暁闇のひとり刃傷沙汰

週の初めにはエアコンを使っていたが、この週末は使っていない。

朝の気温が今朝も25℃ぐらい。つけたまま寝る扇風機も、毎晩のように深夜に止める。境川河畔のセミは相変わらず元気に鳴いているが、虫の音がそれに重なる。季節が少しずつ移っていくようだ。さまざまな色の百日紅の花も、そろそろ色落ちしてきたように感じる。サルスベリ

この時期になると、5、6月の日の長い時期が恋しくなる。

早起きだから、部屋から朝日が昇るのが感じられるのがいい。

今は真っ暗だ。深夜2時を過ぎると、遠くにバイクが行き来する音が聞こえる。新聞配達の人たちだけが街を行き交う時間。

音を立てないようにマンションの廊下を歩いて各戸に新聞を配る気配が伝わって来る。

 

小さな傷はよくあるが、久しぶりにグサッとやってしまった。

31日の暁闇、蓮根の端っこを切ろうとしていた。右手に持った包丁が蓮根の硬さに耐えきれず方向を失い、左手の中指を突き刺さった。

けっこうな出血。心疾患のための血液サラサラの薬を飲んでいるせいもあるのかもしれないが、なかなかとまらない。傷は横にだが、そこそこ深い。

夜明け前の”一人刃傷沙汰”に起こされてしまったMさん、「これは縫ってもらったほうがいいかもしれないね」と判断、救急で診てもらえる近くの病院に電話をしてくれた。「今日は外科のドクターもいないし、血が止まっているなら診療時間に来てください」とのこと。

 

今日の予定は、本厚木で映画を観た後、平塚に住む同級生のSさんとの昼呑み。

断りのメールを入れる。

 

 

受付はまず8時までに玄関前に並ぶのだそうだ。

クルマで5分ほどの病院。7時45分到着。

玄関前には7〜8人の人たちが並んでいる。

けんけんで歩いている女子高生を連れた母親らしき人、初めてのことで心配げに、「ここで並んでいていいんですよね」と話しかけてくる。さっきまで、学校に遅刻する旨の電話をしているのが聞こえた。部活で怪我をしたようだ。雰囲気はバスケットボール部

「私も最近来ていないので・・・」

娘は県立高校名が入ったトレーナー。背中にはアルファベットで名前が入っている。

こういうのが気になる。個人情報が露出している。

 

8時になると職員の女性2人が出てきて検温と消毒、番号のついたファイルを順に配る。

7番!早いぞ、これはと思ったのだが、この当ては後々外れることになる。

 

待合室の椅子に坐って、番号が呼ばれるのを待つ。

8時30分、職員が増えて窓口が開く。ファイルの番号を呼ばれ保険証を出して、初診の人は問診票に必要事項を記入、それで診察科目が決まり、移動。

 

病院ごとにさまざまな手順、システムがある。診察科目が決まっても次の待合のスペースは科目ごとにはなっていない。小規模の病院のせいか診察の受付は一箇所に。ここにファイルを出しても、10いくつも並んでいる診察室の前には外科とか整形外科の表示がないので、どこから呼ばれるのかはわからない。

診察開始は9時。

いろいろな科目がある中、総合?順位7番だから、いくらなんでも外科の3番くらいには入っているだろうと踏むも、声はかからない。

エアコンがかなり効いていて寒い。半袖の人が多いが、寒そうにしている人はあまりいない。

呼ばれない。寒い。トイレ。

9時30分、小柄な女性の看護師「傷を見せてください」。

ようやく来たかと勇躍覆っていたガーゼをはいで傷を見せると、思いもかけない反応。

「これは縫うかもしれないね。診察の合間に処置することになるから、ちょっと時間がかかるかも」と言って、ガーゼを渡される。テープも「はい」と。自分でやれ、か。コロナのせいだろう。レジで何もしないセブンの店員さんのようだ。

 

なんのための順番か。ハラが立つが、看護師は次の人の問診に入っている。

 

診察室に呼ばれたのは10時40分、外に並んでから3時間近く。

アナウンスが聞こえにくく、何番の診察室かわからない。

外科なら外科と大きく書いておけよ、と声を出さずに毒づく。

 

ドクターは若い男性。となりに件の看護師。

傷を丹念に消毒する。「どうしようかなあ」と声に出して考えている。縫うか縫わないか、境界線の傷のようだ。

「サラサラの薬飲んでるんですよね」と確認したあと、「縫うと治りも遅くなるからキズパワーパッドがいいかもしれない」。

カットバンの高性能のものらしい。瘡蓋を作らずに傷を治すらしい。初耳。

「それって、ここで処方してもらえるのですか」

「いえ、薬局で買ってください」。

治療の方法を指示しながら、薬剤は自分で買え、か。

なんだかなあと思っていると、ドクターは、薄い透き通ったセロファンのような

ものを何重にも傷の上に巻き付ける。空気が入らないようにしているようだ。

 

「はい、ではこれで」。5分はかかっていない、3分か。

「これ、あげます。さっきのあまり」と看護師が袋に入ったガーゼをくれる。

 

ガーゼよりも”傷パワーパッド”というのが欲しいんだけど。

 

最初の受付に戻り会計を待つ。

朝あった高校生の親子も、私のあとにきた。

彼女だって順番は8番。どうも腑に落ちない。

 

会計は1040円。初診料、消毒、セロファン、ガーゼ+待ち時間、3割負担だから合計医療費は3000円を超える。そんなにかかるものなのだろうか。

寒い中待たされ、簡単に放り出されたせいか、毒を吐きたくなる。

傷パワーパッド、Amazonで売っている。10枚760円。使用方法、注意事項が詳細。

これは医薬品だと思う。途中用足しに出かけていたMさんを少し待ったが、帰宅したのはお昼前。

件の女子高校生は車椅子に乗り、タクシーで帰っていった。

お互いとんだ半日仕事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井上荒野のエッセイ『夢の中の魚屋の地図』

井上荒野の文庫本『夢の中の魚屋の地図』を読み終わった。

彼女が28歳から52歳の24年間に発表したエッセイをまとめたもの。全73編。

発表順ではない。

中身はもちろんだが、たぶん、この73編の並べ方がいいのだろう。

その時の情景、言葉の選び方、つなげ方・・・心地いいと感じるのは、自分もその場にいるような臨場感のせい。楽しかった。

 

5月ごろに新刊の『生皮 あるセクシャルハラスメントの風景』を買って読んだ。

それなりに面白かったが、期待したほどではなかった。

次に、父井上光晴瀬戸内寂聴の不倫をえがいた『あちらにいる鬼』を読んだ。

これはこれは絶妙に面白かった。映画は11月に公開になる。

 

井上光晴は若い頃に読んだ。忘れられない作家だ。

娘荒野は気になってはいたが、今まで一度も読んだことがなかった。

 

続いて『そこへ行くな』『その話は今日はやめておきましょう』『赤へ』『切羽へ』。そして一区切りに『夢のなかの・・・』。

 

書いた時期やテーマによって、作者名を隠されたらたぶんわからないだろうなと思う。その程度の読み手なのだが、どれも面白かった。久しぶりに夜中に起き出して読んだりもした。

あえて小説1冊挙げるとすれば、『切羽へ』だろうか。

 

るるる*みどり館でなつかしい歌を唄う。

28日(日)散歩から帰ってほどなく、Mさんに誘われながら決心がつかなかった某所にクルマで向かう。

 

途中、友人のMK さん夫妻のマンションの駐車場へ。某所は駐車スペースが少ないらしく、ここでMKさんのクルマに乗り換え、夫のMKさんの運転で4人で某所へ向かう。

 

某所とは、十日市場にある福祉クラブ生協Dayみどり。ワーカーズコレクティブによる協同組合。事業内容は認知症対応型通所介護施設。いわゆるデイサービスの事業所。手作り夕食の配達の事業も。こちらは”W.Coなご味”。

この会館の通称が”るるる*みどり館”。「るるる*みどり館」の画像検索結果

これが正しい理解なのかどうかわからないが、ここで月に1回行われているのが、通所者以外にも門戸を開放している”るるるサロン”。これにMさんは、毎月MKさん、そしてもうお一人友人のSさんとともに参加している。

 

いったい何をするのか?

みんなで歌を唄うのだ。認知症予防ということなのかどうかはわからないが。

日曜日はデイサービスの営業日はお休み。そこで月に一度るるるサロンが開かれている。

 

受付で参加費100円を払い、検温、消毒をして、希望の座席を選ぶ。会場は学校の教室の三分の二ほどの広さ。椅子と椅子の間のスペースを確保して定員は10数人というところ。予約制。

前の方に、キーボード、ドラム、リードギターサイドギター、オカリナの5人の方が音を出している。

前面にスクリーンが張られ、プロジェクターから絵が映し出されている。ここに歌詞が

出るのだそうだ。ナマの演奏でみんなで歌う。歌本をもたないお酒を呑まない歌声喫茶のようなもの(新宿の「ともしび」にコロナの前だったか、高校の同級生3人で行ったことがある。よく歌いよく飲んでしまった(笑))。

 

会場は徐々に埋まり満席に。高齢の方、車いすで来られた方、老若男女から「若」をとった人たち。一番後ろの座席にMさんと並んで坐る。

10時開会。

リードギターの男性が司会をする。軽妙なおしゃべりで参加者を笑わせてくれる。周囲には職員の人たちが立って一緒に歌ったり、小道具を配ったりお世話をしてくれる。

かたちの上では「利用者さま」、いやかたちでなくとも。

 

今日のプログラムが配られている。

① ふるさと から ⑯思い出の渚 まで全16曲。これ全部歌うのか?けっこうハード。

プログラムにはそれぞれ曲のあとに番号がついている。今まで7年以上歌ってきた順番だそうだ。①の「ふるさと」の番号は「1」。つまりこの会で最初に歌われたのが「ふるさと」。一番新しいのは「406」。今回が初めての「ラジオ体操の歌」♫あ~たらしい~朝が来た~希望の朝だ~♪というあれ。

ふるさとを気持ちよく歌い、②の「花火」という歌、童謡、唱歌。知らなかった。いきなり知らない歌というのも、何だなあと適当に口を動かす。作詞の井上赳という人は知らないが、作曲の下総皖一は確か私の小学校の校歌をつくった人。学校はもうないが。

 

歌が終わると画面に花火の動画が映し出される。凝っている。しかし、なぜか音が出ない。すぐに画面に「工事中」の文字。これも凝っている。数分後、ドーンドーンという花火の音が再生される。

 

 

こうして歌い続けて約1時間10分ほど。歌った歌は、

   山のロザリア

   浜辺の歌

   われは海の子

   ラジオ体操の歌

   お座敷小唄

   精霊流し

   栄冠は君に輝く

   タッチ

   夏の日の想い出

   少年時代

   青春時代

   学生時代

   想い出の渚

 

司会の方が、曲の合間に曲にまつわるエピソードを話してくださる。これが当を得ていてすばらしい。

『夏の日の想い出』と『夏の思い出』を区別するのは、「日の」が入っているかいないか。入っているほうは日野てる子がうたったほう・・・なるほど。

 

生バンドの伴奏で歌が歌えるなんて機会はまずないし、とにかく曲は知っていてもちゃんと歌ったことのない曲を、思い出すように歌えるというのがいい。その歌がはやったときのことに思いを馳せる。老境そのものだが、なかなか心地の良いもの。

地声が大きすぎるので、周りの方に嫌な思いをさせるのではないか?というのがいままでMさんの誘いに応えなかった理由だが、マスクがちょうどよい弱音器になってさほど迷惑ではなかったようだ(たぶん・・・)。

 

近くの蕎麦屋福寿庵で早い昼食。ここは入ったことのない老舗。

蕎麦屋なのに?そばの量が多いのがいい。

 

 


次の日、月曜日の散歩、境川河畔の小さな公園に小さな池がある。

Mさん「ちょっと待って」と池のはたへ。何かみつけたらしい。

 

Mさん、「これ、なんていうんだっけ?」

即座に瞬時に私のアタマに浮かん言葉が、「ホテイアオイ」。

いきなり口を突いて出てきた。たぶん何十年も口しなかった言葉。

正しいかどうかもわからない。とにかく「ホテイアオイ」。

植物の名前などほとんど知らないのに。

調べたら間違いなかった。

こういうこともある。たぶん小学校の時に覚えたのだと思う。

ヒトのアタマの中というのはどうなっているのだろう。

 

もしかしたら、なつかしい歌をたくさんうたったせいだろうか。

 

認知症予防?ははは。

 

 

 

 

 

ヒヨドリがカラスに反撃。映画備忘録6本。

きのうは、日傘をもって映画に出かけたのだが、今朝は一転小雨。ビニール傘をもって散歩に出かけた。日曜日だが、人出は少ない。

気温は25℃。少し風がある。途中、雨が激しくなってきた。

カワセミを何羽か目撃。

水中から顔をのぞかせている岩にとまっている。「ほら、隣にも」のMさんの声。

つがいのこともあれば、オス同士のこともあるとのこと。2羽とも青い背中を見せている。

 

バサバサという音に驚いて顔をあげると、ヒヨドリがカラスを激しく追い回している。

体長20㎝ほどのヒヨドリが50㎝以上もあろうかと思えるカラスにとびかかっている。

 

ヒヨドリの巣

この季節、ヒヨドリは子育ての時期らしい。

母鳥がいないところを見計らってカラスが巣を襲うらしい。カラスにとってヒヨドリは、狙いやすいのだそうだ。カラスはひよどりの卵やヒナを狙う。ちょうどカラスももう少し早い時期に産卵をしているのだそうで、えさの調達に飛び回っている時期になる。

自然界の理、さがとはいえ、ヒヨドリの母鳥も卵の強奪やヒナの拉致を座視できないのだろう。空き巣(まさに!)を狙ったカラスに気づき、追い払おうと反撃に出たというわけだ。

追われるカラスは口に何もくわえていなかった。襲撃は未遂に終わったようだ。

 

ふだんは鳴き声がうるさく、からだも大きく何でも食べるヒヨドリは、カワウ同様あまり可愛くはないのだが、こうした防衛行動を目撃すると、ただのおしゃべり鳥ではないのだなと思う、当たり前だが。

そういえば、先日、聴きなれない鳴き声を耳にしたのはヒヨドリの産卵だったのかもしれない。

 

映画備忘録を書かなくなって久しい。6本たまってしまった。簡単に書いておこう。

7月26日

『神は見返りを求める』(2022年/日本/105分/脚本・監督:吉田恵輔/出演:岸井ゆきの ムロツヨシ 若葉竜也/公開:2022年6月24日)

寸評SNSやyoutuberなど新しいコンテンツが組み込まれても所詮人間がやることは変わらない。逆に新しいコンテンツを通せば通すほどせこさが際立つというか。岸井ゆきの、良い。

『百年と希望』(2022年/日本/107分/監督:西原孝至/公開2022年6月18日)

寸評:日本共産党の歴史?誰もまちがったこと言っていないのに面白くないのはなぜ?

先日、『されどわれが日々』を再読。6全協までもう一度戻って考えるべきでは。

8月24日

『ドンバス』(2018年/ドイツ・ウクライナ・フランス・オランダ・ルーマニアポーランド合作/121分/脚本・監督:セルゲイ・ロズニツィア/日本公開:2022年5月21日)

寸評:劇映画とは思えない迫力。混沌をそのまま表現するというのは至難の業だと思いうが、これは成功しているのではないか。

アトランティス(2019年/ウクライナ/108分/監督:バレンチヌ・バシャノビチ/日本公開2022年6月25日)

寸評:2025年のウクライナが舞台。劇映画なのに退屈だった。

8月27日

モガディシュ脱出までの14日間』(2021年/韓国/原題:Escape from Mogadishu/脚本・監督:リュ・スンワン/出演:キム・ユンソク チョ・インソン チョン・マンシク/日本公開:2022年7月1日)

寸評:スケールの大きさ、カーチェイス、銃撃シーンなどつくりのち密さは日本では決してつくれない映画。ソマリア内戦の奇妙な明るさと虚無が伝わってくる。特に子どもたちの表情が良い。北朝鮮と韓国大使館の反目と協力…今でもこんな映画をつくってしまう国とそれを排除しない国韓国。・・・ただ14日間の長さが実感できないのが残念キムユンソクはもちろんよかったがチョインソン素晴らしい。

『わたしは最悪』(2021年/ノルウエー・フランス・スエーデン・デンマーク/128分/監督:ヨアキム・トリアー/出演 レナーテ・レインスベ アンデルシュ・ダニエルセン・リー/日本公開2022年7月1日)

寸評:やや期待外れ。こんなふうにノルウエーの30代の女性が生きている、その一つの典型?今一つピントが合っていないような。

戦没者追悼式の尾辻参議院議長の挨拶、埼玉教員超過勤務訴訟高裁判決。

尾辻秀久参院議長「追悼の辞」全文

 

昭和15年10月2日鹿児島県鹿児島市に生まれ、3歳の時父親をソロモン諸島海域で亡くした戦没者遺児、鹿児島市玉龍高校を経て同34年防衛大学校入学、3年在学中母親にも逝かれ、1人残された妹の為故郷へ帰る、同39年東京大学入学、同41年国産車にて世界一周の旅に出る、アルバイトをしながら5ケ年を要し70ケ国を巡る(現在100余ケ国)、同46年2月帰国後、旅行家兼ルポライターとなり東京大学を中退○昭和54年4月鹿児島県議に当選、以後連続2期当選、同60年5月(財)鹿児島県遺族会長、同62年11月(財)日本遺族会常務理事○平成元年7月参議院議員比例代表選挙当選、総務、沖縄開発政務次官、党副幹事長、政調副会長、国対副委員長、国民福祉委員長、財務副大臣、党厚労部会長、厚労大臣、(財)日本遺族会副会長、参議院自民党議員会長、参議院副議長○現在一般財団法人日本遺族会名誉顧問○著書「ボッケモン世界を行く」「アフリカ旅日記」「旅また人生」。

                  (参議院HPから)

短いあいさつだが、何度も読んだ。グッと来た。政権党に属し、大臣を務め、議会の名誉ある職に就きながら、この人は大きな話をしない。短いけれど、自分の生きてきた場所から言葉を紡いでいる。この世代の人のある典型のような文章。戦争体験~そう言っていいと思う)を背負って生きてきたのだろうと思う。こういう人が自民党にもいる。どの派閥にも属していない。保守でありながら、自分の足で立ってものを考えている。

比べるわけではないが、女性記者へのセクハラ問題を抱える細田衆議院議長の挨拶は、長いけれど「人」が見えない。

 

きのう、埼玉教員超過勤務裁判の高裁判決。

20数年ぶりに東京高裁へ。前回は横浜超勤訴訟の審理、たしか3回ほどだった。

法廷は101号法廷。14時開廷。

高裁では一番大きい。報道を除いて90の傍聴席。

13時30分ごろから、抽選券の配布が始まる。最後の方の人がもっている数字がみえた。84番。案の定、「抽選は行いません。全員の方が入廷できます」。

 

裁判官が入廷してからテレビの撮影が2分間。

ちょうど14時に開廷。

「控訴人の請求を却下する」

負けである。会場からうめき声のようなブーイング。私も。

この程度なら無視すればいいものを、ナイーブになっているのか「傍聴席、静粛に」。

このあとも傍聴席の周囲でも聴こえないようなつぶやきに対し、「傍聴席、静粛に」。

どんな耳をしているのか。

続いて「要旨を説明します」。珍しい。

注目されている裁判だけに主文朗読だけでは済まないとの判断か。

 

ここから約20分、私にとっては30年近く耳にタコができるほど聴き続けてきた言葉の羅列。

70年代から続いてきた給特法をめぐる裁判で繰り返されてきた論理。

教員の仕事は、自発的創造的なもので計量になじまないので、窮余の4%を支給・・・。

1審が認めたわずかな労働時間に該当するという判断も否定はしないが歯牙にもかけず、旧態依然とした論理でバサッと切った。

朗読する先の先まで予想できる要旨説明だった。

 

門の外でテレビカメラが何台も待っている。

埼玉大学の学生と思われる若い支援者らが、「不当判決」のたれ幕をかざしている。

埼玉地裁ではこれが「画期的判決」だった。

内容的にはほとんど変わらないが、先の労働時間該当性と付言がない分だけ、1審より後退した印象が強いのかもしれない。

2人の弁護士は「一審をなぞったもの」とコメントし、原告は「判断を最高裁に預けたい」と語った。

私は、1審の書証や尋問調書、も2審の控訴趣意書もほぼすべて目を通した。給特法をめぐる裁判の長い歴史の中でも新鮮さを備えたもの。高裁の裁判官は本当に彼らの主張に目を通したのだろうか。

この旧態依然たる判決では、現在進められている教員の働き方問題に何の影響も与えることはできない。決定的に無内容といっていいと思う。

裁判所が社会とともにあるのなら、もっと違ったコミットの仕方があっていい、いやあるべきだと思う。そうでなければ裁判所の存在意義などないに等しい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=rNskZagz7yo

 

『困ったら迷わず活用 さあ、生活保護を受けましょう!』生活保護について広くもなくかつ古く浅い知識がひっくり返された。かなり細かい点まで、生活保護を受給するまで、してからのことが丁寧に書かれている。 ノウハウ本のようにみえるが、行間には、社会的弱者の立場にしっかり寄り添う姿勢が垣間見える。軽いタッチ書かれているが、著者の生きてきた道筋は決して軽くはなさそうだ。

今朝(25日)、起きたのは5時少し前。

きのうの夜の帰宅は21時半前。遅かった。二人で映画2本見て、ビールを呑んで帰ってきた。同じ”恵比寿BAR”でも支店のよってビールの美味さがかなり違うと思った。4回目のワクチン接種のあとに寄った新横浜の恵比寿BARで吞んだビールはもっとうまかった。だからじゃないけど、帰宅後に少し酒を追加。起床の遅れはそのせいか。

 

22日は月曜日だったが、全学労組の文科省交渉に出かけた。

いつもは1時間の枠が今年から2時間に。紹介議員の福島瑞穂さんも途中中抜けをしながらしっかりつきあって発言もする。自然で素敵な人だ。社民党は紛れもない弱小党派だが、人の魅力には弱小も何も関係ない。

いつも通り、私からも一言居士の発言。若い官僚たち、すこし慌てた顔をしていた。

 

この日、新橋で反省会。会場?は、今朝4時半にTBSで紹介されていた「朝からやっている焼き鳥屋」へ。行ったら何のことはない24時間営業。鳥皮焼だけが山のように出た。

関西の友人が弟さんを連れてきていた。

「ほら、皆さんに買ってもらうんだろ?」と兄が催促すると弟は、彼が書いたという『困ったら迷わず活用 さあ、生活保護を受けましょう!』をおずおずとカバンから出す。6,7冊が一気に売れる。

オビには、「無理しない!がんばりすぎない! ベテランケースワーカーが教える受給マニュアル」とある。

ウラには、

「本書は、生活に行き詰まった友人・知人に、生活保護制度についてたずねられたら『私ならこんなふうにおおざっぱに説明するだろうな』ということを想定してまとめました。

 ①生活保護は正当な『権利』であり、何ら恥ずべきではないこと、

 ②生活保護の申請はさほど難しくないことなどをわかりやすく記述したつもりです。」

 

巻末の著者紹介にはこうある。

1959年、関西の大都市圏の下町、貧困家庭で二人兄弟の末子として出生。中学3年生のとき父を病気で亡くし、少ない貯蓄も尽き、死別母子家庭として高校卒業まで生活保護受給。1981年、神戸市職員として採用。生活保護ケースワーカーとして20年間、児童相談所ケースワーカーとして10年間、主に福祉職場で勤務。2020年、神戸市を退職し現在に至る。

 

読んだ。

生活保護について広くもなくかつ古く浅い知識がひっくり返された。かなり細かい点まで、生活保護を受給するまで、してからのことが丁寧に書かれている。

ノウハウ本のようにみえるが、行間には、社会的弱者の立場にしっかり寄り添う姿勢が垣間見える。軽いタッチ書かれているが、著者の生きてきた道筋は決して軽くはなさそうだ。

いい出会いとなった。

帰宅は22時に。

おそい帰宅が続いた今朝の散歩。

いつもの境川河畔はやめて、海軍道路方面へ。理由はただ1点、曇っているから。

こっちのコースはほとんど日陰がない。冬向きのコース。

上瀬谷小を越えて産直の森さんちへ。

料金箱の隣りに貼り紙がある。

「こんな硬貨はいれないでください」

わざわざ模造コインがセロテープで張り付けてある。

ゲーセンかなんかのコインのようだ。

丹精を込めて作った野菜と引き換えに模造コインを入れていく人が近所にいる。森さん、貼り紙をつくるのさえやりきれないだろうなと思う。

 

カボチャ4分の1、ゴーヤ、オクラ、トマト、シシトウ・・・すべて100円。500円硬貨を入れてくる。


帰途、高層団地の集会所でネコが4匹が並んで、えさを食べている。朝食の時間にときどきあたることがある。

近くにいたえさをやっている女性が「ちょっといいですか?」と話しかけてくる。

 

「この間から、保護ネコの活動に対してクラウドファウンディングをやってきたんですよ。そうしたら昨日で目標額が達成したんです。80万円ですけど、これでこの近くにシェルターを借りたりできるようになるんです」

 

とっても嬉しそうに話す女性だ。

Mさん「今お金もってないんですけど、すこしなら…」

女性「いえいえ、そういうことじゃなくて、私、目標が達成できたのがうれしくて、誰かに話したくて話したくて」

 

野良ネコを避妊や断種をさせて保護、えさやりや里親を探すなどの活動を続けているらしい。近くの一軒家を借りてすでに何匹か保護しているとか。

「この子たちももうすぐ保護できます」

黙々とえさを食べているネコの後ろ姿を見ながら、ニコニコと嬉しそうに話す女性。

こういう人の活動で地域に野良猫が増えずに済んでいる。

 

「掃除ぐらいならできるかもしれないな」とMさん。なんにでも積極的なMさん。

「でも、ネコは臭いからなあ」と、クロネコを飼っていた時掃除すらしなかった私が言う。

気温25℃。ぽつんと雨が落ちてくる。

 

今日は霞が関東京高等裁判所へ。

埼玉超過勤務訴訟の判決の言い渡し日。14時開廷だが、13時30分から傍聴券の抽選券が配布されるという。今週3度目の外出。珍しい。

ウオーキングシューズに穴があいた。

18日(木)、出がけにはポツポツ落ちて来ていた雨だったが、河畔に出たころから強くなり、帰途にはバケツをひっくり返したような土砂降りに。ビニール傘と水筒を交互に持ち替えて1時間、全身びしょ濡れで帰宅した。この日は一人散歩。

 

そんなひどい雨の下でも、カワセミの飛ぶ姿を何度か見た。土砂降りであっても、水面すれすれをかなりのスピードで滑空していく。青が際立ってきれいだった。

 

「新聞紙を入れておいた方がいい」とMさん。ウオーキングシューズは川にそのまま浸かったようなありさま。

3時間後には十分に水分を吸っていたので、2度目の新聞投入。

金曜の朝にはすっかり乾いていた。

 

濡れたくつに新聞紙というと忘れられないエピソードがある。

12年ほど前の広島修学旅行での出来事。5月半ば。新緑のきれいな季節。

 

その日は朝からぐずついていたのだが、午後から本降りに。

平和公園原爆資料館での活動を終えて、生徒はグループごとに歩いて10分ほどの宿舎に戻ってくる。

みな傘はもっていて衣服は濡れていないが、靴は全員がもれなくびしょびしょ。

 

職員も含めて180人ほど。

いつもなら決められた靴箱にしまうのだが、そうもいかない。とりあえず広い玄関に並べておくしかない。

靴はどうあれ、全部の生徒が無事宿舎に戻ればとりあえずはOK。入館チェックをしながらそんなことを考えていたら、いつの間にか宿舎のスタッフが一足一足の靴に新聞紙を詰め始めていた。

いつも和服姿のおかみさんの指示だったようで、新聞紙を割いて丸める人、靴に突っ込む人、分担しながら手早く作業をしているのを見て、ああやっぱりな、と思った。

 

宿舎とのさまざまな調整はいつも事前の下見で確認しておくのだが、京都、奈良の修学旅行と違って、ヒロシマはけっこう大変なことがある。

たとえば、原爆投下の8時15分に平和公園で集会をするためには、朝食を早めにとる必要がある。通常は7時半ごろが定番だが、1時間早めてもらえないかという「無理難題要求」。人件費など経費を考えればそうそうイエスとはいかない。

宿舎によってはなかなか対応してもらえず、その分、集団の中学生はタイトな動きにならざるを得ない。

夜、夕食後に宿舎に被爆者の語り部の方や現地のゆかりのある方をお呼びして、夜の「学習会」なるものを催す。

街中の宿舎ゆえスペースに余裕があるわけではないので、夕食の後片付けをした大広間で会を催すことになる。

宿舎にしてみれば、夕食の片付けのあとには次の日の朝食の準備をしておくのが通例。そこを1時間半ほども使用されたのでは、スタッフのやりくりからしてかなり厳しいということになる。

そのあたりの交渉を担当するのが私のような年配の教員の仕事なのだが、5分、10分刻みでの交渉となってこれがけっこうしんどい。

 

ところが、この「新聞紙」の宿舎、世羅別館はいつもすんなりとこちらの願いを聞き入れてくれた。和服姿のおかみさんは、いつもお客さんファースト。

何より従業員、スタッフの対応が温かい。

食事も、他の宿舎に比べて、温かいものをしっかり出してくれる。

だからと言って特に値段が高いというわけでもない。

難点は、場所が八丁堀という繁華街近くで、近平和公園から少し離れているということだけ。

 

「ああ、やっぱりな」と思ったのは、そんな旅館業としてのふところの深さ故だった。

 

 

この世羅別館、かつてはカープと対戦するジャイアンツの定宿だった時代もあったそうだ。

私と同じくらいの年齢の女性が、女学生だったころ、を一目見ようと「入り待ち」「出待ち」をしたと云う話を聞いたことがある。

 

そんな世羅別館が「お店をたたむらしい」という話を耳にした。

 

そしてこの4月、老朽化と新型コロナの影響をうけて、閉館したという記事をネットでみつけた。65年の幕を閉じたとあった。

 

いいつきあいをした施設がなくなるのは寂しい。

 

新聞紙を靴に突っ込みながら、そんなことを思い出していたのだが、偶然にもこの日、広島の友人がスマホに写真を送ってくれた。更地となった世良別館あとだ。

 

世羅別館、65年の歴史に幕 かつてプロ野球チームも宿泊 | 中国新聞デジタル

取り壊しの始まったことを伝える新聞記事の写真。

 

今朝、何の気なしにウオーキングシューズをひっくり返してみたら、右足の親指が当たるところに穴があいていた。

調べてみたら、この靴を新調したのは昨年の5月。

日にちにしてたぶん400日、一日1時間のウオーキング。よく重さに耐えてくれたものだ。これも老朽化による。いいつきあいをしてくれた。

newbalanceの同じ型番の靴をさっき注文した。