バカッター問題に隠れて、今あるパート・アルバイトの労働問題や企業倫理の問題を忘れてはならないと思う。

 2月も半ば。久しぶりに海軍道路方面を歩いた。広大な畑が広がる散歩道には紅梅や白梅が静かに咲いている。

 30年近く住んだ港北区菊名から歩いて30分のところにある大倉山梅林も満開の時期だろう。

 

 東横線大倉山駅を降りて、線路に沿った急坂を7~8分ほど上ると、ヘレニズム様式の堂々たる建築物大倉山記念館(旧大倉精神文化研究所)が見えてくる。前庭はいくつものベンチがゆったりと配されている。菊名に住んでいたころ、ここが気に入って散歩の途中によく一休みしたものだ。横浜の公園としては、珍しくたたずまいが静謐である。

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  記念館からなだらかな坂を下ったところに梅園が広がっている。

  かなりの広さ(調べてみたら3000坪を超えるのだとか)に名前も聞いたことのないさまざまな種類の梅が植わっている。ちょうど今頃に梅まつりが開かれているはずだ。     琴の演奏が行われ、屋台が並び、さながら冬のお祭り。子どもたちと弁当を持って行ったことがあった。一度か二度ぐらいのことだけれど。

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 今、梅をわざわざ見に行こうとは思わない。ぶらぶらしているときに、ああここに梅の木があったんだ、ぐらいがいい。


 3年ほど前、秋に水戸の偕楽園を訪れたことがある。ここには梅の木がすき間なくぎっしり植わっている。春の時期には多く訪れる観梅の客同士、すれ違うのも大変だろうなと思いながら、閑散とした梅林を歩いたことを憶えている。花が咲いていなくても、梅林は静かな方がいい。

 

 今日の散歩で見かけた梅も、奥まったところに訪れる人もなく20本ほどの紅梅と白梅が人知れず咲いていて、よかった。

 

 


 くら寿司セブンイレブンなどでアルバイトのスタッフが不適切な動画をSNSに流した問題で、スタッフに対して賠償責任を求める動きが報道されている。
「民事、刑事で法的措置の準備に入った」との報道。親も含めて「高額な賠償金」が求められそうだという。


 動画を撮影し流した人たちをバカッター(バカとツイッターを合わせた?)、やったことをバイトテロというらしいが、そんな名前をつけなくても、昔からお調子者はどこにでもいる。やったこともそうだが、それを動画に撮って流すというのがわからない。目立ちたがりというかあさはかというか。

 

 会社がカリカリくるのはよくわかる。風評ではなく、明らかに衛生的には大問題であり、株価下落など実際の営業にとどまらない被害?につながっていることも事実だろう。


 でも、どうなのだろうか。単純に考えて、こんなことが簡単にできてしまうような会社のシステムの方が問題なんじゃない?とも思えるのだが。

 

 ついこの間までアルバイトの深夜のワンオペの問題から、恵方巻やクリスマスケーキの強制買い取り、大学の試験すら休ませるシフトの強制、一部の学校の部活動のような暴力的な上下関係など、ファストフード関連のアルバイトの問題が続出していた。

 労働組合に入って裁判までやった学生たちもいた。 

 私の授業でも、その時期に不当なアルバイト体験を訊いたことがあるが、賃金に比べて過剰な負担、あるいは賃金以上の労働、賃金の対象外の労働を強制されている学生が多いという印象をもったことを憶えている。

 

 アルバイトに店を任せなければ休みの取れない末端管理職たる店長の労働問題はどうか。店長自体が見せかけで不安定な雇用関係にあることも問題。
 いかに安く効率よく営業するかばかりに目がいって、一人ひとりのアルバイトスタッフや末端管理職の店長以下を抑圧、人権を無視してきたことに問題はないのか。

 何より節操なくアルバイトの力を目いっぱい絞り切って利益を出そうとする企業倫理の低さはどうなのか?


 不適切動画が流れたとたん、アルバイトにも相応の責任を取ってもらうとばかりに高額賠償金を持ち出して居丈高に脅しをかける、そういうやりかたはおかしい。


 アルバイトの契約と正規社員の契約は違う。時給で働くアルバイトと社会保険や福利厚生、雇用契約までも含めて一定に身分保障されている社員では、会社に対する忠誠度、貢献度、業務の熟練度など違って当たり前。

 なのに、わずかな時給の差をつけて複雑で膨大な業務を押しつけ、ゆとりのないぎりぎりのシフトで現場を動かそうとしてきた会社の問題が大きいのではないか。

 

 ただ、問題は簡単ではない。これは過失ではない。ノリだろうとなんだろうと、意図的にやったことだ。結果を考えないただの浅慮でも、会社の営業を妨害したことには間違いない。詳しいことはわからないが、巷間言われているのは威力業務妨害ということだ。

 しかし彼らに威力で営業を妨害しようとした意図はない。彼らは面白がっただけなのだから。はたして威力業務妨害罪が成立するのだろうか。営業妨害ならば結果論として成立するように思えるが、門外漢には判断がつかない。


 威力業務妨害罪は量刑としては懲役3年以下か50万円以下の罰金だという。

 さて実際はどうなるだろうか。バカッター諸君は未成年の可能性も高いから少年法が適用されるし、親の監督責任と云ってもどこまで問えるものか。

 

 くら寿司はこの件で株価が130円下がって大変な損害を被ったという。その分も損害賠償を求めるなどと言っているが、いくらなんでも無理があるだろう。

 突然外部から入り込んだ見知らぬ人たちがバカッターをやったわけではなく、内部のスタッフの仕業である。アルバイトに対する監督責任が会社にはあるのだし、採用責任というものある。面接までして受け入れたアルバイトである。

 

 バカッター諸君の味方をするつもりはないが、会社が我が身を振り返ってやるべき対策がたくさんあるのではないか。再発防止の効果を狙って高額請求云々している暇があったら、お金と時間をかけてアルバイトスタッフの労働条件改善を図るべきだ。何でもかんでもアルバイトや現場任せにしてきたことを見直し、客商売の原点に立ち返るべき。そうしてスタッフを丁寧に育てる努力をすべきだ。
 

 バカッター問題に隠れて、今あるパート・アルバイトの労働問題や企業倫理の問題を忘れはならない。

 

 かといって、バカッター諸君が免責されることはない。お調子者などと切ってしまって済む問題ではないほどに、多くが理解不能で異様な行為でもある。彼らは「面白い」「受ける」と思ってやっているのだろうが、私にはちっとも「面白くない」し「受けない」。

 

 ネット上から画像が削除されてもやったことは消えない。成年だろうが未成年だろうが、彼らが彼らなりに負わなければならない責任があるはずだ。願わくば、表に出てきて、自分の言葉で自分の責任についてしっかり語ってほしいものだ。

 

 

 

「もっきり」

 天気予報は一昨日から雪の話題ばかり。


 関東南部の平地でも数㌢の積雪というので、朝から待っていたのだが(ヒマである)その兆候は全くなく、ただただ曇天。そのうち津田沼に住む長女からLINEで積雪の動画が伝えられる。夕方には雪だるまをつくる子どもたちの様子も。

 

 清瀬の友人Mさんのところはどうだろうと暇に飽かせてメールを送ると、マンションのベランダから撮った写真が送られてくる。

 戸建ての家々の屋根に雪が積もっている。清瀬津田沼も横浜より緯度が高い、ということか。しかし海浜幕張近くに住むHさんのところは「ほとんど降っていない」。

雪雲の動きのせいか?

 

 夕方、雪らしきものがちらつくが、すぐに雨に。夕食前に閉めたカーテンを就寝前に少し開けて庭を見ると、ようやく?雪の薄化粧。このぐらいだと風情がある。

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 今朝の散歩、快晴。気温0℃。無風。

 境川河畔の散歩道の植え込みの上に雪が融けずに残っている。

 

 

 キセキレイとオオサギを見かける。キセキレイは尾の下の方が黄色い。オオサギはくちばしが黄色い。オオサギはその長いくちばしで私たちが見ている1分ほどの間に2匹の小魚を捕まえ呑み込んだ。

f:id:keisuke42001:20190210101953j:plainオオサギ

 

 昨日、つれあいがミカンを輪切りにしてテラスの手すりと庭の樫の木の枝に挟んだ。

 風邪で受診したかかりつけのP医院の庭に、同じようにミカンが置いてあって、つがいのメジロがきていたからだ。

 

 p医院は、以前に書いたかもしれないが、エントランスは、庭に面した全面の窓の一部がスライドして入るようになっている。

 入るとそこが受付で、待合室なのだが、この待合室から池のある庭が丸ごと見える。

 並びに診察室があるから,I医師に血圧を測ってもらいながら、何気なく窓の外を見ると、ここでもメジロが見えるのだ。


 それで「うちでもやってみよう」ということになった。

 

 1時間ほどのち、訪問鳥があった。おおぶりのヒヨドリである。やっぱり、である。

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ヒヨドリ

 というのもこの間、漬物にする白菜を同じ手すりに干していたのだが、けっこうな量を食べて大量の糞をしていった輩がいた。ヒヨドリである。同じヒヨドリかどうかはわからないが。

 

 今日のヒヨドリは、周囲を警戒することなく、只管ミカンをついばみ続ける。時間にして10分以上もとどまっている。鳥としてはかなり図々しい方だ。個体差ではなく、ヒヨドリ自体が警戒心が薄いのか。

 結局ミカンをあらかた食べつくしてしまった。みると、樫の木の方のミカンは地べたに落ちている。
 

 夕方まで待ったが、メジロはおろかムクドリさえ来ない。食欲旺盛で集まるとうるさくて仕方がないヒヨドリの独壇場。
 

 鳥は庭を選ぶが、人間は鳥を選べない。メジロシジュウカラのような小ぶりの鳥たちを見たいが、いつのことになるか。

f:id:keisuke42001:20190210102044j:plainメジロ

 

 つづいて酒の話である。
 

 8日。久しぶりのAさんTさんSさんとの4人の会。前回は、Sさんが急に来られなくなり、3人でフランス料理を食べた。
 

 今回の会場は長津田の寿司居酒屋S。
 

 コートを脱いでマフラーといっしょにたたんで腰を下ろしたその正面に「もっきり 栄川 390円」とある。

 笑みが浮かんでくるのが、自分でもわかる。


 店長のYさんと酒の話をしたのは3週間ほど前。

 

「もっきり」という文化が東北にはある。客へのもてなしは一般にお茶だが、酒の文化の濃い東北地方では、たいていは男の客に対して、もっきりといってコップ(枡)一杯の酒をこぼさんばかりに、つまり盛り切りにして出すという風習がある。「お茶より酒でしょう」である。ものの本によると北海道から東北にかけての文化だという。

 

 出てくるお酒は大吟醸とか純米とかいうものではなく、醸造用アルコールと水あめが入ったいわゆる本醸造、地酒。冷やしもせずお燗もせず、常温で供されるのが常だ。
 クルマがまだ普及しない時代、互いに何かと用事をつくって、あるいは用事がなくても「顔を出す」ことが隣近所親戚縁者同士の潤滑油だったころの話だ。

 

 だから、私がそんなふうにもてなされたことはない。そんな時代に思いをはせながらひとり勝手に「もっきり」と声に出して云って、自分で注いで呑んでいるだけなのだ。

 

 店長Yさんは酒を呑まない。前回の訪問日に、出身地が近いということもあって、酒呑みのセンスについて酔いに任せて蘊蓄を傾けた。よくいる困った客である。そのときに「もっきり」の話をしたようなのだ。

 

「おもいきりやりましたね、Yさん。値段も安い!量も多い」
大ぶりの筆でおおきく書かれたもっきりの文字。200cc入りのコップは桝に入り、注ぎこぼされる。栄川は可もなし不可もなしの会津の地酒である。


「次の日から始めました。評判いいですよ。けっこう出ます」

 

Yさんの中で何かピンとくるものがあったようだ。
日々、酔客の顔を眺めていると、何が好まれ好まれないか自ずと分かってくるところもあるのだろう。思い付きがヒットするときもあれば空振りのときもあるに違いない。「もっきり」はさしずめ二塁打ぐらいにはなったのではないだろうか。

 

「すみません、もっきりください」

初めて声に出して「もっきり」を注文した。

松本紘佳・佐藤卓史リサイタル ショスターコヴィチヴァイオリン協奏曲1番 二人の超絶技巧とたぐいまれな構成力


風邪が小康状態?だった日曜の3日、西国分寺の「三百年の古民家の温もり りとるぷれいミュージック・ハウスコンサートNO.204」につれあいと出かけた。

 

 閉所が苦手なため、なんとしても最前列の端っこの座席を確保すべく、開場20分前に到着。

 先客が20人も並んでいる。

 庭には梅も咲いていて、2月には珍しい温かい日。

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会場エントランス

 

 高齢者が多いことを察してくださった、やはり高齢者の主催者の方が、開場時間より10分ほど早く小さなくぐり戸をあけてくださった。ありがたい。

 このくぐり戸、腰をかがめて入るのだが、いつも頭をぶつける。というのも、高い敷居を跨いだ時につい伸びあがってしまうのだ。

 ゴツッと音がしてかなり痛かったが、大人だから我慢する。

 帰りもぶつけた。痛くないふりをしてみた。

 

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 コンサートの標題は

「~表現の挑戦1900年代~ 松本紘佳ヴァイオリン・リサイタル~佐藤卓史氏をお迎えして」。

 

 文化庁新進芸術家海外派遣研修員をはじめいくつもの奨学生となって、ウイーン市音楽芸術大学修士課程までを首席で終え、現在慶応義塾大学の総合政策部に在学している松本が、みたび意欲的なプログラムを組んだ。

f:id:keisuke42001:20190209164640j:plain松本紘佳(1995-)

 

 昨秋9月には、同じ佐藤卓史とともに、ベートーヴェン8番、プロコフィエフドビュッシー、そしてフランクの30分の長大なソナタ、月末には、梯剛之を迎えてベートーヴェン2番、ドビュッシー、やはり30分近い大曲R.シュトラウスソナタと、聴く方にとっては気合を入れざるを得ない選曲のコンサートを立て続けに行ったが、今回はなんとショスターコヴィチのヴァイオリン協奏曲1番(1947-1948)である。

 

 序盤のエネスク(ルーマニア)の「幼き頃の印象Op.28」(1940)やW.ルトスラフスキー(ポーランド)の「スピト」(1992)、二つとも技巧的でかなり難解な印象だが、松本は最初から飛ばす。相変わらず軽快に弾きこなして、聴衆を引っ張り込んでいく。

 

 序盤最後のプーランクソナタFP119(1942-1949)は、スペイン内戦の中でフランコ政権によって銃殺されたガルシア・ロルカへ捧げられた20分の曲だが、戦争の世紀に権力によって抹殺されていった詩人へのオマージュと処刑に至るまでのロルカの生涯への哀惜を込めた大曲。

f:id:keisuke42001:20190209164208j:plainプーランク(1899-1963)のパリの家

 

 耳と気持ちが着いていくのが精いっぱいだったが、最前列で若い二人のしのぎ合うような演奏に最後まで引っ張られていった。

 

 佐藤卓史は、テレビ東京の「音楽交差点」のレギュラーのピアニストだが、テレビの中の、一歩引いた立ち位置とは違って、重厚さと繊細さが同居した大胆な演奏。もちろん松本のヴァイオリンには、けれん味がなく、どこまでまっすぐ突き進む力強さを感じた。

 

そして後半、ショスターコヴィチである。演奏時間40分とプログラムにはある。実際には測っていないからわからないが、全体にゆったりした印象がある。

私がもっている五島みどりのCD(1995-1997録音・ベルリンフィルクラウディオ・アバド)は36分、もうひとつヴィクトリア・ムローヴァのもの(1988年録音、ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団アンドレ・プレヴィン)は、34分ほど。

ふたりの演奏では、オケ部分を佐藤のピアノ一台が代替するわけで、素人考えでは全体にテンポは速くなってもいいものだが。コンチェルトのスケール感を意識しての演奏と云える。

 初演は1955年10月29日、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルハーモニー交響楽団、ヴァイオリン独奏ダヴィッド・オイストラフ。懐かしい名前が並ぶ。

f:id:keisuke42001:20190209164033j:plainドミトリー・ショスターコヴィチ(1906-1975)

 作曲されたのが1947―1948なのに、初演が7年後になったのは、戦後のソヴィエトの芸術をめぐる論争があったからのようだ。いわゆるジダーノフ批判である。

 形式的で教条的な社会主義リアリズムの前には、音楽家の自由な想像力など無意味とされてしまう傾向、と私なりにこれを理解しているが、ショスターコヴィチ自身は対決するより沈黙することで自分の位置を守ったのではないか。

 ショスターコヴィチの中では、社会体制よりも新しい時代の12音音楽とロシアの民族主義的な音楽を融合させたもの、そんなものが目指されていたのかなという程度の理解しか私にはない。

 体制的であれ、反体制的であれ、体制が変われば立っている位置も変わる。生き延びること、音楽をつくり続けることをショスターコヴィチは選んだのだろう。 

 

 第1楽章。「ノクターン」と題されているが、そういうロマンチックな雰囲気ではない。導入は、オケの場合、弦の地を這うような低音から入るのだが、どこか不吉な様相を呈する。佐藤のピアノは最前列で聴いていると、その波動がそのまま伝わってくる。

 

 ヴァイオリンが入ると、ノクターンとは懸け離れた無調の響きが、哲学的な内省を誘う。これが若者二人がつくりだす世界か?まるで人生の不可解さをなぞっていくような。

 

 第2楽章は一転明るい色調に。「スケルッツォ」。ここはオーケストラで聴くと面白いところだ。二人の超絶技巧が絡み合う。すごい迫力だ。

 

 第3楽章「パッサカリア」、第4楽章「ブルレスケ」、もう追いつけない。最後は圧倒的な大音量で終わる。

 

 風邪から復調して、昨日、今日と五島みどりムローヴァの演奏をそれぞれ2回ほど聴いた。部分的には全く違う曲のような印象がないわけではない。もともとコンチェルトをソナタのように演奏することの大変さがあるわけで、これは仕方がない。

 

 しかしその分を割り引いても佐藤卓史のピアノ、これはやはりすごい。編曲版というのがだれが書いたのかはわからないが、あれほどのオーケストレーションをピアノ1台にまとめるのは至難の業、さらにそれを演奏するのは、大変な技巧と構成力、そして集中力を要求されるだろうに、見事に弾ききった。

f:id:keisuke42001:20190209164701j:plain佐藤卓史(1983-)

 

 松本は、「この曲大好きで、いつかオーケストラと協演できる日を楽しみにしてるんです」と語っていたが、ネタおろし?とは思えないほどの完全暗譜の集中力と音色の深み、攻めるところはどんどん攻めていて、かと言って引くところが薄っぺらにならない。長いこと彼女の演奏を聴いてきているが、小さくまとまらない、というより大きなスケール感が大きな魅力、今回もその魅力がいかんなく発揮されたのではないかと思う。

 

 寡聞にして他の演奏家の演奏は聴いたことがないが、五島みどりムローヴァという高い山が松本の前にそびえていることは間違いない。

 今まで聴いた松本のコンチェルトは、チャイコフスキーメンデルスゾーンベートーヴェン、ヴィバルディ、シベリウス、まだいくつかあったかもしれないが、いずれも小さなからだでオケとがっぷり組んだ演奏だった。そんな松本が、いつかオーケストラをバックに、このショスターコヴィチの大曲を演奏する日が来ることを心から願っている。

 

 ステージを降りれば松本は一人の卒業生ではあるのだが、コンサートのたびに新しい音楽の世界を見せてくれる彼女は、私たちの老いを音楽で押しとどめてくれている、今でも大事な友人である。

 

アンコール曲:①タイスの瞑想曲

       ②クライスラーの中国の太鼓

       ③モンティのチャールダッシュ

 

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我が家の山菜

友人のAさんからいただいたコシアブラ、ようやく葉が出て来ました。

天ぷらが楽しみ。

『ピラミッド』(へニング・マンケル)、風邪をひいて寝床で読む。

   体調不良である。
 1月27日、夕食後微熱を感じ、葛根湯を呑んで早めに就寝。いつになく手際のよい対応。
 1月28日、すっきり起きる。微熱もどこかに。夕方、30数年来の友人、横須賀のTさんとの年に二度ほどの会談(呑み会)、都合でキャンセルに。午後に予定していた卒業生D・Aさんから、風邪を引いたようだというLINE,こちらもキャンセルに。

 この日も葛根湯を呑んで休む。キャンセル2つ+葛根湯、風邪には良い兆候。


 1月29日、すっきり起きる。春の旅行の予約のためつれあいとイトーヨーカ堂内のJTBへ。石垣島

 20年以上使い込んだ中華鍋に穴が開いたので、新調する。家族も減ったので30㌢の小さいものに。いろいろ優れたものがあるけれど、鉄製のものに。

 中華鍋に穴があくということに驚いた。

 

 ユニクロヒートテック業務スーパーでらいのえさ用鶏肉。

 

 次の日朝、起きてみると絶不調に。こんなふうに来るのか、風邪は。邪だからな。

 咳、のどの痛み、だるさ、微熱、。4日間、日々一進一退しているうちにかかりつけの医院を受診するタイミングを逸する。

   1日、ブログを更新する。大阪なおみのことを書く。

 

 受診は一昨日2月5日、絶不調となってから5日後のことだ。

 

 今朝、4日ぶりに散歩。湿度100%。なのに霜が降りている。川面からはもやが湯気のように立ち上っている。あまり見たことのない光景。昨日の久方ぶりの雨と今朝の冷え込みのせい。

 

 結局、終日寝ついていたのは3日ほど。

 

 その間、寝床で『ピラミッド』(へニング・マンケル・2018年・創元推理文庫を読む。

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 634ページの文庫本。クルト・ヴァランダー刑事、久しぶり。

 今までにも何冊か読んできた。

『ピラミッド』は、中編5編で編まれていて、ヴァランダーのまだ若い巡査時代、刑事になりたての時代、そして今まで通りベテラン刑事時代と20年ほどの時間を描いている。

 

 もともとこのシリーズ、舞台がスウェーデンでありながら、ヴァランダーが活躍するのは、首都ストックホルムではなく、スコーネ地方、それも大都市マルメでなく、中世の街並みが残る小さな港町イースタ(地図を見るとユースタードとあるが、作中ではイースタとなっているので、こちらが正しい発音か)である。スウェーデンの最南部に位置する。

 デンマークコペンハーゲンへはマルメを経て高速船、ポーランドバルト海を隔てて対岸、と云っても自由労組「連帯」が蜂起したグダニスクまでは400㌔ほど。

 イースタはいつも船が行き来する街。

 そうしたことより今では、ヴァランダー刑事が活躍する街で知られているという。   ヴァランダーは町おこしの立役者となったらしい。

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 登場人物は、シリーズに出てくる妻のモナ、娘のリンダ、父親、姉のクリスティーナ、そして同僚のリードベリ、マーティソン、ニ―ベリ、ハンソン、スヴェードベリ、検察官のオーケソン、イースタ署の受付の女性エッバ、今回、それに加えてヴァランダーを刑事に引き立ててくれるヘムベリという個性的な刑事も登場。最終編では彼が病気で亡くなったことが記されているから、今までのシリーズには出てきていない。

 

 このシリーズに惹かれる理由のひとつは、今羅列してみた登場人物の名前だ。英語やドイツ語、フランス語、ロシア語、ポーランド語とも全く違う、独特の語感。ヴァランダーという名前はあまり面白くないのだが。

 

 それと同様に地名もいい。トレレボリとかトンメリラ、ヘルシングボリ、ハルムスタ。シムリスハムヌに至っては噛みそうで嬉しくなる。ほとんど聴いたことがないうえに、意表を突いてくるところがいい。

 

 ヴァランダーはいつも危険な目に遭いながら、スカッとはしないけれど、なんとか事件の解決まで見せてくれるのだが、面白いのは、季節と事件の背景、そしてヴァランダーを取り囲む家庭の事情だ。

 

 気候は、とにかく陰鬱この上ない。かなり寒いし、いつも冷たい風が吹いているような気がする。

 

 スウェーデン中の人が4月になるといつ春が来るのかと気を揉む。春はけっして決まったときにはやってこない。冬は必ず早くやってきて、春は必ず遅くやってくるのだ。(「写真家の死」304頁)

 

 腹が減った。今日に限って車で来なかったのを後悔した。雨が降り始めているのが窓を通してわかる。みぞれになっていた。町の中央部までこの天気の中を歩くのは気が進まなかった。机の引き出しにピザ屋のメニューが入っている。注文すれば配達してくれる店だ。メニューをみたがどれがいいかわからない。しまいに目を閉じて指で指して、その品目を電話で注文した。そのあと再び窓の前に立って、通りの向かい側にみえる街のウォータータワーを眺めた。(「ピラミッド」413頁)


 暗くてカッコ悪い。

 主にヴァランダーシリーズは80年代から90年代を舞台としているが、私たちが見知ってきたスウェーデンは先進的な福祉国家であり、犯罪発生率も低く、子どもや老人が幸せに暮らしているといった、漠然としたイメージがあるのだが、ヴァランダーの眼を通して見るスウェーデンの社会は、かなり違う。

 

 ヴァランダーは机の上の書類を片付けていった。スクールップでの虐待事件のあとは、イースタ市内のビルグリムガータンで起きた押し込み強盗事件だった。真昼間に民家の窓ガラスを叩き割り、貴重品をごっそり持ち去った事件である。スヴェードベリの報告書を読みながら、ヴァランダーは首を振った。近隣の人間がだれ一人としてそれに気づかなかったとあるが、本当だろうか?
 スウェーデンでも市民の間に恐怖が広がり始めているのだろうか?もっとも簡単な通報を、あるいは目撃したことを警察に話すのを、避けたがる。もしそれが事実なら、事態はおれが思っているよりもずっと悪いかもしれない。(「ピラミッド」436頁)

 

と、小さな一地方都市の刑事であるヴァランダーが考えるスウェーデンの社会。気候と相まって希望の感じられない陰鬱さが漂う。

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 ヴァランダーの家族。これもこのシリーズに深みを与えている。
 まず父親。一人暮らしの父親との不仲。父親はライチョウが入った絵を描き続けている。父親は若いヴァランダーが警官になったことが面白くない。ヴァランダーもまた警察官、刑事であることに満足できず、かといって他の道があるわけでもなく、鬱屈している。


 今回は、その父親がカイロに一人で旅行をし、ピラミッドによじ登るという蛮行に及ぶ。ヴァランダーが仕事の合間を縫って飛行機で駆け付け、罰金を払って事なきを得る。駆けつけると言ってもスウェーデンとエジプトだ。

 父親は特別感謝するでもなく、留置場から出ると、そのまま旅行を続ける。

 認知症とまでは云えない頑固で偏屈な父親の変化が、本作ではよく描かれている。老人問題が一筋縄ではいかないことがよくわかる。


 すこし話がそれるが、本作には、ヴァランダーがカイロに向かう父親を送ってマルメに行っていたことを署長になじられるシーンがある。

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 ほとんどが超過勤務の毎日、代替要員のいない中での勤務であるのに署長のビュルクは普段けっこう暇している。ヴァランダーはキレる。


 ヴァランダーは、これ以上続けると正式な叱責になるがという署長を睨みつけ、何も言わずに部屋を出る。しかしすぐに踵を返して署長室に戻り、所長の顔を睨みつけながら言う。

「あんたの文句などクソくらえだ。そんなところでどうしようもない文句を言うくらいなら、正式の叱責とやらをもらおうじゃないか。あんたの御託など聞きたくもない」(「ピラミッド」465頁)

 

 これだけ言ってもヴァランダーはクビにはならない。それほど人手がすくないし、ヴァランダーに去られてはイースタ署はにっちもさっちもいかなくなるからだ。指図しかしない官僚と現場の問題には、国の違いなど関係ない普遍的なものがある。

 

 さて、若いヴァランダーは、モナに惚れている。なんとか結婚したいと考えている。デートにも工夫する。

 

 しかし、中編2作目、3作目になると結婚はしたもののすれ違いが続き、リンダが産まれてからもうまくいかず、結局は別居状態に。このあたりのスウェーデンの男女関係の機微がよく描かれている。日本の男女の機微とはかなり違うが。


 新しい男とつきあうモナを娘のリンダは嫌悪し、ヴァランダーに告げ口する。ヴァランダーはそれを聴いて留飲を下げる自分に嫌悪する。

 そうしながらも、ヴァランダーは愛情を感じない家族持ちの看護師のエンマとたびたび肌を重ねるし、仕事で訪れた旅行会社のスタッフ、アネッテ・ベングトソンに岡惚れしてしまう。アネッテは20代である。敏腕刑事と性根の坐らない中年男の同居。困った男である。

 

 長くなった。こうした周辺の描写があってこそのヴァランダーシリーズだ。ヴァランダーは緻密にすべてが統合された優秀な人物とは全く違う。そんな人物が、独特の嗅覚で事件の真相に挑んでいく。捜査官たちは皆それぞれに二面性があるのだが、どこかに紐帯があって結びついている。そのなんというか微妙なつながり具合もいい。

 5編の内容には触れない。ヴァランダーシリーズを読んできた方ならかなり愉しめる。もちろんそうでない方も。

f:id:keisuke42001:20190207182008j:plainヘニング・マンケル

 



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第9回 原発事故から8年目、お互いの立場を越えて支えあう

●2月10日(日)14:00~16:30
東京電力福島第一原発事故の後、幼児二人を抱え身重で武蔵野市に避難し、現在は避難者や支援者が交流できる場「むさしのスマイル」を運営する岡田めぐみさん。実家のある神奈川県に一度は母子避難しながら夏休みまでの3か月間福島に戻った苦い体験から、地元のボランティアグループ「母ちゃんず」で、福島県の親子の自然体験キャンプを実施する鹿目久美さん。郡山市から母子避難し「避難の協同センター」の共同代表として避難者救済の具体的な施策の実現を求めてロビー活動に奔走する松本徳子さん。それぞれのご経験を踏まえ、お三人に、当事者が孤立しないためにどのような支援が必要か、情報の届け方、場づくりを含め、様々な角度から問題提起をしていただき、地域でできることについて話し合いたいと思います。


参加費:700円

定員:25名

ゲスト:岡田めぐみさん(福島県から武蔵野市に避難。「むさしのスマイル」代表・    「避難の協同センター」世話人
  鹿目久美さん(福島県から神奈川県に避難、保養グループ「母ちゃんず」メン  バー)
  松本徳子さん(福島県から神奈川県に避難、「避難の協同センター」共同代表)

 

営業時間   11時~18時 *定休日月曜・火曜(日曜・祝日はオープン) 地図
所在地 〒225-0011 横浜市青葉区あざみ野1-21-11
TEL 045-482-6717
FAX 045-482-6712
E-mail info@spacenana.com
アクセス 東急田園都市線横浜市営地下鉄「あざみ野」駅・西口より
徒歩6分

大坂なおみモデル、日産GT-R1260万円、シチズンエコドライブ86400円、ともに売り切れ。人は何を買うのか?

 日産が発売したスポーツカーGT-R大坂なおみ選手 日産ブランドアンバサダー就任記念モデル」が当初予定の50台を完売したという。2月中旬までキャンセル待ちを受け付けている。

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 価格は1260万円。安くはないが、もっと高いクルマはたくさんある。売り出し台数50台はずいぶん控えめだ。ゴーン問題で腰が引けているのか。


 続いて、かどうかわからないが、シチズンが『シチズン エコ・ドライブBluetoothユニセックスモデル』を1月14日から1000台を販売、それ以前に発売されているものとは区別され「大坂選手の躍動感あふれるダイナミックなプレイ・イメージからインスパイアされた、ビビットなオレンジ色でカラーリング」したのだとか。色が黒ではなくオレンジというのが大きな違い。

 こちらは価格は8万円(税別)。高い、とは言えない。腕時計をつける人が減っているからか?

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 大坂なおみは、日産やシチズンと「アンバサダー」契約を結んでいる。アンバサダーは大使とか代理人といった意味だが、一日親善大使、とか一日署長のようなものに近いか。タスキを巻いて笑顔を振りまくそれとは、契約の中身と金額が全く違うような気がするが。
 

 

 かと云って、スポーツカーと大坂なおみ、時計と大坂なおみはどうつながるのか?クルマの機能や時計の機能と大坂のテニスは直接つながらない。まあイメージはつながるのだろうけれど。
 

 全豪で大坂はクルマで登場しなかった。当たり前だ。出場を取り消される。

 でも時計は着けていた、ゲームの最中も。

 

 写真を見ればわかるが、シチズンのこのモデルに間違いない。白のリストバンドと並んでオレンジの色鮮やかなベルトが巻かれている。


 でも、よくわからない。テニスをするのに時計がいるのか?

 

 振り返らなくても試合の経過時間は相手選手の後ろに表示されているし、試合をしている以上、時刻を気にするのも変だ。予定があるからお先に、というものではないだろう。

 この時計、電話やメールの着信がBluetooth機能でわかるというから、電話かメールを待っていたのか?それもないだろう、普通。
 

 ということは、シチズンからの依頼か。それとも大坂が自分の判断で着けたのか。いずれにしても、それを見越したシチズンの意を体したカメラマンは、鮮やかな色彩ごと切り取って私たちに見せてくれた。
 広報担当としては小さくガッツポーズ。

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 スキーなどでは、試技終了後の評価待ちのときや表彰式の時に必ずスキー板の裏側の企業名を載せる。

 これを使って飛びましたとか滑りました、とってもいい道具ですということなのだが、かなりあざとい。

 大坂の場合、クルマには乗ってこないし、テニスに時計を使う必然性が全くない。

 

 あえて云えば、GT-Rにしてもエコドライブにしても、精細な技術に裏打ちされたパワフルな高機能、洗練されたデザイン性が、世界トップに躍り出た現在の大坂なおみとイメージが重なるのだろうということだ。
 

 だから、商品は売り切れる。買った人は「いいだろう、なおみモデルだぜ」と口に出すかどうかは別として満足している。
 

 かにかくに全米、全豪と4つのグランドスラムのうち2つを続けて取ってしまった大坂なおみの「商品価値」は、私たちには想像もつかないものがあるようだ。
 

 クルマをもたない若者が増えているという。長女のダンナはゴルフに行くとき、カーシェアを使う。腕時計をしない人も増えている。それでも、クルマや時計のCMは減っていないという。

   売られているのは機能ではないということだ。

 

 今、パソコンの隣に腕時計が二本ある。一つはカシオ、初めて高度計測ができるようになったもの。10年以上前のものだ。珍しいのがうれしくて周りに自慢したものだ。が、価格はなおみモデルに比べて4割も安い。もう一本は7年ほど前の正月の麻雀大会で優勝した時の商品。これは廉価品そのものだが、これもいまだほとんど狂わず動いている。

 でも、最近はどちらも使うことがない。

 

 クルマは?

 免許、もっていないんだけど。

『バルバラ セーヌの黒いバラ』、バルバラを楽しもうと思っていくと・・・。2度見て面白さが感じられればいいけれど?

U バルバラ セーヌの黒いバラ』(2017年・仏・98分・監督マチュー・アマルリック・主演ジャンヌ・バリバールをジャック&ベティでみた。


 「セーヌの黒いバラ」というサブタイトルは日本の配給会社がつくったもの。原題“Barbara”。ヨーロッパ的なそっけないタイトルのつけ方。

f:id:keisuke42001:20190131160157j:plain                   このポスター「違うんじゃないの」と思う。バルバラはこんな退廃的なイメージとは程遠い。


 私がもっている30年以上前のバルバラのレコード、00年代になって買ったCD,ともにジャケットの印象はモノクロ、黒が勝っている印象。

 だから「セーヌの黒いバラ」という惹句は、“バルバラ”という音と色彩の黒がうまく融合していて、すとんと落ちてくる。

 

 黒いバラの花ことばは、「憎しみ」「恨み」「あなたはあくまで私のもの」「決して滅びることのない愛」「永遠」。

 意味が広すぎる。

 痒いところまで手が届く邦題、でもバルバラの歌に、合いそうで合わない。

 バルバラの歌は、憎しみとか恨みという強い感情より、悲しみや諦めのような静かな大人の女性の情感がただよっている。

 言葉に呑まれて、日本だけのバルバラのイメージをつくってしまうのはよくない。

 

 

 なんの下調べもせずに出かけた。無意識に、バルバラの歌と古い映像をたっぷり見せてくれるのだろう、敬愛する年配の女性に会いに行くような気持ちでみにいったのだ。

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ジャンヌ・バリバール

 

 期待したものとは違った。映画の構造が複雑で、なつかしさは半分ぐらい、楽しむところまでいかなかった。
 

 バルバラを主人公とした劇中劇、バルバラを演じるバリバールが、映画の中で撮られているバリバラをも演じている。そのうえ監督のマチュー・アマルリックはこの劇中劇の映画の監督を務める。さらに劇中に登場してくる。

 ややこしい。バルバラを演じるブリジットは、劇中でバルバラにのめり込む。バルバラの歌も動作もすべて自分の中に取り込もうとするあまり、知らず知らずに精神もバルバラに支配されていく。監督であるイヴ・サンド(マチュー・アマルリック)はそんなブリジットにのめり込んでいく。

 劇中の映画の監督をしながら、監督が劇中の登場人物になってしまう。このあたりからよくわからなくなっていく。現実と妄想が交叉し、どこからが映画なのか劇中劇なのか。

 この監督の作品でみたのは、『007慰めの報酬』と「潜水服は蝶の夢をみる』。後者は印象が強い。単純なつくり手でないことは間違いない。


 わからなさをさらに助長したのは、私の居眠り。わからないから寝てしまったのか、寝たからわからないのか。気がつけば、バルバラとバリバールの区別さえおぼつかなくなっていた。それほど、バリバールの演技はすごかったということでもあるのだが。

  

 優れたシンガーソングライターだったバルバラの代表曲「ナントの雨」のフィルムが見られなかった(たぶん)のが残念。バルバラときいたとたん、耳の奥から聞こえてくるのは「ナントの雨」の冒頭のメロディだ。

f:id:keisuke42001:20190131160314j:plainバルバラ

 

 思えば80年代はじめ、のめり込むようにしてバルバラを聴いた時期があった。

 黒のドレスに身を包んで、杳として素性のしれない逆境の女性歌手、70年代の藤圭子がそうだったように、プロデュースする方と聴く方が勝手につくったイメージではあるのだが、二人に共通するのは、そうしたイメージが深い奥行きをもったものとして感じさせてしまう歌唱の圧倒的な力だ。


 バルバラが亡くなって20年、いまだにフランスで彼女の人気は衰えていないという。

 

 歌手としての華やかさは彼女からは感じられず、映画の中にも出てくる、地方の村をトレーラーに乗ってコンサートを開いてまわるといったエピソード、また母親の面倒を見ながら曲作りにいそしむ部屋の空気、そんなものに惹きつけられるものがあるのは間違いない。

 

 私にとっては、D・フィッシャー・ディスカウや、ペーター・シュライヤー、ナタリー・シュトットマン同様、いつまでも聴き続けたい歌手のひとりだ。

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 バルバラは1930年生まれ。父親がユダヤアルザス人で、第二次世界大戦中は、ナチスによる迫害を逃れてフランス国内を転々としたという。

 

 もう一度、みるか?

 

1・25中教審答申は、現行法とかけ離れた実態を容認し、法を無視して膨大な時間外勤務を押しつけることにした、いわば横紙破りの認めがたいものである。 

 

 「教員の働き方」についてである。

 

 

 

 

 1月26日、新聞各紙が中教審答申を報じた。朝日、読売、日経、東京の4紙を読んだが、読売だけが見出しに「部活動指導は勤務」と打った。他紙は、そのあたりをあいまいに捉え、総合的施策として、残業時間の限定や変形労働時間制などが盛り込まれたと報じている。

 教員給与特別措置法(1972年)においては、教員には「時間外勤務は命じない」ことが前提とされており、そのため時間外手当は一切支給せず、計測不可能な自発的な勤務に対し、時間の内外を包括的に評価し給与の4%を上乗せして支給するとしたのである。

 また、例外措置として限定4項目(給特法は、①学校行事②職員会議③生徒の実習④非常災害)のみ、超過勤務を命じることができるとして、これに対しては健康と福祉にかんがみ、「適切な配慮」をとることを明示している。

 しかし法制定後の、とりわけ90年代以降の30年間の実態は、部活動を含めて「限定4項目」以外の時間外勤務が増え続け、膨大なサービス残業を教員に強いてきたのである。

 

 だから今回中教審が部活動その他を「勤務時間」と位置付けたことは、そのまま普通に考えれば法が実態に合わなくなってきたから、法改正の方向に向かうための解釈変更とならなければならないはずなのだが、実際は現行法とかけ離れた実態に対し、法を無視して膨大な時間外勤務を容認、押しつけることにした、いわば横紙破りに等しいものなのである。

 それは、給特法そのものがすでに現実性をもたない画餅となったことを表しているのだが、それにしても法改正について先送りとし、実態容認の恣意的な解釈を答申に盛る姿勢は、認めがたい。

 

 読売は見出しは打っても、こうした内実については全く触れていない。他紙も同様だが、給特法問題を除いて教員の働き方問題は論じられないというのは、当たり前の理屈であって、これに触れないマスコミの感度の低さは度し難いと思う。

 

この点を押さえたうえで、今回の答申の問題性について指摘しておきたい。

 

 

 

 1月25日、中教審が教員の働き方改革の方策を発表した。6割近くの教員が時間外勤務月80時間以上の過労死ラインに達している現状(中学校)を受け、これを是正するための総合的な取り組みをまとめたものだ。
 

 しかし、変形労働時間制の導入や部活動時間の抑制、タイムカードの導入、専門スタッフや事務職員の活用など抜本な方策とは言えないものばかりだ。
 

 変形労働時間の導入は繁忙格差の多い業種には幾分かの効能があるが、残業が常態化している学校にはなじまない。部活動時間の単なる抑制は、生徒や保護者、地域との調整が容易ではなく、根強い勝利至上主義による水面下の規制逃れが予想される。専門スタッフの導入に至っては、連携を維持するためのシステムが新たにつくられる必要があるし、事務職員の協力は新たな労働問題を生じかねない。
 

 何よりこれらの方策には、お金をかけて抜本的な解決をめざそうとする意欲が感じられない。
 

 その最たるものが自発的な勤務とされてきた部活動指導時間も含めて「勤務時間」とみなし、「残業時間上限を原則月45時間年360時間」を明示したことだ。
 

 

 厚労省が医師の残業時間を年2000時間までとする案をまとめたことが報じられているが、いかに生命にかかわる仕事とはいえ2000時間が論外であることは議論を待たない。これに比べれば教員の年間360時間はいかにも少ないように思われるが、教員の場合、業務内容の抜本的な見直しをせずに月100時間年間1000時間を容易に超える時間外勤務の実態を変えることは不可能に近い。部活動だけが時間外勤務の原因と思われがちだが、本務そのものが90年代以降膨張を続けていることを忘れてはならない。英語学習、道徳の教科化等学習指導要領の改訂ごとにその内容が増え続えている。
 

 さらに時間外勤務の上限規制が、教員の場合、時間外手当支給の抑制につながらないことも安易な規制を産み出している。その大きな要因が1972年に定められた給与体系(教職員給与特別措置法=給特法)にある。

 

 教員の場合、給与月額の4%(教職調整額)があらかじめ支払われるが、時間外手当は一切支払われない。阪神、東日本などの大震災の災害救助、避難所開設の運営に長時間携わった教員には、他の一般公務員には支給された時間外手当が1円も支払われていない。
 

 教員の業務には自発的創造的な部分が多いため、時間外勤務の時間の計測がなじまないとして定められた給特法は、学校現場から労働時間の観念を奪い、管理職は労働時間把握に意を砕くことなく、教員も教育行政や保護者の求めに応じて際限のない勤務を受容してきた。長期休業以外では休憩時間すら取得できないのが現状であり、自主研修制度は今では名ばかりとなり、官製研修ばかりが突出している。つまるところ違法なみなし残業の常態化であり、民間のブラック企業並みの裁量労働制の悪用というのが教員の働き方の実態なのである。
 

 今回の答申で、給特法の抜本的見直しが「見送り」とされたが、教員の働き改革の一丁目一番地は給特法の撤廃と労基法の原則適用であることは自明だ。時間外手当が支払われない時間外勤務の上限を決めることの矛盾を委員は認識すべきだし、一方、教員はこれほど見下された「改革」をあてがわれることに黙しているべきではない。逆境に甘んじ声をあげなければ、父母や地域、何より児童生徒からも共感は得られまい。教員こそ最も重要な教育環境であることにもっとプライドを持つべきだ。
 

 ちなみに給与の4%は時間外勤務8時間分程度にしか相当しない。