戦没者追悼式の尾辻参議院議長の挨拶、埼玉教員超過勤務訴訟高裁判決。

尾辻秀久参院議長「追悼の辞」全文

 

昭和15年10月2日鹿児島県鹿児島市に生まれ、3歳の時父親をソロモン諸島海域で亡くした戦没者遺児、鹿児島市玉龍高校を経て同34年防衛大学校入学、3年在学中母親にも逝かれ、1人残された妹の為故郷へ帰る、同39年東京大学入学、同41年国産車にて世界一周の旅に出る、アルバイトをしながら5ケ年を要し70ケ国を巡る(現在100余ケ国)、同46年2月帰国後、旅行家兼ルポライターとなり東京大学を中退○昭和54年4月鹿児島県議に当選、以後連続2期当選、同60年5月(財)鹿児島県遺族会長、同62年11月(財)日本遺族会常務理事○平成元年7月参議院議員比例代表選挙当選、総務、沖縄開発政務次官、党副幹事長、政調副会長、国対副委員長、国民福祉委員長、財務副大臣、党厚労部会長、厚労大臣、(財)日本遺族会副会長、参議院自民党議員会長、参議院副議長○現在一般財団法人日本遺族会名誉顧問○著書「ボッケモン世界を行く」「アフリカ旅日記」「旅また人生」。

                  (参議院HPから)

短いあいさつだが、何度も読んだ。グッと来た。政権党に属し、大臣を務め、議会の名誉ある職に就きながら、この人は大きな話をしない。短いけれど、自分の生きてきた場所から言葉を紡いでいる。この世代の人のある典型のような文章。戦争体験~そう言っていいと思う)を背負って生きてきたのだろうと思う。こういう人が自民党にもいる。どの派閥にも属していない。保守でありながら、自分の足で立ってものを考えている。

比べるわけではないが、女性記者へのセクハラ問題を抱える細田衆議院議長の挨拶は、長いけれど「人」が見えない。

 

きのう、埼玉教員超過勤務裁判の高裁判決。

20数年ぶりに東京高裁へ。前回は横浜超勤訴訟の審理、たしか3回ほどだった。

法廷は101号法廷。14時開廷。

高裁では一番大きい。報道を除いて90の傍聴席。

13時30分ごろから、抽選券の配布が始まる。最後の方の人がもっている数字がみえた。84番。案の定、「抽選は行いません。全員の方が入廷できます」。

 

裁判官が入廷してからテレビの撮影が2分間。

ちょうど14時に開廷。

「控訴人の請求を却下する」

負けである。会場からうめき声のようなブーイング。私も。

この程度なら無視すればいいものを、ナイーブになっているのか「傍聴席、静粛に」。

このあとも傍聴席の周囲でも聴こえないようなつぶやきに対し、「傍聴席、静粛に」。

どんな耳をしているのか。

続いて「要旨を説明します」。珍しい。

注目されている裁判だけに主文朗読だけでは済まないとの判断か。

 

ここから約20分、私にとっては30年近く耳にタコができるほど聴き続けてきた言葉の羅列。

70年代から続いてきた給特法をめぐる裁判で繰り返されてきた論理。

教員の仕事は、自発的創造的なもので計量になじまないので、窮余の4%を支給・・・。

1審が認めたわずかな労働時間に該当するという判断も否定はしないが歯牙にもかけず、旧態依然とした論理でバサッと切った。

朗読する先の先まで予想できる要旨説明だった。

 

門の外でテレビカメラが何台も待っている。

埼玉大学の学生と思われる若い支援者らが、「不当判決」のたれ幕をかざしている。

埼玉地裁ではこれが「画期的判決」だった。

内容的にはほとんど変わらないが、先の労働時間該当性と付言がない分だけ、1審より後退した印象が強いのかもしれない。

2人の弁護士は「一審をなぞったもの」とコメントし、原告は「判断を最高裁に預けたい」と語った。

私は、1審の書証や尋問調書、も2審の控訴趣意書もほぼすべて目を通した。給特法をめぐる裁判の長い歴史の中でも新鮮さを備えたもの。高裁の裁判官は本当に彼らの主張に目を通したのだろうか。

この旧態依然たる判決では、現在進められている教員の働き方問題に何の影響も与えることはできない。決定的に無内容といっていいと思う。

裁判所が社会とともにあるのなら、もっと違ったコミットの仕方があっていい、いやあるべきだと思う。そうでなければ裁判所の存在意義などないに等しい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=rNskZagz7yo