『ナースコール』・・・・しかし救いのないような時間が、夜明けが近づくラストシーンで固まった氷塊が少し溶け出すような瞬間に変わる。 作品は社会的構造の解決策を明示するものではなく、事態の構造的な問題の深さを見るものにしっかり伝える技量。その意味で優れた映画、すごい映画だ。

2026年3月の映画寸評(4

            面白かった映画を⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎から⭐︎まで勝手に評価。              

 

     『ナースコール』

2025年製作/92分/G/スイス・ドイツ合作/原題Herdin英題Late Shift/配給:スタ

ーキャットアルバトロス・フィルム/脚本・監督:ペトラ・フォルぺ/出演:レオニー・

ベネシュ ソニア・リーゼン アリレザ・バイラムほか/劇場公開日:2026年3月6日

             kiki 3月6日 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

解説

人手不足の満床病棟で看護師に絶え間なく降りかかる激務と不測のトラブルを描き、スイスで大ヒットを記録した社会派ヒューマンドラマ。スイス出身の脚本家・映画監督ペトラ・フォルペがメガホンをとり、世界共通の差し迫った問題である病院の実態をリアルかつスリリングに映し出す。

州立病院で働く、献身的でプロ意識の高い看護師フロリア。この日は同僚が病欠しており、遅番シフトはいつも以上に忙しい。満床病棟で、看護学生の教育もしなければならない。そんな状況のなかでも、不安や孤独を抱える患者たちに誠実に接するフロリアだったが、とても手に負えない事態に陥っていき、やがて重大な試練に直面する。

「ありふれた教室」「セプテンバー5」のレオニー・ベネシュが主演を務めた。

ドイツ語の原題はHerdin、ヒロインのこと。これより英題のLast shift、遅番の方が気が利いている。邦題の「ナースコール」は可もなく不可もなくといったところか。

深夜の病院が舞台。見る方も主人公フロリアとともに院内を駆け巡るのだが、その忙しなさよりもフロリアの焦燥感が何度も繰り返し迫ってきて息苦しい。

フロリアを演じているのはレオニー・ベネシュ。『セプテンバー5』『ありふれた教室』ともに緊迫した演技を見せ、強い印象が残っている。本作でもベネシュはフロリアになりきり、一看護師としてミスも含めて巣有中した演技を見せてくれた。

映画自体は程よく緩急が入り混じり、見る方に考える余裕を与えてくれる。患者や患者の家族の要求は、時に学校のモンスターペアレンツを思わせもするが、それぞれが抱えている病苦を考えれば当然でもある。問題は看護師とドクター、患者などの当事者にではなく、看護師不足の社会的な構造の方なのだが、そんなことは現場ではなんの解決策にもならない。

同僚とのやりとり、ドクターとのやりとり、看護学生とのやりとり、そして患者とのやりとり、つい出てしまう言葉の切っ先の鋭さはそのままフロリアに返ってくる。出口の見えない見えない闇で立ち尽くすフロリア。

しかし救いのないような時間が、夜明けが近づくラストシーンで固まった氷塊が少し溶け出すような瞬間に変わる。

作品は社会的構造の解決策を明示するものではなく、事態の構造的な問題の深さを見るものにしっかり伝える技量。その意味で優れた映画、すごい映画だ。

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『小屋番 八ヶ岳に生きる』・・・・小屋番の人々のそれぞれの生き方、考え方はわかるのだが、インタビューよりも動きをもっと丁寧に追った方がその人の「語るべきもの」が見えて来るように思えた。

2026年3月の映画寸評(3

            面白かった映画を⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎から⭐︎まで勝手に評価。              

 

     『小屋番 八ヶ岳に生きる』

2026年製作/85分/G/日本/配給:KeyHolder Pictures/撮影・監督:深澤慎也/出

演:菊池哲男/劇場公開日:2026年1月9日

              kiki  3月4日 ⭐️⭐️⭐️ー

山小屋の多い八ヶ岳を山岳写真家の菊池哲男と共にめぐり、自然と命に向きあう人々の知られざる物語を圧倒的な映像美でつづったドキュメンタリー。TBSドキュメンタリー映画祭2025年にて上映された「小屋番 KOYABAN 八ヶ岳に生きる」をもとに、四季折々の自然をとらえた新たな映像やインタビューを加えて再編集を施し、劇場版として公開する。

「コヤガタケ」と呼ばれるほど多くの山小屋が存在する八ヶ岳を、山岳写真家の菊池哲男とともにめぐっていく中で、さまざまな思いを抱えながら「小屋を営むもの=小屋番」の道を選んだ人々にカメラを向け、コンビニも車もないなかで自然と真正面から向きあう過酷な日常を選んだ理由や、登山を楽しむ人々を支え、時には死と遭遇することもある彼らの仕事に迫る。

日本の山小屋の現実、登山者の変化、八ヶ岳という山の独特の魅力、さまざまなことを教えてくれる映画。

圧倒的な映像美・・・ではあるのだが、なんだかあちこちにガクッと外されるようなシーンが。小屋番の人々のそれぞれの生き方、考え方はわかるのだが、インタビューよりも動きをもっと丁寧に追った方がその人の「語るべきもの」が見えて来るように思えた。東野幸治のナレーションも最初は印象的だったが、どこかへ霧散してしまったような気がするのは私だけだろうか。セリフも音もない長回しのシーンがもっとあればと思った。菊池哲男さんを追うならば、もっと徹底的に追ってほしかった。ちょっと期待はずれ。

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『木挽町のあだ討ち』・・・映像全体に色彩が豊かで、どのシーンも画面に奥行きが感じられ、リアル。質の高い時代劇を大きなスクルーンで十分に楽しめた。

2026年3月の映画寸評(2

            面白かった映画を⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎から⭐︎まで勝手に評価。              

 

     『木挽町のあだ討ち』

 

2026年製作/120分/G/日本/配給:東映/原作:永井紗耶子/脚本・監督:源孝志/

出演:柄本佑 長尾謙社 瀬戸康史 滝藤賢一 山口馬木也 正名僕蔵 渡辺謙 沢口靖子ほか/劇場

公開日:2026年2月27日

           グランベリーシネマ 3月4日 ⭐️⭐️⭐️⭐️

 

解説

直木賞と山本周五郎賞をダブル受賞した永井紗耶子による同名小説を、柄本佑と渡辺謙の初共演で映画化したミステリー時代劇。

時は江戸時代。ある雪の降る夜、木挽町の芝居小屋「森田座」のすぐ近くで、美しい若衆・菊之助が父の仇討ちを見事に成し遂げた。その事件は多くの人々に目撃され、美談として語られることになる。1年半後、菊之助の縁者だという侍・総一郎が、仇討ちの顛末を知りたいと森田座を訪れる。菊之助に関わった人々から事件の経緯を聞くなかで徐々に事実が明らかになり、やがて仇討ちの裏に隠された「秘密」が浮かび上がる。

仇討ち事件の真相を追う田舎侍・加瀬総一郎役で柄本佑が主演を務め、森田座で謀略を巡らせる立作者・篠田金治を渡辺謙が重厚に演じる。仇討ちを成した者・伊納菊之助役で長尾謙杜(なにわ男子)、菊之助の父を手にかけ仇討ちされた無法者・作兵衛役で北村一輝、森田座の木戸芸者・一八役で瀬戸康史、森田座の立師・相良与三郎役で滝藤賢一、女形で衣裳方の芳澤ほたる役で高橋和也、小道具方の久蔵役で正名僕蔵が共演。テレビドラマ「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」などの時代劇や映画「大停電の夜に」で知られる源孝志が監督・脚本を手がけた。

 

公開から1週間。高齢者を中心に満席に近い入り。久しぶりの時代劇。楽しめた。

冒頭は舞台で繰り広げられる仮名手本忠臣蔵、高野師直(吉良)が炭小屋で首をとられるシーン。それに続いて菊之助のあだ討ちシーン、首を取るのはやはり炭小屋で。うまい!落ち着いた演出で格調十分。作品の品格を高めている。

ストーリーがしっかりしているのは原作によるところが大きいのだろう。役者陣も充実。渡辺謙はどうしてもバタくさい感じがして、時代劇に馴染まない(と思う。好き嫌いもあるが)。好き嫌いで言うと正名僕蔵がやはりいい。『爆弾』の刑事役も良かったが、細工師役もいい。去年から3本目だがファンになりつつある。『侍トリッパー』の山口馬木也もいい。忘れてならないのは北村一輝。本編の要の役、二面性をしっかり演じていて見ていて引き込まれた。

と書いていて、女性の役者がいないのに気がついた。女性では沢口靖子が短いシーンで出ている。さすがに品格を感じさせる演技。

映像全体に色彩が豊かで、どのシーンも画面に奥行きが感じられ、リアル。質の高い時代劇を大きなスクルーンで十分に楽しめた。

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2月に読み散らかしたもの

・「殺しの時代における都市型狩猟の観察」(木村友祐・すばる2月号)⭐️⭐️⭐️⭐️

・『防戦隊と暁部隊 ヒロシマの秘史を追う』(佐田尾信作)星⭐️⭐️⭐️

・『松本清張の昭和』(酒井信)星⭐️⭐️⭐️

・『トラウマのことがわかる本』(白川美也子)⭐️⭐️⭐️⭐️

・『ミスターチームリーダー』(石田夏穂)星⭐️⭐️⭐️⭐️

・『戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない』(赤根智子)⭐️⭐️⭐️⭐️

・『声影記』(小原奈実)⭐️⭐️⭐️⭐️

・『なぜ人だけ老いるのか』(小林成彦)星⭐️⭐️⭐️

・『我が手の太陽』(石田夏穂)星⭐️⭐️⭐️

・『万事快調 オールグリーンズ』(波木銅)星⭐️⭐️⭐️+

 

郷古廉&阪田知樹デュオリサイタル・・・排気量の大きなスーパーカーが制限速度を守ってゆったりと走っているような余裕と艶が感じられる演奏。

3月2日(月)

ここ数日鼻水とくしゃみに悩まされてきたが、今朝からそこに目の痒みが加わった。

久しぶりに花粉症の辛さを味わう。

午前中、声楽の練習、鼻水とのたたかい。

3月3日(火)

終日、雨。花粉症状、少し収まる。

和光大学ポプリホール鶴川「郷古廉&阪田知樹デュオリサイタル」に2人で出かける。

 

小田急線鶴川駅に降りたのは20年ぶり。駅周辺、記憶全くなし。

ポプリホールは座席数300ほどの小さなホール。ヴァイオリンとピアノのアンサンブルにはちょうど良い広さ。

 

郷古廉(すなお)は、2024年にN響の第一コンサートマスターに就任。「まろさん」と呼ばれた篠崎史紀の後任。1993年生まれだから31歳での就任ということになる。

阪田知樹は2016年にフランツ・リスト国際ピアノコンクールで第一位。キッシンゲン国際ピアノオリンピックでも第一位と聴衆賞を受賞。やはり1993年生まれ。

 

今日の曲名は、4つのヴァイオリンソナタ。

 

ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第5番へ長調「春」

シューベルト:ヴァイオリンソナタ第4番イ長調D574

ストラビンスキー:デュオ・コンチェルタンテ

シューマン:ヴァイオリンソナタ第2番ニ短調

 

2人の若いかっこいい男性が下手から登場すると満席の客席から万雷の拍手。客席はほとんどが女性。クラシックのコンサートは聴衆の年齢が高いものだが、この日は若い女性も。

 

「春」はピアノとヴァイオリンが同時に出る。

最初のAの音を聴いた時にゾクッと鳥肌がたった。

この曲、たいてい明るくい調で軽快に入ってくるのだが・・・何が違うのだろうか。

Mさんも同じ感想。なんともただならぬ音だった。

 

演奏は一貫して排気量の大きなスーパーカーが制限速度を守ってゆったりと走っているような。

表現に余裕と艶が感じられる。

シューベルトの曲は、導入のピアノのリズムとメロディが印象的で、今でもアタマの中で鳴っている。歌曲を思わせる曲。30分近い重厚な作品。前半はこの曲で締め括られたのだが、この2人、全速力を出さずに周囲の景色を楽しみながらの風情。

 

後半の一曲目。ストラビンスキー。ヴァイオリンソナタではなく「協奏的二重奏」と翻訳される曲。かなり難解な曲。視覚的な広がりを感じさせる素敵な曲。ゴルフでいうムービングサタデー、ひねりを加えたプログラム。

最後にシューマン。30分を超える大曲。

3つの楽章がそれぞれ際立って、奥行きと表情の広がりを感じさせる気合の入った演奏。聴いている方が一緒に乗り切れないほどの圧を感じた。

休憩15分を挟み、合計すると120分の演奏。

2人の凄まじい集中力に驚かされたコンサートだった。

 

 

 

 

アメリカがすでに世界の警察官ではないことは周知の事実だが、今では警察官どころか暴力団である。トランプはヤクザの仁義などかけらほども持ち合わせていない。

毎朝、朝刊をひろげるたびに思うことがある。

どうしてこんなことが許されてしまうのだろうか、と。

私などが心配してもどうにもならないが、思うことを記しておくことが無意味とまでは言えないと思うから、少しだけ書いておきたい。

 

『日本統一』という配信の長大なシリーズがある。今の時点で63話、そのほかに外伝などもある。

その多くは小さなきっかけ、仕込みから始まる。

組員の知り合いが、縄張りの外に店を開く。組員がお祝いに駆けつける。縄張りの組が因縁をつける。暴力沙汰になる。それを契機に抗争を持ちかけ、力で縄張りを奪い取る。その繰り返しの中にさまざま人間模様が繰り広げられる・・・。

 

人間模様は別として、これはプーチンやトランプがやっていることと同じ。

いやプーチンやトランプのやっていることはヤクザの抗争よりも酷い。ヤクザは敵の組長らを一網打尽に暗殺などしないし、武力一辺倒で相手を蹂躙したりしない。

 

核兵器保有を理由にイスラエルとアメリがイラン攻撃に踏み切った。そして今トランプは「無条件降伏以外の合意は結ばない」という。

イラン・ペゼシュキアン大統領はこれに対し「夢で幻想だ」と反発。アメリカは攻撃、空爆を続行。イスラエルもレバノンの民兵組織ヒズボラへの攻撃を激化させている。

ガザ攻撃に対し、ヒズボラが反発、攻撃したことへの報復もあるのだろう。

イランは周辺諸国への攻撃に対し謝罪をしているが、攻撃が続いているという情報も。イラン軍部の内部の統制が取れていないのかもしれない。

 

この戦争、もう戦争と言っていいだろう、ベネズエラと違って、ことは簡単には収まらない。すでに泥沼化の様相を呈し始めている。

 

小学校への攻撃など、戦争犯罪と叩かれても知らん顔で、ディールを持ちかけるトランプの厚顔さに共和党の内部でさえ辟易しているようだ。

 

西側諸国でまともにこれに否定的な対応をしているのはスペインのみ。フランス・マクロンは抑止力を強化するというし、カナダ・カーニー首相はトランプをあと押し。あれ?である。

高市は訪米してトランプになんと言うのか。

トランプの隣りで飛び跳ねていたこの国の宰相に、トランプを諌める度量など期待すべくもない。

それにしても、プーチンのウクライナ侵攻の時と比べて、マスコミや市民の反応はどうだろう?

ガソリンが高くなるなど自らの生活基盤が脅かされることは強調されるが、国際社会の中で日本がどういう対応をするかといった議論はほとんどない。

長く続く日本の「平和」が、戦後の国際法によって守られてきたことに、私たちは無自覚だ。それに反する集団的自衛権の容認、行使が要請される事態が遠くないように考えるのは杞憂ではないはずだ。

 

ベネズエラにイラン、次はキューバと圧をかけ続けている。

次々と縄張りを広げるアメリカ。国連など世界の平和を維持する「たが」が一気に弛んだ感がある。これがこのまま続けば戦果は南米や中東に止まらない。

武力攻撃が禁忌でなくなる世界。

アメリカがすでに世界の警察官ではないことは周知の事実だが、今では警察官どころか暴力団である。トランプはヤクザの仁義などかけらほども持ち合わせていない。

今年もミモザが咲いた。

 

 

 

小津安二郎『おはよう』を見る。

2026年3月の映画寸評(1

            面白かった映画を⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎から⭐︎まで勝手に評価。              

 

     『おはよう』

1959年製作/94分/脚本:小津安二郎 野田高梧/監督:小津安二郎/音楽:黛敏郎/出

演:笠智衆 三宅邦子 久我美子 杉村春子 東野英治郎 佐田啓ニ 澤村貞子 殿山泰

司 ほか/劇場公開日:1959年5月12日

           町田市民ホール ⭐️⭐️⭐️

            

 東京の郊外--小住宅の並んでいる一角。組長の原田家は、辰造、きく江の夫婦に中学一年の子・幸造、それにお婆ちゃんのみつ江の四人暮し。原田家の左隣がガス会社に勤務の大久保善之助の家。妻のしげ、中学一年の善一の三人。大久保家の向い林啓太郎の家は妻の民子と、これも中学一年の実、次男の勇、それに民子の妹有田節子の五人暮し。林家の左隣・老サラリーマンの富沢汎は妻とよ子と二人暮し。右隣は界隈で唯一軒テレビをもっている丸山家で、明・みどりの若い夫婦は万事派手好みで近所のヒンシュクを買っている。そして、この小住宅地から少し離れた所に、子供たちが英語を習いに行っている福井平一郎が、その姉で自動車のセールスをしている加代子と住んでいる。林家の民子と加代子は女学校時代の同窓で、自然、平一郎と節子も好意を感じ合っている。このごろ、ここの子どもたちの間では、オデコを指で押すとオナラをするという妙な遊びがはやっているが、大人たちの間も、向う三軒両隣、ざっとこんな調子で、日頃ちいさな紛争はあるが和かにやっている。ところで、ここに奥さん連中が頭を痛める問題が起った。相撲が始まると子供たちが近所のヒンシュクの的・丸山家のテレビにかじりついて勉強をしないのである。民子が子どもの実と勇を叱ると、子供たちは、そんならテレビを買ってくれと云う。啓太郎が、子供の癖に余計なことを言うな、と怒鳴ると子供たちは黙るどころか、「大人だってコンチワ、オハヨウ、イイオテンキデスネ、余計なこと言ってるじゃないか」と反撃に出て正面衝突。ここに子供たちの沈黙戦術が始まった。子供たちは学校で先生に質問されても口を結んで答えないという徹底ぶり。この子供たちのことを邪推して近所の大人たちもまた揉める。オヤツをくれと言えなくて腹を空かした実と勇は原っぱにおヒツを持出して御飯を食べようとしたが巡査に見つかって逃げ出し行方不明となった。間もなく子供たちは駅前でテレビを見ているところを、節子の報せで探しに出た平一郎に見つかった。家へ戻った子供たちは、そこにテレビがおいてあるのを見て躍り上った。停年退職した富沢が電機器具の外交員になった仕事始めに月賦でいいからと持込んだものだった--(映画.comから)

 

隣の町田市で『優秀映画鑑賞推進事業35mmフィルム映画上映会』という催しがあり、小津の映画が見られるというので行ってきた。小津の映画はテレビやビデオでは見たことがあるが、スクリーンでは見たことがない。

会の主催は町田市文化施設指定管理共同事業体。代表団体の中に「国立映画アーカイブ」が入っている。

私は横浜の西北の外れに住んでいて、横浜の中心部で開催される催しを見るにはバスや電車を乗り継いで出かけなかればならない。たいてい1時間以上かかる。

今回の会場は町田市民ホール。行ったことがないので調べてみたら、近くのバス停から鶴間駅東口発のバスが出ている。これに乗れば30分ぐらいで町田バスセンター(町田駅)に着く。そこから歩いて5、6分。気が楽である。

さて1959年の35mmフイルム。画面の明るさ、色調のきれいさに驚いた。音も悪くない。この時期あたりから映画のカラー化が進んだという。

 大人の日常のおしゃべりと子どもたちのオナラの遊びがメタファーとなって構成されている。子どもたちの「反抗」が真っ直ぐすぎて、私にはあまりリアリティが感じられなかった。

それよりも、「もはや戦後ではない」と言われた時期の小さな世界の人々の生きる様子と関わりが穏やかでやさしく描かれていることの方が印象に残った。深みは感じられないが、戦時下とは全く違った人々の悩みが丁寧に語られている。

 例えば東野英治郎が演じる会社員の定年退職。予告の中にもあるが、55歳定年が間尺に合わなくなっている時代への呟きは深刻だ。

それでも電器店?に再就職を果たした東野に対し、笠智衆が付き合いとしてテレビを購入する。テレビの普及率はまだ10%に満たない時代、案外簡単に買ってしまうものだ。少し違和感があった。

 驚いたのは、4人のサラリーマンの妻たちが皆揃って和服姿であること。そういう時代だったのだろう。私を育ててくれた継母もよく和服を着ていた。授業参観はいつも和服だった。

一方、外で働く久我美子は服装も行動も颯爽としている。ここにも変化の兆しが見える。佐田啓ニとの淡い恋慕も、適齢期が24歳前後だった時期と考えると、新しさを感じる。

また、久我は姉の家族と同居、杉村春子は実母と同居している。佐田啓ニは姉の沢村貞子と同居している。舞台となっている東京近郊の集合住宅は、当時の住宅事情としてはかなり良い方と思われるが、それでも現在の「家庭」とはかなり違っている。

もう一つ、日々の生活が少しずつ豊かになっていく時の、例えばここではテレビが一つのテーマになっているが、その「テレビの出現」を小津は捉えようとしている。

テレビのない夕食後の時間、笠智衆の家では、家族は火鉢に手をかざしながら、本を読んだり、編み物をしたりしている。はてテレビのなかった頃、私たちはどんな時間を過ごしていたのか。テレビ離れが進む今、これまた新鮮な驚きを感じるシーンだった。

殿山泰司の絵に描いたような「押し売り」も可笑しい。それを対峙する老婆の三宅栄子の演技、すごい。ただ殿山も東野も中年で、まだ円熟という感じはなく、それなりに下品で「味」まで行っていないのは面白い。

見知った俳優たちの若き日の作品。彼らが初老を迎える時期の作品はいくつも見ているが、この時期のものはあまり見たことがない。新鮮である。

不思議だなと思ったことひとつ。

ローアングルにカメラを固定して、会話する者たちをホン・サンスのように左右対称のように撮る小津独特の手法はやはり新鮮だったが、どういうわけかどの家庭もその内部の配置がわからない。玄関と勝手口はよく映るが、全体の配置、構図が掴めない。

絵画的な構図は随所にあるのだが。

これは、当時のトレンディドラマ。

小津独特の、言葉のない独特の画角からしみじみとした感情を浮かび上がらせるようなそんなシーンはほとんどない。

タイムスリップしたような気分で見終えた。

 

『みんな、おしゃべり!』・・・・聾者と在日クルド人の関わりという互いにとって二重の「ハザード」をちょっとだけそれも軽々と超えて見せてくれた映画。河合監督の次回作が待ち遠しい。

2026年2月の映画寸評(10

            面白かった映画を⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎から⭐︎まで勝手に評価。              

 

    『みんな、おしゃべり!』

2025年製作/143分/G/日本/脚本:河合健 乙黒恭平 竹浪春花/監督:河合健/出

演:長澤樹 毛塚和義 福田鳳希 ユードウルム・フラット ムラト・チチェクほか

劇場公開日:2025年11月29日

               アルテリオ映像館 2月28日 ⭐️⭐️⭐️⭐️

 

日本手話とクルド語を題材に、ろう者の日本人家族とクルド人一家が繰り広げる誇り高き小競り合いの行方を描いたコメディ。

古賀夏海は電器店を営むろう者の父と弟と暮らしているが、ある日、一家は同じ町に暮らすクルド人家族と些細なすれ違いから対立してしまう。両者の通訳として駆り出されたのは聴者である夏海と、クルド人一家の中で唯一日本語を話せるヒワだった。お互いの家族の通訳をするなかで、夏海とヒワの間には次第に信頼関係が生まれるが、両家の対立は深まるばかり。そんなある日、夏海の弟・駿が描いた謎の文字が、町を巻き込む事態へと発展してしまう。

「愛のゆくえ」の長澤樹が主人公・夏海を演じ、東京・西日暮里でラーメン店を営むろう者の毛塚和義が夏海の父役で演技に初挑戦。テレビドラマ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」の那須英彰と「ぼくが生きてる、ふたつの世界」の今井彰人が父の友人役、「笑いのカイブツ」の板橋駿谷が町おこしを計画する団体職員役、「ハケンアニメ!」の小野花梨がろう学校の先生役で共演。「なんのちゃんの第二次世界大戦」などの監督作で知られ、自身もCODA(ろう者の親を持つ聴者の子ども)である河合健がメガホンをとった。

面白かった! これまた見逃していたので、あるてりおさんに感謝。

今まで見たことのないような不思議な魅力に満ちた映画。やや長いかな?

言葉が通じない、気持ちも通じない。カラダを動かすと言葉も気持ちも少し通じる。

そんなあたり前のことが、街の電器店を営む頑固で意固地な聾者の店主と、頑固で誇り高いクルド人がすったもんだを繰り返す中で伝わってくる。その中心に電気店主の聾の少年のアラビア文字とも見紛うような絵ことばを置いた。この発想が素晴らしい。

まどろこしいところはあるものの脚本が秀逸で新鮮。笑いのツボを刺激してくれる。

カメラワークもというかカメラアングルが同じく新鮮。

役者ではなんと言っても電気店主を演じた毛塚和義、初めてとは思えない演技。聾者ゆえの表情の豊かさを超えた達者な演技。

映画に流れるおっとりした空気を長澤樹とヒワ役のユードゥルム・フラットの2人が決めている。ピントのずれた聾学校の教員役の小野花梨と団体役員の板橋駿谷もいい味を出している。

埼玉の川口市や蕨市での在日クルド人に対するヘイトが大きな問題になっているが、わかっていてあえてそこに深入りせずに、聾者と在日クルド人の関わりという互いにとって二重の「ハザード」をちょっとだけそれも軽々と超えて見せてくれた映画。河合監督の次回作が待ち遠しい。

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