ネコのけんかと給食初体験

今朝、8時前には気温は23℃、境川河畔の遊歩道へ向かう。マンションから100mほどの短い林の中の坂道を降りる。

このところ、オナガの10羽ほどの群れが住み着いてよく鳴いている。姿に比してきれいな鳴き声ではないが。

 

境川の西岸はとっくに朝の日差しがあたっている。日陰の多い東岸を歩く。

 

特別養護老人ホームみぎわホームの先、Mさんがオセロと勝手に名付けている白黒のネコが出没するところ。一戸建ての家の近くにいて、その家の畑周辺を縄張りにしている。

このところ姿を見ない。

2月ころだったか、その家の隣家の飼いネコとオセロがけんかしているところに遭遇。とっくみあい?ねこのけんかはいつも激しい。

飼い主の方が出てきて終わったが、見ていた私たちに

「今度見かけたら止めてくださいね」

ネコのケンカの仲裁を頼まれたのは初めてだ。

 

あれから、1、2度オセロを見かけたのだが。

他にも気にかけている方がいるようで、いつもいるところにアルミホイルの上に餌が置かれている。

 

5月1日。大雨の中、東京中央区にある晴海中へ。

1ヶ月後に控えた広島修学旅行の事前学習の会へ出席。

4月半ばに広島の中澤晶子さんから「予定が立たないので代わりに行ってほしい」という”無茶振り”。

昨年10月には若い先生たち4人が拙宅を訪れたし、3月の横浜での「中澤さんを囲む会」にも晴海中からお一人来ていた。断れない。

1週間ほど準備をしたのだが、前日にMさんに中身を披露すると、「難しすぎる」との評価。

1945年3月から8月の半年間、東京大空襲沖縄戦ヒトラーの自殺、原爆投下、敗戦までをパワーポイントを使って追っていこうとしたのだが、盛り込むことが多すぎて消化不良は必定と判断。

そこでシンプルに

(1)広島を始めるきっかけー生徒との関わりからー

(2)中澤さんとの出会い出会いー教材「いのちということ」を通してー

(3)広島と原爆ー旧陸軍被服支廠から軍都としての広島を考えるー

 

の3本だてに。

心配したのは、パワーポイント(MacBookなので正確にはスライド)がうまく作動するかどうかと、何より見知らぬ中学生190人がどんなふうに話を聞いてくれるかの二つ。

 

結果は?

スライドはうまく作動してくれたが、中学生の方は???である。

 

小学生、高校生と違って、周囲に気を遣い、思ったことがあってもすぐには表に出さないのが中学生。それに学年全員が集まる場で率直に反応してくれる人は少ない。

上手な人はそれでもうまく中学生をのせるのだろうけれど、原爆の話でのせるのは私にはむずかしい。

 

最後まで静かに聞いてはくれたが、どんなふうに受け止めてくれたかはわからない。

 

始まる前に、実行委員の生徒たち10人ほどと会議室で給食を一緒に食べた。

横浜の中学には給食がない。自分が小学校、中学校の時も給食の経験はほとんどない。

脱脂粉乳は記憶があるが。だから給食は初体験にちかい。

かなり多めのピラフといろいろ入ったスープ、少しパサついたカップケーキのようなもの、それに牛乳。案外簡素なメニュー。

 

生徒がいろいろと質問をするので、味はあまり覚えていない。

 

『ワタシゴト』三部作の中にたまに「黒田先生」という教員が出てくるのだが、生徒たちはワタシがそのモデルらしいということで関心を持ってくれたようだ。

しかし、本の中の黒田先生は、モデルとなった人よりはずっと若いし、覇気を感じるが、目の前にいる私は70歳を超えた高齢者。口には出さないが、生徒たちはがっかりしたのではないだろうか。

 

 

給食の前に校長室で校長に会う。

なんだか変な感じだ。

校長室に入るのは久しぶり。ほぼ10年ぶり。それに私の場合、他校の校長室は、何10回と重ねてきた組合の校長交渉の時がほとんど。客、講師として招き入れられることなど今までに何度もない。

なんだか落ち着かない。

 

その校長室の窓から3本のタワーマンションが見える。

「あれ、1500世帯くらいありますが、全て学区です」

と校長。

校長室からの眺めとしては、かなり稀有なものだ。

別の角度からの眺め

ということで、若干気が重かったイベント、終われば気分は雨でも気分晴々。わざわざ来てくれた東京の友人F氏、担当のR氏とともに門前仲町へ。

深川不動と富岡八幡近くの居酒屋へ。ホンちゃんよりずっと長い反省会となった。