横浜市長選、混とん。

7月1日に

 

「今、思い悩んでいるのは林市長ではないか。12年間も市長として働いてきたのに、自民党も市民も自分のほうを向いてくれない…。ぼろ雑巾のように使われるだけ使われて捨てられるのは、プライドが許さない。出るのか出ないのか、あえて火中の栗を拾うのか、裸の王様となって茶番を演じるより名誉ある勇退を選ぶか・・・。」

 

と書いた。今朝の新聞で林氏の動向が初めて報じられた。定例記者会見で市長選について触れた。

「経済界をはじめ、支援者や団体から出馬の要請をいただき、熟慮している」

ようやく肚を決めたようだ。出馬の方向だろう。

 

保守革新問わず、次々に立候補表明をしてきた人たちのほとんどが、カジノを含む統合型リゾート(IR)の誘致に反対だ。賛成なのは元自民党の元衆議院議員福田峰之ぐらい(この人は基本的に保守。しかし定見はない。希望の党で小池を担ごうとして失敗。自民党からも見放された)。

 

林氏からすれば、横浜財界と自公両党から支援を受けてIR推進で4選出馬という既定方針だったのが、自民党は代わりもいないのに多選を理由に林を支援しないことに。誰を担ぐのかと思っていたら、担ぐほうの旗がしら自民党県連委員長の小此木八郎国家公安委員長をやめて自ら出馬の意向、それもIR誘致はしない方向で。横浜政財界の闇?

 

立民が支援を決めた市大元教授の山中氏も当然IR反対。そのほか3人の候補もIRに積極的に賛成というわけではない。そこにもう一人元検事の郷原信郎という人が立候補表明。この人はIRは住民投票で決着すべきと主張。ただ、反対派が一本化の方向に向かうなら自分は辞退するとのこと。よくわからない。

 

このまま林文子市長が出馬宣言をすれば、自民党は分裂し、立民が支持する山中氏と横浜の経済界をバックにした林氏と、さらにハマのドン藤木幸夫がバックアップする自民党多数派の小此木八郎三者がIR誘致をめぐっての巴戦の構造だが、さらにきのう元長野県知事で作家、元国会議員の田中康夫氏が立候補を表明。あす、記者会見をするとのこと。彼もIR反対。無所属で出馬の意向とのこと。

 

混沌としてきた。

 

いったん日のあたる道を歩いた人たちは、日陰に甘んじていられなくなる。とりわけ選挙に魅入られ勝ってきた人たちは、死ぬまで選挙をやめられない。田中康夫氏、うずうずしていたんだろう。林氏もいままで勝ち続けてきた以上、棄権はできない。3期12年、どうにもならないいい加減男、投げ出し市長の中田宏とは違って手堅い行政を続けてきた。IR以外ではそれほど反感を買うことなく地道にやってきた。今、降りるわけにはいかない、と。

 

選挙結果を予想して楽しもうとは考えていない。

降ってわいたようなIRはもちろん✖。

今回のワクチン問題での不手際というか杜撰さなど、図体がでかすぎて、あちこちですぐショートしてしまう行政機構を、高齢者や子ども、貧困層、障害者などの弱者の立場に立って立て直していける人物が必要とされているということだ。

そこから発想して1票をどう投じるか。それぞれの主張を子細に見てみたい。

 

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『王の願い ハングルの始まり』(2019年製作/110分/韓国/原題:The King's Letters/脚本・監督:チョ・チョルヒン/出演:ソン・ガンホ パク・ヘイル チョン・ミソン・2021年6月日本公開)中国を発祥としながら全く違った歴史を歩んだ日朝の言語に係る歴史を考え直す意味でもこういう映画は貴重。

映画備忘録。映画館で見た2021年上半期最後の映画、

『王の願い ハングルの始まり』(2019年製作/110分/韓国/原題:The King's Letters/脚本・監督:チョ・チョルヒン/出演:ソン・ガンホ パク・ヘイル チョン・ミソン・2021年6月日本公開)

封切りの数日後だったが、客の入りは少なかった。今を時めくソン・ガンホと名優パク・ヘイルの演技は火花が散るようで素晴らしいものだった。朝鮮時代劇としても重厚で壮大、けっして見て損しない佳作。

 

「パラサイト 半地下の家族」のソン・ガンホが、独自の文字創生のため命を懸けた世宗大王を演じる歴史劇。「殺人の追憶」でソン・ガンホと共演したパク・ヘイルが何カ国もの言語に精通する和尚シンミ役を演じる。朝鮮第4代国王・世宗の時代。朝鮮には自国語を書き表す文字が存在せず、特権として上流階級層だけが中国の漢字を学び使用していた。この状況をもどかしく思っていた世宗は、誰でも容易に学べ、書くことができる朝鮮独自の文字を作ることを決意する。世宗は低い身分ながら何カ国もの言語に詳しい和尚シンミとその弟子たちを呼び寄せ、文字作りへの協力を仰いだ。最下層の僧侶と手を取り合い、庶民に文字を与えようとしている王の行動に臣下たちが激しく反発する中、世宗大王とシンミは新たな文字作りに突き進んでいく。監督は「王の運命 歴史を変えた八日間」の脚本を手がけ、本作が監督デビュー作となるチョ・チョルヒョン。

                      映画ドットコムから

 

 

韓国を旅行すると、ガイドの口から何度となく「世宗大王」=セジョン大王という名前を聞く( 韓国ではテワンセジョンというようだ)。世宗は15世紀から16世紀にかけての名君の誉れ高い王様。

外交、とりわけ日本との修好関係や身分制度の緩和、この映画のテーマのハングル文字の創生などの功績で知られている。

中国の影響を受けて儒教を国教とする李氏朝鮮王国は、上流階級が漢字を使用する。世宗は漢字は朝鮮語を正確に表記できないとして、民衆が簡便に使用できる文字づくりをめざし、仏教徒であるシンミを呼び寄せ、数年をかけてハングルをつくりだす。

臣下らは、ハングルづくりと仏教への傾倒は中国への忠誠が疑われることになり、国の存亡にかかわる一大事として一貫して反対する。

映画は、こうした臣下との軋轢、シンミとの信頼関係の切り結び、そしてチョン・ミソン演じる皇后の支えをじっくりと描いている。

チョン・ミソンはこの映画の撮影後に自殺しているが、品格のある愛情深い皇后を

 好演している。

 

朝鮮では、漢字とハングルの使用が時代によって変遷する。私が初めて韓国を訪れたころ、1988年には街中の看板は漢字が主だったが、その後行くたびに漢字は消え、ハングル文字が主流になっていく。

いつの時代も、民族の独自性と文字は強く結びついていて、日本の占領下で朝鮮独自の辞書をつくるために奔走した人々を描いた『マルモイ 言葉集め』(2020)も、やはり民族の独自性を守らんがための生死をかけた戦いを描いていた。

 

それにしても、発音の変化や区別から系統だった文字をつくるという試み、気が遠くなるような作業だ。日本では、漢字を受け入れながら、そこからカタカナをつくり、そしてひらがなをつくりだした。独自の文字ではない。漢字がもとになっている。

漢字の中国語の読みを音読みとして定着させられたのは日本語が中国語より音数が少ないという特性もあろうが、これ一つとっても日本語の容量の大きさは想像以上のものがある。さらに音読みにとどまらず、漢語の意味と和語の発音を一定程度くみあわせて、漢字を和語で読んでしまう訓読みという発想は、長い時間がかかってつくられたものだが、他言語をつかって自言語を読んでしまうというまさに奇跡的な営為。漢文の書き下し分などから始まったのだろうこれら音訓読みは、今現在も私たちの言葉を支えている。そう、まさに私たちは「言葉」という和語を「言葉」という感じを用いて表すことに何の違和感もない。

 

中国を発祥としながら全く違った歴史を歩んだ日朝の言語に係る歴史を考え直す意味でもこういう映画は貴重。全体に色調が暗いのが気にかかる。

韓国ではセジョン大王をテーマにしたテレビドラマなどもたくさん作られているようだ。いわゆる韓流ドラマだが、その中でこの映画、どんなふうに受け入れられたのだろうか。

 

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『ノマドランド』(2020年製作/108分/G/アメリカ/原題:Nomadland/原作:ジェシカ・ブルーダー/監督:クロエ・ジャオ/出演:フランシス・マクド―マンド デヴィッド・ストラザーン リンダ・メイ他/2021年3月日本公開/400円) 登場してくる人物の思索の深さが見るほうに染み出してくるような独特の感覚  。

6月30日Amazonプライムビデオで

ノマドランド』(2020年製作/108分/G/アメリカ/原題:Nomadland/原作:ジェシカ・ブルーダー/監督:クロエ・ジャオ/出演:フランシス・マクド―マンド デヴィッド・ストラザーン リンダ・メイ他/2021年3月日本公開/400円)

 

 スリー・ビルボード」のオスカー女優フランシスマクドーマンドが主演を務め、アメリカ西部の路上に暮らす車上生活者たちの生き様を、大自然の映像美とともに描いたロードムービージェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」を原作に、「ザ・ライダー」で高く評価された新鋭クロエ・ジャオ監督がメガホンをとった。ネバダ州の企業城下町で暮らす60代の女性ファーンは、リーマンショックによる企業倒産の影響で、長年住み慣れた家を失ってしまう。キャンピングカーに全てを詰め込んだ彼女は、“現代のノマド遊牧民)”として、過酷な季節労働の現場を渡り歩きながら車上生活を送ることに。毎日を懸命に乗り越えながら、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ね、誇りを持って自由を生きる彼女の旅は続いていく。

                        映画ドットコムから

 

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フランシス・ナクドーマンド

という説明を読んでも、これが自分の見た映画か?と思ってしまう。説明は間違ってはいないが、合っているとも思えない。こんなふうに言葉で説明してしまうと、そこから抜け落ちてしまうたくさんのものがこの映画には詰まっている。今までにあまり見たことのない不思議な映画だ。フィクションとドキュメンタリーの境界を越えたところに成立する映画。

フランシス・マクド―マンド デヴィッド・ストラザーンの二人以外はすべて素人、本物のノマドの人たちだという。本物を演じている、そのすごさに圧倒されていたのに、みな実は本物だった。あたりまえのことだけれど、本物がそのまま演じれば本物に見えることなどありえない。本物を演じようとする中に生まれる演技の深さが本物に見せてくれるものだ。彼らが発する一つひとつの言葉がもつ陰影は、重く深く響く。

現在のアメリカという国のありようを旅するノマドを通して描いている、と言ってしまうと、これもまた違うような気がする。ケン・ローチのような社会派的なものではなく、登場してくる人物の思索の深さが見るほうに染み出してくるような独特の感覚。

クロエ・ジャオ監督は82年生まれの北京出身の女性監督。何が、何をどうすればこんな映画の世界を描くことができたのだろうか。カウリスマキにもダルデンヌ兄弟にもない透徹した独特の叙情と哲学性を感じる。

久しぶりにすごい映画をみた。映画館でみたかった。

アカデミー賞作品賞、監督賞、主演女優賞の3部門を受賞。アカデミー賞がこの作品を選ぶのもすごいことだ。

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            リンダ・メイ

 

久しぶりに週刊文春を買う。立花隆追悼14頁追悼保存版と銘打たれている。

一気に読んだ。これだけかい?という思い。立花の評伝を書く人はいないのだろうか。

 

 

大島康徳さんが6月30日に亡くなっていた。70歳。大腸がん。東京新聞の一面下の連載『この道』が続いている。野球の話がめっぽう面白かった。今、がんの話が続いてる。

 

7月2日、第76回の後段部分を引用する。

 

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 がん患者はね、誰だって頑張っているんですよ。直りたいと努力しているんです。でも、体力が衰えているのに無理して手術を繰り返したり、頑張りすぎて帰って寿命を縮めて、普通の生活ができなくなる。それはよくないことです。

 僕は怠け者の一面もありますから、医師にこう言います。「ニ週間に一回の抗がん剤治療を三週間に一回にできませんか」「あの飲み薬、飲んだ後、つらくなるので、やめてもいいですかね」

 がん患者としては優等生ではないのでしょうが、医者とコミュニケーションが取れるのであれば、相談して、自分にあった抗がん剤治療を進めてもいいのではないかと思います。もちろん、徹底的にがんと闘う人がいてもいいと思います。大事なことは、勝つことではなく、負けないこと。自分らしくがんと向き合うことではないでしょうか。

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『ひとよ』(2019年製作/123分/日本/原作:桑原裕子/監督:白石和彌/出演:田中裕子 佐藤健 鈴木亮平 松岡茉優 音尾琢真 筒井真理子 韓英恵 MEGUMI/2019年11月公開 400円)『くれなずめ』(2021年製作/96分/日本/監督・脚本:松井大悟/出演:成田凌 若葉竜也 浜野謙太 藤原季節 高良健吾 目次立樹/2021年5月公開)  

映画備忘録。

Amazonプライム

『ひとよ』(2019年製作/123分/日本/原作:桑原裕子/監督:白石和彌/出演:田中裕子 佐藤健 鈴木亮平 松岡茉優 音尾琢真 筒井真理子 韓英恵 MEGUMI/2019年11月公開 400円)

 女優で劇作家、演出家の桑原裕子が主宰する「劇団KAKUTA」が2011年に初演した舞台を佐藤健鈴木亮平松岡茉優、田中裕子の出演、「孤狼の血」の白石和彌監督のメガホンで映画化。タクシー会社を営む稲村家の母こはるが、愛した夫を殺害した。最愛の3人の子どもたちの幸せのためと信じての犯行だった。こはるは子どもたちに15年後の再会を誓い、家を去った。運命を大きく狂わされた次男・雄二、長男・大樹、長女・園子、残された3人の兄妹は、事件のあったあの晩から、心に抱えた傷を隠しながら人生を歩んでいた。そして15年の月日が流れ、3人のもとに母こはるが帰ってきた。次男役を佐藤、長男役を鈴木、長女役を松岡、母親役を田中がそれぞれ演じるほか、佐々木蔵之介音尾琢真筒井真理子らが脇を固める。(映画ドットコムから)

 

 

去年、うまく時間が合わなくてもられなかった作品。

2時間あまり、最後までさほど飽きずに見られた。白井和彌のスピード感のあるまとめ方によるものだと思う。『孤狼の血』(2018)『凶悪』(2013)『凪待ち』(2019)『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017)の流れ。

『止められるか俺たちを』(2018)『日本で一番悪いやつら』(2016)『サニー32』(2018)の3つは印象がよくない。それでもこんなに見ている。見たくなる監督。

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しかし、中身がスカスカに感じられるのはどうしてだ。

父親のDVの理由がいまいちわからない。

父親はタクシー会社を経営しているが、この夫をひき殺してしまう妻の稲村こはるとのからみがまったく出てこない。

15年の間、子どもたちが世間から受けてきた差別だが、これも伝わってこない。それぞれうっ屈したものをかかえて生活しているのはわかるが、それがすべて母親の父親殺しに起因するものとも思えない。

長女の稲村園子の鬱屈はかなりのものと見えるのに、人物造形としてはそういう陰が全く見えない。長男の稲村大樹の離婚問題も母親の問題とは別のものに見えるし、次男の雄二に至ってはこじつけとしか思えない。

別の流れで出てくるもとヤクザの堂下の物語はとってつけたようでよけいだし、カーチェイサーは15年の間をつなぐのはわかるがやりすぎ。タクシー会社の従業員柴谷弓の不倫と認知症の母親の事故死もとってつけたよう。

原作がどんなものかわからないが、母親の夫殺しと子どもたちの15年をもっと丁寧に描いてほしかった。そうすれば、返ってきた母親との気持ちのずれがもっと際立ったはず。

不満が残った。

タイトルの「ひとよ」は「一夜」のこと。「人よ」ではない。

 

 

6月29日、本厚木kikiでの2本目。

『くれなずめ』(2021年製作/96分/日本/監督・脚本:松井大悟/出演:成田凌 若葉竜也 浜野謙太 藤原季節 高良健吾 目次立樹/2021年5月公開)

 

高校時代に帰宅部でつるんでいた6人の仲間たちが、友人の結婚披露宴で余興をするため5年ぶりに集まった。恥ずかしい余興を披露した後、彼らは披露宴と二次会の間の妙に長い時間を持て余しながら、高校時代の思い出を振り返る。自分たちは今も友だちで、これからもずっとその関係は変わらないと信じる彼らだったが……。

 

『アズミ・ハルコは行方不明』(2016)は妙に印象に残る映画だった。『昼顔』(2017)はつまらなかった。

「くれなずめ」は『アズミ・ハルコ』につながる映画かな。

 

タイトルはすばらしい。くれなずむ、に対して くれなずめは命令形か?それとも朝まずめとか夕まづめにかけた夕方の時間のことか。いずれにしてもイメージ豊かなタイトル。

 

しかし、暮れなずむ時間の96分は少し長かった。やれるだけのことみんなやっちゃおうという感じで、どれも面白いが、すこし食傷気味。「喪失」ということを中心に据えるなら、もう少し控えめのほうが。

若い役者がいい。成田凌菅田将暉と同じくらいあちこちでづっぱりだが、いい。若葉竜也、藤原季節、浜野謙太、どの人もクセがあっていい。それにしてもよくもまあ次々と個性的な役者が出てくるものだ。

 

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『あなたがいたところ ワタシゴト 14歳のひろしま・2』(中澤晶子・汐文社・6月刊・1400円+税)    「君たちの未来は歴史の中にあります。それを見つけるヒントがこの「ひろしま」の物語です。」(石内都)

新刊の紹介。

広島に住む児童文学作家の中澤晶子さんの新刊。

昨年7月刊行の『ワタシゴト 14歳のひろしま』の続編。

 

『あなたがいたところ ワタシゴト 14歳のひろしま・2』(汐文社・6月刊・1400円+税)

 

前作は広島の原爆被害者の遺品がテーマだったが、今回取り上げられるのは「場所」。

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① もと呉服店平和公園内、元安橋際にあってレストハウスになっているところ 爆    心地から170㍍)

② もと防空作戦室(中国軍管区司令部の一部 爆心地から790㍍)

③ もと陸軍被服支廠倉庫(戦時中、軍服や軍靴などをつくり保管した倉庫、県と国が所有する4棟の保存運動がある 爆心地から2670㍍)

④ 似島(原爆の被害者1万人が運び込まれた島、軍都広島の要衝爆心地から8~10㎞)

 

前作のオビは落合恵子さん、今回は写真家の石内都さん。

 

「君たちの未来は歴史の中にあります。それを見つけるヒントがこの「ひろしま」の物語です。」

 

巻末に著者による「記憶をつなぐ、「場」をめぐる」として物語の舞台となったところの詳しい解説と地図が掲載されている。またこうした本では珍しい参考文献も載っている。

今回も、あとがきのようなもの? は私が書いた。

 

前作について読書会をされた方々の記録。「読み込む」という言葉がぴったりの座談会。こんなふうに読まれる作品は幸せである。

baobab.main.jp

ワクチン2回目接種。副反応はさほどでもなかったが。それはそれとして副反応死はいったいどれほどあるのか。そもそも副反応死を政府は認めていないのだが。

昨日、2回目のワクチン接種。

昼前、間断なく降り続ける雨の中出かける。

会場は新横浜駅前、徒歩1分の整形外科。

ビルの2階と地下の2か所で、それぞれ案内と点検が3~4人ほど。ドクター1人。打ち手はそれぞれふたり。合計12~14人で対応。かなり大掛かり。

 

20分早く着いたが、そのまま短い列の後ろに並ぶと、1分で書類通過。その後2分で問診、接種。様子見15分入れて20分で終了。

 

今もまだ少し痛みがあるが、ひどくはない。一回目と同じ程度。発熱なし。かかりつけ医には痛み止めを擁しておいたほうがいいと言われていたが、問題なし。

 

ワクチン接種後の副反応や死亡例について、なんだか報道が少ないように感じるのは私だけじゃないようだ。

今朝いただいたメール。

 

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ボクの知人の連れ合い77歳が接種二日後に亡くなりました。

健康で特に持病も無く、すごく元気な方で、血圧問題もなかったのですが。家族はやりきれません。

政府は副反応死はなかなか認めません。ですから、なかなかめんどうなワクチン だなと思います。ボクも、最後の最後まで接種を迷いました。

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厚労省のHPには

・国内外で、注意深く調査が行われていますが、ワクチン接種が原因で、何らかの病気による死亡者が増えるという知見は得られていません。

 

 

 

深夜に大雨の警戒警報がスマホに2回。大きな音にびっくりする。雨は24時間以上降り続けている。

各地に大雨警報と土砂災害警戒情報が出ている。

 

朝になっても雨の勢いは変わらない。合羽を着て散歩に出かける。

境川の水位は普段より1.5㍍ほど上がっている。昨日、JR横浜線から見えた鶴見川は、これよりずっと水位が高かったが。

 

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ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降っていた災難、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫はんらんし、濁流滔々とうとう下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵こっぱみじん橋桁はしげたを跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟けいしゅうは残らず浪にさらわれて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、しずめたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」

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濁流を眺めていると、この部分が思い出される。

全編、講談のような力強いリズムだが、この部分は特に。太宰、1940年の作。巧さがはじけていると思う。迷いのない得意げな翻案小説。こんなものならいくらでも書けらあという時期だろうか。

メロスは、親友のセリヌンティウスを悪辣な王のもとに人質としておいて、故郷に戻り妹に結婚式をあげさせ、数日のうちに城下に戻ると約束。セリヌンティウスは黙って人質となるのだが、城下に戻ろうとするメロスの前には盗賊が出たり、濁流が出現したり次々と艱難辛苦が襲い掛かる。

 

 熱海の旅館に入り浸って帰らない太宰にしびれを切らした妻が、「様子を見てきてほしい」と作家の檀一雄(この人も”火宅の人”だが)に電車賃とお金をもたせて熱海に行かせた。太宰は壇を大歓迎、持ってきた金をふたりですべて呑んでしまう。困った太宰は、宿に人質として壇を残し、東京の井伏鱒二のところに借金を頼みに出かける。残された壇はいつまでたっても戻らない太宰に業を煮やし、宿のおかみに頼み込んで支払いを待ってもらい、井伏の自宅を訪れると、そこには井伏と呑気に将棋をする太宰の姿が。太宰は恩ある井伏に借金の申し込みを言い出せないままズルズルと長居をしてしまっていたようなのだ。激怒する壇に太宰は、「待つ身が辛いのかね。待たせる身がつらいのかね」と言ったという。このエピソードが、小説のもとになったと言われるが。

メロスは戻ってきたからセリヌンティウスは助かったけれど、太宰のように戻らない人のほうが世の中には多い。「走れメロス」が50年以上も教科書に載っているけれど、戻る人が増えたという話はない。

 

そんなことより、声に出して読むのが楽しい作家の双璧は、太宰と山本周五郎管見だが。

 

 

境川の濁流にはいろいろなものが流れてくる。ボールや竹竿。鳥の姿はわずかに鳩と雀を見ただけ。

魚たちは、水面下でじっとしているのだろう。

普段とがらりと違う境川の姿に満足して帰宅。

 

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市長選をめぐる自民党の内部抗争 執行部案の「自主投票」最終決定には至らず。

横浜市長選問題。

東京新聞県版、連日のトップ見出し。

 

「自民市連  IR誘致 溝深く  小此木さん自主投票決まらず」

 

8月8日告示、22日投開票の横浜市長選。昨日の報道では、市連執行部は1日の執行部会議で「自主投票」を決めたとあったが、昨日2日、今度は総務会を開き再度議論となったそうな。その結果、執行部案の「自主投票」最終決定には至らなかったという。

 

水面下でいろいろな動きがあるのだろうが、このゴタゴタは格好悪すぎる。

 

執行部の「自主投票」という方針、はたからみると政治的にはどうかなという代物。

これはカジノを含む統合型リゾート施設(IR)を推進しない旨を表明して市長選に立候補する小此木八郎を守ろうとするためのいわば折衷案。

自主張票という形にすれば、IR誘致を推進する市議との間の溝は決定的なものにはなりにくく、そもそも市議や県議の多くは小此木支持にまわるという予想もあってのこと。

 

新聞によると、これに対し市議から「IRの旗を降ろすべきではない」と同調する意見が出たという。わかりにくいが、これは自主投票を指示する意見。

これに対し、「小此木さんは自民党に対して、大変な功績のあるかた。推薦して戦うべきだ」との反対意見が出たという。こちらはIRを下ろして小此木推薦で積極的に市長選を戦うという主張だ。

 

自民党というのは鵺のようなもので、その場その場でさまざまなレベルの主張を大枠まとめて全体としては一つの方向に向かうという、良し悪しは別として派閥も含めた組織的な柔軟さが持ち味の党。褒めるわけではないが。

 

 

小選挙区制と官邸主導の政治構造が、そうした懐の深い自民党政治の劣化につながっていると言われるが、ここでも同じことがいえる。争いがあからさまに表ざたになってしまう。ためがないというか。

 

1日のの執行部会議で、坂井官房副長官横浜市連会長)は、はじめ「小此木推薦」を主張したという。ところが最後に「自主投票しかない」に転換。さらに、現職の林文子氏が仮に出馬したとしても、これを支援しないことを決めていたにもかかわらず、この執行部会議で、林氏を支援したとしても「処分はしない」ということで合意をしたとも。

 

自民党らしくない所作ではある。

 

情勢に流されている、その場その場の判断、どろなわ的とそしられても仕方ない有様。

自民党市議のコメント。

「一回決めたことなのに、方針がブレブレ。市連は分裂寸前だ」。

 

そもそもの原因は小此木八郎のIR誘致を下ろして市長選に出るという方針。これがねじれ現象の一番の原因。

本来なら林現職を支援せずとも、IR 推進で強力な候補を立てればそれでよかったはず。そのために、ガースーお気に入りの三原じゅん子や横浜出身のタレント渡辺真理の名前が取りざたされた。

しかし、IRに手を挙げていた外資は引き上げ、推進の中心だった秋元衆議院議員は刑事裁判の被告に。

横浜市連がもたもたしているうちに、私大医学部教授山中竹春氏が立候補を表明。立民がこれを支持、市民運動も政策協定を結ぼうとする動きに。

さらに、IR反対の先鋒、ハマのドンと呼ばれる藤木幸夫氏は、山中陣営支持をほのめかす。

この藤木と八郎の父、彦三郎はそれこそハマの政界、経済界の盟友同士。

このあたりにねじれの原因がある。

 

ネットで小此木の記者会見を見た。

八郎は、小学3年のころからうちに出入りするガースーを見ている。「兄貴のような」存在だったという。

「そんなかんたんなことじゃないですよ」と八郎。

 

その兄貴が、あれよあれよという間に総理になってしまった。

自分は、ガースーの導きもあって衆議院議員として大臣の地位にも就いたが、はて、なんか面白くない、という気持ちはなかったか?

 

そんな時にこのIR。反対の旗頭は、父親の盟友藤木だ。これも小さい時からかわいがってくれ、自分の後ろ盾となってきたおじさんだ。

この大事なおじさんが、IR反対の候補者を担ぐかもしれない。

 

神奈川三郎(小泉進次郎河野太郎小此木八郎)の一角にありながら、他の二人と比してとても総理に手が届くほどの力量はない。これ以上ガースーの下支えをしても先は見えている。

それならば、横浜市長はどうだ?

しかし、市長選を闘うのに恩義のある藤木を敵に回すことは何としても避けたい。なんといっても横浜の村人同士だ。ガースーは秋田出身の旅人だし、山中は千葉出身のやはり旅人。

はまっ子として市長選に出るいは、ここは評判が今一つのIRは降ろして、村人連合で勝ちに徹するべき。たとえ市連が文句を言ったとしても、だ。

 

結局、小此木家の都合や当主の考えが、自民党市連にねじれを産み出したということではないか。

八郎氏は記者会見で、「一人で考えて決めた」といっている。

どうあれ、最後は自民党は自分を支持するはずだという自信があるのだろう。それくらい横浜村人連合には底時からがあるということか。

 

林文子氏はまだ出馬表明をしていない。夜な夜な、反小此木の市議、県議との談合が行われているのだろう。

 

あしたの県版の見出しは、はてどうなっているだろうか。

 

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