休映、休診におちこむ・・・。キネマ旬報ベスト・テン発表。

今朝、5.8℃という外気温を見て、少し薄着で出かけた。河畔に出るとそれほど強くはないが、冷たい北風が吹いている。気温が1~2℃でも、風がなく日が出ていると暖かいのだが、今朝は日は出ているが、思いのほか風が冷たい。

 

それでも町田一番さんはいつものように歩いている。

 

今朝はカワセミには遭遇しなかったが、メジロを見つけた。

軒先にみかんを置いてメジロを待つお宅。スマホでワンショット。

春告げ鳥といわれるメジロ

メジロ、今年はまだ見ないねえ」と話したのは昨日だったか。

シジュウカラと同じような小さなからだで、枝の間をちょんちょんと渡っていく姿はほほえましいものだ。

 

このところ映画館にご無沙汰している。日記を見ると1月18日が最後。この時見た2本もまだブログに書いていない。

 

実は1月28日に新百合ヶ丘アルテリオ映像館に行った。

楽しみにしていた岸井ゆきの三浦友和の『ケイコ、目を澄ませて』を見るために勇んで出かけたのだった。

昼時から始まる『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界完全版』を見て…と考え、駅前の旭川ラーメン大雪軒で昼をすませ、歩いて5分ほどのアルテリオ映像館へ。

フロアががらんとしている。

まさか・・・。

月曜日。ここは映画館にしては珍しく「休映日」があるのを忘れていた。2週前に上映時間だけを確認。再確認をしなかった。

だからまだ『ケイコ、目を澄ませて』は見ていない。

そしてその5日後、キネマ旬報賞が発表になった。1位だった。

結果を見る前に見ておきたかった。ショックというわけではないが、それからなかなか足が映画館に向かない。

 

こういう不注意は年に1,2度ある。Mさんに言わせると、「けっこう細かいのにポカをするときがある」。

3日後にも同じことが。

12月から行こうと思いながら、なかなか行けなかった眼科の定期検診。

意を決して、今日こそと思い出かけた。1日水曜日の午後。

ここでも休診の札が待っていた。

注意力散漫。休診は木曜日と思い込んでいた。この眼科は水曜の午後、木曜、土曜の午後、日曜合わせて3日分休む。

2度も続くと、これも老人性のアレか、と考える。気力が萎える。

映画館と違ってこちらはすぐにリベンジ。さいわい、症状の悪化はなく、薬剤もいらないとのこと。3か月に一度の検診が、結果的に6か月に1度になってしまったが。

 

ところでキネマ旬報のベストテン。

第1位(日本映画作品賞) ケイコ 目を澄ませて

第2位  ある男

第3位  夜明けまでバス停で

第4位  こちらあみ子

第5位  冬薔薇(ふゆそうび)

第6位  土を喰らう十二ヵ月

第6位  ハケンアニメ!

第6位  PLAN 75

第9位  さがす

第9位  千夜、一夜

 

文化映画(ドキュメンタリー?)は

第1位(文化映画作品賞) 私のはなし 部落のはなし

第2位  香川1区

第3位  たまねこ、たまびと

第4位  教育と愛国

第5位  スープとイデオロギー

第6位  愛国の告白—沈黙を破るPart2—

第7位  牛久

第8位  焼け跡クロニクル

第9位  失われた時の中で

第9位  北のともしび −ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダムの子どもたち−

 

 

映画の見方はいろいろだから、別に文句はないのだが、気持ちとしては

 『マイブロークンマリコ』  『ベイビーブローカー』 がどこにも触れられていないのは少し不満。

 

外国映画賞は

第1位(外国映画作品賞) リコリス・ピザ

第2位  トップガン マーヴェリック

第3位  パラレル・マザーズ

第4位  クライ・マッチョ

第5位  アネット

第6位  コーダ あいのうた

第7位  ベルファスト

第8位  ウエスト・サイド・ストーリー

第9位  戦争と女の顔

第10位  あなたの顔の前に

 

このうち見たのは7本。渋いセレクトと思ったのは、ホン・サンスの『あなたの顔の前に』。この監督の独特な作風は嫌いじゃないけれどちょっと意外。

 

『親愛なる同志たちへ』『カモンカモン』『マヤの秘密』『グレイトインディアンズキッチン』『白い牛のバラッド』『メイド イン バングラデッシュ』などもっと注目されていい映画もあったのだが…。

 

日陰の水仙が咲いた

いっときは-5℃まで下がった寒波も去り、今朝は7℃。歩き始めて20分ほどで手袋もネックウオーマーも外してしまう。薄曇りだが、少し春めいてきている。観音寺裏の河津桜もそろそろ咲き出す気配。

梅の花はあちこちで咲き始めている。

歩き始めが8時過ぎとおそくなっているからか、カワセミに遭遇する確率が落ちている。カモ、カワウ、サギ、それにムクドリはよく見かけるが。

 

遭遇する確率がぐんと高くなったのが、”町田一番さん”と私たちが呼んでいる高齢の男性。どの時間帯でもほぼ間違いなく遭遇する。午後歩いた時も会った。一日中歩いているのではないかという疑いすらある。

腰が落ちて膝を曲げたままの不安定な恰好で歩いていらっしゃるのだが、サングラスやウエアはいつもかなりしゃれている。声をかけると「うー」と細い声で応えてくださる。歩くテンポはゆっくり。急がない。すれ違って、戻ってくるときに追い越してしまうくらいだ。

 

”町田一番さん”の由来。

横浜ウォーキングポイントというアプリをスマホに入れていて、毎日歩数に応じて順位が出るのだが、もし町田市に同じようなアプリがあれば、この方が一番だね、ということで名誉あるニックネームを二人で献上したことによる。

ちなみに、私の今日の順位を見てみると、瀬谷区内の参加者574名の中で176位。

横浜市では21724人の参加者の中で7732位と出ている。すさまじいといえるほど健脚な人が多い。

私は今月6日間で48837歩、一日8000歩ほどである。

これに比し、1位の人の歩数は1757420歩。1日30万歩も歩いていることになる。いつも同じ人である。ニックネームは「50㎞マン」。

どうすればそんなに歩けるのか。1時間で1万ぽ歩くとしても30時間。寝ずに歩き続けても1日では無理。想像するにこの人は走っているんだろうな、たぶん。

アプリを入れて1年半ほどだが「50㎞マン」が首位を譲ったことはないのではないか。

 

歩数で人と競わない。あんまり歩くと、そのうち故障して歩けなくなる。それが嫌だから、ただただ無理はしない。

 

植えてから何年も咲かなかった水仙が咲いたとMさん。日陰の水仙。よく咲いた。

 

『あちらにいる鬼』残念ながら、終始退屈だった。139分はいかにも長すぎ。 みなそれぞれにやさしい人たちばかり。鬼はどこにいる?

映画備忘録。

『あちらにいる鬼』(2022年製作/139分/R15+/原作:井上荒野/脚本:荒井晴彦/監督:廣木隆一/出演:寺島しのぶ 豊川悦司 広末涼子/2022年11月11日公開)

 

期待外れ。

映画と原作は別物だが、タイトルを使う以上踏まえるところはあってもいい。

 

全身小説家』では描かれなかった井上光晴の人間的なでたらめさ、小説家なのに他人の心理に無頓着、ただただむやみにもてて好色。何から何まででたらめだけど、小説を書くことにだけはまっすぐの井上光晴

その独特のアンバランスさ不穏さが、スクリーンから感じられなかった。

瀬戸内寂聴のエピソードを上手に拾っているけれど、寂聴の家庭を壊しても男に走った過去と井上との関係、何より僧籍に入ることに決めた心中が見えてこない。描かれない。寺島しのぶ、そんなにベッドシーンを入れなければならないか?画像7

井上の妻、広末。年齢的に若すぎる。みはるとは一転、濡れ場なし。知り合いの建築家とホテルに行くというシーンは原作にはなかった。何もしないというところで平仄を合わせているのだろうけれど、通俗的すぎて原作の井上の妻像は台無しに。

映画としては、みはると笙子二人の女性の対比の妙を狙ったのだろうけれど、浮気な作家と2人の一風変わった女性、の話にとどまった。

井上荒野の目から見た3人の男女の姿の方がはるかに深みがあり、「鬼」も感じられた。一人の男、一人の作家としての井上光晴を、娘の目から描こうとした原作の強い意欲とは、別物のドラマ。

70年代の時代背景を無理やり入れ込もうとしているのもあざとすぎる。

映画として面白かったのは、篤郎の温泉場でのストリップのシーン。豊川悦司、さすが。

もう一つは、みはるの剃髪シーン。

二つのシーンとも、ペンでは描けない映画の力。

しかし残念ながら、終始退屈だった。139分はいかにも長すぎ。

みなそれぞれにやさしい人たちばかり。鬼はどこにいる?画像10

 

 

相撲の話

大相撲初場所、今日10日目。

照ノ富士は休場、結びの一番はすべて大関貴景勝。2日目に翔猿に負けたが、その後は勝ちっぱなし。7日目翠富士、8日目錦富士とのバシバシの張り手のたたき合い、2番とも貴景勝の方が鼻血をだしていたが、勝負は制した。大関に昇進したころのような充実感がある。

先場所優勝した阿炎、初日からの5連勝は圧倒的だったが、その後4連敗。

朝青龍の甥っ子の関脇豊昇龍、先場所のような勢いが今ひとつないが、それでも6勝3敗。

関脇若隆景と小結若元春の兄弟はともに5勝4敗の星。

星的には前頭下位の阿武咲と琴勝峰が2敗で、貴景勝を追っている格好。

毎日見ているが、とにかく面白い相撲が多い。元大関の御嶽海や正代は元気がないが、関脇、小結、前頭上位の相撲には躍動感、緊張感がある。

優勝は貴景勝の充実ぶりからし、決まりのようにみえるが、相撲そのものが毎日楽しめるはうれしい。

 

配信で偶然見つけた『若の花物語 土俵の鬼』を見た。1956年の作品。

驚くことに、二所ノ関部屋に入門しするところから、若の花の役を若の花自身が演じている。

青年時代の若の花を青山恭二。妻の役は北原三恵が演じ、母親役はあの田中筆子。

昭和でいえば31年。相撲が大人気のころの作品。

「田中筆子写真」の画像検索結果

この映画は本人が出演しているだけでなく、実際の相撲の取り組み場面には、本場所の映像をそのまま使っている。北葉山、朝潮などととの取り組みも。

この2力士だけでなく、顔を知っている力士が何人も登場する。

私が白黒テレビで相撲をよく見ていたのは小学校の頃、昭和30年代の後半。

若の花は憶えているが、既に柏鵬時代と言われた柏戸大鵬が活躍していたころだ。

この実写フィルムを見ると、今の力士に比べて当時の力士は体格的には小さめで、どちらかというと筋肉質に見える。しかし、かと言って筋肉質同士がアタマからぶつかり合っているかというと、そうでもない。意外に今の力士たちの方が、アタマからぶつかり合うことが多いように思えた。それより体重が全体に軽いせいか、相撲のキレはすごい。投げが決まるのも小気味いいほどだ。

 

テレビ中継を見ていると、満員御礼の札が毎日かかるわけではないことが分かる。両国場所は満員となることが多いようだが、地方場所は日によっては空席が目立つ。

不祥事もいろいろとある。新弟子の数もかなり減っている。

しかし、毎日1時間ほどだがテレビ観戦をしていると、気合の入った相撲が多いと思う。

平均身長が183㌢、体重150㌔超の若者が正面からぶつかり合う。体重差は禁じ手が多い分で相殺される。立ち合いは行司ではなく、力士同士がタイミングを決めるのにも勝負の妙味がある。個性的、魅力的な力士も多い。感情を出さないことになっているが、思わずもれてしまうのも面白い。正直、勝負のゆくえにはあまり興味がない。毎日の一番一番の、その中身が愉しみだ。

大磯町出身の湘南乃海が十両に初めて上がった。9日目までで7勝2敗。勝ち越しまであと1勝。194㎝164㎏の恵まれた体格、入門から9年、ようやく頭角を現し始めた。

神奈川県出身の関取は十両、幕内では湘南乃海ただ一人。

大相撲の全力士数は650人超。幕内・十両の関取は合わせて70人。

湘南乃海は幕下に6年いた苦労人。一場所7日間しかとらなかった相撲を、今場所は15日間連続でとることになる。その緊張感は推して知るべし。

今の位置は十両13枚目、負け越せば、またすぐ幕下に落ちる位置。

大銀杏を結い、白い足袋に雪駄を履き、紋付羽織袴を着られるのが関取。幕下とはその待遇に大きな違いがある。

あと一番、勝ってほしいと思う。「力士 湘南の海 写真」の画像検索結果

 

 

 

 

『あのこと』女性だけが望まぬ妊娠のゆくえをひきうけなければならない矛盾、と言ってしまえばそれだけなのだが、それだけでなどけっしてないことを、この映画は優れた映像として見事に表現している。

映画備忘録。

1月12日、久しぶりに新百合ヶ丘アルテリオ映像館。

ミニシアターでもネットでの事前予約が当たり前になってきているが、ここは整理券方式。朝9時からその日の整理券がもらえる。とは言っても、私のところからバス、電車、電車で1時間弱。いったん自宅に戻り・・・ということはできない。

混雑が予想される映画の場合は、早めに行って整理券をとる。

今回も話題作『あのこと』、せめて1時間前にと思って出かけた。

一番後ろの足もとの広い席と通路側を確保するには、20番までが必要。11時15分到着。

12時5分の『あのこと』は9番、14時25分の『あちらに住む鬼』は13番。後者の方が人気が高いようだ。

 

近くで食事をして戻る。ロビーにはけっこうな人数の人たち。

 

『あのこと』(2021年製作/100分/R15+/フランス/原題:L'evenement/原作:アニー・エルノー/監督:オドレイ・ディワン/出演:アナマリア・バルトロメイ ケイシー・モッテ・クライン ルアナ・バイラミ/日本公開:2022年12月2日) 

 

1960 年代、中絶が違法だったフランス。大学生のアンヌは予期せぬ妊娠をするが、学位と未来のために今は産めない。選択肢は 1 つー。アンヌの毎日は輝いていた。貧しい労働者階級に生まれたが、飛びぬけた知性と努力で大学に進学し、未来を約束する学位にも手が届こうとしていた。ところが、大切な試験を前に妊娠が発覚し、狼狽する。中絶は違法の 60 年代フランスで、アンヌはあらゆる解決策に挑むのだが──。(フィルマークス映画から)

 

正視できず、何度か目をつぶった。耳をふさぎたいところもあった。

「凄い」と書くのがフィットする映画だ。

あらすじは書いてある通り。予期せぬ妊娠をしったアンヌが中絶を求めてひたすらに奔走する。それもたった一人で。

舞台は60年代のフランス。当時のフランスでは妊娠中絶は違法であり、本人はもちろん、加担したものはみな処罰される(映画では刑務所に入ることになると表現されている)時代。

アメリカでは、今まさにそういう時代が来るかもしれないというこの時期に、この映画がつくられた意義は大きいと思う。アメリカでも公開されているはずだが。

 

アニー・エルノーの自伝的小説『事件』が下敷きになっている。小説の原題も映画と同じL'evenementだろう。英語ではevent。邦題は「事件」と訳されるところだが、「あのこと」というシンプルな邦題に。これはまさに適訳だと思う。『事件』では、野村芳太郎の名作『事件』と被ってしまう。

 

全編、全くゆるみがない。時間を忘れて映画の中に没入した。

手持ちカメラ中心の撮影だが、ダルデンヌ兄弟ほど動きは激しくない。何というのだろう、微妙に震えるようなカメラの揺らぎが、アンヌの不安を伝えてきて、見ているほうも不安になる。

複雑な物語はなく、アンヌの周囲の若者、胎児の父親も含めて、一人ひとりの感情の揺らぎがアンヌの視点から伝わってくる。

 

学生以外では、ドクターが2人。

2人とも中絶には一切手を貸さず、一人は中絶のための薬であるかのようにアンヌに処方する。しかしもう一人のドクターから、流産を防ぐ薬であることを知らされる。血が引くような表情のアンヌの落胆が、これまたストレートに伝わってくる。画像16

 

もう一人の大人は、違法に中絶を請け負っている女性。

「すべて試した」アンヌにとって、この違法な中絶を仕事としている女性が最後の頼みの綱だ。

この女性を演じている俳優の演技が印象的だ。彼女は犯罪であることを認めたうえで、冷徹に堕胎を行う。しかし、わずかに見える感情の揺れ。

アンヌに

「声を出せばすぐにその場で手術をやめる」冷たく言い放つ女性。

壮絶な痛みをこらえるアンヌを前にして観衆は身の置き所を失くす。

結局、ここでもアンヌの中絶は失敗する。

残された方法は・・・。

 

女性だけが望まぬ妊娠のゆくえをひきうけなければならない矛盾、と言ってしまえばそれだけなのだが、それだけでなどけっしてないことを、この映画は優れた映像として見事に表現している。

 

60年代の若者たちのセックスへの強い関心を、男女別なくしっかり描いている。当時の風俗もしっかり表現されていて、時代をさかのぼったというより、その時代に入り込んだような印象。これも丁寧、正確な時代考証と、独特の手持ちカメラによる表現によるものだろう。

途中、アンヌの生年月日が出てくるが、1940年生まれだ。今年83歳になる人たちと同世代。若者はいつだって若者。

 

もう一つ新鮮だったのは、アンヌは学位を取り教員を目指しており、指導教官も熱心にアンヌに対しているのだが、中絶をもとめて奔走しているアンヌは学業に力を入れようにもその余裕が全くもてない。指導教官はアンヌに学位取得がむずかしいことを告げる。落胆するアンヌ。

しかし、違法な方法で中絶が可能になったアンヌは、指導教官のもとに走り、講義録を貸してほしい、今からでも頑張りたいと告げる。

指導教官の「教師を目指すのか」という問いにアンヌは、

「作家になりたい」

ここがわたしにはもっともぐっと来たシーン。アンヌの精神的な変化、成長が感じられるところ。

しかし、アンヌは子どもでもある。

小さなレストランを営む両親。アンヌのために身を粉にして働く母親。

アンヌのどこか学業に身が入らない状態に対し、

「そんなんで試験に受かるのか」と問い詰めると、アンヌは

「受けたこともないくせに」

思わずアンヌの頬を叩く母親。

 

1960年代、日本でも同じようなシーンがたくさんあったのではないか。

 

アンヌを演じたアナマリア・バルトロメイがすばらしい。これほど感情のひだを微妙に表現できる俳優は稀有だと思う。オドレイ・ディワンの優れた演出によるところもおおきいのだろう。

昨年封切られた映画だが、いまのところ、今年のナンバー1である。

 

 

 

 

「関係者の理解なしにいかなる処分(海洋放出)も行わない」「(広島市中央図書館移転については)関係者に丁寧に説明し、理解していただいた上で移転先を決定すること」外堀を埋め既成事実を積み上げ、約束を反故にするやりかた、権力の常套手段。

福島第一原発の処理水の海洋放出について、政府は今年春から夏にかけて開始するという「行動計画改定」を発表した。

漁業者に対し、500億円の基金を創設し、漁業の継続支援や新たな漁場の開拓、漁船の燃料コストの削減策など、今後はテレビCMなどを活用して「安全確保と風評対策」を行うという。

 

2015年、政府と東電は福島漁連に対し、

「関係者の理解なしにいかなる処分(海洋放出)も行わない」

ことを文書で約束しているにも拘わらずだ。

 

約束には触れずに、ただただ「外堀」を埋めている格好だ。

こうしたやり方は為政者の常套手段。既成事実を積み上げていけば、いずれ結論は意図した方向に動くというわけだ。

 

 

広島市の中央図書館移転問題も同様の構造だ。

 

字が小さいので、以下にネットのテキストを。版は違うが、内容はほぼ同じ。

 

広島市立中央図書館移転、市「決定済み」 市民団体は反発 拙速感拭えず  

                       (最終更新: 22:51)

 

 広島市立中央図書館の再整備計画が年明け早々に大きく動いた。市は市中央公園(中区)からJR広島駅前のエールエールA館(南区)への移転を決定済みとし、本年度内に事業着手する考えを12日に表明した。一方、市民団体は市民の理解が不十分だとして反発を強めている。振り返れば、移転方針の公表から市議会が関連予算を可決するまで4カ月だった。拙速感を拭えぬまま、大型事業が走り出す。(余村泰樹)

移転撤回求め要望書、市長は会見で…  

 13日午前、中央図書館の移転に反対する市民8団体の約20人が市役所で担当課に移転撤回を求める要望書を出し、記者会見を開いた。広島文学資料保全の会の土屋時子代表(74)は「関係者や市民の十分な理解を得られていない」と明言。直後に市中心部の街頭へ繰り出し、約80人で移転反対をアピールした。

 市民団体にとり、市の移転着手表明は唐突だった。12日の記者会見で、松井一実市長が「関係者に丁寧に説明し、理解してもらう対応ができた」と説明。本年度内にA館への移転に向けた設計に取りかかる考えを示した。移転先の決定時期を問われると「元々決定はなされていた」といなした。

 

市側の考え方はこうだ。A館への移転構想を初めて打ち出したのは2021年11月。22年1月にまとめた22年度当初予算案に設計などの関連経費を計上し、3月に市議会で可決され、移転は認められた―。市民の代表である市議会を予算が通過したことで、「市のA館への移転方針も変わらない。あとは予算を執行するために理解を得る手続きを進めてきた」(市幹部)。

 市民団体側の認識は異なる。この予算案を可決した際に市議会は全会一致の決議で「関係者に丁寧に説明し、理解していただいた上で移転先を決定すること」などと明記しており、整備先の議論は途上とみる。

 20年3月の時点で、市が中央公園内での整備を検討する基本方針を示していたにもかかわらず、広島駅周辺が候補地に加わり、A館に絞り込まれた経緯への市民団体の不信も根強い。

 市は広島駅周辺が20年9月に、国の税制優遇などを受けられる「特定都市再生緊急整備地域」に指定されたのを受け、図書館という公共施設を駅前に移すことで、新たなにぎわいを呼び込みたい考えだ。ただ、市民団体側には、A館を運営する、市出資の広島駅南口開発(南区)の救済策との見方がくすぶる。

 今後の焦点は2月に開会予定の市議会定例会だ。近く着手する移転の設計事務は、市議会決議への対応で大幅に遅れ、23年度に予算を繰り越さざるを得ない状況だ。この手続きには市議会の議決が必要となる。

 22年3月の予算案可決時は移転方針への賛否がぎりぎりまで見通せなかった経緯がある。ただ、その後の市の対応について、批判的な受け止めは広がっていない。自民党系会派のベテラン議員は言う。「(4月に市長選を控える)市長に恥をかかせるようなことはせん。これ以上はもめず、粛々と通すじゃろ」

(以上)

 

ここでも、福島同様に

「関係者に丁寧に説明し、理解していただいた上で移転先を決定すること」

という約束が事実上、反故にされている。

 

何度もこのブログで書いているが、実際に広島駅のエールエールA館を見てくるといい。

図書館をあの建物に入れ込むという発想がどれほど貧相なものか。

 

どうしてこれほど強引にことを進めなくてはならないのか。

市が出資する広島駅南口開発の救済するというのが大方の見方。

それを、公立図書館という市の貴重な文化的財産を使ってやろうとするところに、腐った政治家と役人の発想がある。

 

さまざまな被爆遺跡の保存に対しても消極的極まりない対応を続けてきている広島市

ここでもまた禍根を残す所業に手を付けるようだ。

ニューイヤーコンサート 岡本拓也と松本絋佳二人の若者が奏でる華麗な音楽

コンサートの備忘録。

1月8日、フィリアホールのリハーサル室でニューイヤーコンサート

午前中は「0歳からの愉しいコンサート」。子どもたちがたくさん集まったそうだ。

 

13時からアフタヌーンコンサート、こちらの方に伺う。今井茜(Pf.)・岩井亜咲(Pf.)・松本紘佳(Vn.)&岡本拓也(Gt ...

あざみ野でのクリスマスコンサートもご一緒したAさんご夫妻も来られる。2週間ぶり。

12月24日のコンサート終了後、あざみ野駅のカフェで、生ビール1杯、ワイン1杯だけの小さな忘年会をした。3〜40分、4人での楽しいおしゃべり。

次の日、奥さんのほうが発熱されたそうだ。陽性。旦那さんは症状はなかったものの陽性だったとのこと。お二人で私たちのことを心配してくださっていたようだが、私たちには全く影響がなかった。

お二人とも軽症かつ無症状だったのは、5回目のワクチンの効果だったのかもしれないとのこと。

 

さて、フィリアホールの練習室。大ホールは今年4月あたりまで改修工事。天井の改修をしているらしい。ミューザの例もある。ここはミューザよりずっと古い。

練習室といってもいすが7〜80は並ぶ。今回は感染対策で間隔をとっているため50席ほど。練習室のため音はかなりデッド。

 

今日はギターとヴァイオイリンのデュオ。

MCは、ギターの岡本拓也。以前にも一度聴いたことがある。30歳前後だろうか。

雰囲気のある静かで穏やかな語り口。やわらかい声で歌にも合いそう。

 

1曲目はプログラムにない「グノーのアベマリア」。元々はバッハの平均律クラヴィーア曲集、人気曲。

普段は歌われたり、ピアノとヴァイオリンの二重奏で演奏されることが多いが、今日はギター。

反響の少ない会場なのに、ギターは、大きな反響用の箱をもっているようなものだから、まるでアンプを仕込んでいるように柔らかく響く。思わずうなる。

そこに松本絋佳のヴァイオリンが重なる。使い古された言い方だが、まさに妙なる調べ。

続いて2曲、ギターのソロ。

1曲目はアジャラアメリ組曲。ナルシソ・イエペスが好んだスタンダード。2曲目はギターといえばこの曲、タレガの「アルハンブラの思い出」。

ナマで聴いたのはいつ以来だろうか。驚異のトレモロ。行ったことのないアルハンブラ宮殿をゆっくりと歩いている感覚。

MさんとAさん夫妻は、秋に長津田のホールで村治奏一の同じ曲の演奏を聴いている。これもよかったそうだ。

 

4曲目は、アストル・ピアソラの「タンゴの歴史」。

ピアソラは、売春宿や酒場の酔漢の気晴らしにすぎなかったタンゴを、新しい音楽に変貌させたと言われるが、その変遷の歴史を描いた曲。

 

1売春宿(酒場)1900

2カフェ    1930

3ナイトクラブ 1960

4現代のコンサート 

 

の4楽章構成のうち、

本日は、1、2、3を演奏。フルートとギターのためにつくられた曲だが、今日はヴァイオリンで。初めて聴く曲。

よくわからないが、酒場のいかがわしげな雰囲気から、現代曲を思わせるところまで

変な言い方だが、二人ともまるでジャズかロックを演奏しているようなグルーヴ感があった。

 

最後の曲。

テレビでしか見たことがないが、ウイーンのニューイヤーコンサートで必ず演奏される「ヨハン・シュトラウスの美しき青きドナウ」。

編曲は徳備康純。この人の曲を松本が初演したのを聴いたことがある。

ギターとヴァイオリンがここでも、闊達にワルツを繰り広げる。

リズム感の乏しい私でもなんとも言えず乗せられてしまう軽妙かつ華麗な演奏。楽しかった。

 

そしてアンコール。

モンティ(1868-1922)の「チャルダッシュ(チャールダーシュ)」

ヴィオリンの超絶技巧を聴かせる曲。モンティはこの曲1曲で世界に名を残した。

チャルダッシュは「酒場風」といった意味のハンガリー音楽の一つ。19世紀にはウイーンを中心に大流行。宮廷は禁止令を出すほどだったという。随所にロマの雰囲気を強く感じさせる。

いつもはソロで聴かせるところを今日はギターと。

寸分の乱れもなく華麗に二人の若者が聴かせた。堪能。

 

岡本は、昨2022年カウンターテナーの中嶋俊晴と『武満徹SONGS』をリリース。

これはyoutubeで聴けるので貼り付けておく。素晴らしい演奏だ。武満の傑作「SONGS」は藤木大地も歌っているが、カウンターテナーがよく合う。伴奏はピアノより武満が好きだったギターの方が合うような気がする。

そう言えばペーターシュライヤーにもギター伴奏の『美しき水車小屋の娘』があった。よく聴いた。ギターとテナーの相性は抜群にいい。 

 

一方、松本は、このところイタリアのクレモナに何度か出かけているとインスタグラムにあった。

プログラムを見てその理由がわかった。

昨年、クレモナのシュタウファーアカデミー主催の「コンサートマスターアーティストディプロマコースの選抜に合格したそうだ。今年10月まで計10回、受講費免除で世界の一流コンサートマスターよりアドヴァイスを受けるとのこと。

クリスマスコンサートのヴィヴァルディの「弾き振り」は、その片鱗を見せてくれたということだ。

今後の二人の若者の活躍に期待したい。

2022年12月24日、あざみ野アートフォーラム クリスマスコンサート