄道会津鉄道と乗り継いで会津若松に行く方法。

新幹線と磐越西線を使うのが一番早いのだが、帰省は急ぐ旅ではない。当時、横浜・菊名の家を出てから8時間ほどもかかったと思う。

兄弟三夫婦は、年に一度は集まっていたのだが、コロナのおかげで今回の旅は2019年以来5年ぶりということになる。

久しぶりに互いの老いと近況を確認。再会を約して分かれる。

 

5月30日、静岡に住む友人Kさんが病を得て治療に入っているという情報をもたらしてくれたのは誰だった。

最後にKさんと会ったのはいつだったか。ずいぶん長い間、会っていない事は間違いない。

そこで「Kさんお見舞い三島ツアー」を企画、呼びかけたところ、

埼玉、千葉、山梨、愛知、大阪の友人がこれに応えて集まることに。ほぼ東海道新幹線の近縁に住む人たち。

お見舞いに伺いますと連絡したところ、Kさん、活動魂が蘇ったのか、

「ちょうどその日、こちらで市民運動の集まりがある。弁当を一緒に食べながら交流をしないか」という提案。

12時三島駅集合。

駅頭に佇むKさん、思いのほか元気そうで一同ひと安心。皆いつもの軽口が戻ってくる。

市民運動の方々との交流では、先の静岡県知事選についての評価、来たる都知事選の行方など盛り上がる。

労組や党派の活動家として、長く地元で活動してきた方のお話など、興味深かった。

 

Kさんから「せっかくここまできたのだから三島スカイウォークに行ってはどうか」という提案。

箱根西麓にある人間しか渡れない長さ日本最長400メートルの吊り橋。入場料は1000円。

どちらかといえば、私も含めて早く🍶の方に移行したい人が多く、この提案は採用されなかった。

その代わりに、三島大社見学と源平川水辺ウオーク。

三島大社と言っても、生真面目に参拝する人たちではない。ふんふんが言いながら柏手も打たずに通過。

街中を流れる源平川の清流。夏でもここだけは涼しい。

小一時間、市内を流れる清流を愛でながら、🍶会場の蕎麦屋三まで歩く。

Kさんの病気の経過をお聞きしたあとは、久しぶりに近況報告。

陽の落ちるまで宴は続き、2時間へと突入していった。

皆かなりきこしめておりますなあ。

 

 

 

5月あれこれ② 33年ぶりにOさんと会う

5月26日(日)

1月に33年ぶりに連絡のあった浦島丘中の卒業生Oさんが来訪。

メールのやり取りをしているうちに、住んでいるところが同じ八王子街道沿いだということがわかり、一度会いましょうということになった。

33年の時間はお互い相応の変化を及ぼしているのは間違いないが、会った瞬間、O さんだとすぐにわかった。中学の時の面影がしっかり残っている。

アルバムを見ながら当時のことに話が及ぶ。

私は彼の中2の時の学級担任だったのだが、彼とゆっくり話したという記憶はない。

弟さんやお母さんのことなど、今となってはそれなりに関わりがあったことはわかるが、覚えているのは、中学生の男子としてはまれな穏やかで静かな彼の視線。

当時、学年の男女のトップ二人がクラスにいて、グループが巻き起こす凄まじいほどの問題に追いまくられていた。いくつかの行事に「地獄の」という形容詞をつけて呼ぶほどだった。

せめてもの罪滅ぼしに、夏休みに「マラソンソフトボール」と称して、クラスで早朝5時ごろから夕方まで12時間、ひたすらソフトボールをやり続けるとか、トライアスロンとこれも称して、弁当持ちで学区のボーリング場に集合し、2、3ゲームをし、そのまま電車で鎌倉に移動、七里ヶ浜でひたすら泳ぎ、西陽が落ちるころ「これから私は横浜まで歩いて帰ります。一緒に来る人いますか?電車で帰る人はここで解散とします」。これで3つの競技、トライアスロンが完成。20数kmの距離を歩いて横浜まで帰った。

途中、夏の嵐が襲うも、コンビニでビニールのゴミ袋を買い、カッパ代わりに。

コンビニの前にゴミ袋をかぶった中学生が疲れた顔でしゃがみ込んでいる。今なら通報する人がいるかもしれない。

学校到着は、予定より5時間ほど遅れ、それでもその日のうちに帰り着くとこができた。

 

そんなことをしていた時代。O君の目に映ったそのころ、その時代。話していて私との「ずれ」が面白かった。生徒と教員、同じわけはないが、物の「認識」の違いに驚かされた。

近くに住む同じクラスだったMさんにも声をかけたのだが、都合が合わず果たせず。また今度3人で話そうということに。

 

5月のあれこれ① 津田憲一さん沖縄の語り部の伝え部

6月8日に生まれて1週間ばかりの8羽のカルガモについて書いた。

あれから2週間近く、8羽は元気に育っている。産毛も消えて体調も10cmをゆうに超え、動きも素早いが、時々母ガモのお腹の下に8羽そっくり入って(どんなふうに入っているのかわからないのだが、8羽がしかり隠れてしまう)寝ている時もある。

 

定点長期観測のカルガモおじさんは、私たちが「見当たらないんですよね」というと、「本日の動き」についてちゃんとレポートしてくださる。「いつもだと」とか「今年は」とか、定点観測者としての矜持が感じられる言葉がポンポンと。

 

ここ2週間ほどカワセミは人気をカルガモに奪われている。

 

5月から6月にかけていろいろあったのだが、書く余裕がなかった。備忘録の性格上、少しでも記述をしておく必要がある。お付き合い願いたい。

 

5月16日 本郷台のアースプラザで津田憲一さんの「座間味旅日記ー「集団自決」の現場を訪ねてー」の講話を聞く。

語り部の伝え部」として長く座間味を訪ね歩き、まとめてきたもの。

津田さんは古い友人で、今までまとめたものをいくつもいただいてきたが、今回初めて初めて講話としてうかがった。

 

文章では伝わらない伝承の迫力と津田さんの思いの強さが伝ってきて鳥肌がたった。

 

2023年7月23日 東京新聞        

語り部の伝え部
 前川喜平

 20日の自主夜間中学「あつぎえんぴつの会」で、神奈川県の公立中学校の元教師、津田憲一さんから座間味島で起きた「集団自決」についての話を聞いた。

 2007年に公表された高校日本史教科書での「集団自決」について日本軍による「強制」などの表現が認められなかった。これに対して大規模な抗議運動が起きた。津田さんが08年10月に座間味を訪れたのは、この問題がきっかけだった。

 出会いの積み重ねの中で、津田さんは「集団自決」の真相を知り人たちの話を聞いていった。当時の村役場の助役だった宮里盛秀さんが父の盛永さんに「軍からの命令で自決しなさいと言われている。一緒に死にましょう」と話したことを、妹の春子さん(当時18歳)とトキ子さん(当時13歳)ははっきり覚えていた。

 津田さんはその後も沖縄で生存者からの聞き取りを重ね、その成果を何冊かの冊子にまとめた。何の後ろ盾もない一人の教師がこれだけ詳細な調査活動を続けてきたことには感嘆するばかりだ。

 教師を退職した後は「語り部の伝え部」として活動を続け、日本の近代史や憲法について学ぶ「おとなの社会科教室」も開いているという。

 授業の最後に津田さんは三線を弾いてくれた。沖縄の心に一歩でも近づこうとする真摯な思いが伝わってきた。
(現代教育行政研究会代表)
 
元の原稿が見つからなかったので、桜川市議会議員菊池のぶひろさんのHP より拝借しました。

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梅雨入り前の境川河畔、8羽の子ガモたち

風のうわさ。

散歩をしていると、まれにこの言葉を実感することがある。少し違う気もするのだけれど。

 

1ヶ月ほど前、町田市と大和市の間の鶴間橋(横浜と大和市の間にも同名の橋があるのだが)の近くで「橋の近くでカルガモの赤ちゃんが生まれたようだ。川に戻れないところを戻してやったらしい」という話をいつも会うカワセミカメラマンの方から聞く。

 

へーッと思ってそっちに向かって歩くと、すれ違った見知らぬ人たちが、カルガモが生まれた話をしている。

 

橋のたもとには人が集まっている。しかしカルガモは見えない。

 

帰り道、歩いていると自転車を押している高齢の女性と並んでしまう。問わず語りにその女性が、カルガモがね・・・。

 

いつの間にか、私たちは川面にカルガモの親子を探している。

 

昨日、2キロほど歩いて少し汗ばんできた頃、携帯ラジオ片手にどちらかというといつも不機嫌そうなおじさんが、川面のフェンスにうずくまっている。

視線の先を見ると、なにやら小さなものが動いている。

親カモ1羽の周りにうごめく子ガモたち、なんと8羽。

「生まれて1週間も経っていないんだよね」

孫を愛でるようなにこやかな表情で。

顔に産毛が見える。体調7〜8cm。

今までにも何度見たことがあるが、こんなに小さなものは見たことがないし、8羽というのも初めてだ。

 

今朝、同じ場所に差し掛かると、おじさん、やはりうずくまっている。

終日、見守っているのかもしれない。

今回も、陸に上がってしまったのを誰かが川面に誘導していやったとのこと。

 

帰り道、宮本さんに出会う。

カルガモの話。

「そうなんだよな。生まれてまだ数日だと思うよ」

と言いながら、バッグをゴソゴソと。

「どう、これ? あげるよ」

いただいた写真がこれ。

かなりの望遠だが、親がものあとをついていく8羽。

『アイアンクロー』あの鉄の爪のフリッツ・フォン・エリックにこんなバックグラウンドが。『辰巳』すごくいいのにストーリーの奥行きがないのが残念。

2024年5月の映画寸評③

<自分なりのめやす>

お勧めしたい   ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

みる価値あり   ⭐️⭐️⭐️⭐️

時間があれば    ⭐️⭐️⭐️

無理しなくても  ⭐️⭐️

後悔するかも   ⭐️

 

㊺『アイアンクロー』(2023年製作/132分/G/アメリカ/原題:The Iron Claw/監督:ショーン・ダーキン/出演:ザック・エフロン ジェレミー・アレン・ホワイト ハレン・ディキンソン ホルト・マッキャラミーほか劇場公開日:2024年4月5日)

                          5月24日 kiki  ⭐️⭐️⭐️⭐️ー

 

日本でもジャイアント馬場アントニオ猪木らと激闘を繰り広げ、鉄の爪=アイアンクローを得意技としたアメリカの伝説的なプロレスラー、フリッツ・フォン・エリックを父に持ち、プロレスの道を歩むことになった兄弟の実話をベースに描いたドラマ。

1980年代初頭、元AWA世界ヘビー級王者のフリッツ・フォン・エリックに育てられたケビン、デビッド、ケリー、マイクの兄弟は、父の教えに従いプロレスラーとしてデビューし、プロレス界の頂点を目指していた。しかし、世界ヘビー級王座戦への指名を受けた三男のデビッドが、日本でのプロレスツアー中に急死したことを皮切りに、フォン・エリック家は次々と悲劇に見舞われ、いつしか「呪われた一家」と呼ばれるようになっていく。

次男ケビン役をザック・エフロンが務め、三男デビッド役を「逆転のトライアングル」のハリス・ディキンソン、四男ケリー役を配信ドラマ「一流シェフのファミリーレストラン」で第80回ゴールデングローブ賞主演男優賞(テレビ部門ミュージカル・コメディシリーズ)を受賞したジェレミー・アレン・ホワイトがそれぞれ演じた。米プロレス団体AEWのマクスウェル・ジェイコブ・フリードマンが製作総指揮、元WWE王者のチャボ・ゲレロ・Jr.がプロレスシーンのコーディネーターを務め、それぞれレスラー役で劇中にも登場。監督は「不都合な理想の夫婦」のショーン・ダーキン

 

小さい頃、テレビで見た鉄の爪フリッツ・フォン・エリックは恐ろしいレスラーだった。その彼にこんなバックグラウンドがあったとは。

4人の兄弟とフリッツとその妻。皆、それぞれに家族愛を持ち続けているが、兄弟は純粋にお互いが好きで、健康なライバル心も持っている。母親は愛情は持っているが、今ひとつ打ち解けない。フリッツは大変な自信家で功名心の塊、不全感を払拭するために子どもたちを徹底的に引き回す。兄弟はそんな両親に対し、愛情を持ってはいるが、心底信頼はしきれていない。それに合わせていくつもの不運、4人のうち一人は病死、一人は自殺、一人はバイクの事故・・・「呪われた一家」という風評が被せられる。

 映画はそれに立ち向かった一家を克明に描いてはいるが、過大な描写ではなく、極めて等身大。激しい感情のぶつかり合いも抑制的。次男のケビンがうちに抱えて屈託していく様子が痛ましい。フリッツの内面、葛藤はあえて描かれない。

 ラストシーンだったか、亡くなった兄弟が天国で出会うシーン。ベタだが、小さい頃に亡くなった長男がそのままの姿で出てくるところがグッとくる。

それぞれが鍛え上げられたカラダで繰り広げるプロレスシーンは迫力がある。

 

㊻『辰巳』(2023年制作/108分/日本/脚本・監督:小路紘史/出演:遠藤雄弥 森田想他/劇場公開日2024年4月20日) 2024年5月24日 kiki ⭐️⭐️⭐️+

 

2016年公開の長編デビュー作「ケンとカズ」で注目を集めた小路紘史監督が自主制作で完成させた長編第2作で、希望を捨てた男と家族を失った少女の復讐の旅路を描いたジャパニーズノワール

裏稼業で生計を立てる孤独な男・辰巳は、元恋人である京子の殺害現場に遭遇し、その場にいた京子の妹・葵を連れて逃亡する。最愛の家族を奪われた葵は、姉を殺した犯人に復讐することを決意。犯人を追う旅に同行することになった辰巳は生意気な葵と反発し合いながらも、彼女を助けともに過ごすなかで、ある感情が芽生えてくる。

「ONODA 一万夜を越えて」の遠藤雄弥が主人公・辰巳、「アイスと雨音」の森田想が葵を演じ、ドラマ「全裸監督」の後藤剛範、「無頼」の佐藤五郎、「わたし達はおとな」の藤原季節が共演。2023年・第36回東京国際映画祭「アジアの未来」部門出品。

映像の迫力はかなりのもの。それぞれの演技もいい。監督の技量の高さが伝わってくる。

ただ、ストーリーに奥行きがなく、単調。

ヤクザ組織がバックにあるようだが、実態が全く見えない。

同じところで撮ったシーンが多く、深みがない。

予算の問題もあるだろうが、もったいない感じがした。

予算があれば脚本自体がもっと広がりを持つのではないか。

遠藤雄弥は吸引力の強い役者。森田想、楽しみな役者。

藤原季節、冒頭だけ?もっとみたい役者。

 

 

3日目の岐阜。「鳥のちから」で〆。

岐阜3日目。

本日も2人の孫の登校に同道。

カラッと晴れた空、長良川から吹いてくる薫風に身を浸す。

気持ちがどこまでも弛緩する。3年生のR くん、昨日同様今日も祖父と手をつないで校門まで。

姉のSちゃんは祖母と並んでおしゃべりしながらの登校。次に会うときには祖母の身長を抜いていることは間違いない。

 

孫の成長は祖父母の老化とともにやってくる。

 

R君は、「今日はシャトルランやるんだ!」とうれしそう。

「回数、ママのメールで送ってね」と言って二人と別れる。

次に会うのは夏休み。三日会わざれば刮目してみるべし、は大げさだが、3ヶ月後が楽しみだ。

 

さて、今日は横浜に戻る。新幹線は夕方。

その前に昨日発売になった大人の休日倶楽部パス。とりあえず一回は使ってみようと

スマホで駅ねっとを検索、申し込んでみる。

今回3万枚の発行。スマホ相手に苦心惨憺、娘の手を借りてなんとか買うことができた。

JR東日本の電車や新幹線全て乗れる。指定席は6回まで確保できるそうだ。

米沢、山形、酒田、田沢湖、盛岡、一ノ関を四泊五日で回ってみる。

 

今日もTさんがクルマを出してくれる。

 

11時過ぎ、金華山ロープウエイの近くの岐阜歴史博物館まで送ってもらう。

長女も同乗。ここで夫婦とはお別れ。

 

歴博の企画展「ここまでわかった!岐阜の古墳」

丁寧に作ってあってつい見入ってしまった。

土器などの展示が多く、それもレプリカは少なく、出土品がほとんど。

面白かった。

岐阜にはおよそ511基の古墳があるという。

小一時間、館内を歩く。企画展 ここまでわかった!岐阜の古墳

金華山ロープウエイの隣りにある加藤栄三・東一記念美術館へ。

全く知らなかったが、風神雷神の図の下絵と完成品が良かった。特に下絵が面白かった。

 

歴博前のバス停からJR岐阜まで岐阜バスに乗る。

 

北口に到着。

金ぴかの信長像

写真はネットから。

 

駅の中に「岐阜市平和資料室」があると長女から聞いていたので、探してみる。

駅ビルの端っこに見つけた。

スタッフはいない。

 

gakuen.gifu-net.ed.jp

 

展示は、岐阜空襲が中心。

1945年7月9日。夜中の空襲だった。

被災者86577人(全人口の43%)死者863人 負傷者520人。

マリアナ群島から飛んできたB29が135機。

投下された焼夷弾は14608発、898.8トン。

一晩で街は焼け野原に。

展示は

焼夷弾  2戦時の暮らしと子どもたち 3戦災の遺品 4代用品

 

中でも焼夷弾の実物模型は迫力があった。

JR中央線で名古屋。もう昼時は過ぎているが、目当ての店まではあとすこし。

地下鉄東山線今池下車2分「鳥のちから」。平日は13時から。

春日井在住の友人Wさんに紹介された店。スタッフの接客がとてもいい。

名古屋コーチンを使った鳥の料理、焼き鳥から幾つもの部位の新鮮な刺身。生ビール、酎ハイ、お酒、1時間半、旅の仕上げ、二人で十分に堪能。

鳥のちから -

16時31分のひかりに乗る。

 

 

横浜市教委傍聴動員問題・・・どの面さげて教育委員会を名乗るのだ?

横浜市教委のわいせつ教員の公判傍聴への職員動員問題、笑ってしまうほど稚拙で非常識なものだが、昨日の教育委員会議の議題に事務局からまたまた恥の上塗り、責任逃れのような文章が出た。

 

「公判への職員の傍聴呼びかけと今後の対応について」。

 

新聞ではすでに教職員人事部長と教育長が相談して動員を決めたとあったが、このタイトルでは「呼びかけ」はしたけれど、傍聴するかどうかは職員が決めたこととなってしまう。

 

出張命令が出ていたことも、旅費も出ていたことも報道されているのに。

 

それにしてもだ、何が酷いって

教育長の取り巻きの幹部たちは誰一人「まずいんじゃないですか」とは言わなかった。のべ500人という職員、多くは教員上がりの指導主事と想像するが、彼らもまた傍聴席に坐ってなんの疑問も持たなかった。

 

いやおかしいと思った人はいたはずだ。しかし思ってもそれを口に出す「文化」が、この組織には基本的に欠落しているということだ。

 

私は教員歴のほとんどを少数組合の役員として過ごしてきた。市教委と交渉を持った回数は数えきれない。

事なかれの「文化」に辟易したものだが、何も変わっていないどころか、これほど腐っているのには驚きを通り越して呆れてしまうばかりだ。

 

件の村上教職員人事部長は、90年代、教職員課のヒラの職員として何度も言葉を交わしたことがある。

上司が苦虫を噛み潰したような顔で私たちに対峙するのに対し、彼は案外気楽にわからないことを聞いてきたり、夜間学級の環境問題が交渉事項だったときには、「夜間学級のことを教えてほしい」などと言っていた人物。

 

00年代になると、いつの間にか課長になっていて、雰囲気が変わってきた。

退職強要問題(新採用教員がうつで療養休暇をとったときに、市教委と校長が依願退職を迫った問題。交渉や弁護士も入れていろいろと手を打った結果、市教委は強行せず本人は退職せずに済んだ。そこから反転攻勢、校長と市教委を相手に損害賠償請求訴訟を起こし、3年ほどかけて地裁で勝訴、わずかだが賠償金をとったことがある。

彼は、このときにはもう一丁前の役人になっていて、こちらの要求をのらりくらり交わすようになっていた。ただ、図星のことを言われると表情が変わるという「弱点」があったが。

そして順調に出世して教職員人事部長になった。課長まではなんとかなれるが、部長職はそうそうなれるものではない。何しろ市教委の中で部長と名のつく人間は5人しかいない。ヒラからずっと教育委員会にいたわけだから、いわば「生え抜き」。そこまで上り詰めたところで、この恥ずかしい不祥事。

今まで何をやってきたのか。役人としてのセンスを磨くことはなかったのか。

 

「被害者を守るために」という言い訳をテレビのインタビューで言っていたが、これを真に受けるわけにはいかない。すでに報道で言われるように、被害者の人権については裁判所がかなり真剣に取り組んでいる。

 

要は、わいせつ教員の裁判を報道させたくなかったということではないか。

 

横浜では、校長室で児童にわいせつ行為に及んだ校長や、フィリピンに通いづめで、少女たちにわいせつ行為を繰り返し、詳細な写真の記録を持っていた校長など、恥ずかしいこと限りない人がいろいろいるのである。

その人たちを校長にしてきたのが、教職員人事部だ。

何かと取り上げられれば仕事がやりにくいとばかりに、職員を動員して報道陣が傍聴席に入れないように画策したというのが本当のところではないか。

 

職員に渡していたメモも公表されている。

 

・集団で来たことがわからないように裁判所前での待ち合わせは避ける。

・10時15分には傍聴室前の廊下に静かに並んでください。

・ドアが開いたら入室し、1番前の列から座り、席を埋めてください。

・裁判所やその近くで、被害者名や学校名などの口外は避けて下さい。

 

などなどコソコソコソコソ姑息極まりない。

 

悪質だと思うのは、一番前の列から席を埋めろという指示。

かつて沖縄であった日の丸焼却裁判の時は、暴力団関係者が座席一つおきに座っていたことがあった。私が坐ったときには前後、両側がやっちゃんたちだった。

その彼らだって、どんなに威圧的であっても、全部の席を埋めるなんてことはしなかった。

 

教職員人事部長が相談したとうの教育長はついこの間退職してしまった。

先日、話題となった中2「いじめ」自殺事案の報告書がなぜか3年半もたってから公表され、10年間に41人もの自殺事案があったことも明らかになった。

何かとお騒がせな横浜市教委。いったいこのあとどこに向かっていくのだろうか。