読み飛ばし読書備忘録⑦ 『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』(岩竹美加子・新潮新書・2019年)権利とウェルビーイングが基本のフィンランドの学校

昨日、処暑

外出から戻ったときにはエアコンを入れたが、夕方に急に気温が下がったので切った。

そのまま、就寝時もエアコンをつけず扇風機だけで。

朝まで寝苦しくもなく、寝入った。処暑にぴったりの気候。

 

読み飛ばし読書備忘録⑦

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』(岩竹美加子・新潮新書・2019年)

 

7月に読んだので、記憶はだいぶ薄まっている。フィンランドの教育を語る本はいくつもあるが、親の立場から実情を伝える本としては、こけおどしにならずに、そして「どや顔」でもなく、静かに実情を語っているところが好印象。

 

フィンランドの国土の広さは日本の9割ほど。人口は550万人。兵庫県と同じくらい。

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フィンランドでは教育に限らず「権利」と併せてウェルビーイングという概念が重要視されるという。まずこれにびっくり。

 

このウェルビーイングという言葉が面白い。

表す意味はとにかく広い。

からだに不調がなく心地が良く晴れやか、快適、生き生きしている、気分がいい、自尊心が持てる、自己肯定感がある、から、性的充足、不安がない、いじめ、虐待がない、障がいがあっても、支援や保護が受けられる、経済的、精神的に安全で安心、貧困、紛争、戦争からの自由などとにかく幅広い概念を表すのだそうだ。

 

ウェルビーイングは、1946年の世界保健機関(WHO)憲章草案作りのときに「健康」を表すものとして使用された言葉。ウェルフェアよりも概念として踏み込んでいて、規定する範囲が広い。

 

もちろん「福祉」という意味でも使われる。

 

『日本で福祉は、ウェルフェアとして理解されており、ウェルビーイングの側面が見落とされている。福士は日本で、国家や地方自治体が国民に対して行う公的なサービスを指し、社会的弱者に対する援助という意味合いが強い。一人ひとりが日常生活の中で退官し、社会と国家の在り方に連続する心地よさではない。』

 

学校も含めた公的な社会システムが「心地よい」を基盤として形成されている社会、これひとつとってみるだけで日本の社会や学校との違いがわかる。

 

その象徴的なシステムが、一斉卒業、一斉就職という仕組みはフィンランドにはないこと。

 

「社会人」という概念自体がなく、学生と社会人の間を自由に行き来出来る「二分化もなく、重複したり、その間を緩やかに移動することができる」社会、まさにウェルビーイングが優先される社会。

 

本の学校システムとの表立った違いは、入学式などの儀式がないとか、運動会などの学校行事がない、部活動もない、授業時間が少ない、学力テストも塾も偏差値もない、服装や髪形などの規則もない、もちろん教員の長時間労働もないなど多岐にわたる。

 

あまりの違いに頭がくらくらする。

 

それらは歴史的文化的基盤から必然的に生み出されてきたもののようだ。

日本でいう「教育課程」のようなものが、根本的に違う。

 

それらについて本書ではかなり詳細に述べている。

 

それは同時に明快な日本との比較文化論になっている。

 

たとえばフィンランド式の「人生観」の授業と道徳、いじめの予防の方法論、性教育、親の学校とのかかわり方、と展開されるが、基本はやはりウェルビーイング、日本人としてフィンランド社会で暮らしていて、とにかく『楽だった』という筆者の感想に驚かされる。

特に道徳に関わる記述には刺激を受けた。

 

親として日本の学校フィンランドの学校を経験した筆者は、学校のかかわり方の違いを次のようにいう。

『このインタビューで、「子どものため」という言葉を何度か聞いた。それは、日本のPTAでもよく聞く言葉である。でも、同じ子どものためと言っても、2つの国の保護者組織の活動とその背景にある考えは、みごとにかけ離れている。逆方向を向ているとも言えるだろう。フィンランドでは、学校生活のウェルビーイングを高めようとして、子どものために活動し、行政に影響を及ぼそうとする。日本では子どものためと我慢して、したくない活動に参加させられる。親同士が「ずるい」などといがみ合い、入会しなければ子どもに不利益があると脅される。』

 

フィンランドの親の組織が行政に与える影響力の強さには驚かされる。日本のようにどこか情緒的で保守的になってしまうPTAのありかたとは根本的に違う。

 

もちろん、教員の在り方もかなり違う。教育という仕事に関わるときの日本的な『湿度』の高さが感じられず、当たり前のことかもしれないが、きわめて合理的である。生徒に必要なものを過不足なく与えるために教員は何をすればいいのか、その時にも「権利」と「ウェルビーイング」を前提に研究がなされているようだ。

たぶん、フィンランドの教育システムであれば、日本の教員の悩みの大半は消失し、全く別の悩みが出現するのだろう。そんなこと悩んだことないよといった悩みだ。

 

一読して思ったことは、本書はもちろんノウハウ本などではなく、比較文化の本だということだ。

 

読むほどに日本の教育には、歴史的、思想的、あるいは哲学的な深まりに欠けているということがよくわかる。

 

10年ごとの学習指導要領の改定などをみてもそうだが、官僚や政治家の思いつきが、全国に存在する多くの偏りや違い、そしてさまざまな格差のあるこの国全般を、だらーっといちように支配しているのが実態だ。

 

本来的には、東京の教育と沖縄の教育が同じであるはずがない。

 

北欧の小国フィンランドの、「追いつけ追い越せ」ではない、ある意味辺境において静かに形成されてきた文化的な営みのひとつとしての教育や学校の在り方、それを静かに学ぶこと、それがこの国の学校教育の現状のゆがみ具合いを認識する共通基盤をつくりだすことになるのではないかと思う。議論の基盤をつくるのに最適に教材ではないか。

 

もちろんフィンランド社会とてさまざまな構造的な問題を抱えている。自らが移民として諸外国に出ていった歴史もあるし、現在は移民受けいれ問題でも揺れている。ロシアと国境を接しながら、デンマークのようにNATOに加盟しているわけでもない。

 

アキ・カウルスマキの映画をみていると、そうしたフィンランドが抱えている問題の深さ、深刻さがほの見える。

 

しかし、兵庫県ほどの人口の国でありながら、経済的に独立を保ち、欧州諸国とのバランスの中で生きていかざるを得ない小国フィンランド、その気概には学ぶべきことがたくさんあるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィリアホール、ホワイエでの小さなコンサート。ヴァイオリンとクラリネットの若者二人、なんとも精妙で豊穣な音楽を聴かせてくれた。

 

23日

午前中から青葉台へ。近所の友人Nさん、クルマを拙宅の駐車スペースにおいて同乗。3人で出かける。Nさんはヴァイオリン弾き。音楽に造詣が深い。ヨーロッパにも頻繁に出かける。元は高校の英語の教員、堪能な英語でホテルからコンサートの予約まで一人でやってしまう。人に出会う?のが上手な人。

 

フィリアホール。”István Kohán  &  松本紘佳ジョイントコンサート”

 

子どもや障がい者を積極的に受け入れてともに楽しめるコンサートづくりを目ざすグループ「愉音」が主催。

時間設定はママたちや介助者の人たちが集まりやすい11時開始。チケットも1000円とリーズナブル。というのも、会場がフィリアホールの「ホール」ではなく「ホワイエ」だからだ。

 

席数109。車いすスペースもゆったり取ってある。子どもたちが寝転ぶスペースも。

ここでこんなコンサートが可能なのかと驚く。実際の音は響き過ぎず、そこそこ自然に聴こえる。

 

演奏は、ピアノに松本有理江さんを迎えての デュオとトリオ。ピアノは、PA付きのキーボード。

 

プログラム

 ヴィエニャフスキ : 華麗なるポロネーズ1番(V×Pのデュオ)

 バルトーク : ルーマニア民族舞曲(Cl×Pのデュオ)

 マスネ : タイスの瞑想曲(V×Pのデュオ)

 バルトーク : 3つのチーク地方の民謡(Cl×Pのデュオ)

 サラサーテ : カルメン幻想曲(V×Pのデュオ)

 モンティ : チャールダーシュ(V×Cl×Pのトリオ)

 

ドヴォルザーク : 家路 ~ 交響曲第9番新世界より」から ~

 

子どもたちの声が時折聞こえる。

驚くのは、演奏の質の高さ。松本紘佳は相変わらずの外連味のない明確な意図をもった演奏。キレがよく音程の精確さはいつも通り。弾くごとに音量も上がってくる。もう10年聴いているが、すでにして安定したプロの演奏家の風格。

 

さらにクラリネットのコハーン・イシュトヴァ―ンがすごい。クラリネットのソロを聴く機会は、クラシックではほとんどないが、正直、度肝を抜かれた。若さ溢れる超絶技巧はもちろんだが、「これでもか」という押し付けがましいところがない。これ以上ないというほどの音楽の「軽さ」が感じられて、ぞくぞくした。

2013年からハンガリーから日本に拠点を移して演奏活動を続けている。日本音楽コンクール1位などいくつものコンクール、賞を得ている。日本語も堪能だ。

 

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ハンガリー出身で、バルトークを得意としている。途中のトークでは、かつてバルトーク記念館の近くに住んでいて、そこで初めて「3つのチーク地方の民謡」を聴いた時、「自分はソロの演奏家になるんだ」と確信したというエピソードを披露。

 

いちばんの山場はモンティのチャールダーシュ。これはいままで聴いたことのない感興を味わえた。

松本紘佳との超高速の掛け合いはみごとの一言に尽きるし、緩徐部分での艶っぽさもよかった。こんなチャールダーシュは初めて。何じゃあ、これは!と思った。

 

昼間11時からの軽音楽会といった設定など吹っ飛んでしまうほど、時間は短かったけれど十分に音楽を堪能したコンサートだった。

 

 

 

 

 

 

読み飛ばし読書備忘録⑥ 『蜜蜂と遠雷』(恩田陸・幻冬舎文庫上・下 2019年3版 単行本2016年)私はちょっとおなかいっぱい、の小説だった。

8月22日(木)

早朝に起きだして、エアコンを切り、窓を開ける。

冷たい風が入ってくる。

曇天。

急にやってきた秋の気配。

 

境川河畔は虫の音だけ。蝉の声は聞こえない。

カモの親子、2羽の子ガモが流されるように親ガモのあとをついていく。

 

雨もよいだったので傘を持って出かけるが、ささずに帰ってくる。

 

そういえば、まだ日傘をさしていない。

 

9時すぎ、雨が降ってきた。

 

 

昨夜は、退職時の職場の同窓会?「お達者倶楽部」と呼びならわしている会があった。まだ本調子とは言えず「お達者」でないので、欠席。

年に一度、気の置けない元同僚たちが集まってひと晩を過ごす。ヒラも管理職もない。10年近く続いている。老人だけでなく若者、中年も。

 

読み飛ばし読書備忘録⑥

入院中の楽しみのひとつが、院内にあるコンビニ、ナチュラルローソンへいくこと。タリーズコーヒーの隣にある。平日は消灯時間の22時まで開いている。点滴を引っ張りながら暇つぶしに日に2回ほどヨーグルトやバナナ、飲み物などを買った。

 

雑誌や書籍もそこそこ揃っている。そこで

 

蜜蜂と遠雷』(恩田陸幻冬舎文庫上・下 2019年3版 単行本2016年)

 

を見つけた。

単行本が出た時に図書館に予約したが、待てるような順番ではなかった。2016年の下半期の直木賞、それに本屋大賞も。いつか読めるだろうと思っていた。その「いつか」が突然やってきた。

病院で読むにはたぶんちょうど良い?と上下を購入。早速ベッドで読み始めた。ベストセラーだけど、一応あらすじを。

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あらすじ

3年ごとの芳ヶ江国際ピアノコンクールは今年で6回目だが、優勝者が後に著名コンクールで優勝することが続き近年評価が高い。特に前回に、紙面だけでは分からないと初回から設けられた書類選考落選者オーディションで、参加した出場者がダークホース的に受賞し、翌年には世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝したため、今回は大変な注目を集めていた。だが、オーディションの5カ国のうちパリ会場では、「不良」の悪名の審査員3人は凡庸な演奏を聴き続け、飽きて来ていた。だがそこへ、これまでにない今年逝去の伝説的な音楽家ホフマンの推薦状で、「劇薬で、音楽人を試すギフトか災厄だ」と、現れた少年、風間塵は、破壊的な演奏で衝撃と反発を与える。議論の末、オーディションに合格する。

そして日本の芳ヶ江市での2週間に亘るコンクールへ。塵は師匠の故ホフマン先生と「音を外へ連れ出す」と約束をしていて、自分では、その意味がわからず、栄伝亜夜に協力を頼む。亜夜は塵の演奏を聴いていると、普通は音楽は自然から音を取り入れるのに、彼は逆に奏でる音を自然に還していると思った。マサルは子供のころピアノに出会わせてくれたアーちゃん(亜夜)を出場演奏者に見つけ再会する。3人の天才と年長の高島明石のピアニストたちが、音楽の孤独と、競争、友愛に、さまざまに絡み、悩みつつ、コンクールの1次2次から3次予選そして本選へ、優勝へと挑戦し、成長して、新たな音楽と人生の地平を開く。

 

 

 

 

これは恩田陸という作家がつくりだしたまぼろしの「コンクール」。魅力的な登場人物たちが、劇画タッチで動き出す。面白い。こんな参加者たちを俯瞰できるのは読者冥利。

 

しかしコンクールがこれほどスリリングなものなのかどうか。もちろん寡聞にしてそのの実態など知らないが、コンクールの裏側を描いたショパンコンクール 最高峰の舞台を読み解く』(青柳いずみこ・中公新書2016)中村紘子などの文章から感じられたのは、コンクールってどこまで行っても、順位をつけること「選ぶ」ことの「基準」のあいまいさだ。

 

数年前、大阪国際音楽コンクールの一部門を聴いたことがあるが、この時もこの小説とはまったく別の位相の、コンクールの恣意性のようなもの。何を基準に審査しているのかい?という不満だけが残った。

 

物語が入り組んでスリリングであればあるほど、リアリティを欠くということもある。

正直、読みながら作者の音楽への造形の深さと、それを上回る思い入れの強さに少し引いてしまうところがあった。

 

主人公の風間仁や栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトールはとっても魅力的なのだが、その来歴や行動、そして演奏はあまりに現実離れしている。物語としては美しいけれど、音楽ってもっと物理的な?面もあるのではないかと思う。

 

タイトル『蜜蜂と遠雷』は16歳のピアニスト風間仁の来歴に由来するが、彼は

「16歳、音楽大学出身でなく、演奏歴やコンテストも経験がなく、自宅にピアノすらない少年。フランスで、父親が養蜂業で採蜜の移動の旅をしつつ暮らす。ピアノの大家のホフマンに見いだされ師事し、彼が亡くなる前の計らいで、現在、パリ国立高等音楽院特別聴講生となっている。野性的な演奏で、出場後「蜜蜂王子」と呼ばれるようになる。」

という少年。あまりにスーパーマン過ぎて、あくがなさ過ぎて物足りない。だから面白い、というのも分かるが。

 

                                                                                                            

文中、夥しい数の曲が出てくる。好きな曲も知らない曲もあるが、作者の、微に入り細に入りして言葉を尽くして表現される登場人物それぞれの演奏は、表現、言葉としてはわかるし、その筆力の凄さに驚かされるが、でもそこまで書かれるとなあという思いも一方にある。

たとえ文章で極致まで音楽を表現したとしても、読者からするとその文章に蹂躙されてしまうような気がしてしまう。もっと自由に聴かせてよ、という思いもある。

 

小説だし、本屋大賞だし、直木賞なんだし、超売れたということだから私の違和感などどうでもいいのだけれど、すっと乗り切れないものが残った小説だった。

 

実際にコンクールに参加する人たちはこれをどう読んだのか聞いてみたいものだ。

 

ということで、病院のベッドで読んだこの大長編音楽小説、私はちょっとおなかいっぱい、というものだった。

 

 

             

 

 

 

読み飛ばし読書備忘録⑤ 馬琴、北斎を激しく叱咤する。『眩(くらら)』(朝井まかて)   北斎の娘お栄(応為)が躍動する。

8月21日(水)

少し季節が回ったような。

川風の中にわずかに秋の風の冷涼さが感じられる。

蝉の声と虫の鳴き声が川の中州で拮抗する。

 

読み飛ばし読書備忘録⑤

『眩(くらら)』(朝井まかて新潮文庫・2018年・単行本2016年)

初めての作家。1959年生まれ。2014年に直木賞。時代小説ではよく知られた作家らしい。

己の才能に自信のもてない北斎の娘お栄が主人公。

外面ばかり気にする夫と別れ、父北斎の看病をしながら、扱いの難しい甥の乱行の後始末に追われ、兄弟子善次郎への恋情を抱えながら、自分の画業を見出していくお栄(葛飾応為)の生涯。

貧弱で断片的な北斎の知識があちこちでつながれて、具体像として立ち上がっていくのが愉しい。

 

素敵なシーンがいくつもあるのだが、ここでは馬琴が、中気で倒れからだがままならない北斎見舞うシーン。

この時馬琴は「下男を連れた六十をいくつか過ぎたらしき老人」とあるから、馬琴より7つ上の北斎は60代後半。当時としてはどちらもかなりの高齢者。

 

 

『・・・湯帷子((ゆかたびら)の前がはだけ、痩せさらばえた胸や腹がむきだしだが、腰帯がどこかでほどけてしまい、前の見頃を合わせようともしない。

 馬琴は蒲団から畳一枚ほど離れた場に腰を下ろし、その様子を黙って見ていたようだ。ややあって、嘲笑を泛べた。

 「無様よのう」

 吐き捨てるような言い方だ。

 「葛飾北斎がかような掃きだめで恍惚としおって。その身ではもはや、筆もおぼつかぬであろう」

 寝床の周りには盥や布、着替えの類が積み上げてあるが、そこには筆一本、神の一枚も無い。小兎が頑として持ち込ませないのである。

 そして馬琴はぐいと親父どのに迫るように、目を剥いた。

 「絵師風情がこのまま草木のごとく枯れ果てようと、儂には何の痛痒もござらぬ。いかほど名を上げておろうが、たかが浮世絵師一匹、浮世の波に呑まれて人並みの退隠をいたして往生を望もうが、儂の知ったことではない。人は等しく生まれを選べぬが、死にようは選べるでの。要らざる欲を捨てて安穏に過ごし、世間がうらやむ大往生を遂げるもよかろうて。」

 そこで馬琴は口を閉じ、「だが」と声を高めた。

 「儂はかような往生など望まぬわ。その覚悟で卑しき物書きに身を落とし、家人を養うて参ったのだ。たとえ右腕が動かずとも、いや、この目が見えぬ仕儀に至りても、儂は必ずや戯作を続ける。まだ何も書いてはおらぬのだ。己の思うままにかけたことなど、ただの一度もござらぬ。その方もさようではなかったのか。児戯に等しき絵を描き散らしおって、これでもう満ち足りたか。これからが北斎画業の本領ではなかったのか。描きたきこと、挑みたきことはまだ山とあるのではなかったか」

 馬琴は親父どのを見舞うどころか侮蔑し、責め立てていた。

 「もう勘弁しておくんなさい、師匠」

 お栄は父の躰を支えながら、馬琴に頭を下げた。

 「勘弁して」

 すると馬琴はやにわに立ち上がった。

 「葛飾北斎、いつまで養生しておるつもりぞっ」

 噴くように言った。

 親父どのよりも遥かに小柄なその戯作者を見上げながら、お栄は奥歯を噛みしめた。口惜しさと、ここに通すべきではなかったという悔いが募る。

 いかほどに偉い戯作者か知らないが、あんまりだ。酷が過ぎる。』

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背中に塩をぶちまきたい気持ちのお栄に、戸口で立ち止まった馬琴は、家でとれた柚子を差し出す。柚子を使った卒中薬のこまごまとしたつくり方をお栄に告げ、馬琴は去っていく。

北斎はこの日を境に、馬琴の卒中薬を呑みながら驚異的な回復を見せていく。そして馬琴よりも10歳近くも長生きするのだ。世に知られた「神奈川沖浪裏」を完成するのはこの数年後のこと。80歳を過ぎて小布施を訪れるのも。

 

馬琴は北斎を嘲弄しながら、実は自らも表現者としてぎりぎりのところで生きていること,「まだ何も書いてはおらぬのだ」という物書きの気概を重ねて、精一杯の励ましを送る。傲岸さだけでなく馬琴の性格の面倒くささがよく見える。「よっ!馬琴、いいぞ!」と声をかけたくなるシーン。

 

 

入院中に時間を忘れることのできた1冊。

 

 

 

 

佐野ラーメンとストライキ。消費者ばかりの日本。労働者はどこに?

日々の記憶は飛ぶように流れていってひとつところに留まってくれない。暑さのせいにしたいが、どちらかと云えば老化の影響が大きいようだ。

 

10日、久しぶりに卒業生のTに連絡。12日が彼の娘いぶきの命日。まる7年になる。存命ならば25歳の誕生日となる。

まだ遺骨は彼らの部屋にある。お参りをしたいがと云うと、奥さんのKさんのお姉さんが来ているから一緒に夕食をということに。このごきょうだいとも30年近い付き合いになる。

7年前、小児がんを長いこと患ったいぶきが逝った。産まれた時からの付き合いだ。

聡明で物おじしない子だった。壁をつくらずすっとふところに飛び込んでくるようなところがあった。

 

いつものようにいぶきの話。重なる18年の短い時間、重ならない7年の長い時間、残された近親者には、日々のすき間に顕われるまぼろしに心を動かされることしきり。時薬は他人にとっては効果抜群だが、近親者には偽薬にもならない。

 

また会いましょう、また来るね、と明るく別れるぐらいが、傍(はた)の人間のできること。

 

15日。広島の中澤さんから『炎のメモワール』の公式サイトを教えていただく。

広島二中の1年生321名とともに亡くなった山本信雄先生の妻、信子さんが1947年、アメリカの新聞に投稿するために英語で書かれた手記。新聞に掲載されることはなかったが、のちに娘さんの小野英子さんが日本語に訳された。

 

https://honoo-no-memoir.themedia.jp/

 

大変貴重な記録であると思った。

広島二中をめぐっての出来事は、『碑』などにも詳しいが、これもまた一つの「広島二中」の物語である。

 

16日。2019愛知トリエンナーレが迷走を続けている。

作者たちが次々に作品を取り下げている。実行委員会の人々も、トップダウンの展示取りやめに抗議をしている。

すさまじい勢いで組織的に行われたクレームの嵐。

「中止」してしまうことが、まさに「表現の不自由」を体現してしまうという皮肉な結果に。

 

「つぶしてやる」と考える人々の顔の見えない不気味さ。

 

「つぶされない」ためには、どうするか。方法は必ずある。

 

芸術が政治と無関係のところでのみ成立するものであるなら、芸術(表現)の価値などないに等しいと思う。

 

お盆のUターンラッシュ東北自動車道佐野ICで「異変が起きている」と昼のワイドショー。

 

サービスエリアの請負会社の社員がストライキをやっているため、レストラン、売店

機能してしてないというのだ。

 

女性のアナウンサーがさも深刻気に

「いったい、ここで何が起きているのでしょうか」。

司会がすかさず

 

ストライキでしょ?」

 

ここまでは良かった。

あとは、「佐野ラーメンを楽しみにしている方たちはがっかりしています」「下りのSAへ誘導されています。そちらでは食べられそうです」

「楽しみにして来たのに」「がっかりした」

インタビューに答える人たち。

なにゆえこのお盆の時期の就業拒否なのか。要求は何なのか。そういうことには一切触れずに、消費者の利便性が奪われていること、端的には佐野ラーメンが食べられないことが問題だとする報道にびっくりする。

 

ネットで見てみると、ストライキの原因は、劣悪な労働条件の改善を求める某管理職!を経営が解雇したしたことに対する抗議。労働条件の改善と解雇撤回がストの目的だという。

 

ワイドショーが取り上げて、みんなが「困った」状況になったのだから、ストライキは一定の効果があったということ。経営の方は解雇撤回も含めて解決にむけて動き始めているという。

 

それにしても「なんだかなあ」である。

 

日本には消費者はいるけれど、労働者はいないのかな。 

 

 

自宅静養もそろそろ打ち上げ。自重の秋(とき)の訪れか。

退院してからほとんど外出していない。

自宅静養というのだろうか。外に出るのは朝夕の散歩ぐらい。

暑いせいもあって、よく眠る。

 

10日、退院後初めての診察。

 

切り取った患部の病理検査の結果がわかる。

この検査の結果によっては、これからの生活が根本的に変わらざるを得ない。

 

少し緊張して出かける。Mさんもいっしょ。

2週間ぶりの病院。どこか懐かしい気もする。何度も足を運んだ院内のコンビニは特に。

 

土曜日のせいか、込んでいる。廊下で待っている患者の人たち数人、眠っている人が多い。

診察予約時間から45分遅延の表示。時間は13時をとうに過ぎている。

 

窓口で遅延に苦情を言い立てている人。

 

厳しい口調で受付の女性に、予約時間が決まっているのになぜいつもこんなに遅れるのか、と。仕方ないのになあと思いながら見ていると、目が合ってしまう。

 

電光掲示板に番号が表示される。中待合に入れという指示。

 

中待合にも電光掲示板。

 

番号が点滅。ようやく診察に入る。

 

Yドクター、破顔一笑して「お待たせして申し訳ありません」。尊大とは真逆の対応にいつもながら感服する。診察は9時からずっと続いているのに。

 

画像をパソコンに映し出しながら丁寧に説明される。一つひとつ区切って、その都度「ここまでよろしいですか。奥様もよろしいですか」。

 

結論。暫定的な病名であった「早期胃がんの疑い」が「早期胃がん」に。

 

1か月後に再度内視鏡検査を行って、手術でできた潰瘍の回復具合いを見るという。

 

東京に住む従妹に、長い間がん治療に携わってきた看護師がいる。

長い現場経験を踏まえて現在は大学で教鞭をとっている。

 

彼女に、何人もの友人のがん相談の仲立ちをしてきた。

 

今回初めて自分の「がん」の相談をした。

 

内視鏡によるESD手術の3時間というのは長い。5㌢四方大の患部というのも大きい。

病理検査の結果次第」と言われていた。

 

それが杞憂だったということになる。

 

それにしても、何の自覚症状もないがんは、恐ろしい。

 

今回、かかりつけ医のY医師が、「一度、内視鏡検査を受けて見られたらどうですか」という言葉に、若干たじろいだ。がんが恐ろしいからではない。検査がいやだからだ。

 

自覚症状がまったくない。健康診断のバリウム検査も気持ち悪いからと15,6年受けていない。内視鏡を体に入れるなんて想像したこともない。脳ドッグのMRIだって検査続行不能だった。内視鏡も途中でパニックになったらどうしよう、そんなことを考えると「わかりました。やってみます」とは簡単には言えなかった。

 

Y医師の、根拠ある穏やかな説得を受け入れ、検査を受けた。5月のことだ。

 

寝ている間に終わった。

 

それから、検査、手術、検査と合計4回も内視鏡を体に入れている。来月もするから5回、ひと月に1回の計算になる。

 

医療器具とその扱いの技能の発達には著しいものがある。

 

私の友人のMさんは、10数年前、内視鏡検査は七転八倒の苦しみだったという。

 

今では経鼻検査も含めて、内視鏡上部検査の患者の負担は大きく軽減されている。

もちろん下部検査もだそうだ。

 

おかげで、ビビりの私も、事なきを得た。いまのところだが。

 

家族や友人らにずいぶんと心配をかけた。わざわざ病院にまで見舞ってくれた人たちには言葉もない。

 

勿怪の幸いという言葉がある。

 

がんは、実はふたつめ。

 

"仏の顔も三度撫ずれば肚が立つ”のことわざどおり、神も仏も、三度目はマジに「肚を立てる」かもしれない。自重の秋(とき)である。

 

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病室の窓から見えた夏空

 

 

 

シブコフィーバーの10日間、マスコミはなぜ韓国人選手の「偉業」に触れないのか

先週、暇に飽かせて4日間の全英女子オープンを見通した。深夜の放送だから録画をして早朝に見た。

 

20歳の渋野日向子の一挙手一投足にギャラリーの視線が集まり、緊張に負けずにのびのびとプレイする姿が、緑の中に際立って映えて、見ていてとっても面白かった。

 

胃が痛くなるような心理戦がゴルフの醍醐味なのだろうが、自分のペースをしっかり守り、ここぞと決めた時には迷わずクラブを振り切る渋野は、ゴルフの神様が憑依でもしているようだった。

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父親がつくったという白いおにぎりをほおばり、「たらたらしてんじゃねーよ」というよっちゃん食品のお酒のつまみを、カメラを気にすることなくかじりつく姿も、初めて見た。みているこっちがついニヤついてしまうほどのマイペース。キャディの青木コーチとのやり取りまで聞こえてきそうな明るいプレーだった。

 

そして帰国。今度は北海道での明治カップ。マスコミは「渋子フィーバー」を引き起こし、予定のなかったテレビ放送も決まった。現地のギャラリーは沸騰した。

 

万全でない体調で3日間を闘い、-4の9位タイ。発熱や頭痛に悩まされながらの3日間54ホールをオーバーパーなしで回ったのは、先週優勝した成田美寿々や原絵梨花比嘉真美子、笠律子、宮里美香、イ。ボミなど有力選手が予選落ちしているのをみると、注目されながら3日間闘い続け9位となったのは大変な健闘と云える。

 

ひとつ気になることがあった。テレビのアナウンサーの渋野選手への枕詞(まくらことば)「樋口久子さん以来の42年ぶりの日本人の男女通じてのメジャー優勝」だ。

たしかに男子ツアーで活躍する松山選手もメジャーは勝っていない。

 

日本人で二人目、42年ぶり、紛れもない事実。

 

奇しくも樋口久子プロがイギリス現地で解説をしていたこともあって、優勝は「偉業」とまで表現された。

 

気になって、メジャーの優勝者一覧を検索してみた。

 

樋口久子プロが全米女子プロで優勝したのは1977年。1973年~2019年まで、当初は4つ、現在は5つの大会がメジャーとされている。

 

テニスで言えば、ウインブルドン全米オープン、全豪、全仏、がそれにあたる。

 

さて1973年から現在まで、日本人の優勝者は2人だが、韓国人優勝者はなんと延べ30人いる。

 

朴セリ選手は5回、朴仁妃選手(パク・インビ)に至っては7回優勝している。複数回優勝者が何人もいるので、優勝者の数は12人(手で数えたので間違っているかもしれない)にのぼる。

 

「偉業」も30回となると、それほど騒がれない。現在の女子ゴルフの世界ランクをみると、韓国のコ・ジンヨン選手が1位で10位までに4人の韓国人選手が入っている。20位までには8人。

 

いまや世界の女子ゴルフは、人口が日本の半分にも満たない韓国人選手が中心、韓国人選手がメジャーで勝っていない年は、この10年、ない。

 

なにゆえ韓国人選手はゴルフが強いのか。なぜ日本人選手は「2人目」なのか。

 

日本のマスコミは、こうしたことをひとことも言わない。ただただ「偉業達成!」である。

 

渋野選手は素晴らしかった。それは間違いない。

 

しかし、日本人で二人目、42年ぶり、偉業達成、と繰り返すだけでなく、もっと周りをフェアーに、そして謙虚に見なくちゃと思う。

 

まさか元徴用工問題や輸出規制問題があったから韓国に触れなかったとは思わないが。

 

 

全英で渋野の後塵を拝して3位となったコ・ジンヨンさん、今年54つのうち2つのメジャーを制している。