『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』(2021年/118分/日本/監督:佐古忠彦/語り:山根基世 津嘉山正種 佐々木蔵之介/公開2021年3月)感動的ではあるが、やや英雄主義的に島田を描く手法が少し引っかかった。

映画の備忘録

7月6日

『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』(2021年/118分/日本/監督:佐古忠彦/語り:山根基世 津嘉山正種 佐々木蔵之介/公開2021年3月)

「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」の佐古忠彦監督が、太平洋戦争末期の沖縄県知事・島田叡にスポットを当て、知られざる沖縄戦中史を描いたドキュメンタリー。1944年10月10日、米軍による大空襲で壊滅的な打撃を受けた沖縄。翌年1月、内務省は新たな沖縄県知事として、当時大阪府の内政部長だった島田叡を任命する。家族を大阪に残して沖縄に降り立った島田は、大規模な疎開促進や、食糧不足解消に奔走するなど、様々な施策を断行。米軍の沖縄本島上陸後は、壕を移動しながら行政を続けた。大勢の県民が命を落としていく中、島田は軍部からの理不尽な要求と、行政官としての住民第一主義という信念の板挟みとなり、苦渋の選択を迫られる。戦時下の教育により「玉砕こそが美徳」とされた時代、周囲の人々に「生きろ」と言い続けた島田の生き方、考え方はどのように育まれたのか。沖縄戦を生き延びた県民たち、軍や県の関係者、遺族への取材を中心に、新たに発見された資料を交えながら、その生涯に迫る。俳優の佐々木蔵之介が語りを担当。

                   映画ドットコムから

 

ドキュメンタリーでありながら、制作側の島田への思いが強すぎるせいか情緒的に流れるシーンが多いと感じた。

沖縄戦の全容の中に島田知事の最後の動向を客観的に置くというかたちにはならず、感動的ではあるが、やや英雄主義的に島田を描く手法が少し引っかかった。

同様に小椋佳の主題歌はいらない。とってつけたようで感じが悪いし、「生きろ」という言葉のアクセントが合わないように感じられた。

 

印象に残っているシーン。

摩文仁へ移動する軍の傍若無人な行為、最後の県庁壕となった轟壕に軍が入り込み、食料を強奪、幼児殺害などの行為を繰り返したことに対して、島田は「県庁解散」を指示する。島田の最後の抵抗。これによって多く避難民が米軍に投降し、生き残ることになった。牛島中将の「最後まで敢闘し生きて虜囚の辱めを受くることなく悠久の大義に行くべし」との大きな違い。「解散」を命じるか否か、リーダーの判断の分かれ道。

 

もう一つは、壕から助け出された住民に対し、米軍が「中に残って抵抗を続ける日本兵を助けるか?」と訊くのに対し、住民はみな「殺せ殺せ」と叫んだというシーン。マインドコントロールなど簡単に解けてしまうもの。

 

沖縄戦は部分的にはたくさん描かれているが、その全体像、米軍の視点も含めて、が描かれたことはないように思う。軍(海軍・陸軍)、住民、米軍それぞれの視点から描くような企画はないものだろうか。

例えば浦添の前田高地の攻防戦が米映画『ハクソーリッジ』で描かれているが、傑作ではあるが、ドラマであるからこそ米軍の立場、米兵の視点から描かれるヒューマンな戦争映画にとどまってしまう。そこでは不思議なことに日本兵は屈強で不気味な兵隊と描かれている。ここには住民はほとんど描かれていなかったように思うのだが、現実はどうだったのか。日本兵はほんとうに屈強で不気味なほど強かったのか。住民はどこでどのようにしていたのか。行政は何をしていたのか。

 

一つの作品から感じられることはたくさんあるが、見てみたいのは『ハクソーリッジ』の違った側面だ。4月の終わりから5月末までの1か月、激しい戦闘が続いたわけだが、その時すでに島田は沖縄に着任している。その島田はどんな動きをしていたのかも知りたい。

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セキュリテイでがんじがらめの横浜市新市庁舎、「開かれた市政を」と市民が要望書。市長室や専用エレベータの表示だってないんだよ。

 

 神奈川新聞7月15日付。

 

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教育委員会傍聴などを続ける市民活動家の竹岡健治さんの呼びかけに応じて、私も市民有志76人の一人になった。

このろくでもない新市庁舎について、昨年8月のブログに次のように書いた。

 

「・・・教育委員会中心に執務室内部をぐるっとひとあたり、巡ってきた。部外者の私がデスクのすぐ近くを通っても誰も関心を示さない。不思議である。以前の旧庁舎ならギロッという視線が必ずあったものだが。」

 

部外者に無関心なのは、内部にいる人間はすべて3階の受付で入館証を受け取り、ゲートを通過しているからだ。以前のようにノーチェックで部課長の席まで簡単にたどり着けたときとはわけが違う。私は職員のJさんと一緒に入館証をもらい、ゲートも通った。Jさんといっしょだからどこでも自由に動けたが、一般市民は訪問部署の人間が待ち受けるシステム。自由には動けない。

 

 

 

「地上32階、地下2階。最上階には眺望の開けた展望台があるのだろう、ゆっくりそこでお茶でも…などと考えるのはどうも今風でないらしい。そんなものはない。ネットの説明には「みなとみらいの絶景が望める市民ラウンジは3階にあります」。3階で絶景かい?とついツッコミを入れたくなる。1・2階は商業施設。レストラン・カフェ・ショップが並んでいる。普通の市民が自由に入れるのはこの3階部分まで、たぶん。」

 

3階のゲートの前までは自由に出入りしてくださいということ。眺望のいい3階もどうぞ。

32階の眺望など市民には見せない。見たいならランドマークタワーにお金払ってみてきなさいということだ。高い市民税のほかに横浜独自のみどり税(あの逃げ出し中田の仕業だ)も払っているのに。

 

「何が優先されてるかって、ただただセキュリティだけという印象。どこの案内を見ても市長室などの幹部の居所はわからない。かつての、教育委員会の課長席を取り囲んでの団交なんて夢のまた夢。」

 

市長室の表示がないことには誰でも気づく。たぶん表示のないエレベータもあるのだろう。何様?

 

「会いたいなら身元を明らかにして「入れてくだされ」と手続き踏んで来い、ということだ。それが今風ということなのだろう。夏に文科省を訪れた時と印象は変わらない。「公」がそんなに閉じこもってどうする?横浜市の新市庁舎は市民に閉じた姿勢をむかって閉じられた市政の象徴である。」

 

「民」は卑屈にお願いする立場に。「よかろう」という声に初めて入館が許される。

「公」とか「官」が閉じこもれば閉じこもるほど、情報もまた表に出てこない。出さないのが当たり前、改ざんが当たり前になっていく。

建物の問題は、実は建物の内部の人間の精神構造に少なくない影響を与えると思うのだが、どうだろうか。

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松井市長、旧陸軍中国軍管区輜重補充部隊あと保存問題、一部切り取り別の場所で保存活用の案。怪しい。   黒い雨訴訟、広島高裁、地裁判断を支持。

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きょう、二つのひろしま関連のニュース。

一つは上の記事。見出しだけ読むと、「市長、やるじゃん」だが、よく読むと、市長の判断は、この問題を早く終わらせるための安易な妥協案ではないのかと思える。

被爆6団体の要求は、専門家を入れての調査を丁寧に行えというものだったはず。市長はそれをせずに早々に遺構の一部を切り取り、サカスタ敷地ではない中央公園のどこかに「一部を何らかの形で保存活用」するという。怪しい。それを言うなら、遺構の全体像が明らかになり、評価が確定してからのことだ。サカスタ建設を遅らせないために、とりあえず一部保存活用を言い出したのではないか。

 

これには伏線がある。

2020年9月、同じサカスタ建設予定地内のにあった小説『屍の街』の作者である大田洋子の碑が市民に説明なく移設させられていたということがあった。

この碑は「生ましめんかな」の詩人栗原貞子らが中心となってつくられ、設置場所は、大田洋子がたびたび広島に帰省し、原爆スラムとよばれたこの地に実妹・中川一枝を訪ね「夕凪の街と人々」の舞台としたことによる。場所もまた碑の一部。制作は原爆ドーム前峠三吉の碑をつくった四國五郎によるもの。

設置後、広島市にその管理を任せたとしても、ひろしま文学資料保全の会は、その時 

要望書で「広島市生殺与奪の権限を丸投げしたわけでない」として広島市を厳しく指弾している。

 

市長はこの件と旧陸軍被服支廠保存問題などから、問題が広がってサカスタ建設に影響が出てしまうことを考え、「英断」を下したのではないか。そうなると、この事態は何よりまず「サカスタありき」から始まっているというのはうがちすぎではあるまい。

 

広島市行政が、市内の数少ないさまざまな遺構に対して、自由に判断していい権限などない。被爆6団体の要求のように、遺構としての価値の云々以上にそこに「あった」ということの重さを行政がどう受け止めるかが問題。そしてその前に専門家を入れて十分な調査を行うことが大事だ。

 

 

 

 

もう一つは、黒い雨訴訟の控訴審の判決が出たこと。以下、YAHOOニュースから

 

 広島への原爆投下後に降った「黒い雨」で健康被害を受けたとして、広島県内の男女84人が被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の控訴審判決で、広島高裁(西井和徒裁判長)は14日、84人全員に交付を命じた1審・広島地裁判決を支持し、国側の控訴を棄却した。1審判決に続き、国の援護対象区域外にいた住民らを被爆者と認めた。  

 黒い雨は、1945年8月6日の原爆投下後に降り、核爆発に伴う放射性物質や火災のすすを含むとされる。ただ、降雨の範囲や健康への影響については未解明な部分も多い。  国は爆心地の北西側にある楕円(だえん)状の範囲(南北約19キロ、東西約11キロ)に大雨が降ったとする気象台の調査に基づき、黒い雨の援護区域を指定。原爆投下時に区域内にいて、特定の病気を発症した人に健康手帳が交付される。  

 84人は区域外の爆心地から約8~29キロ地点にいたため、発症後も手帳をもらえず、2015年以降に提訴。その後14人が死亡して遺族が訴訟を継承した。  

 被告は手帳交付を審査する県や広島市だが、法令を定める国も参加して住民側と争っている。  

 広島地裁は20年7月、国が主張する降雨域より広範囲に黒い雨が降ったと認定。住民らは放射性物質を含む雨にさらされ、健康被害を発症したとして、84人全員を被爆者援護法で定める「3号被爆者」に当たると結論付けた。  

 これに対し、国側は「判決には科学的根拠がない」と批判。被爆者の認定には科学的裏付けが必要だとして判決の取り消しを求めて控訴していた。【芝村侑美、小山美砂】  

 

控訴審判決(骨子)

被爆者援護法の「3号被爆者」は、「原爆の放射能により健康被害が生ずることを否 定できない」ことを立証することで足りる

・黒い雨には放射性降下物が含まれていた可能性があり、放射線の被ばくで健康被害を受ける可能性があった

・原告らは黒い雨に遭ったと認められ、被爆者と認定できる  

◇3号被爆者  被爆者援護法は、広島、長崎で直接被爆した人(1号被爆者)や原爆投下後2週間以内に爆心地から2キロ以内に入った人(2号被爆者)、母親の胎内で被爆した人(4号被爆者)のほか、「原爆放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」(3号被爆者)も被爆者と認めている。2021年3月末現在の被爆者健康手帳所持者は12万7755人で、うち3号被爆者は1万4309人。

 

 

国、県、市は上告せず、早急に被爆者健康手帳を交付すべき。請求者の年齢を考えれば悠長なことは言ってられないはずだ。

75年前の降雨について「科学的根拠」を厳密に求めてどんな意味があるのか。先月このブログで取り上げた柳田邦男『空白の天気図』でも取り上げられているが、黒い雨はかなり広範に降ったことは、当時のひろしま気象台の台員たちの調査でも明らかにされた。あの壮絶な数か月の中でどのような「科学的根拠」を求めるのか。雨にあたったことと体調の不良の兆候があればその証言が「根拠」にならないのか。

何故原爆が広島に落とされたのか、市民、県民には何の瑕疵もないはず。

 

上告などありえない。

 

 

モーツァルト・ドヴォルジャークの弦楽四重奏曲、ブラームスのクラリネット五重奏曲、3曲堪能。元気が出た。

7月7日、愉音のソワレのコンサート第15回。青葉台フィリアホール

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久しぶりの外出。二人で出かける。田園都市線青葉台は近場の都会。しかし、

終演後、お店に寄ることはできても、お酒は飲めない。7時を過ぎてしまうからだ。不自由なことである。酒など飲んでも飲まなくてもどちらでもいいのだが、上から飲んではならぬといわれるのが嫌なのだ。

 

今夜は、豪華な出演者に意欲的なプログラム。

自由席。一席空きになっているから端に坐らなくてもよい。真ん中の通路の中央、たぶんホールで一番の席。

 

開園15分前に音楽評論家の奥田佳道さんのプレトーク

3つの演目について丁寧かつ洒脱な話しぶり。私のような半可通には新鮮なお話だった。

クラシックのコンサートはいきなり始まり、アンコールまでトークは一切なしというのが相場だが、聴きに来る人皆が知識をもって聞きに来るわけではない。こんなプレトークならどんどんやってほしいものだ。

 

モーツァルト。第一ヴァイオリンは原田幸一郎。こういう人のことをレジェンドというのだろう。1969年東京カルテットを結成。俗っぽい言い方をすれば、世界を股にかけて活躍された方。第二ヴァイオリンの松本紘佳の先生でもある。

 

ハイドンにささげられたいわゆるハイドンセットの中の1曲。

私はあまりなじみのない弦楽四重奏曲。全体にいわゆるモーツァルトらしい明るさはない。精緻だがどこか暗さをにじませる。引き込まれる。空席が多いせいかいつもより残響が多いように感じられ、弱音がよく聞こえる。4人のアンサンブル絶妙。松本は原田との演奏は初めてというが、気負いなく自然。ヴィオラの長谷川の音もよく響いている。チェロのドミトリー・フェイギン、この人もレジェンドの一人だが、なんとも小気味のいい低音を響かせている。

 

ドヴォルジャーク。今度は松本が第一ヴァイオリン。原田は引き立て役に回る。

アメリカ」。交響曲9番「新世界より」の直後に書かれたという作品。「新世界より」のわくわくするような感情がそのままこの曲ににじみ出ている。郷愁をそそるおおらかで明るい曲。ここでは松本が思い切りリードする。このくらいに第一ヴァイオリンが出てくると、この曲は楽しい。支える他の3人は嬉しそうに松本を支えている。弦楽四重奏曲ではあるが、聴きようによってはヴァイオリン協奏曲のようだ。そのくらいあでやかでスケール感のある演奏。

ブラームス

クラリネットのコハーン・イシュトヴァーンが入る。モーツァルトのものと並んで最もよく耳にするクラリネット五重奏曲。

私はこの曲、1996年録音のブランディスカルテットのCDでよく聴いた。

このCD 、カップリングはブラームス弦楽四重奏曲2番で演奏は東京カルテット(原田はすでに離れていて別のメンバーによる)。五重奏曲はイギリスで、弦楽四重奏アメリカでの録音。いつ買ったものか、覚えがない。

コハーンのソロでのクラリネットの超絶的な演奏は今まで何度も聴いてきた。アンサンブルを聴きたいと思っていたところに、今夜のトリで登場である。

スリリングな緊張の感のある素晴らしい演奏。ただ一つだけ、もっとクラリネットの音が浮き出てきてもいいのになと思った。4つの楽器にまぎれてしまうと感じることが何度かあった。聴いている場所のせいだろうか。

 

3つの楽曲。堪能した。私のような者でもいろいろと我慢を強いられることのある日常だが、こういう演奏を聴くと元気が出る。ただただ満足。

できることならば、このメンバーでクラリネット五重奏曲、ベートーヴェンシューベルト、欲を言えばバルトーク弦楽四重奏など聴いてみたいものだ。

フィリアホール弦楽四重奏の夕べ」シリーズなんていいな。

 

戦後の教員政策の中で最悪の愚策、教員免許更新制を文科省みずから廃止。

 

 

 

戦後の教員政策の中で最悪の愚策、教員免許更新制を文科省みずから廃止。

今回、廃止の原因とされたこの法律の不具合は、成立前にすでに分かっていたものばかり。

私は更新の対象から外れる年齢の一番下だったため、一度も免許を更新をせず、定年後も更新の必要はなかった。いわば「永久免許」保持の最後の世代となったわけだ。

 

この10年、教員採用試験の倍率は下がり続けた。教員を目指す若者が減り、また退職して免許を更新せず、それによって産休代替や精神疾患などによる療養休暇取得者などに充てる臨時教員が足りなくなるなど、現場も教委、ともににっちもさっちもいかなくなっての廃止だ。

この法律は、教育基本法改悪など種々の愚策を成立させた第一次安倍政権時代の2009年に成立、10年以上にわたって教員の労働意欲をそいできた法律が廃止されることになるが、教員志望者の学校への回帰は10年で果たせるだろうか。

 

多い人で2回、免許更新をした人がいる。廃止は来年の通常国会に提出されるから、この夏も更新の講習に通わざるを得ない教員もいるだろう。

 

バカな政治家や官僚のおかげで、どれほどの損害をこの国の学校が被ったことか。

 

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今朝(7月11日)の境川散歩の途中で見つけたセミの羽化。

 

 

サッカースタジアム建設予定地に見つかった中国軍管区輜重兵補充部隊施設の被爆遺構。被爆6団体が保存・活用へ外部意見を求める。

今朝、鳥の啼き声で目が覚めた。このところ、雨音で目が覚めていたので、少しうれしくなった。

 

何日ぶりかで傘を差さずに境川散歩。青空が北の空に少し。

小学校の小さな林でセミの声を聞いた。

 

4,5日前だったか、夜明け前に寝床でセミの声が聞こえたのを思い出した。

 

薄暗い日が続いているが、季節はわずかずつだがまわっているようだ。

 

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中国新聞7月10日

被爆者6団体、広島市に申し入れ。県被団協(坪井直理事長)とあるが、坪井さんは今年96歳になる。この行動には出てきていないようだ。

 

 

6団体の要求は

「遺構の保存・活用にあたっては、軍事遺跡や都市計画の専門家の意見を反映し、遺構の評価が定まるまでは現状の変更をしないこと」

 

これに対し広島市(杉山朗市民局長)の回答

①今回の発掘を担った専門職員は、原爆資料館本館下で2015~17年に行った発掘調査   に関わっている。市では被爆遺構に誰よりも詳しい。その意見を踏まえて粛々と進める。外部有識者の声を聴く予定はない。

②戦後は生活の場となったため状態が良くなく、歴史的な価値は低い。被爆の痕跡が明らかなら現物保存を考えるが、現時点でそういうものはない。

③写真や測量のデータを詳しく残す記録保存を軸とする。

 

これに対し、6団体は

被爆遺構は、世界に広島と長崎以外ない。軍施設がそこにあり、被爆したという事実が重要。痕跡が明らかでなくとも残すべき。

 

「市では被爆遺構に誰よりも詳しい」「市では誰よりも」は大人げない。その人の判断だけで保存するかどうか決められるのか?

行政というのは、なんでも都合よく使うもの。この専門職員が「残すべき」と主張したら「外部の専門家の意見を聞いて」と言って、行政の方針にあう専門家を連れてくるものだ。

それより

「戦後は生活の場となったため状態が良くなく、歴史的な価値は低い」。被爆遺構をそのまま大事に残そうなどという発想が1945年当時にあるわけがない。みな生きていくのに必死だった。かといってだから「歴史的価値が低い」と断じていいものか。そもそも歴史的価値が低いかどうかは、一行政マンが判断することではない。

 

6団体は全面保存を訴えているわけではない。じっくり調査をして評価を明らかにするまでは壊すな、埋めるな、と言っている。どんな歴史的価値があるかどうかは調べてみなければわからない。行政が都合よく評価を下すなということだ。

 

サカスタの建設計画を遅らせたくないために、まさにためにする粗雑な理屈を広島市は云っているに過ぎない。

 

被爆遺構は広島と長崎にしかない、という被団協理事長代行の言葉は重い。

 

中国新聞、見出しの打ち方、適切。社会の木鐸たろうとする者の姿勢が伝わってくる。

旧陸軍の輸送部隊『中国軍管区輜重兵補充隊』の施設の遺構保存問題。広島市はやる気なし。多くの兵隊が犠牲になってはいても、原爆のすさまじい威力は遺骨をも形なく焼き尽くしていったろうし、遺骨を集めることもかなわない状況だったろう。今度発見された広大なこの施設跡から遺骨が出てくる可能性もあるはず。

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6月28日のこのブログで、旧陸軍の輸送部隊『中国軍管区輜重兵補充隊』の施設の遺構が、広島市内のサッカースタジアム建設予定で見つかったことに触れ、中国新聞の「大本営発表」的な記事に、サッカースタジアム建設に地元企業として中国新聞が絡んでいるのかと書いた(6月15日の記事)。末尾の「サッカースタジアムの建設には影響がない見込み」との記述が気に障ったからだ。

 

上の森田論説委員の記事を読めば邪推だったことがわかる。こうした格調ある批判記事が載るところはさすが中国新聞、である。

ひどいのは相変わらず行政である。コロナをかさに着て説明会は30人を2回だけ。スケジュール的にやっつけて、あとは予定通り進めようという魂胆だ。

 

爆心から1㎞ほどの軍の施設が集中していた場所。戦後まもなくは人々が雨露をしのぐためにいたるところにバラックなどが建てられ、多くの施設は土の下に埋められたままだ。多くの兵隊が犠牲になってはいても、原爆のすさまじい威力は遺骨をも形なく焼き尽くしていったろうし、遺骨を集めることもかなわない状況だったろう。今度発見された広大なこの施設跡から遺骨が出てくる可能性もあるはず。

 

簡単な説明だけで済ませて、何もなかったかのようにサッカースタジアムをその上につくっていいものだろうか。

広島の街は原爆によってそのほとんどが失われてしまった。かつては市内に残っていた被爆建物もなくなったり形を変えたりしている。旧陸軍被服支廠の保存が県と国によってようやく具体化しつつあるときに、広島市がサッカースタジアムありきで性急にこの件をすすめるならば世界に開かれた平和都市ヒロシマの名が泣くというものだ。

 

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元町の旧軍用地に建てられた住宅。遠方のビルは左から福屋新館、芸備銀行本店、住友銀行広島支店、広島商工経済会(毎日新聞所蔵)。

 

その向こうにかすかに旧広島県産業奨励館の骨組み(原爆ドーム)のようなものが見える。