連休の間はいくつかの野暮用をのぞいて逼塞していた。
寄席ではひと月を三つに分けて上旬を上席というが、5月も気がつけばもう上席が終わる。
このブログ、備忘録の役目もあるのだが、幾つも書き忘れたことがある。今回も4月下席以降のあれこれを記しておく。
4月20日、この日は土曜日。3月に神奈川近代文学館の松家仁之(まついえ・まさし)氏の講演と対談のイベントを予約していた。
松家氏は大好きな作家だ。寡作だが中身の濃い小説を書く。
名翻訳作の多い新潮クレストブックスを企画、創刊、「芸術新潮」の編集長だった人。
楽しみにしていたのだが、1週間前に友人のT氏から半年ぶりのメール。20日に、川崎の等々力球場で春の高校野球神奈川県大会、横浜商業ー武相の試合があるという。
横浜商業(Y校)の監督S氏のことは何回か書いたことがある。
そろそろ監督勇退という噂もある。
勝てばベスト8。負ければ夏まで試合はない。
予定変更。T氏とも去年の9月、保土ヶ谷球場以来会っていない。
友人優先。天気も良し。
9時15分、武蔵小杉北口待ち合わせ。
バスで球場まで。バスの中はキャップを被った同じような年回りの老人が何人も。
屋根のあるスタンドの席。少し風があって空気がカラッと乾いていて気持ちが良い。
Y校は昨秋の大会でもベスト8。昨夏はベスト4。私立強豪校の多い中、公立校として存在感を示している。
試合は、1回に3点をとったY校が優勢に試合を進めるも追加点が取れず、次々に繰り出すピッチャーがコントロールなく、守る時間は長くなるばかり。
明らかに流れは3点ビハインドの武相に。
案の定、6回、7回と1点ずつ取られ、8回には集中打で3点を取られる。
5−3、試合の流れを掴む大事さがよくわかった負け試合。
武相は、このあと、準々、準決勝と続けて勝ち、決勝で東海大相模に9−8と競り勝つ。42年ぶりの春の大会優勝。
選手の名前に沖縄の苗字がいくつもあって、応援席からは指笛がよく聞こえていた。
最後まで波に乗った試合だったのだろう。
見ていて、Y校とそれほど大きな差は感じなかったが。
ねぎらいのメールの返事にS氏から 「最後の夏、頑張ります」というメールが届いた。
武蔵小杉の焼肉屋で2人で反省会。チョモランマという店。中身より価格が店名をよく表している。標高でなく、値段。
試合の最中に卒業生のS君より電話。
5年ぶりの音信。
病気で伏せっていたそうだ。
ようやく治って、畑も再開したとのこと。今日は筍を掘ったので持っていきたいという。
連絡が途絶えていたので、どうしているのか気になっていた。
Mさん在宅の旨伝える。
S君は教員になった年、副担任で持った生徒。63歳になる。淡く長い付き合いになる。
帰宅したら、たくさんの筍の下ごしらえがしてあった。
数日いろいろな食べ方をした。
春の滋味の深さ、筍の味だけではなかったようだ。