『コーダ あいのうた』ストーリーは変哲のないものだが、シーン一つひとつの凝集性、稠密性がすばらしい。 観衆がそこからうけとめるものは、多様で豊かで深いものだ。

映画備忘録。

5月3日。

『コーダ あいのうた』(2021年製作/112分/PG12/アメリカ・フランス・カナダ合作/原題:CODA/脚本・監督:シアン・ヘダー/出演:エミリア・ジョーンズ トロイ・コッツアー マーリー・マトロン ダニエル・デュラント/日本公開2022年1月21日)

 

1月に封切られていまだに全国で上映が続いている。こんなロングランは珍しい。

3月のアカデミー賞の作品賞、助演男優賞、脚色賞の受賞が追い風になっているのだろうが、リメイクの映画がこれほど大きな反響を得たのは、何よりろうの役者たちの演技のすごさと主役エミリア・ジョーンズの魅力によるものだ。

 

ストーリーは変哲のないものだが、シーン一つひとつの凝集性、稠密性がすばらしい。

観衆がそこからうけとめるものは、多様で豊かで深いものだ。

コーダ(coda)は、 Children of Deaf Adult/sの略称。ロッシはいわばヤングケアラー。

ろうの両親、そして兄のなかで、ロッシ一人が歌うという天賦の才能をもつ。ロッシがうたう歌を、愛する音楽を両親と兄は聴けない。画像1

トロイ・コッツアー マーリー・マトロンの夫婦の猥雑なやり取りが秀逸。

兄のダニエル・デュラントも魅力的。彼がストーリーを締まったものにしている。

 

彼らの音のない世界と、ロッシをはじめとする若者のコーラス、音楽の世界。

聴こえてくる音、とくにコーラスの練習シーンは優れている。ハーモニーに鳥肌が立った。

エミリア・ジョーンズの歌。巧い、だけでない何か人に伝える特別なものを彼女はもっているように感じた。

聴こえない音を聴こうとする夫婦、これにもしびれた。ろうにはろうの聴き方があるということだ。

 

映画はろうの人たちの世界をしっかりと見せてくれた。

障害が単なる「負」ではなく、人と人との関係の中で「0」になる可能性を示してくれた。稀有な映画だと思う。

 

メキシコ出身の音楽教師を演じるエウヘニオ・デルベスが印象的。エキセントリックな演技の中に、人間としての明確なバックボーンがあることを示してくれた。

リメイクとはいえ、脚本は監督のシアン・ヘダーが書いている。キャスティングの確かさとセリフの巧さ。これまた一級品。

元版の『エール』も印象に残っているが、本作がリメイクとして全く別の魅力を放っているのは、やはりトロイ・コッツアーとマーリー・マトロンによるもの。二人が土台をつくり、そのうえでロッシきょうだいが踊っている、そんな映画だ。画像2

 

 

 

レビューデビュー

久しぶりに晴れた。

朝83%だった外の湿度が、今、14時過ぎだが、49%まで下がった。五月らしい明るい陽射し。庭のアジサイが咲き始めた。

 

きのう、矢川冬さん(『もう、沈黙はしない』の著者)のことをこのブログに書いた。

矢川さんからAmazonにもぜひレビューをということだったので、14日にブログの原稿を改稿したものを送ってみた。

今朝、Amazonからメール。掲載したという連絡。時間がかかるものらしい。

レビューはかなり長いけれど、一字一句そのまま掲載されている。

 

ネットを初めて20年以上になるが、レビューを書いたのは初めてのこと。レビューデビューってことか?

矢川さんに連絡。喜んでもらえた。

 

 

午前中、10日ぶりの新聞の切り抜き。

県版にこんな記事をみつけた。

 

8日の記事。読んだ記憶なし。

9日、雨の中、ふらっとここに立ち寄った。そのことは14日にこのブログに書いた。

写真も載せた。

出かける前に

「きれいだね。植物遺産に認定されたんだって。今見ごろと書いてある。芦ノ湖畔だから、あす寄ってみようか」

「きれだろうねえ。見てみたいね」

といった品のいい高齢者夫婦の少し枯れたような会話はあるはずもなく、3㍍以上にもなるつつじがあることや、樹齢100年を超す古木もあることなど知る由もない。

ふらっとたち寄って入場料1000円に怖気づき、花より団子ならぬつつじよりケーキとビールで、窓から見えるツツジを撮って「見たような気分」で帰ってきたちっとも品のよくない枯れてもいない高齢者夫婦。

 

先達はあらまほしきことだが、この記事のような先達があったとしても、1000円の壁を超えたかどうかはわからない。

 

 

 

警察ってこんなに親切だったっけ?

長く続く新型コロナの広がりにも影響され、新たに人と知り合うとか出会うということがなくなった。それどころか旧友と久闊を叙する?ような機会も減ってしまった。

加齢もあり、こうして人や世の中とのかかわりがわずかずつ薄れていく。

それでも不思議なもので、まれに新しいつながりができることもある。

 

埼玉の教員超過勤務裁判の原告、田中まさおさんが、雑誌に書いた私の判決批判を読んで埼玉から会いに来てくださった。この名前は裁判をする上でのお名前。本名をうかがった。

茶店で話した。初対面であっても、同じ課題に向き合っていると話は通じるものだ。

2時間がすぐに経った。

田中さんが一人で始めた裁判は、教員のブラックな働き方がクローズアップされた時期と重なり、大きな反響を得た。判決後のネット上の反応は2万人を超えたとのこと。

 

判決は一部では「画期的」と評されたが、しかし田中さん自身は「完全敗訴」と考えた。ここが私と同じだった。控訴審を闘う理屈の出発点がここ。

 

組合や支援に対しては、是々非々の立場を保っていらっしゃる。選別はしない。

何ができるか心もとないが、私も自分ができる支援を続けたいと思う。

 

『もう、沈黙はしない』という本の感想を4月の末にブログに書いた。衝撃的な本だった。

著者の矢川冬さんとブログのコメント欄でつながった。

つたない感想だが、喜んでもらえたようだ。

本の存在を知ったのは、矢川さんが私のブログの読者であったこと。ときどき目を通してくださっていることを知り、矢川さんのブログに行って本に出会った。

ネット上での付き合いしかない方が数人いらっしゃる。今後、実際に会うことはたぶんない。こういうあわいつきあいもあっていいと思う。

 

連休が終わったころ、古い知り合いのMさんから電話があった。

Mさんは学校事務職の労働組合の人。かなり年季の入った活動家だ。

 

れいわ新選組の大石あきこ議員が、給特法について国会で質問するので相談に乗ってほしい、ついては秘書のNさんという方から連絡がいくのでよろしく、とのこと。

すぐにNさんから電話が入る。明日、議員と打ち合わせをする。ついては質問のもととなるメモのようなものを明日の午前中までつくってくれないかという要請。

どこの党派であっても給特法の問題を焦点化してくれるのなら、断るわけにはいかない。OKと返事をする。大石議員は元大阪市職員。橋下市政に正面から食ってかかってきた人。その意気や良しである。

次の日、午前中の遅い時間にA4三枚程度のメモと大部の資料をメールで送る。

2時間後、Nさんから電話。「資料はすべて読んだ。いくつか質問がある」とのことで、30分ほどやり取りをする。理解が早く、視点は共有できる。

「それでは10日の内閣委員会、見てください」

10日、ナマは忘れていてyoutubeで大石議員の質問を見る。

時間は5分ほど。とても給特法までいかない。

次の日Nさんから電話。「申し訳ない。明日の委員会でくしぶち万里議員が大石議員を引き継いで質問する。内容は教員の人員削減と給特法だ」。

くしぶち議員は、山本太郎氏が衆議院議員を辞職したため繰り上げ当選となった人。

今度もyoutubeで見てみる。

子ども家庭庁の予算問題への言及はあったが、今回も給特法はなし。

Nさんから「時間が足りなかった。申しわけない。必ずこの問題は次の機会で取り上げるので」とのメール。

間に入っている秘書さんは大変だなと思う。準備をしてもそのままいかないことなどよくあるのだろう。

 

メモは日の目を見なかったが、Nさんとの電話の議論が私には面白かった。

それに弱小政党でありながら、ロシア侵攻に対して独自の立場を表明したれいわ新選組には好感をもっている。山本太郎氏の辻説法、街頭での質疑応答も面白い。

少数でしがらみがない分、これから暴れてくれるのではないかと思っている。

いつか教員の働き方問題にしっかり関わってもらうことを願ってる。

 

実は、もうお一人、新たに知己を得た方がいる。それはまた今度に。

 

 

 

下の写真は、今朝、散歩の途中で見かけたポスター。

迷子の鳥を探しているとか。

ピノちゃん。

町田、大和両警察に届けてあって、連絡先が大和警察の番号になっている。

番号の末尾は「0110」となっている。

警察ってこんなに親切だったっけ?

 

『ベルファスト』どうして映画に入っていけなかったのか。

映画備忘録。5月3日。あつぎのえいがかんkiki

 

ベルファスト(2021年製作/98分/G/イギリス/原題:Belfast/脚本・監督:ケネス・ブラナー/出演:カトリーナ・バルフ ジュディ・デンチ ジュード・ヒル キアラン・ハインズ/日本公開2022年3月25日)

俳優・監督・舞台演出家として世界的に活躍するケネス・ブラナーが、自身の幼少期の体験を投影して描いた自伝的作品。ブラナーの出身地である北アイルランドベルファストを舞台に、激動の時代に翻弄されるベルファストの様子や、困難の中で大人になっていく少年の成長などを、力強いモノクロの映像でつづった。ベルファストで生まれ育った9歳の少年バディは、家族と友達に囲まれ、映画や音楽を楽しみ、充実した毎日を過ごしていた。笑顔と愛に包まれた日常はバディにとって完璧な世界だった。しかし、1969年8月15日、プロテスタント武装集団がカトリック住民への攻撃を始め、穏やかだったバディの世界は突如として悪夢へと変わってしまう。住民すべてが顔なじみで、ひとつの家族のようだったベルファストは、この日を境に分断され、暴力と隣り合わせの日々の中で、バディと家族たちも故郷を離れるか否かの決断を迫られる。アカデミー賞の前哨戦として名高い第46回トロント国際映画祭で最高賞の観客賞を受賞。第94回アカデミー賞でも作品賞、監督賞ほか計7部門にノミネートされ、脚本賞を受賞した。(映画ドットコムから)

 

ベルファストという言葉を目にし、聞くだけで、自分の中で出来上がっているイメージがある。待ち遠しかった映画。ところが、見始めて30分経っても映画の中に入っていけなかった。

自分のもつイメージと食い違ったからだろうか。

どのシーンも凝っていて、ていねいにつくりこまれている。9歳のバディの眼から見た街、家族。ジュディ・デンチの表情もいい。祖父の台詞は深い。夫婦(バディの父母)の関係、父とプロテスタントの関係もよく伝わってくる。それなのに「作りもの」っぽさを感じてしまう。モノクロの映像でありながら、どこかひりひりするような子ども特有の絶望が伝わってこない。『3丁目の夕日」ではないが、知らぬ間に美化されてしまう少年時代。

ロシアのウクライナ侵攻という事態が進んでいるが、クリミアやドンバス地区だけでなく、モルドバジョージアにおいても親ロシア系住民と地元の住民の間での長く深い軋轢が伝えられるようになった。

ベルファストもまた長い軋轢、桎梏を経て今があるが、この映画はそうした分断よりも少年時代への憧憬のようなもののほうが先に立っているように感じられた。

 

日本には、1945年の終戦時に200万人を超える朝鮮人がいた。彼らは日本国籍を与えられ、差別され続けた。祖国が日本の統治下にあり、祖国が彼らを援助することなど考えられなかった。何より祖国は日本のもので、すでになきものだった。

戦争が終わると、カッコ付きの日本人だった彼らは、日本国憲法の下で日本国籍をはく奪され、朝鮮人となった。日本国籍のない人々は、日本国の権利の恩恵を受けられなかった。

日本国籍を持っていても、はく奪されても在日朝鮮人は「チョーセン人」として、戦後も差別され続けた。

80年代の指紋押捺拒否問題を経て、今、改めて日本国籍を取得する在日・朝鮮韓国人も多い。その人たちの中には、日本名あるいは朝鮮名を名乗りながら、自らを朝鮮系日本人として自分のアイデンティティーを立てようとしている人たちもいる。

違う歴史をもつ沖縄の人が、在日沖縄人という言い方をすることもある。在日アイヌ人というのも。

どれも、今のロシア本国と親ロシア住民との関係とは全く違うものだ。

ベルファスト北アイルランドの独立という形でいったん長い「戦争」を終えたが、英連邦のEU離脱という局面において、今また新たな事態に向かっている。

 

「復帰」直後から沖縄独立論の系譜はあるが、現実的に私たちは、日本人以外の人々の日本における独立とか、あるいは祖国の侵攻という事態をなかなか想像できない。なにしろ、東欧にこれほど複雑な民族の軋轢があったことすら知らなかったのだから。

 

ケネス・ブラナーという監督が自分の子ども時代を描くとき、こうまでも色濃く祖国や街への思いを表出することに私の想像力がついていかないのは、こうしたことにもよるのだろうか。

 

この家族とイングランドの関係は、よくよく見ればロシア本国と親ロシア系住民の関係に近いのだが、そうしたことをあまり感じさせず、どちらかといえば上質な人生訓のようにこの映画を見てしまうのは、やっぱり私はどこかずれているのだろう。

 

 

画像1

久しぶりに箱根に1泊。なんの問題もなく満足して帰ってきた。しかし・・・

きのうも今朝も、散歩は雨の中。

早朝は風が強かったので、すこし弱まった9時ごろに出かけた。

 

傘をさしての散歩も、風がなければそれほど悪いものじゃない。

 

いつもは水量が少なく透明度の高い境川が、上流の雨を大量に運んできて濁流となる。年に何度か見せる厳しい川の表情。これもたまにはいいものだ。

 

雨が降ると、鳥がほとんど姿を見せない。

きのうはスズメを見かけただけ。今朝はムクドリムクドリは飛びたつ時にピピッと啼くが、今朝は金網のフェンスに留まってぎーぎーと啼いていた。群れておらず、一羽だったから仲間を呼ぶ合図だったろうか。

ツバメの水浴びも見た。スピードを落とさずに滑空してきて、水面に主観的に接触するのを繰り返していた。寄生虫や体の汚れを落とすのだそうだ。

 

 

月曜日から火曜にかけて箱根の温泉に一泊した。

昨年の秋から、温泉宿を予約をしてはキャンセルするということを三度繰り返した。

その都度、感染の収まりを予測しての予約だったがいつも「まだまだ」にはねかえされた。

ここにきて若干増えて増加傾向にあるが、いっときと比べればかなり収まっている。

たまには出かけてみようということになった。4月半ばの予約だった。

 

月曜の雨降り。どこも込んではいない。早めに芦ノ湖畔に着いた。宿のチェックインの時間には少し早かったので、通りすがりに小田急の山のホテルに寄る。

わたしたちには手が出ない高級ホテル。たたずまいが落ち着いている。

写真 3左の奥がつつじ園。まだ咲いていない時期の写真。右のスロープでラウンジへ。写真は春かな?

 

観光バスが数台入っている。路線バスの停留所もある。

 

一般車の駐車場へ向かうと係員に止められ「どちらへ」と訊かれる。

「つつじを見に」というと、駐車場所を示してくれる。

観光バスの目的は、ホテル下に広がる広大なつつじ園の見学のようだ。

 

観光客の後ろについて歩いていると、周りに色とりどりのつつじが見えてくる。上の写真はホテルのHPからいただいたもの。まだツツジが咲く前の庭。見える植栽のほとんどがつつじ。

 

歩きながら「ここ、もうつつじ園に入っているの?」などと言いあう。それほど満開のつつじがぎっしりと。

入園口が見えてくる。

              
入園料1000円、とある。

そうか、中に入るともっときれいなつつじが見えるのか。

顔を見合わせ「入らない?」・・・ではなく互いにきっぱりと「入らなくていい」。意思一致が早い。

スロープからラウンジへ入る。

天井が高い。客も少ない。

 

Mさんはコーヒーにケーキ、私は、山のホテル特製のクラフトビール

写真 6ホテルのHPから

 

ホテルだだからそれなりの価格だが、たたずまいと景観、それに接客を考えると高いわけではない。ビールはクラフトビールらしいクセのあるもの。濃い。

 

おしゃべりしながら3~40分を過ごしただろうか。

 

雨の降りしきるなか、宿へ。

この時期だけのことを一つだけ書いておこう。

チェックインの時のことだ。

 

書類に必要事項を書き込み、キーを渡された。

用意しておいたひとこと。

「つかぬことを聞きますが、神奈川県民割というのは適用されませんか」

意表を突かれたようなスタッフの表情。

 

この間、ひたちなか海浜公園のバスツアーの時には「いば割」が適用されていた。

ただの一泊の宿泊だけど、神奈川県でもなにか割引のようなものがあるという話を耳にしたので、出かける前にネットで調べてみた。

 

旅行業者が主催する旅行に対して、神奈川県が補助を行うというもので、対象業者の一覧がHPに出ていた。

 

宿泊は、この旅館のHPから申し込んだ。業者は通していない。けげんな表情のスタッフの反応に「ああ、やっぱり駄目なんだ」と思っていたら、

「それでしたら、これに記入をしていただいて」と書類を出してくる。さらに「ワクチン3回目接種証」と神奈川県民であることを証明するものを提示してほしい、と。

 

隣りにいたもう一人のスタッフが

「それでは、○○様は当館のHPから申し込みしていただいたので、それをいったんキャンセルして、再度申し込みをされたということで処理いたしましたので」。

 

どういう仕組みになっているかよくわからない。旅館のHPから宿泊を申し込むと神奈川県民割は適用されないのか。それとも、申し込みの期日があるのか。

 

スタッフはそのあたりのシステムには触れず、

「宿泊についてはお一人様5000円の補助があります。それから食事の時の飲み物や売店での買い物に使えるクーポンがお一人様2000円分あります」

合計14000円の補助が出るということだ。なんだなんだ、これは!

Mさん、びっくりしている。「すごいね」。

うれしくないわけがない。しかし・・・。

 

温泉もよかった。最近では、深夜早朝には浴場を閉めてしまう旅館が多いが、ここは夜通し入れる。早起きの身にはうれしい。

夕食はお食事処でではあるが、そこそこの懐石料理。これも満足。

部屋は和洋室。昨年に改装したそうで、以前に泊ったときとはガラッと違ってきれいになっている。

 

何の文句もない。いい小旅行だった。

 

でも、ひとつだけもやもやしたものが残る。しかし・・・、だ。

 

私は「つかぬことを聞きますが‥‥」と訊いたが、同じように旅館のHPで予約をして、県民割のことを知らなかった人たちはどうだったろうか。なにも訊かなければ、そのままスルーで適用はなしということにならないか。

 

情報を知らなかったばかりに、神奈川県民なら受けられる補助が受けられない人たちがいるとすればおかしな話だ。

 

チェックインするときに、スタッフのほうから

「このたびの宿泊には・・・」という説明が、ひとことあれば何の問題もないのだが、そう切り出せないわけがあるのだろうか。

そのあたりのシステムについてちゃんと訊けばよかったかなと思っている。

 

ラウンジへ上がる階段からの眺め

 

 

 

 

教員免許更新制は廃止されたが・・・法としての立て付けの悪さを反省することなくまた机上の空論からでてきた新たな研修制度が導入される。国は公立学校を自ら崩壊させていくようだ。

柿の葉が目に鮮やか


3日ぶりに境川河畔の散歩道へ。

1か月ほど前、5本の桜の木の下にハナニラスイセンが咲いていた町田市の小さな市有地。草が膝丈以上に伸び、桜の葉が繁茂して、光の届かない小さな森のようになった。

70年代?に境川の蛇行を改修したためにできた小さな空き地、何か所かある。

 

今朝のカワセミ、すっと飛んできて岩にとまると、首を何度もふっている、よく見ると長いくちばしに小魚が。飲み込むために魚の位置を変えているようだ。

 

先週は、小さなホバリングから水中にからだごと突っ込み、魚を捕る姿を目撃した。

 

 

きのう、参議院で改正教育職員免許法が可決、成立したという。

第一次安倍政権の07年に成立した教員免許更新制。たしか首相の諮問機関の教育再生会議の提言によるものだった。教育基本法改「正」なども含めて強引な手法が目立った時期。

 

大学の教職課程の単位を取得することで授与される教員免許。

これを10年ごとの更新制にした。

新たに免許を取得しようとする人たちに対し、新システムを適用するというのならまだわかる。

ろくな検証もせずに実施した悪法だった。何かというと「教員の資質不足」を言上げする与党の政治家の拙速さがつくり出した法律。いずれ弊害が露わになる、行政の首を絞めることになるといわれた。

 

数万円かかる更新料と30時間以上の講習。

内容はと言えば、専門講習が18時間、必修として「教育の最新事情」が12時間。

もちろん勤務時間外に30コマを受講しなければならない。

どこの大学でも設定されているわけではないから、夏に遠くの大学にまで足を延ばして受講する人もいたようだ。

受講した人から「役に立った」という言葉を聞いたことがない。現場を知らない大学教員が講義をする中で「ぜひ現場のことを教えてください」と言われてのけぞったという話も。

もう一つ。何事にも抜け道が用意されている。

講習を免除される人たちがいたことだ。

管理職、主幹教諭、それに優秀教員で表彰された人たちなどだ。いわばゴールド免許。ヒラメ化が促進されたのかもしれない。

 

アンタは講習の要ありの人、こっちのアンタは講習の要なしと並べて見ると、どう見ても逆だろうと突っ込みを入れたくなるケースが現場には多々あった。ゴールド免許がペーパードライバーに多いことに似ているかもしれない。

 

1954年以降の生まれの人たちが更新の対象となったので、私は1年差で更新を免れた(よかったよかったなんて思っていたら、5年後、私たちの年から退職金が300万円減額された。1954年以降生まれの人たちは踏んだり蹴ったりだった)。だから更新制のひどさを身をもって知っているわけではない。

年回りによっては2度の更新を余儀なくされた人もいるはずだ。

 

とにかく評判の悪かった更新制だが、民主党政権が成立したときには「いくら何でも更新制は廃止されるだろう」と誰もが考えた。

民主党を支えているのが連合であり、連合の主軸組合の一つが日教組だからだ。

 

しかし、更新制はびくともしなかった。

 

日教組傘下の組合に加入している人たちはがっかりした。民主党政権の夕暮れ時に組合を脱退した人もいた。

 

東日本大震災が起きたことで、公務員の定年延長が先延ばしになった。しかし年金支給時期の順次繰り下げにより再任用で65歳まで働く人が多くなった。大学を出てから43年間働くのが普通になった。

 

今の学校は、定数通りに教員を配置できず(あえてしない自治体も多いと思うが)、空いたところには非正規の非常勤講師や臨時的任用職員を配置するということがごく当たり前に行われてきたが、この10年、この非正規教員のなり手がおらず、教育委員会も管理職も困り果てている。

 

小学校の採用倍率は2倍を切るところが続出している。

教員はブラックらしい、モンスターペアレンツからの過酷な要求、長時間の部活動、いじめや不登校などへの対応の難しさなどから正規教員が確保できないだけでなく、その補充の非正規教員もなり手がいないのだ。

 

以前は60歳で定年となった人たちが、この非正規教員の枠を一定に埋めていた。

しかし今、65歳まで働いた人たちが免許の更新をあえてしない。

 

文科省は、免許更新をしなかった人には臨時的な免許を交付するというやり方を各地教委に指示した。クルマで云えば、切れた免許でも大丈夫、臨時で免許をあげますからという理不尽。

 

今度の改正教員職員免許法は、そうしたでたらめさ、法としての立て付けの悪さを反省する態度はまったく感じられない。それどころか、新たな研修制度を2023年4月から開始するというのだ。

そのためこの夏にも教員に必要な知識や指導方法を定めた指針を示すという。これに基づき地教委がテーマや受講頻度を決める。

一番気になるのは受講したことを記録することを義務付けていること。さらに校長はその記録に基づき、各教員の能力や経験を踏まえて受講すべき研修を助言するのだという。

 

どうしてこうも実現不可能なことをやろうとするのか。

どこにそんな時間的余裕があるというのだろうか。

改正給特法が示した「時間外在校等時間」の月45時間年360時間が守れない現場実態があるのに。

まともな校長なら、時間外在校等時間を守るのが先か、研修の助言が先か悩むだろう。

 

相変わらずの机上の空論をもとにしての法制化。

 

またまた現場のやる気をそぐだけの政策。このままだと現場には草も木も生えなくなる。

 

 

 

子どもミュージカルを見た。本格的なステージに驚かされる。

5月4日、相模原市民会館。

青葉子どもミュージカル第12回公演を見に行く。

 

先日、ご近所のIさん(奥さんの方)が網戸のぐあいを見に来てくださったとき、一緒にお嬢さんがついてきた。公演のチラシを渡したかったようだ。

中一。最近ではこの年代の子どもに会うことはほとんどない。

小さな声で「チラシ渡した?」とお母さんに言う。年代だけでなくもともとシャイなのかもしれない。

日にちが合えば行きますと伝える。

毎日、ほとんど暇にしている。用事などない。

チケット2枚購入することに。

ピエロ人形の詩チラシ表面

 

相模原市民会館までナビだと14㎞。16号線をひたすらまっすぐ走・・・らない。すぐに渋滞。ふだんはよく渋滞するが、連休の真っただ中。乗用車やワゴンが多い。

 

1時間かかって到着。市役所の駐車場にクルマを停める。

 

休憩時間を入れて全編1時間45分。けっこうな長丁場。それに夜公演もある。

 

冠の「あおば」は、横浜市青葉区を中心に活動しているという意味で、参加している子どもたちは市内外から参加しているらしい。Iさんのお嬢さんも瀬谷区の中学校だ。

 

ホールは一部だけひと座席空け。全席1200人というから800人ほど入っているだろうか。

多くは子どもたちだが、わたしたちのような祖父母?と見受けられるような人たちも。

 

さて、ステージ。小1~高3までの男女が登場する。

 

驚くほど洗練されている。

歌はかなりうまい。

舞台のつくりは本格的。照明もいいし衣装が色彩豊か。音楽、音響などはプロの人たちがやっているのだろうか。

演出も行き届いていて、子どもたちの動きに全く破綻がない。

ダンスに歌にセリフにとかなり複雑な動きが必要とされるようだが、慌てる様子は全くなく余裕がある。暗転も鮮やか。

歌では時折、声が裏返るようなところはあったが、気にならない。

ひとつの舞台としてしっかり完結していて素晴らしかった。

難を言えば、脚本が古臭いというか、もう少し今風のものであれば、見ている子どもたちのほうも感情移入しやすいのではと思った。

なぜ人形ピエロなのか、私は最後まで分からなかった。

 

配信チケットも販売されている。

カメラが数台入っていたから、編集をして配信するという。

ナマではわからない細かな動きは配信のほうがよく見えるのだろう。

 

これだけの講演をするには、費用もかなり掛かるだろうし、裏方の雑用を引き受ける親御さんたちのサポートは生半可なものじゃないと思う。

 

そうそう、シャイなIさんのお嬢さん。冒頭に恋人役で登場。堂々と歌いぶり。すばらしかった。

 

帰途は込まず。30分ほどで。