映画『いつくしみふかき』・・・いくつものシーンが、意味ありげでありながら何も伝わってこない。だからシーンそのものが陳腐になる。 ありがちな自主製作映画のレベルだと思う。

早朝の天気予報では、朝の湿度が東京で99%と。

7時ごろ、境川河畔に向かう。遊歩道に出た瞬間、川面をわたる風が少し冷たく気持ちがいいのだが、すぐにまとわりつくような湿気が襲ってくる。

 

きのうNさんに「カワセミ、どうすればみられる?」と訊かれた(この経緯はあとで)。「いつも見られるとは限りませんので」と少しもったいぶって答えたのだが、

今日はなんと飛ぶすがた、とまっているすがた、都合四回目撃。

 

さらにもう一回は、カメラのおじさんが望遠で撮った写真を見せてくれたのだ。

羽ばたいて飛びだとうとする瞬間。いつもは遠くに小さく見えるだけだが、こうしてアップでみると全身の色鮮やかさがきわだつ(見てもらえないのが残念)。

 

これも・・・といいながらカワウが魚を捕まえた瞬間も見せてくれる。

 

大きさ8㎝はあるだろうか、ヤマベを咥えている姿がみごとに捉えられている。

ヤマベは関東ではオイカワと呼ばれる川魚、私の田舎では「ハヤ」と呼んでいた(このほか地域によってハエ、ハイ、ハス、シラハエ、シラバエ、チンマ、 ジンケンなどの呼び方があるそうだ)。

 

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ネットから拝借しました

カワウの口元で銀鱗がきらきら輝いている。

写真好きの人にはたまらない瞬間なのだろう。

長い間散歩しているけれど、カワウの食事?風景を見たのは初めて。

こちらも楽しませてもらった。

 

40年ほども前に、大枚はたいて一眼レフカメラの一式を買ったことがある。望遠レンズと広角レンズも。はじめは面白がって撮っていたが、続かなかった。子どもを撮るつもりだったのに長続きせず、凝ることはなかった。

いつの間にかほこりをかぶっていた。

カメラというとずきんとくる。

その後ビデオカメラは4台取り換えた。相性としてはビデオカメラの方がよかった。

しかし、それも娘たちの披露宴で打ち止めになった。最近はスマホで撮るだけ。

 

先週は散歩仲間?である同じマンションの方が、ツーショットを撮ってくださった。

次にお会いしたときに、その一枚をいただいた。

ふたりで写真を撮る趣味もないし、散歩の写真なんてもちろん一枚もない。ほほーこんな格好で歩いているのか、と。

いい記念になった。

 

この方はいつもご近所のご夫婦と三人で歩いていて、途中、いろいろな方と交流

されている。特に犬を連れた方が多い。そして犬の写真を撮ってくださる。

うちのRye(ライ、これが正式の表記だという。ちょっと恥ずかしいが)も撮ってもらったことがある。

 

とまれ、人、犬、魚、鳥・・・いずれも散歩の楽しみではある。

 

 

昨日16日、”ジャック&ベテイ”まで出かけた。

Mさんが瀬谷の図書館に行くというので、クルマで瀬谷駅まで乗せてもらう。そして相鉄線から京急線で黄金町まで。

 

ふだんは瀬谷駅にはほとんど出ない。たいてい南町田グランベリーパーク駅(長い)から田園都市線長津田から横浜線かあざみ野から地下鉄で行く。

 

だから相鉄線横浜駅のホームでNさんにお会いしたのは、確率で言えば大変な低さ。

Nさんは、私が76年に仕事に就いた時、副担任でついた先輩。

 

マスクはしていてもヴァイオリンを背負っているのですぐに分かる。

コロナもあってこのところ直接お会いしていないので、横浜までの道中、おしゃべりに興じる。

 

さて、映画。今日の目的はダルデンヌ兄弟の『その手に触れるまで』。しかし、わざわざ伊勢佐木町まで出かけて1本だけというのも芸がない。

 

出かける前にいろいろ物色して、いったんは封切りの『ソニア ナチスの女スパイ』(最近は”ジャック&ベテイ”も封切りが時々ある。夕刊の映画の広告のらんに「上映館」として堂々と名前が載っていると、少しうれしくなる)に決めかけたのだが、いつも参考にしているブログを見たら気持ちが萎えた。宣伝は上手だが中身はいまいちとのこと。なんでも「ナチス」を出せばいいというものではない。

 

そこで選んだのが、『いつくしみふかき』という映画。

映画ドットコムが3.7。

レビューも5.0が幾人も。

タイトル、いいじゃないか。

結果・・・失敗。

これほど一つの映画を見るのに違う見方があるのか、それともレビューそのものがグルメサイトのように「やらせ」が多いのか。

とにかく「見なくてもよい映画」だった。

 

『いつくしみふかき』(2018年/107分/日本/監督:大山晃一郎/企画:遠山雄/出演:渡辺いっけい・遠山雄 ほか/公開6月19日)

 

タイトルと挿入歌はいい、渡辺いっけいという役者もいつもながら癖があっていい。

しかし、何より大事な企画と脚本があまりにひどい。

ホラーのようであり、コメディーのようであり、いったい何の映画だい?と訊きたくなる。

 

 

一貫したものが流れておらず、シーンシーンでコンセプトがばらばら。

「悪魔」と呼ばれる(これも練られていない)渡辺いっけい演じる父親の像も全く確立していないし、遠山雄演じる悪魔の息子として村を追い出される息子の像もよくわからない。

だいたい、息子に村人のほとんどが「出ていけ」と思っているというのも変。

叔父が近所に盗みを働いて、それを息子のせいにする・・・「血が汚れている」…古すぎる。田舎の人、怒ると思う。

 

教会の牧師がその息子を受け入れるのはわかるとしても、半グレの親父悪魔もいっしょに受け入れ、生活させるというのも全くわからない。

 

教会で詐欺をはたらいて、結局父親は仲間に殺される。しかし、いつか一緒に不動産業を営もうと家賃だけ何年も払い続けてきたことが死後明かされるが、二人の変化が全く伝わってこないからあまりに唐突。

 

 

最後のシーン。柩がいつの間にか浴槽に。いっしょにお湯につかる二人。

思い入れがあるのはわかるけれど、それを多くの人が見てわかるように伝えるのが表現というもの。

 

いくつものシーンが、意味ありげでありながら何も伝わってこない。だからシーンそのものが陳腐になる。

 

ありがちな自主製作映画のレベルだと思う。

 

上映後、監督とプロデューサー兼役者が舞台あいさつを行った。お金がなかったこと、3週間で撮ったこと、地元で協力してくださった方が末期がんでクランクアップ後に亡くなったこと、地元の方が800人も協力してくださったこと、ロケ弁をみんなでつくってくださったこと、女優さんも亡くなったこと・・・。素晴らしい?エピソードだけれど、どれほど苦労話をされても、映画が面白くなければしょうがない。

 

宣伝用のうちわもいただいた。そこには10ほどの映画祭でさまざまな賞を受賞したとある。

そのわりにネット上でもまともな論評が載っていない。

 

今年観たなかでは、繰り返しになるが『子どもたちをよろしく』のレベルの映画である。