タリヌスコラーズ 第2回演奏会  ~無伴奏合唱によるルネサンス音楽の愉しみ 14日(月)青葉台・フィリアホール

台風19号の被害、今朝の段階で61人死亡13人不明となった。河川は47河川、66か所で決壊したという。

各地に取り残されている人たちがまだまだいる。

道路が崩れたり、土砂の流入でクルマが通れず、徒歩だけというところも。

断水、停電などライフラインがまだ確保されていないところがある。

台風15号のあとの千葉の大規模停電もまだ完全復旧していない中での大災害、言葉を失う。激甚災害指定という言葉が出てきているが、政治が前面に出る場面だと思うのだが。

 

14日。青葉台フィリアホール

 

『タリヌスコラーズ第2回演奏会

          ~無伴奏合唱によるルネサンス音楽の愉しみ』

を聴いた。

 

このグループ、初めて名前を聞いた時にびっくり、笑ってしまった。

タリスコラーズは、ルネサンス期の音楽をア・カペラで演奏するイギリスの声楽アンサンブルグループ。私も何枚かCDを持っている。2,3面に一度来日してコンサートを行っているが、まだ一度も本物を聴いたことはない。

 

タリス、というのはイングランドの16世紀の作曲家トマス・タリスのこと。スコラーズは学者? タリススコラーズはトマス・タリスの曲を研究する人たちといった意味になる。

 

で、この青葉区のタリスコラーズ、一文字だけ「ス」を「ヌ」に変えた。代表の方は自らトマス・タリヌと名乗っている。どうしてもタリヌは”足りぬ”・・・である。

 

ダジャレのような団名を冠したこのグループがどんな歌を歌うのか、以前から興味があった。

 

コンサートのチラシを見た時には、? と思った。小さい(500席)とはいえ会場はフィリアホール。日本のみならず海外からの著名な演奏家たちがステージに立つところ。

 

そこで15人ほどのコーラスグループが、入場無料でア・カペラのコンサートを開く。

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フィリアホールといってもこれはホールではなく、ホールに隣接するリハーサル室か練習室なのではないか、という疑念がエレベータを降りるまで消えなかった。

 

間違いなくホールだった。

 

聴衆は、ざっと目で数えて120人ほど。

 

どうして?

 

演奏が始まってその理由が私なりによく分かった。

 

プログラムは二部構成

第一部 ルネサンス曲集 全6曲

オルランド・ラッソやハインリッヒ・イザークの曲。名前を知っているのはこの二人ぐらい。

休憩20分

第二部 Missa Pange lingua(ジョスカン・ド・プレ)

ミサ曲だから、キリエに始まり、グロリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス

最後がアニュスデイの定番。

 

え?これじゃすぐ終わってしまうね、とMさんに軽口を叩いていたのは、無知なるゆえ。

 

第一部は35分、第二部は40分、どちらも途切れぬ緊張感を保って聴かせに聴かせた。

女声7人に男声7人。指揮者なし。出だしの指示だけ。指揮者なしだけならともかく、伴奏もない。横に一列に並んで、互いのわずかな動きや息遣いを感じてうたう。

 

それがどれだけ大変なことか、素人の私にもわかる。

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第一部の始めこそ、ややおとなしい感じがしたが、曲が進むにつれ、特に第二部のミサ曲など、2重唱3重唱を随所に挟みながら、まったく破綻を見せずに、緊張感のある無伴奏の美しいハーモニーを存分に聴かせてくれた。時代も国も歴史も違う音楽なのに、全く無理のない自然な発声、心地よさはこれ以上ないほどだった。

 

マチュアで・・・というのはそれほどの練習時間などない中でという意味だが、これだけのものがつくれるのは驚き。

 

どうして、100人ちょっとの聴衆しか入らないのにフィリアホールを使ったのか。

 

ホールの響きが決め手のような気がする。14人の無伴奏のコーラスがとにかくよく響くのだ。もちろんむやみにお風呂のように響くわけではなく、ほどよく、だ。

 

聴衆は120人ほどと書いたが、このホールに定員の500人が入れば、聴衆の衣服で音が吸われて、響きがかなり変わりそうだ。意図的かどうかは別として、この広さにこの聴衆によってごく自然に教会のような環境がつくられて、人数の少なさなど全く感じない、自然な響きがつくられていたような気がするのだ。

 

入場無料はどうだろう。

今ではアマチュア合唱団も入場料を取るのは当たり前になっている。この夏に聴いた人気の「大江戸コラリアーズ」の入場料は3000円。東京芸術劇場という会場と演奏レベルの高さからすれば、プロの入場料に引けを取らない価格も納得できた。

 

ではなぜタリヌスコラーズは。

 

ご本人たちに聞いたわけではない。これは勝手な想像だが、自分たちが歌いたい曲を歌いたい場所で存分に歌いたい。そこにわざわざ足を運んでもらうのだから、お金なんかもらえないよ、ということではないか。

 

こういうの、潔いな、と思う。

 

久しぶりに無伴奏のコーラスを愉しんだ。気持ちが高揚した。

掛け値なしの素晴らしいグループである。

 

 

万が一、ダムが決壊すれば下流域は大変な被害を受けることになることは必定なのだから、素人目にも事前放流、事前調節こそ重要だと思うのだが、それがなされなかった理由は何なのだろう。

台風19号の人的被害は、13日現在で11県で33人死亡、19人行方不明(共同通信)。

21河川で決壊が起こり、各地で広域浸水が発生している。

 

昨日、相模川上流の城山ダムの緊急放流について書いたが、今朝の新聞では4県6ダムが緊急放流を行ったとのこと。

 

美和ダム(長野県・国の管理)・高柴ダム(福島県)・水沼ダム・竜神ダム(茨城県)塩原ダム(栃木県)・城山ダム(神奈川県)

 

それぞれのダムの緊急放流が下流域の氾濫や決壊とどう因果関係があるのか、まだ報道はない。

f:id:keisuke42001:20191014115851j:plain 美和ダム

 

昨日、大量の降雨が予想される場合は、ダムは事前に少しずつ放流をしているのだろうと書いたが、今回、報道ではどのダムも事前の水位調節はしていなかったという。

 

西日本豪雨下流で犠牲者が出たことに対して、国交省有識者会議が行った提言の対策のひとつが、大雨の前に工業、農業用水としてためている水を放流し、水位を低くしておく「事前放流」だったというのだが。

 

南の海上で19号が発生した段階で、今回かなりの風雨が予想もされていた。6日のことである。その段階で事前放流を始めていれば、12日夜から13日未明に、幾つもの河川が氾濫危険水域を超えている中での「緊急放流」は、せずに済んだのではないか。少なくとも、放流の量として「緊急」というほどの量にならずに、少なくて済んだのではないか。

 

素人が疑問に思うのは、川が氾濫しかけているのに、なぜ火に油を注ぐようにダムの水を放流するのか、ということだ。

万が一、ダムが決壊すれば下流域は大変な被害を受けることになることは必定なのだから、素人目にも事前放流、事前調節こそ重要だと思うのだが、それがなされなかった理由は何なのだろう。知りたいものだ。

 

いまだに浸水、停電、断水が続いている地域が広範囲にある。物流も各地で滞っている。

 

これら被害には、当然人災的な要因があると思われるが、ダム「治水」の「ミス」もその大きな要因なのではあるまいか。

 

いっとき建設が中止された八ッ場ダムは、来春の運用開始の前におりもおり10月1日、貯水試験を始めたという。3~4か月かかってためる予定のところが、台風19号の影響で13日には満水時の水準(583㍍)まで10㍍に迫ったという。2日間で水位上昇は54㍍。

 

なんだか不安になる数字ではある。

f:id:keisuke42001:20191014121905j:plain八ッ場ダム

 

 

読み飛ばし読書備忘録⑭『真景累が渕』(初版1956年・岩波書店・900円+税)・『逝きし世の面影』(渡辺京二・平凡社ライブラリー・1900円+税)

プレミアムドラマ『 怪談牡丹燈籠』 

BSプレミアム 10月6日(日)~10月27日(日)午後10時00分~ (初回のみ30分拡大)

 

第1回拡大版をみた。とっても良い。脚本、演出、音楽、飽きが来なかった。高島政宏

はじめていいと思った。

 

 

『怪談牡丹灯篭』の原作は三遊亭円朝

 

読み飛ばし読書備忘録⑭

夏から同じ円朝『真景累が渕』(初版1956年・岩波書店・900円+税)を少しずつ読んできた。

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志ん朝の『豊志賀の死』が好きで、この10年ほど、何度も聴いてきた。

 

それで、暇に飽かせて原文を読んでみようと思ったからだ。

 

円朝の口演をもとに起こしてあるもの、たぶん。読んでいてずいぶんと違和感がある。言葉自体も分かりにくいものが多いし、敬語もよく分からない。男女の言葉遣いもはっきりとは把握できないし、難しい。

 

それに比べ、志ん朝の口演は、上下関係、男女関係などわかりやすく、緊張感がある。それに、こわい。

 

しかし円朝本を読んでいると、江戸末期の人たちはこんなふうに話していたのかと往時が偲ばれるし、それには独得のリアリティーがある。

 

ではそれで「こわかった」かというと、これがそれほどでもない。

登場人物たちは、志ん朝版ではキャラクターがはっきりしていて、ブレがないが、円朝本では、いずれもみなワルにはなりきれず、我欲と妄執にとらわれていて哀れな感じだ。

 

それと、江戸、北関東の風景がほど良くわかる。

 

最後まで読み切ったが、怪談の「ドロドロ」の感はあまり感じなかった。江戸末期のひとたちは、こんなふうに生きていたのかな、というのが漠然と分かったような。

 

同じころに、友人のMさんからお見舞いに『逝きし世の面影』(渡辺京二平凡社ライブラリー・1900円+税)をいただいた。

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円朝の時代よりもうすこしあとの、明治維新前後のこと。頻繁に訪れた異邦人たちが記録として残した当時の日本人の生きたさま、とりわけ一般の民衆、下層階級の人々の様子がこれでもかというくらい、すさまじい量の文献を渉猟して描かれている。

それは、私が知っている日本近代の「遅れた日本人」ではなく、西洋を前提としない、ある意味見事に自立した独自の文化をもった日本人であり、円朝の描いた江戸人にやや近いものを感じる。

 

よくもまあ、これだけの資料をと思うほどの実証。

東北を馬に乗って見聞したイギリス人の女性探検家・旅行家イザベラ・バードが、私が生まれ育った福島の辺境の町を訪れていたことも初めて知った。

 

毀誉褒貶、いずれかに偏らざるを得なかった当時の異邦人の記述を、渡辺はバランスよく切り分け、実相を明らかにしようとしている。私が歴史として学んできた拙い知識と懸隔のいかに大きいことか。

 

二冊を同時に読み進めてきたのだが、自分の中の既成概念がかき混ぜられる感じが強く、大変刺激になった。もっと早く読んでおきたかった。

 

『真景累が淵』は500頁近く。『逝きし世の面影』は600頁にも。どちらも字が小さく、ついていくのが精いっぱいの、思いっ切り読み飛ばしの読書だった。

 

 

 

 

城山ダムの緊急放流、21時に開始、午前1時過ぎに終了したが・・・。

昨日、相模川上流の城山ダムの「緊急放流」が行われると書いた。しかし、17時に予定されていたこの異常洪水時防災操作は、結局21時半から行われ、降雨が弱まった午前1時15分に終了したとのこと。県ははじめ17時を延期して22時に放流を開始するとしたが、前倒しで実施したという。

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これ以上貯められないと判断して行うダムの緊急放流は、下流域での水害を発生させる原因となることから、慎重に行うべきなのは当然だが、その連絡が沿岸住民にどこまで徹底出来るかが重要だ。「前倒し」も事故がなかったらよかったものの、首をかしげざるを得ない判断だ。

 

17時放流の報道は15時前だったが、その時点でも十分に安全ははかられたのだろうか。実際の放流は、6時間後の実施となったため、混乱や被害はなかったというが。

 

城山ダムの緊急放流は初めてのこと。つまり未曽有の降雨だったということだ。

 

去年7月の西日本豪雨では、愛媛県のダムで緊急放流が行われたが、直後に下流の川が氾濫、8人が死亡したという事故があった。

 

増えた分だけ放流するというのが緊急放流の原則だそうだが、大丈夫かなと思う。ある程度の雨が予測されるときには、一定時間前から放流を始めているのだろうが、今回のようにたとえば箱根町で2日間で1000ミリを超える雨が降るといった事態がダムのある山間部で起きれば、ダムの決壊を防ぐために、放流はきわめて緊急に長時間なされるのではないか。

 

 

そうなれば、たとえ住民に連絡が徹底されて全員が無事避難できたとしても、家屋その他の被害は避けられない。

 

数十年に一度という規模の台風が今後増えることが予想される今、これに備えるには、堤防をさらに高く築くしかないのだろうか。

 

千曲川など各地の堤防の決壊とそれに伴う過酷な被害をみるにつけ、こうした疑問は消えてくれない。

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台風19号、これから上陸。大雨特別警報。境川は氾濫危険水位を超える。相模川上流の城山ダムは放水開始。箱根は700ミリ超える降雨。

停電に備えて懐中電灯やランタンを準備。風呂の水はそのまま。

 

大雨特別警報。

 

箱根では700ミリを超える雨。近くの境川は危険氾濫水域を超えたという。相模川上流の城山ダムが放水を始めるという。

 

このまま、雨が続けば相模川の氾濫も考えられる。

 

今、17時15分。台風19号は、下田の南の海域90㌔を時速35㌔で北北東に向かっているという。

進路図をみると、このままだと9時ごろに横浜を通過する。

 

最大風速が中心部で45m/s、まともに上陸すると…。

 

近所では避難勧告が出ているところも。ここはマンションだから勧告は出ない。水も今まで浸水したことはない。かといって・・・。

 

 

首をすくめてやり過ごす、は、何もせずに自己保身に走る際の比喩だが、

今夜は、字義通り、とにかくこの台風、早く通り過ぎるのを待つしかない。

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1週間前の菊名・街を耕す会、参加者の感想を送っていただいた。

 

その中の一編。

『聖職のゆくえ』(2019年・福井放送)の感想。

 

途中からの参加でしたので、トータルに見ることができなかったのですが、給特法の問題と教員の実態を丁寧に取り上げてくれた熱意に心を動かされるものがありました。
 ただ、最後が卒業式の場面というのは興ざめでしたね。
 
 教員の過重労働の問題は、給特法の問題であり、労働時間の問題だけでなく、その労働の意味付けとの闘いであり、「学校」というものの歴史的、社会的な意味づけとの闘いでもあろうかと思います。

 

卒業式への言及は、身も心も教育主義に没入しがちな教員の習性を「興ざめ」という言葉で厳しく指弾しているようだ。さらに過重労働を給特法の問題から労働の意味付け、そして学校の意味付けへの闘いと位置づける視点、貴重だと思った。

 

先週の授業で『聖職のゆくえ』をみた。これから教員になろうと考えている学生、半年後には教員になっている学生がどんなふうにみたか、感想をまとめてくることになっている。

 

京都・西山霊園のMさんのお墓参り。それぞれ降りる場所も時間も違う。降りてからみなそれぞれ向かう場所も違う。

 

10月10日は「晴れ日」だと思っていたら、最近はそんなことはないそうで。京都・西山霊園はMさんの墓前で、みなで献杯をしているときにはぽつりぽつりと雨が落ちてきた。

Mさんの奥さんS子さんも含めて総勢12名の墓参団?JR桂川駅からタクシーを三大連ねたから、運転手さん、

 

「どなたかエラいひとのお参りですか?」。

 

昨日は朝から、京都大学に向かうタクシーがひきも切らなかったという。9日朝の「吉野さんノーベル化学賞受賞」の発表を受けて、京大関係者が集まったのだろう。

 

そっちは黒系の背広に身を固めた人たち、たぶん。こちらは背広どころかネクタイもゼロ、何の統一感もない服装のただのシルバー12人。エラさの中身もかなり違う。「エラい」発言は運転手さんのお愛想だったのだろう。

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霊園から洛西口まで再びタクシー。阪急電車長岡天神至近の「ひがしや」で皆で一杯。

店員の女性の「ビールは何本くらい?」の声に、すかさず

 

「10本!」

 

Mさんの注文の豪快さを皆で偲ぶ。かつて、ビール注文の単位は10本だった。

 

Mさんが亡くなって半年余り。去る者日々に疎しというが、それぞれの回顧譚を聴いていると、Mさんが「ほら、今そこに」という感覚が確実にある。

 

寂しいなあ、と思う。

 

京都を20時半ころ。名古屋で春日井のWさんが降り、千葉・流山まで帰るAさんを残して、私は新横浜で降りた。22時半過ぎ。

 

それぞれ降りる場所も時間も違う。降りてからみなそれぞれ向かう場所も違う。

 

Mさんがクルマで迎えに出てくれた十日市場駅、雨である。10日に雨かい?

 

 

万引きして、「返せばいいんだろ」って開き直る人はいるけれど、 見つからなければ、返したかい?

神戸市の教員のいじめ、毎日ぼろぼろとコマ切れの情報が出てくる。全体像はまだよく分からない。

 

分からないけれど、尾木直樹はコメントする。全体像など分からなくても、彼のコメントは成立する。まれに炎上するけれど、「それはおかしい」と言われない線をいつも確保している。だから面白くない。

 

教員間のいじめは珍しくない。表に出ることが珍しいのだ。

 

関電、調査をきちんとするのが責任、とたくさん「還流原発マネー」をもらっていた人たちが云っていたが、さすがにもたなくなった。

 

でも、辞めればいいのかと思う。辞めればあとはチャラ?

50万円もするスーツ仕立券を「儀礼の範囲」だなんて通るわけない。返せば済むのかって。

 

万引きして、「返せばいいんだろ」って開き直る人はいるけれど、それと同じ。

 

見つからなければ、返したかい?

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明らかな贈収賄事件。立件すべきだ。

 

 

これから、3月に亡くなった大阪のMさんのお墓参りに、京都まで。帰りは深夜になってしまう…。