松井市長、旧陸軍中国軍管区輜重補充部隊あと保存問題、一部切り取り別の場所で保存活用の案。怪しい。   黒い雨訴訟、広島高裁、地裁判断を支持。

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きょう、二つのひろしま関連のニュース。

一つは上の記事。見出しだけ読むと、「市長、やるじゃん」だが、よく読むと、市長の判断は、この問題を早く終わらせるための安易な妥協案ではないのかと思える。

被爆6団体の要求は、専門家を入れての調査を丁寧に行えというものだったはず。市長はそれをせずに早々に遺構の一部を切り取り、サカスタ敷地ではない中央公園のどこかに「一部を何らかの形で保存活用」するという。怪しい。それを言うなら、遺構の全体像が明らかになり、評価が確定してからのことだ。サカスタ建設を遅らせないために、とりあえず一部保存活用を言い出したのではないか。

 

これには伏線がある。

2020年9月、同じサカスタ建設予定地内のにあった小説『屍の街』の作者である大田洋子の碑が市民に説明なく移設させられていたということがあった。

この碑は「生ましめんかな」の詩人栗原貞子らが中心となってつくられ、設置場所は、大田洋子がたびたび広島に帰省し、原爆スラムとよばれたこの地に実妹・中川一枝を訪ね「夕凪の街と人々」の舞台としたことによる。場所もまた碑の一部。制作は原爆ドーム前峠三吉の碑をつくった四國五郎によるもの。

設置後、広島市にその管理を任せたとしても、ひろしま文学資料保全の会は、その時 

要望書で「広島市生殺与奪の権限を丸投げしたわけでない」として広島市を厳しく指弾している。

 

市長はこの件と旧陸軍被服支廠保存問題などから、問題が広がってサカスタ建設に影響が出てしまうことを考え、「英断」を下したのではないか。そうなると、この事態は何よりまず「サカスタありき」から始まっているというのはうがちすぎではあるまい。

 

広島市行政が、市内の数少ないさまざまな遺構に対して、自由に判断していい権限などない。被爆6団体の要求のように、遺構としての価値の云々以上にそこに「あった」ということの重さを行政がどう受け止めるかが問題。そしてその前に専門家を入れて十分な調査を行うことが大事だ。

 

 

 

 

もう一つは、黒い雨訴訟の控訴審の判決が出たこと。以下、YAHOOニュースから

 

 広島への原爆投下後に降った「黒い雨」で健康被害を受けたとして、広島県内の男女84人が被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の控訴審判決で、広島高裁(西井和徒裁判長)は14日、84人全員に交付を命じた1審・広島地裁判決を支持し、国側の控訴を棄却した。1審判決に続き、国の援護対象区域外にいた住民らを被爆者と認めた。  

 黒い雨は、1945年8月6日の原爆投下後に降り、核爆発に伴う放射性物質や火災のすすを含むとされる。ただ、降雨の範囲や健康への影響については未解明な部分も多い。  国は爆心地の北西側にある楕円(だえん)状の範囲(南北約19キロ、東西約11キロ)に大雨が降ったとする気象台の調査に基づき、黒い雨の援護区域を指定。原爆投下時に区域内にいて、特定の病気を発症した人に健康手帳が交付される。  

 84人は区域外の爆心地から約8~29キロ地点にいたため、発症後も手帳をもらえず、2015年以降に提訴。その後14人が死亡して遺族が訴訟を継承した。  

 被告は手帳交付を審査する県や広島市だが、法令を定める国も参加して住民側と争っている。  

 広島地裁は20年7月、国が主張する降雨域より広範囲に黒い雨が降ったと認定。住民らは放射性物質を含む雨にさらされ、健康被害を発症したとして、84人全員を被爆者援護法で定める「3号被爆者」に当たると結論付けた。  

 これに対し、国側は「判決には科学的根拠がない」と批判。被爆者の認定には科学的裏付けが必要だとして判決の取り消しを求めて控訴していた。【芝村侑美、小山美砂】  

 

控訴審判決(骨子)

被爆者援護法の「3号被爆者」は、「原爆の放射能により健康被害が生ずることを否 定できない」ことを立証することで足りる

・黒い雨には放射性降下物が含まれていた可能性があり、放射線の被ばくで健康被害を受ける可能性があった

・原告らは黒い雨に遭ったと認められ、被爆者と認定できる  

◇3号被爆者  被爆者援護法は、広島、長崎で直接被爆した人(1号被爆者)や原爆投下後2週間以内に爆心地から2キロ以内に入った人(2号被爆者)、母親の胎内で被爆した人(4号被爆者)のほか、「原爆放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」(3号被爆者)も被爆者と認めている。2021年3月末現在の被爆者健康手帳所持者は12万7755人で、うち3号被爆者は1万4309人。

 

 

国、県、市は上告せず、早急に被爆者健康手帳を交付すべき。請求者の年齢を考えれば悠長なことは言ってられないはずだ。

75年前の降雨について「科学的根拠」を厳密に求めてどんな意味があるのか。先月このブログで取り上げた柳田邦男『空白の天気図』でも取り上げられているが、黒い雨はかなり広範に降ったことは、当時のひろしま気象台の台員たちの調査でも明らかにされた。あの壮絶な数か月の中でどのような「科学的根拠」を求めるのか。雨にあたったことと体調の不良の兆候があればその証言が「根拠」にならないのか。

何故原爆が広島に落とされたのか、市民、県民には何の瑕疵もないはず。

 

上告などありえない。