「サラリーマン教師」はもう古い。今、ブラックな学校で働く教員は「コンビニ教師」だ。

 昨日は雨で散歩ができなかった。今日は気温6度、一昨日に比べればかなり温かい。らいはマンションを出たばかりのところの坂でウンチをしたあと、4本足を突っ張って体重を後ろに乗せ前に進もうとしない。リードを緩めると一人でマンションのエントランスの方に向かおうとする。いつもそうなのだが、今日はいつになく強硬。仕方ないので部屋まで連れて行き、置いてくる。出かけるときは嬉しそうなのだが。


    散歩も終わるころ、境川の上空の低いところをサギの群れ20羽ほどが何度か飛びかった。冬枯れのモノクロの中の純白が目にまぶしい。オオバンのつがいも見た。この間は、カワウの群れを見た。カモやカワウは首を伸ばして飛ぶが、サギは長い首をすくめるようにして飛ぶ。このところカワセミを見ない。


    ブラック企業大賞というのがある。民間のものだ。ブラック企業大賞企画委員会が選考している。選考委員は次の通り。
●古川琢也(ルポライター
●白石 草(OurPlanet-TV 代表)
●河添 誠(首都圏青年ユニオン青年非正規労働センター事務局長)
佐々木亮(弁護士)
●川村遼平(NPO法人POSSE事務局長)
●松元千枝(レイバーネット日本)
内田聖子(アジア太平洋資料センター〈PARC〉事務局長)
●須田光照(全国一般東京東部労組書記長)
●水島宏明(ジャーナリスト・法政大学教授)
竹信三恵子(ジャーナリスト・和光大学教授)
●土屋トカチ(映画監督)
 
 今年ノミネートされているのは

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1.株式会社ジャパンビジネスラボ
2.財務省
3.三菱電機株式会社
4.株式会社⽇⽴製作所・株式会社⽇⽴プラントサービス
5.株式会社ジャパンビバレッジ東京
6.野村不動産株式会社
7.スルガ銀⾏株式会社
8.ゴンチャロフ製菓株式会社
9.株式会社モンテローザ


 ウエブ投票もあって、それを参考に決定するようだ。HPではノミネート理由がそれぞれ示されている。その基準は、


長時間労働●セクハラ・パワハラ●いじめ●長時間過密労働●低賃金●コンプライアンス違反●育休・産休などの制度の不備●労組への敵対度●派遣差別●派遣依存度●残業代未払い(求人票でウソ)
 

これらを総合的に判断して決めるらしい。残念ながら学校はノミネートに入っていない。

 公立中学校の教員の6割が過労死ラインを超える時間外勤務をしているということだけでもノミネートされてもよさそうなものだが、総合点で弱いのか。

 学校で長時間労働の他に該当するのは、セクハラ・パワハラ、いじめ、コンプライアンス違反などが挙げられる。

 育休、産休などの制度はあるにはあるが、男性が取得することは極端に少ない。

 労組はほとんど機能していないから敵対も何も。

 派遣というより非正規職員への依存度が高く、そして勤務条件はかなり悪い。時給で働く非常勤職員のほかに正規職員と全く同じ勤務条件で働く臨時的任用職員がいる。違いは採用試験に合格しているか否か。雇用は1年以上にならないように途中で切られ、昇給は年齢で頭打ちがある。

 

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 もちろん教員には残業代は支払われない。4%を給与に上づむだけ。4%というのは6時間ぐらいの時間外勤務手当の額である。あまりに少ないから、1972年の法制定時にも4%は時間外手当相当額だとは言っていない。教員の勤務は自発的創造的なものであって計測不能、だから勤務時間の内外を包括的に評価して支給するのが4%。つまり時間に対するものではなく質に対するものだというのだ。屁理屈である。そのうえ教員には「超過勤務を命じない」のが原則だと法はいう。そういわなければ理屈が合わなくなるからだ。

 教員の仕事のほとんどは計測可能。たしかに自発的な部分もないわけではない。だからと言って初めから計測もしないというのはおかしい。時間規制がなかったからこれ程のブラックをうちに抱え込むことになったのだ。

 まともに時間外手当が支払われたとすると、わたしなど終身の残業代は2000万円はくだらないだろう、たぶん。自慢にもならないが。

 80年代以降の学校でまっとうに教員に時間外勤務を支払うことになっていたら、学校は今とはかなり違う場所になっていたのではないだろうか。


 セクハラ・パワハラ、いじめは学校にはかなり多い。生徒のいじめ根絶は言われるけれど、職員間のものは別と思われている。そのほとんどが表には出てこない。まれに組合に相談があったものは加入してもらって、直接役員が学校に出向いて交渉するのだが、ここまでいけばかなりの率で改善はされる。しかし相談だけで終わる事例も多い。矢面には立ちたくないという人が多いのだ。


 コンプライアンス違反は挙げればきりがない。たとえば休憩時間。労基法で定められている休憩時間の存在を知らない若い教員も多い。知っていても取ったことがない教員が多い。休憩時間は校長が教育委員会に届け出る“勤務時間の割り振り”のペーパーの中だけに存在するという学校がほとんどだ。休憩時間を取らせない場合、管理者(校長)は6か月以下の懲役か30万円以下の罰金という罰則規定が労基法にはあるが、いまだかつて懲役に行ったという校長、30万円を払ったという校長を知らない。
 

 教員は休憩時間が取れない仕事、給与の4%をあらかじめ支払われるが残業手当は一切支払われないことなどからすれば、かなりのブラック企業であることは間違いなのだが、なぜかこれほどかなりディープで魅力的な陣容の選考委員会でも学校を選ばない。

 教員の実態は「高プロ」というほど給与は高くないから、どちらかというと裁量労働の押し付けに近い状態か。裁量労働は民間企業の中でも労働者泣かせの手口によく使われる。裁量労働の悪用はブラックの温床であるはずなのに。
 
 さてさて話は変わるが、世間でこうした教員の勤務の話をしても、どこか軽くスルーされてしまう空気を感じるのは私だけだろうか。そうした空気とこの『選考漏れ』は、やはりつながっているのだろうか。


 「そんなこと言ったって公立学校の教員は恵まれているでしょ」という古い風説がいまだ通用しているふしもある。公務員に対するルサンチマンの対象に教員は挙げられやすい。

 そんなに恵まれているのなら、公務員はともかく、教員志望者の競争率の低下をどう見ればいいのだろうか。

 都市部では教員採用試験の倍率は一桁の前半、目も当てられぬ数字だ。教委は数字を発表するのに一工夫も二工夫もしている。内定しても逃げられることが多いから、最終の倍率は出さず、応募人数と採用人数だけを出す。

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特に意味ありません

 こんななのに、どうして世間は教員の労働に冷たい、あるいは無関心なのか。
 

 多くの人々は子どもとして学校に通い、大人である教員を長い時間見続ける。学校体験の中で心に残っているのは教員の仕事の大変さなんかよりも、どちらかといえば教員の勝手さとか横暴さのようなものではないか。そりゃ日常的にほとんどべったりの時間を共有していれば、なかなかいい思い出ばかりとはならない。

「いい先生もいたけれどね・・・」、という口ごもる、学校に対するルサンチマンのようなものが世間一般にはあるのではないか。

 たいてい「いい先生」というのはかなり少数で、ほとんどの教員には問題があり、「だから学校のセンセなんてさぁ・・・」というまとめになることが多い。
 

 学校とか教育が本質的に暴力的で理不尽な面をもつが、この国では、そうした共同体社会の中のルールを次世代に強制することで共同体を維持していくという教育の根源的な一面よりも、個人的な師弟関係に教育のあるべき姿を見てしまう傾向が強い。その中で教員に対して求められるのは、子どもたちのお手本になる行動の高潔さと寸暇を惜しまずに向かい合う生真面目さだ。

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 金八先生はじめ多くの学校・教育を舞台とするドラマでは、さまざまな問題をともに乗り越える美しい師弟関係が語られる。そこには長時間労働も休憩時間の不取得も出て来はしない。そこでは暴力は忌避されるべきものであり、教育は常に子どもたちのためにある善なるもの、私はそれを教育幻想と呼んで、学校の実態を見誤らせるものと考えてきた。


 かつてその対極にあった「サラリーマン教師」や「組合の先生」は最近はあまり言われなくなった。90年代以降、年功序列型賃金体系や終身雇用制度の崩壊、合理化、非正規労働者の増大などサラリーマンという層を一言で規定できなくなってきた。サラリーマンにもいろいろいる時代なのである。

 組合に至っては組織率の低下は留まるところを知らず、企業内組合となっていてその存在意義が疑われて久しい。

 

 今の教員を名付けるとすれば、“コンビニ教師”ではないか。

 

 コンビニと言えばセブンイレブン。教員の働いている時間は一般的にセブンナインぐらいか。学校はコンビニと違って勤務時間が始まるかなり前から「開店」している。セブンナインで計算すれば、過労死ラインは軽く超えてしまう。


 コンビニの業務は内容がすさまじく多く多岐にわたっている。公共料金の支払いから宅配便の扱い、各種チケットの販売、おでんにから揚げ・・・なんでも持ち込まれる学校とよく似ている。○○教育というものが90年代以降どれだけ学校に持ち込まれたか。学校は何でも入る巨大な容れ物だ。

 

 クレームも同じ。最近ではコンビニ店員にクレームをつけることで、憂さ晴らしをしているとしか思えない客も多い。店員はいわれのないクレームにも正面から反論しない。謝って済ませようとする。そう指導されている。学校も同じだ。学校には何を云っても許されると思っている保護者が増えている。学校はどうせ反論しない。それはそうだ。校長は教員に、クレームには「まず謝れ」と言ってはばからないからだ。店長と店員の関係はそのまま校長と教員の関係だ。本部(教委・行政)の手前、トラブルは最小限に抑える。そのためには・・・。

 

 今や学校は、コンビニ同様サービス業となっているということだ。その中で労働問題が発生しているのだ。

 

 教員にはほとんど勤務時間規制もなく、時間外勤務手当も支払われない。学校に求められるサービスは増えるばかりだ。学習指導要領はどんどん肥大化し、その一方で働き方改革だという。右手と左手が別々に動いている。

 

自分はもう現場にはいないけれど、若い友人たちのことを考えると、ため息が出る。
                               (この項続く)

 

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ピントも?甘い。

 

 

旧陸軍被服支廠を広島県が3億8千万円の費用をかけて改修、敷地内に新たに見学者用の建物を建設、平和イベントなどの使うほか被爆体験を聴く場所にするとのこと。

12月9日

年末商戦のくじ引き、わざわざ途中下車して抽選をと思ったら、期限は昨日まで。今日は餅つき。一日にひとつ、こうした”やらかし”がある。

昨日の続き

もう一つの新聞記事、広島の中澤晶子さんから送っていただいたもの。

 

すみません、写真の回転の仕方がわかりません。保存のときには90度回転しているのですが、貼り付けると戻ってしまいます。

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 わずかに朝日の文字が読めるので、12月6日の朝日の広島版の記事のようだ。

 旧陸軍被服支廠広島県が3億8千万円の費用をかけて改修、敷地内に新たに見学者用の建物を建設、平和イベントなどの使うほか被爆体験を聴く場所にするとのこと。

 

 こういう記事はこそ、全国版で知らせてほしいもの。これは広島県の大変な英断だと思う。

 

 広島市においてはこうした新たに見学者が体験談を聞くような施設をつくることはほとんどない。バカ高い入場料の「折鶴タワー」のようなものは認可?するが、小中学生が自由に使えるような場所はつくらない。何しろ折鶴タワーの貸し会議室70名利用の部屋の値段は1時間25000円もする。先日、入館料1700円(大人1名)を払って上っては見たけれど、腹の立つことばかりだった。原爆ドームを上から見られるというのが唯一の「売り」。それがどうした、という代物なのだ。

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折鶴タワーからの眺め 

 在職中、20年以上もヒロシマ修学旅行をやってきた。1回の修学旅行に毎回3年間かけて取り組んできた。横浜の中学3校で8回企画して生徒を引率したことになる。

 そのたびに、広島市はなんでこんなに修学旅行生に対して不親切なのかと思い続けてきた。もちろん、市の担当者にそうしたことを伝えても来ているのだが、状況はあまり変わらない。

 広島市は修学旅行の誘致には熱心で、横浜にもわざわざ担当部署の役人が訪れてプレゼンなどをしたことがあるが、実際に広島市を訪れると、使い勝手が悪いというか「招かれている」感がきわめて薄いのだ。

 修学旅行の中の大きな目玉は、原爆資料館の見学よりも実際の被曝者からお話を聴くことだ。平和公園の中のゆかりの碑の前で、生徒は車座になって語り部のお話を聴くのだが、どこにも日よけすらないのだ。5,6月の最盛期は紫外線も強く、せめてちょっとした日よけがあればと思うのだが。

 8月6日の記念式典のときには特設の日よけが付けられるが、ふだんは全くない。もちろん雨が降ったら大変である。わざわざ旅館に戻り、寝泊まりする部屋でお話を聴くことになる。その旅館も少なく、ホテルだとそうした場所も確保できない。市立、国立の資料館の会場は事前予約が必要なので、突然の雨でも部屋を貸してはくれない。

 被爆者も高齢化し、亡くなる方も多く、このまま直接お話を聴くというかたちは難しくなってきているが、それにしても行政としてもう少し「来てくれてありがとう」という空気があってもいいのにと思うのだ。

 

 そんな状況を見るにつけ、今度の広島県による旧陸軍被服支廠の改修と新たな建物の建設は、いままで被爆体験の継承に熱心とは思えなかった県がちょっと変わったぞ、本腰を入れ始めたのかなとも思える出来事だ。

 

 この旧陸軍被服支廠、実は「父を返せ母を返せ」で始まる峠三吉の『原爆詩集』の中の「倉庫の記録」という詩の舞台となったところ。昨年私は友人とともに、中澤さんと県の担当者の方に案内されて実際にここを訪れた。その時、朽ち果てかけているこうした建物を、本気で保存しようなんて行政はしないのだろうなと思ったことを憶えおている。そんなこともあってなおのこと、今度の決定は嬉しい知らせなのだ。

 この時のことを記録した文章があるので、少し読んでもらいたい。

 

f:id:keisuke42001:20181209175147j:plain陸軍被服支廠、門から外壁を見上げる

 

今回の訪問のもうひとつ大きな目的は、旧陸軍被服支廠のフィールドワークでした。市域の東にある比治山の南側、出汐町にこの被爆建物はひっそりと建っています。ほとんど見学されずに、また壊されずに残ってきたのは、戦後、日通が借り受け、長い間倉庫として使用してきたことにもよりますが、県が所管している部分だけで全長270メートル3階建てという巨大なもので、日通から返還されたあとも、取り壊すには費用がかかるうえに、これを買い取る企業もなかったことによるものです。
 

 中澤さん、Fさんの3人で路線バスで現地を訪れたのですが、その前に建物の所管課である広島県総務局財産管理課へ鍵とヘルメット、懐中電灯などを借りに行きました。ここでお会いしたのが係長のIさん。中澤さんのお話によるとこの方、売れない財産であるこの被服支廠を残すために、週末には京都の大学に通って建物保全について学んでいるのだそうです。

 お話ししていても、私がいつも会う横浜市教委の役人とは雰囲気が全く違っていて、率直というか自由というか、やらされている感が全くなく、ご自分の一部のようにこの仕事をされている感じがしました。居るんですね、こういうお役人が。この方、ここでお別れしたはずなのに、2時間後には現地に。敷地内の花に水をやるとかで、ペットボトルを手に下げていました。帰りには私たちが使ったヘルメットなどをもって帰ってくれました。とても素敵な方でした。 


 さて、ここは原爆投下直後に避難所となったところ。外部はレンガ造りですが、内部は鉄筋コンクリートのきわめて堅牢なもの、建築関係者もこの建物に強い関心を示している資料をいただきました。大正2年につくられたもの、ざっと100年以上経っています。Iさんによると、ここを使用するには耐震の調査が必要とのことですが、素人目には十分な耐性があるように見えます。横浜の日吉にある海軍地下壕もそうですが、軍部がかかわった建築物は、その時代の建築の粋が集められていて、高度な技術的に裏打ちされたものが多いようです。この建物もその例に外れていないようです。

 隣にある、現在、広島工業高校となっているところにあった工場で作られた軍服や軍帽、軍靴などがここに保管、出荷されていたとのこと。岡ヨシエさん(註:比治山女学校在学中、広島城の石垣の下にあった中国軍管区司令部に学徒動員として勤務。原爆投下を最初に福山の通信隊に電信した方。長いことこの司令部あとで子どもたちに体験を話されていたが、昨年お亡くなりになった。この広島港の一番の目的は彼女の弔問だった)のお父さんもここで働いていたのだと、甥御さんに伺いました。

原爆詩人峠三吉は『原爆詩集』の中の「倉庫の記録」でこの場所を描いています。

 
                        
                倉庫の記録
その日
 いちめん蓮の葉が馬蹄型に焼けた蓮畑の中の、そこは陸軍被服廠倉庫の二階。高い格子窓だけのうす暗いコンクリートの床。そのうえに軍用毛布を一枚敷いて、逃げて来た者たちが向きむきに横たわっている。みんなかろうじてズロースやモンペの切れはしを腰にまとった裸体。
 足のふみ場もなくころがっているのはおおかた疎開家屋の跡片付に出ていた女学校の下級生だが、顔から全身へかけての火傷や、赤チン、凝血、油薬、繃帯などのために汚穢な変貌をしてもの乞の老婆の群のよう。
 壁ぎわや太い柱の陰に桶や馬穴が汚物をいっぱい溜め、そこらに糞便をながし、骨を刺す異臭のなか
「助けて おとうちゃん たすけて」
「みず 水だわ! ああうれしいうれしいわ」
「五十銭! これが五十銭よ!」
「のけて 足のとこの 死んだの のけて」
 声はたかくほそくとめどもなく、すでに頭を犯されたものもあって半ばはもう動かぬ屍体だがとりのける人手もない。ときおり娘をさがす親が厳重な防空服装で入って来て、似た顔だちやもんぺの縞目しまめをおろおろとのぞいて廻る。それを知ると少女たちの声はひとしきり必死に水と助けを求める。
「おじさんミズ! ミズをくんできて!」
 髪のない、片目がひきつり全身むくみかけてきたむすめが柱のかげから半身を起し、へしゃげた水筒をさしあげふってみせ、いつまでもあきらめずにくり返していたが、やけどに水はいけないときかされているおとなは決してそれにとりあわなかったので、多くの少女は叫びつかれうらめしげに声をおとし、その子もやがて柱のかげに崩折くずおれる。
 灯のない倉庫は遠く燃えつづけるまちの響きを地につたわせ、衰えては高まる狂声をこめて夜の闇にのまれてゆく。

 二日め
 あさ、静かな、嘘のようなしずかな日。床の群はなかばに減ってきのうの叫び声はない。のこった者たちの体はいちように青銅いろに膨れ、腕が太股なのか太ももが腹なのか、焼けちぢれたひとにぎりの毛髪と、腋毛と、幼い恥毛との隈が、入り乱れた四肢とからだの歪んだ線のくぼみに動かぬ陰影をよどませ、鈍くしろい眼だけがそのよどみに細くとろけ残る。
 ところどころに娘をみつけた父母が跼んでなにかを飲ませてい、枕もとの金ダライに梅干をうかべたうすい粥が、蠅のたまり場となっている。
飛行機に似た爆音がするとギョッと身をよじるみなの気配のなかに動かぬ影となってゆくものがまたもふえ、その影のそばでみつけるK夫人の眼。

 三日め
 K夫人の容態、呼吸三〇、脈搏一〇〇、火傷部位、顔面半ば、背面全面、腰少し、両踵、発熱あり、食慾皆無、みんなの狂声を黙って視ていた午前中のしろい眼に熱気が浮いて、糞尿桶にまたがりすがる手の慄え。水のまして、お茶のまして、胡瓜もみがたべたい、とゆうがた錯乱してゆくことば。
 硫黄島に死んだ夫の記憶は腕から、近所に預けて勤労奉仕に出てきた幼児の姿は眼の中からくずれ落ちて、爛れた肉体からはずれてゆく本能の悶え。

 四日め
 しろく烈しい水様下痢。まつげの焦げた眼がつりあがり、もう微笑の影も走ることなく、火傷部のすべての化膿。火傷には油を、下痢にはげんのしょうこをだけ。そしてやがて下痢に血がまじりはじめ、紫の、紅の、こまかい斑点がのこった皮膚に現れはじめ、つのる嘔吐の呻きのあいまに、この夕べひそひそとアッツ島奪還の噂がつたえられる。

 五日め
 手をやるだけでぬけ落ちる髪。化膿部に蛆がかたまり、掘るとぼろぼろ落ち、床に散ってまた膿に這いよる。
 足のふみ場もなかった倉庫は、のこる者だけでがらんとし、あちらの隅、こちらの陰にむくみきった絶望の人と、二、三人のみとりてが暗い顔で蠢き、傷にたかる蠅を追う。高窓からの陽が、しみのついた床を移動すると、早くから夕闇がしのび、ローソクの灯をたよりに次の収容所へ肉親をたずねて去る人たちを、床にころがった面のような表情が見おくっている。

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2階に上がる階段

 

 六日め
 むこうの柱のかげで全身の繃帯から眼だけ出している若い工員が、ほそぼそと「君が代」をうたう。
「敵のB29が何だ、われに零戦、はやてがある――敵はつけあがっている、もうすこし、みんなもうすこしの辛棒だ――」
と絶えだえの熱い息。

 しっかりしなさい、眠んなさい、小母さんと呼んでくれたらすぐ来てあげるから、と隣りの頭を布で巻いた片眼の女がいざりよって声をかける。
「小母さん? おばさんじゃない、お母さん、おかあさんだ!」
 腕は動かず、脂汗のにじむ赧黒い頬骨をじりじりかたむけ、ぎらつく双眼から涙が二筋、繃帯のしたにながれこむ。

 七日め
 空虚な倉庫のうす闇、あちらの隅に終日すすり泣く人影と、この柱のかげに石のように黙って、ときどき胸を弓なりに喘がせる最後の負傷者と。

 八日め
 がらんどうになった倉庫。歪んだ鉄格子の空に、きょうも外の空地に積みあげた死屍からの煙があがる。
柱の蔭から、ふと水筒をふる手があって、
無数の眼玉がおびえて重なる暗い壁。
K夫人も死んだ。
――収容者なし、死亡者誰々――
門前に貼り出された紙片に墨汁が乾き
むしりとられた蓮の花片が、敷石のうえに白く散っている。

 

 

 私自身この場に立ってみて、そんなことはありえないのですが、片隅にじっと佇んでいると、当時の人々の呼気があちこちに澱んでいるような感覚に襲われました。出かける前に何度かこの詩を読み返したからもしれませんが。それほど「倉庫の記録」において、峠三吉は自ら被爆はしていても、客観的に透徹した視点に立とうとしていて、記録者に徹しています。原爆投下からの8日間をまるでドキュメンタリーの写真を撮るように表現しているという点ですぐれた作品だと、今にして思います(17歳のときに初めて手にした『原爆詩集』。何度か購入しましたが、まだまだ読み切れていないのだなと思いました)。

 多くの被爆建物が変質していく中で、これほど当時の空気をそのまま残している建物は多くないと思います。思い付きでしかありませんが、今だ広島には文学館がありません。この場所をこの倉庫を「広島原爆文学館」として利用できないだろうか、などとぼんやり考えました。

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壁は崩れかかっている

 

 

 

 大変に長い引用になってしまったが、ここは「広島原爆文学館」にはならないが、それ以上の施設、たぶん広島を訪れた方々が訪れる必須の見学個所になることは間違いない。

 多くの偶然の積み重ねでこうした被爆建物が原爆投下から73年を経たのちまで私たちに残されたということ、そしてそれを保存、改修して後世まで原爆を語り継ぐ「場」となることを心から喜びたい。

 この3月に訪れたアウシュビッツは、ポーランドが国として現在に至るまで大変な規模できちんと保存しようとしていることからすれば、日本はもっともっと被爆遺構や戦時建物の保存に意を砕いてもいいのではないか。

 元ドイツ大統領で故ワイツゼッカー氏のあまりにも有名な言葉を思い出す。

 

「歴史を変えたり無かったりすることはできない。過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目になる。非人間的行為を心に刻もうとしないものは、また同じ危険に陥るのだ」

 

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建物の入り口

 

 願わくば数年後、多くの見学者とともにここを訪れてみたい。

 

 

 

安倍首相、サーロー節子さんの面会を拒否。『違った意見の人にも会って語り続けるのが、本当のリーダーシップではないのか』

12月8日 

 昨日の新聞にサーロー節子さんの日本政府への働きかけの記事が載っている。帰国して以来、精力的に広島での講演、面会活動を行い、今週、直接、政府中枢に対して核兵器禁止条約への日本の参加を求めるため上京した。

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 しかしこの国の「お友達内閣」は、友達と思っていない人にはとにかく冷たい対応。翁長元沖縄県知事に対する対応のひどさがそれを物語っている。


 今回もひどい。

 サーローさんは安倍首相との面会を希望したが、官邸はこれを拒否。菅義偉官房長官は「日程の都合」を理由として挙げた。

 財界との会合にはホイホイと出かけて「明日はまたややこしい質問を受ける」などと、一国の首相としては信じられないような国会軽視の発言をしている安倍首相だが、サーローさんに代わりに会ったのは西村康稔官房副長官。首相が出られないのなら官房長官が代わりに会えばいいのに、とはどの新聞も書いていない。


 ノーベル平和賞の授賞式で被爆者として核兵器禁止条約批准へ向けた演説をした、しかも高齢のカナダ在住の方が里帰りでわざわざ東京に出てきたのなら、わずかな時間を割いてでも会うのが筋だろう。

 自分の宣伝にならない会談は拒否というケツの・・・のが既定方針なのか。誰と会ってだれと会わないかは官邸が決める、という不遜極まりない態度だから、時に是枝裕和さんのような人から肘鉄を食らわせられるのだ。


 サーローさんは河野太郎外務大臣にも面会を求めたが、こちらも拒否。この人最近は原発のことなど忘れて、安倍外交のお追従が面白くて仕方がない様子。

 代わりに辻清人外務政務官が対応したのだとか。副大臣二人のうち一人は佐藤正久自衛隊イラク先遣隊の隊長だった人。この副大臣さえ出さない。まあ、出ればまた抑止力論をひげをなでながらとうとうとまくし立てるのかもしれないが。

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 それでまだ40歳にもならない辻清人だ。なぜ?経歴を見ればわかる。彼がカナダの小学校と中高一貫校を卒業しているからだ。カナダの思い出話でお茶を濁そうと思ったかどうか知らないが、国際社会の中でのサーローさんの立場を考えれば、外務省の判断は浅慮この上ないといったところだ。

 こうした母国の非礼かつ情けない対応についてサーローさん、

 

「違った意見の人にも会って語り続けるのが、本当のリーダーシップではないのか」

 

 厳しい指摘である。
 この記事には、西村官房副長官が会談の中で「核抑止の必要性に触れた」ことをサーローさんが明らかにしたことを紹介。

 

核兵器で人間を皆殺しにする用意があるとの態度だ。市民を守るために核抑止論も云々と(言った)。ほんとうに唖然とした」

 

 核保有国と非保有国の「橋渡し役」をすることを核兵器禁止条約に署名しない理由としている政府の本音が飛び出した格好だ。

 橋渡しではなく、アメリカに媚びを売って武器を買い、核の傘の下で抑止力の恩恵にあずかろうというこの国の戦後の政策の根幹がこういう時に顕われてしまう。
 サーローさんは安倍首相にあてた手紙の中で、核兵器禁止条約に日本が署名しないことについて


「裏切られたと言わざるを得ない。果たすべき責任を放棄している」

 

と訴えたことも明らかにした。
 
 自分の主張を、相手がだれであれきちんと伝えようとする姿勢は、長いことカナダで暮らしてきたサーローさんらしいもの。日本的な下から「拝謁」を求めるような卑屈さがこの方にはない。伝えるべきことを自分の言葉で伝える、このあたり前のことが、なかなかできない。この国では、その前に忖度の方が優先されてしまうのだ。
 

 私は、86歳にもなるサーロー節子さんの声に耳を傾けようとしない日本政府を、恥ずかしいと思う。

 

 道徳の教科書に安倍首相が下町ロケットの工場で逆Vサインをしている写真が載っていたが、そんな中身のない写真よりもサーローさんの来日を扱った文章を載せた方がいい。

 広島での講演の様子と官邸での非礼な対応、そして同時期に話題となった本庶さんに比べてサーローさんをほとんど取り上げないこの国のマスコミのあり方まで、この10日間ほどを克明に描く「ややこしいノーベル賞の取扱説明書」と題して。


 もう一つ、先日、広島の平和記念公園の遺構の試掘が始まるとの記事、広島の友人がメールに添付して送ってくれた。爆心の島外科から300㍍南の天神町筋と呼ばれた周辺、ここ中島地区は広島屈指の繁華街、1300世帯4400人が暮らしていたところ。


 私は、ちょうどこの場所で、語り部として長い間修学旅行生にお話をされてきた山崎寛治さんから何度もお話を伺った場所だ。

 もともとこの平和公園は街のあったところに1㍍近く土盛りをしてつくられたところ。遺骨も遺構もたくさん埋まっているはずだ。1955年の開設以来60年以上を経て今一度、ここを被爆遺構として保存する意義は高いと思う。
 

 この記事、実はこちらでも掲載されていた。少なくとも東京新聞には出ていた。共同の配信によるものと推測すると、全国の地方新聞にも掲載されているかもしれない。

 もう一つ、友人とのやり取りの中で、こちらでは報道されていないさる重要な記事があることに気がついた。これについては、次回に。

 

変形労働時間制とは「今までは勤務時間は8時間でしたが、これからそれが2時間延びて建前10時間とします。これで時間外勤務が2時間減ります。これが働き方改革です。ずいぶんとラクになるでしょうね」ということ。

12月6日

 昨日とはうってかわって冷たい雨が降りしきる。緩やかなグラデーションとはいかない初冬の一日。

 

 教員の働き方改革の話。

 今年に入って文科省のリークと思える変形労働時間制についての報道が増えた。5月には「観測気球」だったものが、この夏どこかで政・官・労の合意があり「いけるぞ」という確信を深めたのか、8月終わりには毎日新聞が「確定的」との報道。それ以後は、なだれを打って来年度か再来年度には導入という勢いだ。

 

 論評のほとんどは懐疑的批判的なものが多いのだが、手っ取り早い「改革」として導入を求める声もある。口上だけ聞いているとずいぶんすっきりした打開策のようにも見える。

 それもそうだ。なにしろこの打ち出の小づちは、1日の勤務時間を2時間も増やすことができる。同時に現在の1日の時間外勤務を2時間カットできることになるからだ。2時間も多く働かせられて2時間も時間外をカットできる。夢のような話だ。

 

 過労死ラインの時間外勤務80時間を月20日で便宜的に割れば、一日4時間の時間外勤務になるが、勤務時間を2時間増やせば時間外は2時間減る。つまり時間外は40時間となり、金も人も出さなくても時間外勤務を半減させることができるというわけだ。

 

 ばかなことを言うな、増やした分は閑散期にちゃんと返すのだから年間を通せば数字的には同じになるんだ、というのが理屈、いや屁理屈、机上の空論。返せるという実証的なエビデンスを示してほしいものだ。

 

 

 

 教員残業は原則「月45時間以内」 罰則はなし
                 日経電子版2018/12/6 11:02 

 小中学校などの教員の長時間労働是正策を議論する中教審の特別部会が6日開かれ、公立校の教員の残業時間を原則として「月45時間以内」、繁忙期でも「月100時間未満」とする指針案を了承した。働き方改革関連法の上限に沿う内容だ。文部科学省は必要な制度改正に向け検討を始めるが、罰則は設けない方針で実効性の確保が課題となりそうだ。

特別部会では、長時間勤務の縮減策などを盛り込んだ答申素案も示され、労働時間を年単位で調整する変形労働時間制の導入を提言した。

文科省は繁忙状況に応じて学期中の勤務時間を引き上げる一方、夏休み中の学校閉庁日を増やし長期休暇を取りやすくするなどの活用例を想定。導入する自治体が条例化できるよう教職員給与特別措置法(給特法)の来年度中の改正を目指す。

文科省の2016年度教員勤務実態調査によると、残業時間が月45時間以上の公立小学校教諭の割合は81.8%、公立中学校教諭は89.0%に上っている。

指針案は、民間企業の時間外労働の上限を定めた働き方改革関連法を参考に、教員の目安を原則月45時間、年360時間に設定した。特別な事情があっても月100時間未満、2~6カ月の月平均で80時間、年720時間までとし、タイムカードなどで勤務時間を客観的に捉えるべきだとした。

ただ、同法にある罰則の導入については、答申素案で「慎重であるべきだ」と指摘した。公務員の扱いに合わせるためで文科省もその方向で対応する。

また、答申素案では改革の具体策で縮減できる1人当たりの年間勤務時間数の目安も提示した。校務支援システムの活用で成績処理などの負担を軽減し年約120時間、部活動に外部指導員を充て年約160時間をそれぞれ減らせるとした。給特法が教員に給与月額の4%相当を支給する代わりに時間外手当の支給を認めておらず、残業の大半が自主的な労働とみなされていることについては「勤務時間管理が不要との認識を広げている」との見方を記したが、抜本的な見直しには踏み込まなかった。

 

 

 

 

 今日12月6日は、それに加えて「教員の時間外勤務を月45時間、年間360時間に抑制する」との報道があった。何とも上手に平仄(ひょうそく)を合わせるというかこずるいというか。

 

 この数字、変形労働時間制を導入すれば、十分達成可能な数字となってしまうところがミソ。

 カネもヒトも増やさずに数値目標をさだめればなんとかなるといういつものやりかた。もちろん罰則はなし。障碍者の雇用水増し問題と同じ。「言うだけ」番長。

 

 国の働き方”改革”同様、ここでも繁忙期は時間外勤務100時間を容認するのだ。100時間までは働かせもよい、というお墨付き。給特法で支給されるのは給与の4%は、せいぜいが6時間分にすぎない。教員だけは忙しかったら94時間まではタダで働かせて良いと言っているのだ。怒らなくてどうする?

 

 さて繁忙期の月の勤務時間は10時間にというが、繁忙期でない月は何月か?百歩譲っても8月だけ。この8月も昔から「休んだのはお盆だけ」という教員が多い。

 

 変形労働時間制と言っても、現状と重ねればこっちの凸をこっちの凹にという具合にはならない。タダで凸だけが増えるということ。

 

 現場での変化は「今までは勤務時間は8時間でしたが、これからそれが2時間延びて建前10時間とします。これで時間外勤務が2時間減ります。これが働き方改革です。ずいぶんとラクになるでしょうね』というだけのこと。

 

 変形労働時間制が、週や月の総労働時間を定める労基法の精神を逸脱しているものだという意識が全くないのがいちばんの問題。変形労働時間制導入の歴史を繙くまでもなく、本来水と油の関係を無理やり一つの法律の中に押し込んできた。つまり矛盾をそのまま入れ込み、広げ続けてきたのが労基法の中の変形労働時間制の歴史だ。

 

 もともと変形労働時間制は導入時にはひと月に限定されていた。それがいつの間にか、「3か月」「3か月から1年」というふうに延長されてきた。延長されればされるほど労基法の精神からの懸隔は広がるばかりだ。

 

 労基法の精神とは何か。憲法で保障される健康で文化的な生活のためには『寝だめ食いだめ』はからだに悪いよ、ということだ。だから年間総労働時間ではなく、週労働時間を定めてきたのだ。

 

 全体の6割が過労死ラインを超えている(公立中学)なかで、変形労働時間制を導入すればどうなるか。寝ないで仕事をしながら『寝だめ』は出来ないよという事だ。つまり何度も言うが、実態としては8月以外は勤務時間は10時間という意識になってしまうという事。

 

 今でも勤務時間を超えて会議や進路指導、学校行事、生活指導などが行われているが、19時まではフリーでさまざまな業務がが入れられるという事になる。さらには、部活動も勤務時間を超えて行われてきたものが、平日のほとんどで勤務時間内という事になってしまう。5時まで会議、7時までは部活?(10時間になると労基法の規定では休憩時間は60分になる。今までもほとんど取れてはいない。実質10時間の連続勤務。朝練を入れると?19時以後の時間外を入れると?)

 

 さらには保育園の送り迎え、介護ヘルパーの問題なども出てくる。これらすべて実質的な負担増にもつながる。しかしこうした人たちが大変だから導入はやめろ、というのは闘う理屈としては偏頗だ。健康で文化的な生活を送る権利を法律にしたのが、変形制を除いた労基法。個人の事情に関係なく、「わたしの時間を勝手に奪うな」なのだ。

  

 文科省はいつもの狡知に長けたやりかたで「大枠は決めたので、あとは地教委でいかようにも」と丸投げをするだろう。地教委は地教委で「中枠」は決めたからあとは現場でと丸投げ。現場の「小枠」はどうなるか。

『あしたから勤務時間2時間延長だよ。これで慌てずじっくり仕事ができるね』

 

 いちばんの桎梏(しっこく)が給特法であることはまちがいない。給特法の40数年が、教員から「勤務時間意識」を奪い、行政や管理職から「時間外勤務意識」を奪ってきた。

 その給特法の延長上に、給特法の上に乗っかってこの変形労働時間制があることを忘れてはならない。

 

 

アディオス!アミューあつぎ映画.comシネマ! お別れは「ウインド・リバー」と「ブエナビスタソーシャルクラブ★アディオス」

   12月4日。気温が20℃近い。ベストは着ずに冬用のブレザーを着て出かけたのだが、結局、終日持ち歩くことになった。札幌でも14℃だとか。

 

 このまま温かさが続くのなら歓迎なのだが、ある日を境に冬本番が突然やってくる。

    困る。冬は緩やかなグラデーションで来てほしい。

 例年、横浜の冬は下がってもせいぜい0℃まで。年に一、二度零下となる日があるかどうかといったところ。今年の最低気温は我が家のテラスの計測では今のところ8℃。降霜を見たのも1日だけ。もちろん結氷は一度もなし。
 

 昨夜もマンションの廊下は、結露していた。乾燥しない12月である。

 

 

 本厚木駅からほど近くに、アミューあつぎというビルがある。ダイソーブックオフユザワヤに、厚木市子育て支援などの公的施設が入ったビルである。その9階に名画座,二番館の「アミューあつぎ映画.comシネマ」があった。開場は2014年。3スクリーン<172席・58席・72席>あるきれいな映画館だった。11月9日までは。

 

10月中頃はがきが来た。

 『突然ではございますが、2018年11月9日(金)をもちまして閉館致します。』

 

 「ええ―?」である。

 この映画館の存在に気がついて、道のりとしてはやや遠くはあるが、会員になって3年。年に10数回は通った。

 映画館とは思えない眺望、とりわけ西側に丹沢の山肌が望めるフロア、格安の料金、意欲的な作品の招致、残念だなあという気持ちが強い。殊に多くの会員にとっては落胆が大きいと思う。


 私は2015年からの市外会員だが、市内外合わせてなんと6900人の会員がいたという。年会費5400円で招待券が3枚。一回の鑑賞料金は500円。市内会員はもっと割安感がある条件。この人たちの平均鑑賞回数が年10回を超えるというだから、営業としては万全かと素人目には思えた。
 

 はがきには、大変急な案内になってしまったこと、12月下旬には新しい映画館がオープンすること、会員証は有効期限まで、別会社が運営する映画館で会員特典が得られること、毎月郵送してきた上映スケジュールの送付は終了するとのことなどが記されていた。


 「皆様の温かいご支援の中での苦渋の選択となりましたが、なにとぞご理解賜りますようお願い申し上げます」。

 

 苦渋の選択という言葉に、運営会社というよりフロアにいた何人もの、見覚えのあるスタッフの顔が思い浮かぶ。 
 

 というのも、この映画館、他との大きな違いは、上映前に毎回スタッフのひとりがスクリーンの前に出て、映画の内容について話をするというところ。

 ものを食べるな、携帯をしまえ、席を途中でかわるなといったことも最後にちょっとだけ触れるが、中心は映画の内容の紹介だ。パンフレットをなぞっているときもあれば、この人、この映画に惚れ込んでいるなと感じるときもあった。まれに会場から拍手が起こることもあった。照れながら足早に降壇するスタッフの素人っぽさが良かった。


 あれは2年ほど前だったか、中学生の女子二人が制服でこの「映画紹介」をしたことがあった。職場体験実習の一環だった。映画をみた感想を懸命にまとめ、緊張の面持ちで話す姿に会場から大きな拍手が湧き上がったものだ。
 

 私は冬はどうということもないのだが、夏の映画館が苦手。冷えてしまうのだ。フロアにおいてあるブランケットにはいつも助けられた。

 よほどのことがない限り、せっかちだからエンドロールの途中で出てしまうのだが、いつも外にはブランケットを受け取る若いスタッフがいた。預かってはきちんとたたんでいるのをみて、返すときはたたむようになった。


 私は書いたことはないが、フロアに“自由ノート”が置いてあって、映画をみた感想などが記されたノートが何冊もあった。会員はシルバーが多いと聞いたが、書いているのは若い人が多かった。

 

 経営会社のシーズオブウィッシュの青山大蔵代表は


「”地域のコミュニティの場としての映画館”としてお客様との交流を重視し、スタッフの人材育成にも力を入れてきた。信念を貫くため自社のみで経営してきたが、資金繰りの悪化で撤退を決断した」(タウンニュースから)

 

という。勇気ある撤退というのだろう。12月からは別の会社が新たなスタイルで映画館を立ち上げるのだという。
 

 私の、最後のアミューあつぎ映画.comシネマは11月1日だった。スタッフに声をかけるのも憚られ、黙って二本の映画をみて、スタッフにありがとうと声をかけてエレベーターに乗った。行先は、小田急線沿いの八海山をたっぷりと安価で飲ませるお店、「今日は呑まずに帰れないだろう」と独り言ちながら。

 

 

 

 1本目がウインド・リバー』(2017年・アメリカ・107分・監督テイラー・シェルダン)


 アメリカの辺境を舞台に現代社会が抱える問題や現実をあぶりだした「ボーダーライン」「最後の追跡」で、2年連続アカデミー賞にノミネートされた脚本家テイラー・シェリダンが、前2作に続いて辺境の地で起こる事件を描いた自らのオリジナル脚本をもとに初メガホンをとったクライムサスペンス。第70回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受賞。主演は「ハート・ロッカー」のジェレミー・レナーと、「アベンジャーズ」シリーズのエリザベス・オルセンネイティブアメリカンが追いやられたワイオミング州の雪深い土地、ウィンド・リバーで、女性の遺体が発見された。FBIの新人捜査官ジェーン・バナーが現地に派遣されるが、不安定な気候や慣れない雪山に捜査は難航。遺体の第一発見者である地元のベテランハンター、コリー・ランバートに協力を求め、共に事件の真相を追うが……。

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 ワイオミング州ウィンド・リバー居留地。合衆国魚類野生生物局の職員、コリー・ランバート(ジェレミー・レナ―)が荒野のど真ん中で少女の死体を発見するところから映画が始まる。居留地連邦政府管轄だから、捜査はFBIが担当するのだが、派遣されたのは新人捜査官ジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)1人だけ。

 現地の保安官と協力しながら捜査にあたるのだが、おぼつかない。バナーは自然のあまりのすさまじさに途方に暮れるばかり。ランバートは捜査に協力することになる。

 

 全体に寡黙な映画である。ネイティブアメリカンの説明もなければ、登場人物についての説明もほとんどない。セリフも少ない。みる方は画面から流れる情報を目を凝らして受け取るしかない。同じ監督の『ボーダーライン』の手法。ランバート自身が全く寡黙、しかしなんとも雄弁。

 

 殺された少女は居留地内に暮らすネイティブアメリカンの娘。居留地というと狭い印象があるが、鹿児島県ほどの広さだという。2万人が住んでいて、ここに警察官は6人しかいなかった。オバマ時代の2012年に36人に増えたという。

 仕事は牧羊が中心。失業率80%、10代の自殺率が全米平均の2倍以上、先住民の女性がレイプされる率が全米平均の2.5倍以上。殺人事件の被害者になる率が全米の5倍から7倍(数字は「町山智浩ウィンド・リバー』を語る」から)。

 

 何か起きても警察はすぐには来ない。隣の家までは数十キロ離れている。アメリカにはすさまじい格差社会が残っている。そして極度の無法地帯となっているということだ。


 ランバートは、喜んでというふうもなく、しかし当然のようにバナーの捜査に協力することになるのだが、その背景に自分の娘が、レイプ殺人事件の被害者になっていることがある。

 

 前半部でランバートが別居中の妻のところを訪れて、息子を居留地に連れ出すシーンが出てくるが、娘の「喪失」に対する二人の気持ちのずれが端的に表現されている。最後までみ終わって、このシーンの重さが胸に迫ってくる。


 亡くなった娘のネイティブアメリカンの父親と、ほとんど無言で悲しみを共有するシーンも同様、寡黙な演技である。


 居留地には、石油採掘会社が入っており、ここに作業員が数名派遣されている。彼らもまた、広大な居留地に「放置」されており、鬱屈している。

 

 捜査によって少女の死因が明らかになっていく。直接的な殺人ではなく、少女の死は逃げるために-30度の低温の中で走ったことによる肺の機能停止によるものとされるが、バナーは殺人事件でなければ捜査はできない。応援を呼べば殺人でないことが分かってしまうため、応援も呼べない。

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エリザベス・アルセンとジェレミー・レナ―

 ランバートの「捜査」によって犯人の目星がついてくる。数人の石油発掘会社の寮を訪れるシーンが、すごい。『ボーダーライン』もそうだったように、度肝を抜かれる。  

 

 この緊張感は何ともリアルで、アクション映画のドキドキ感とは全く異質なもの。まるで実際のシーンを遠くから見ている感覚。セリフは脈絡がずれていて、演技の「ため」が全くないのだ。追いつめられた作業員のそれぞれの勝手な思惑が予想もしない動きを突然起こす。全ては暴発のようなもの。どうすればこんなシーンが撮れるものか。

 

 犯人はランバートによってネイティブアメリカンのやり方で裁かれる。ランバートは淡々とそれを実行する。この時点でランバートはいわゆるアメリカ人ではなくなっている。シーンは法や正義の及ばない地で生きることのひとつの解決の在り方を示唆しているようだ。

 画面がものを言う映画、佳作である。

 

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 もう一本は『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』(2017年・イギリス・監督ルーシー・ウオーカー)。前作キューバのビッグバンドのドキュメント『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を見たのは2000年のこと。こんな音楽の世界があるのかと度肝を抜かれた感があった。あれから18年。当時もみなそれなりの老齢だった者たちが、一人ひとり去っていくところを追ったドキュメント。名演奏家たちが一人ひとり消えていくのだが、どれもこれも全く湿っぽくない。その時が訪れる直前まで彼らはいつも“プレイヤ―”だ。

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 前作同様、最後まで全く時間を感じることなく映画のに中に没入してしまった。

 

私にとっての「アミューあつぎ映画.Com」とのお別れに何ともふさわしいものとなった。

 なお、12月15日から新会社の運営で、『日日是好日』などが上映されるとのこと。番組の編成がどんなふうになされるのか、じっくりと見極めたいところだ。

 

 

 

『ベートヴェン捏造~名プロデューサーは嘘をつく』あたかもこれをミステリーのように、読者とともに19世紀のウイーンの街を歩いて謎解きをしているかのように、臨場感と説得力をもって読ませてくれる。それでいて語り口は重苦しいどころかとにかく軽快かつ明快なのだ。

 『ベートヴェン捏造~名プロデューサーは嘘をつく』(かげはら史帆・柏書房・2018年・1700円+税)
 11月の読んだ本の中で最も強烈な印象の本。著者は1982年生まれ。これが初めての単著なのだとか。そんなことを全く感じさせない、かなりの練達の書き手といった印象。


 私たちが慣れ親しんできたベートーヴェンをめぐる言説の多くは、実はベート-ヴェン死後、「楽聖ベートーヴェンをつくりあげるためにかなり意図的につくられたものだと言われている。

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 1977年、ベートーヴェン死後150年のアニヴァーサリー・イヤーのこの年、4月6日付けのワシントンポストは、「研究者ら、ベートーヴェンのノートは「ねつ造」かどうかをめぐって論戦となる」と報じた。この「論戦」の舞台となったのは、東ベルリンで開催された「国際ベートーヴェン学会」。東ドイツが国家の威信をかけて開催された学会の中で、小さな研究グループの発表が激震の震源となったという。

ここからこの「物語」は始まる。

  
 たとえば5番の交響曲の冒頭の「ジャジャジャジャーン」を「運命が扉をたたく」とベートーヴェンが言ったとする説も、今では事実ではないというのが通説だ。
 しかしながら長年、この交響曲は「運命」と呼ばれてきた。その根拠は、晩年ベートーヴェンの秘書役を務めたアントン・シンドラーという人物が、ベートーヴェンに「冒頭の4つの音は何を表すのか」と尋ねたところ、「このように運命は扉をたたく」と答えたという史実を根拠としている。


 後年のベートーヴェンは耳疾がかなり悪化し、発声はするが聴こえないという状況にあり、会話を成立させるために「会話帳」なるノートを用意していた。このノート、200冊近く残っていたとされるが、ほとんどはシンドラーがもっていたもの。シンドラーは、いつでも好きなようにこのノートを改ざんすることができた。

 

 何のために?これがこの本の根幹だ。内容的には研究書と云ってもいいほどのものなのだが、それを著者は、あたかもこれをミステリーのように、読者とともに19世紀のウイーンの街を歩いて謎解きをしているかのように、臨場感と説得力をもって読ませてくれる。それでいて語り口は重苦しいどころかとにかく軽快かつ明快なのだ。


 巻末に示される膨大な資料を渉猟するだけでも大変な作業なのに、「読ませるもの」に仕立て上げる力量はタダ者ではないと思う。すごい書き手が現れたものだ。読後に残るシンドラーの悲哀がまたいい。

『反音楽史-さらばベートーヴェン』(石井宏・新潮社・2004年)と併せて読むと面白いかもしれない。


 長年、5番を「運命」と呼ぶことに違和感があった。第4楽章まで数えきれないほど聴いたが、聴き終わったあとの気分は「ようし、元気が出たぞ!」なのだ。たぶん、同じような高揚感をもって聴く人が圧倒的に多いはずだ。これは、気分がちょっと落ち込んだ時に励ましてくれる音楽なのだ。シンドラーの奴め、ちゃんと最後まで聴いたのか?

 

この本、まだあまり話題にならないけど、そのうちに・・・・。

『ジグソーステーション』(中澤晶子)復刊。読者は21世紀の現在からいったん「90年頃」に旅をし、さらに戦後直後に時間の旅をすることになる。この二重性が、読む者に当時とは違った思考を迫るのではないだろうか。

   子ども読み物作家の中澤晶子さんから、刊行されたばかりの『ジグソーステーション』(汐文社)の復刊本を送っていただいた。3月の『さくらのカルテ』以来、今年2冊目。


 手に取ってみると、一見、初版(1991年・汐文社)のもの(私が見ているのは96年の4刷)と変わらないように見えるが、よくよく見てみるとかなり違う。ハードカバーは同じだが、版型が小さくなっている。コンパクトで今ふう。面白いのは、表紙、裏表紙は描かれている題材は変わっていないのに、みな新たに描き起こされていることだ。


 中澤さんとのコンビで仕事をされることの多い、鎌倉在住の画家ささめやゆきさんの手によるもの。裏表紙の「東京駅」や、すべて差し替えられている文中の挿絵から、ささめやさんの変遷が伝わってくるような気がする。比べて見てみるとデフォルメ具合が素人目にも小気味よく感じられる。


 本文には手が入れられていないけれども、よくよく目を凝らして見れば、これは改装版というより新装版というべき本である。

 

お詫び:写真の回転の方法がわかりません

f:id:keisuke42001:20181130151138j:plain1991年版

 

f:id:keisuke42001:20181130151300j:plain2018年版



 というのも、27年を経て子どもの読み物が復刻されるということが、よくあることなのかどうか私にはわからないのだが、この本が“体幹”の強さとバランスはそのままに、本自体が成長を遂げたように感じられるからだ。


 子どものときにこの本を読んだ思い出のある方々が、30年近くの時間を経てちょうど同じ年頃の子どもに本を買い与えようとしたときに、書店の平台にこの本を見つけたとしたら、うれしさは望外だろう。2011年に復刊された『あしたは晴れた空の下で―私たちのチェルノブイリ』<1988年初版・2011年復刊)もそうだったように。

 そして子どもが読む前に再読するのを想像してみる。そのとき本も人とともに成長していることを実感するのではないだろうか。


 久しぶりに再読してみた。中身は詳しくは書かないが、東京駅を舞台に学校嫌いの小学生真名子が主人公となって、時間と空間の不思議な旅を体験する物語である。
 

 著者が手を入れなかった理由がわかるような気がした。


 物語が戦後直後と「現在」を行き来すると言っても、戦後70余年の中の「現在」は一様であるはずもなく、登場人物である真名子はもちろん、「おじさん」や「糸次郎」のもつ「現在」は1990年ごろ特有のものである。

 東京駅も戦後45年と現在とでは、再建されていて似て非なるものである。とすれば、読者は21世紀の現在からいったん「90年頃」に旅をし、さらに戦後直後に時間の旅をすることになる。この二重性が、読む者に当時とは違った思考を迫るのではないだろうか。


 戦後直後の東京駅の情景や人々の描写は、真名子の眼によって驚きをもって表現され、90年ごろの描写は真名子のもつ同時代性によってか、どこかけだるい。

 

 現在のきれいに上書きされた感のある東京駅は、姿かたちは似ていても、もうこんな物語は似つかわしくない無機質ささえ備えている。人々も同様で文中の「おじさん」が中学生だったころの「戦後」への想像力は弱まるばかりだ。

 90年ごろ・・・バブルはそろそろ終わりをつげ、戦後政治は転換期に入り、湾岸戦争には200億ドルを供出する・・・、さて現在は・・・。

 

 誰にでも忘れられない「あの場所」というものがある。しかし実際に訪れてみると、すでにかたちをなくしてしまっていたり、あったとしても存在の意味が変わってしまったりしているものだ。時間というものは残酷なものだが、それでも忘れられないもの、忘れてはならないものがある。この物語は、真名子という少女のからだと心を通してそんなことを私たちに伝えているようだ。


 ヴァイオリンとそのケースをめぐる子弟や兄弟のエピソードは痛切である。またネコの動きによる場面転換も鮮やかだ。随所に傍線を引きたくなる箇所がある。


 手元に『井上ひさし全選評』(白水社・2010年)がある。これは、氏が選考委員を務めた文学賞の選評・寸評を集めたものだが、井上は1991年第29回野間児童文芸賞新人賞を受賞した二つの作品について次のように述べている。

 

「『きんいろの木』(大谷美和子)は、自閉症の兄をもった少女の、『ジグソーステーション』は、東京駅を遊び場にする少女の物語である。どちらも物語を構成する膂力がたくましく、結末に至れば読者を励まさずにはおかないという美点を備えていた。物語の構築力と読者を奮い立たせないではおかぬ作家精神とにめぐまれたお二人の未来に期待する。」

なお、この時惜しくも新人賞を逃した作品に『九月の雨』がある。のちに長編青春小説『一瞬の風になれ』などを著す佐藤多佳子氏の作品である。

 

 

中澤晶子

1953年名古屋市生まれ。広島市在住。1991年、『ジグソーステーション』で野間児童文芸賞新人賞受賞。『あしたは晴れた空の下で 僕たちのチェルノブイリ』『3+6の夏』『さくらのカルテ』(汐文社)『こぶたものがたり』(岩崎書店)をはじめ、多くの作品を発表している。画文集に『幻灯サーカス』〈絵:ささめやゆき、BL出版)などがある。日本児童文学者協会会員。

 

ささめやゆき

1943年、東京生まれ。1985年、ベルギー・ドメルホフ国際版画コンクールにて銀賞、1995年に『ガドルフの百合』で小学館絵画賞、1999年に『真幸くあらば』で講談社出版文賞さしえ賞受賞。『かわいいお父さん』(こぐま社)『椅子ー幸せの分量』(BL出版)、『あひるの手紙』(佼成出版社)、『猫のチャッピー』(小峰書店)など、多くの絵本、画集、挿絵をてがける。

 

 

 

 

 

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 こういうポスターをバスの中で見かけるようになったのはそんなに古いことではない。おせっかいなものが多い。トイレに入ると、「きれいに使っていただきありがとうございます」(男子用小便所)、駅のホームでは「かっとなってしまった、人生が変わった」(車内暴力)

 このバスの中のポスター、びっくりした。予定時刻になってもなかなか来ないことが多いのに。表現は丁寧だけれども、ここまで言うか?

 この間、大阪に行ったとき、駅のホームでけっこうみんな並んでいた。関西でも並ぶようになってしまったんかい?と思った。大阪の東京化?  

 言葉は、この20年くらい、関西弁が関東にしみ出てきているのに。

 こういう現象、前からそうだったんじゃない? ではない。空気が変わってきてるのだと思う。