東京新聞「こちら特報部」、大学入試問題でミスリードをしているよう思えた。

岸田政権は「聞く力」がウリだそうだ。

昨12月24日にオミクロン株の濃厚接触者は、各大学の個別入試を受験を認めないという強硬方針を発表。

え、なんだそれとびっくりしたが、4日後には突然無症状で陰性なら認めるよに転換。さらに年が明けると、会場までの交通機関にタクシーの利用も認めた。

 

さらに11日には、受験がままならないケースの救済を大学側に要請。共通試験を受けていなくても大学の個別試験や調査書などで合否判定をせよ、さらには個別試験も受けていなくても合否判定のできる救済策をつくって対応しろという「何でもあり」案を提示。

 

受験生を冷たく突き放したと思ったら、今度は抱きついてほおずりまでしている。朝令暮改

 

とまれ、「聞く力」は存分に発揮されているようだ。

「聞く力」とは、選挙の前にマイナス材料をどう減らすかと同義だ。いったん発表しても評判悪ければすぐに変える!つまり、選挙のためならなんでもする!のだ。これはつまり「健康のためなら死んでいい」みたいなものだ(違うか?)。

 

聞かされた大学側は混乱している。

そのあたりの事情について今朝の東京新聞特報部が詳しく報じている。

 

タイトルだけ拾ってみる。

「受験生救済策 政府ドタバタ」

「大学側は寝耳に水」

「決め方さえ決まっていない」自公政権五輪・ワクチンに固執 遅れた対応」

参院選へ『朝令暮改』」

「受験配慮というよりは…」

 

この記事、読み終わってのどに小骨が刺さった感があった。なんだ?

 

記事には、大学側任せの救済策について苦慮する担当者の見解が並んでいる。

 

「いまのところ妙案はない。受験生も不安に感じてしまうので、2月の個別試験まで示さなければならない。時間的にかなり厳しい」(筑波大入試課)

 

「(救済策)として『追試を』と急に言われても、入試問題はつくるのに1年ぐらいかかり、準備していないとできない」(東洋大入試部長)

 

「大学の意思決定にかかわる内容は事務方だけでは決められない。どうするか決まっていない」(横浜国大入試担当者)

皆困惑している。

 

救済対象の数さえ読み切れない苦慮する大学側に対し文科省は、

「どれぐらいが救済対象になるか、予想できない(コロナ以外の理由で受験できない人は対象外)」

「法令の根拠があるわけではなく、ご迷惑をかけるが、各大学には対応を強くお願いしたい」

 

政治家が言ってしまったもの。官僚としては口だけで、「現場任せ」の対応でしかない。

 

これに対し、入試日程や選抜方法は例年、文科省が6月ごろに基本的な事項を駄定めた「大学入学者選抜実施要項」を各大学に通知することを踏まえ、特報部としての見解を次のようにまとめている。

 

「このスケジュールを踏まえ、自公政権は出願までに感染者らの救済策を丁寧に検討できなかったのか」

 

それを補強する形で京都大の駒込武教授のコメントが載っている。

 

「共通テストの数日前に、政府は人手や予算の手当てをせずになんとかしなさいと言っている。泥縄式と言わざるを得ない。本気で対策するのなら、感染がいったん落ち着いた昨秋の時点で各大学に受験生も利用できるPCR検査センターを設けたり、医療機関の無料検査体制を整えたりすべきだった」

 

暮れから新年にかけ第6波がやってくるだろうことは、多くの人が予想もしていたことだ。オミクロン株の出現と米軍関係者の野放図な感染管理によって感染拡大は急激に進んでいる。

 

要するにこれは政府・文科省の無策が呼び込んだ状況ということだ。文部科学省 写真素材 [ 4534435 ] - フォトライブラリー photolibrary

文科省というとよくこの写真が出てくる。ここを入って中庭がある。そこに「さざれ石」が置いてある。

この旧庁舎の後ろに高層ビルの本庁舎がある(下の写真)。玄関も上の写真ではなく、別のところにある。報道が上の写真を使うのは「絵」になるからだろうか。

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それなのにこの記事、ミスターゆとりの元文部官僚寺脇研が登場させて、そのニュアンスを微妙に変えている。

 

「昨夏は菅政権がワクチン接種に力を入れ、感染拡大の最中でも東京五輪を何としても開催しようとしていた。省庁への締め付けも厳しい中、文科相が感染拡大に備えた救済策を大ぴらに議論するのは難しかっただろう」

 

有能な日本の官僚なら、半年先の状況を先取りして動くことなど当然のこと。何かあったときのために二重三重のセーフティネットを用意するのは当然のことではないのか。もとの住処の住人を擁護したいのか?

 

最後に特報部は「こうした事態で、寺脇氏は大学側の柔軟な対応に期待する」として寺脇の見解を最後のまとめとしている。

 

「近年は学力のみで判断しない総合型入試なども行っている」「各大学は、求める学生を取る手間を惜しまないでほしい。従来の選抜方法を見直す機会にもなるはずだ」

 

問題は、入試の直前になってよくわからん方策を現場に求める無策の政治であるのに、寺脇の手にかかると入試の方法の問題にすり替えられている。

 

現場の人間がきいたら、何を頓珍漢なことをと思うのではないか。

せっかくの特報部、バランスをとるように寺脇を出してきたことで、読者をあらぬ方向にミスリードしている。

これが小骨の正体。

 

今日のメニューは、ラーメンとタンメンとチャーハンだけと言っていたのに、突然コック長が「ステーキと刺身定食を追加する。いや客が食べたいと言うものはみなつくってやれ」。

 

材料の調達から作業手順まで全部変えなければならない状態に唖然としているコックらに、元職のコックが

「これも今後の君たちの腕前の向上に必要なものだ。手間を惜しまず前向きに取り組みたまえ」

と言っているようなもの。

 

東京新聞、記事のバランスってそういうのとは違うと思うけど…。

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寺脇研