映画『滑走路』20代前半、30代後半、そして15歳と世代が全く違う3人が、実は同じ年齢であって、中学時代、同じ空間にいたことが少しずつ明らかになっていく。 この枠組みの作り方が、わざとらしくなくとっても自然で、いい。3人のそれぞれの鬱屈の重なり方が、安っぽくないのだ。 

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240枚の折り紙でできているとのこと。Mさんの作。


ジャック&ベテイで

 

『滑走路』(2020年/120分/日本/監督:大場功睦/原作:萩原慎一郎/脚本:桑村さや香/出演:水川あさみ 浅香航大 寄川歌太他/2020年11月20日公開)

 

を見た。

32歳で自ら命を絶った歌人・萩原慎一郎の歌集を原作につくられたオリジナルストーリー。短歌はエンドロールの最後に一首のみ、文字となって出てくるだけ。歌集を原作にしながら歌を使わずに、つくりあげたストーリーがとっても良くできていると思った。

 

3人の別々の男女の境遇を描くところから映画は始まる。

厚生省の若手官僚鷹野(浅香航大)は、働き方改革を担当しながらすさまじい激務のなかで消耗し無力感にうちひしがれている。ある時NPO法人から手に入れた同じ年齢で自殺した若者に関心を抱く。その周辺を調べていくうちに…。

 

30代後半の切り絵作家翠は、子どもをつくることに対して美術教師の夫の間に微妙な溝がある。

 

もう一人は中学生。学級委員長。いじめにあっている幼なじみを助けようとして、自らがいじめの標的となる。シングルマザーの母親にだけは知られまいと、いじめの事実をひた隠す。

 

20代前半、30代後半、そして15歳と世代が全く違う3人が、実は同じ年齢であって、中学時代、同じ空間にいたことが少しずつ明らかになっていく。

 

これ以上はネタバラシになるのでやめるが、この枠組みの作り方が、わざとらしくなくとっても自然で、いい。3人のそれぞれの鬱屈の重なり方が、安っぽくないのだ。いじめ問題とか十代の自殺といったところに向かわずに、それぞれの内部を掘り下げている。

 

3人の演技がとってもいい。演出が優れているのだろう。映像にしっかりしたリズムがあり、先走らない。

浅香航大は映画『劇場』(2020年)と『見えない目撃者』(2019年)で印象があるが、本作は存在感がある。若手官僚と上司のやり取り、リアリティ満載。水川あさみの出演した映画は何作か見ているがあまり印象がない。本作は内省的な演技が素晴らしい。「喜劇愛妻物語」では全く違った激しいキャラクターを演じているらしいが未見。

寄川歌太(よりかわうた)は2004年生まれ。表情に独特のいい雰囲気を感じた。彼を取り囲む中学校、中学生、教師、とってもリアル。学級委員長と惹かれあう女子、なんという女優か知らないが、軽やかでいい演技をしている。

 

浅香は94年生まれ、水川は83年生まれ。3世代を丁寧に描くことで物語に奥行きをあたえ、自殺という悲劇の底深さをつくり出している。

中学生の自殺、ではなく、まさに今の社会の中の若者の置かれた位置、気持ちのありようをしっかりトレースしようとしている。

原作の歌集は読んでいないが、原作からインスパイアされてこうした作品ができるのは、原作に大きな魅力があるのだろう。いずれ読んでみたい。

 

原作に触発され脚本をものした桑村さや香というひとと監督大場功睦、お二人の才能がつくった素晴らしい映画。桑村さや香はアニメ版『ジョゼと虎と魚たち』の脚本も担当している。実写版は池脇千鶴主演だったが、はたしてどんな脚本になっているのか。授業を担当している学生の一人がこのアニメ版が大変によかった、センセイも見てくださいと書いていた。

 

客の入りはよいとは言えなかったが、こういう映画、もっと見られてほしい。

最近は、〇〇映画祭出品とか受賞とかをウリにするのが流行っているが(正直聞いたことのない映画賞がたくさんある)、見てみるとどうしてこれが?というものも多い。

本作は堂々と海外の映画祭に出してもおかしくない出来だと思うし、なにより日本の映画賞が評価してほしいと思う。

 (第33回東京国際映画祭(TIFF) 特別招待作品となったそうだ)

厳冬到来。誤解ばかりしている国民に対し、ガースー、真摯に反省だと。

今朝、冬到来を実感。

未明の4時ごろに2.3℃だった外の気温が、夜明け前の6時半過ぎに1.1℃に。

昨日は、横浜は東京より温かいと書いたが、あまり変わらないようだ。

 

ニュースを見ていたら、ガースーと銀座のステーキ屋で飯を食った王貞治氏とみのもんた氏がテレビに映っていた。

FNNプライムオンラインは、

 

「出席者は、福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長、俳優の杉良太郎さん、さらに、政治評論家に、別室にいたというタレントのみのもんたさんら8人ほど。

メンバーの1人は、この会食は、忘年会だったと話している。

杉良太郎氏「きょうは、みんなで野球の話とか、そんな話をしただけ。忘年会」

王貞治氏「仕事とかなんかは関係なく、秋田の話とかそういうのをしていました」

みのもんた氏「二階さんも野球やってましたからね、野球の話で終始していました。(首相はマスク外さないよう呼びかけていたが?)さあ、僕よく見ていなかったから、そこまで見ていないからわからない」

と報じた。

マスクをして食事をしたのですか?と訊かれ、

 

みのもんた氏は嬉しそうに

 「そういう人がいたらぜひテレビに出てもらいたい」。

 笑ってしまった。ガースーと飯を食うような人にしては面白い答え。

 

二階幹事長は「マスクをしながら食事はできないだろう」

つまらない。何を開き直っているのか。政権与党の幹事長が、国民には「控えろ」と言っておきながら、自らルール破り。まずは「ごめんなさい」だろう。

 

 

飲食店は営業時間短縮、自粛要請にみな青息吐息の状態だが、ここ高級ステーキ店「銀座ひらやま」は活況を呈している。

しかしネットで店名が出ていたのはごくわずか。どうしてだろう。なぜださない?

 新聞の首相動静欄には店名が出ているのに。忖度?

 

普通に坐ってコースを頼めば4万円弱。酒を飲めば6万円近くにもなる店らしい(庶民が4000円の料理で忘年会をすると考えればいい。10倍すればこんなもの)。

 

こういう人たちが集まるお店はコロナ禍などお構いなく、時間内の営業でやっていける。

 

政界、財界には黙ってうちにじっとしていることが苦手な人ばかりいるのだ。

マグロと同じ、銀座や六本木を回遊していないと死んでしまうんじゃないか?半径5,6キロ圏内の高級〇〇店をスーツを着たマグロがを毎夜泳ぎ回っている。

 

 

さて、ガースーは朝も元気。毎朝のようにホテルで誰かと朝食を食べている。親戚がいるのか「ORIGGAMI」に、といった川柳があったが、ここと虎ノ門のホテルThe Okura Tokyo のレストランオーキッドでほぼ毎朝、だれかと朝食を食べている。

毎夜高級〇〇店をはしごして、朝には5~6000円もの朝食を毎日食べているとすると、気になるのは体調・・・いや支払いだ。

 

特別職の首相に勤務時間という概念は当てはまらない。早朝も深夜も仕事と言えば仕事になる。

一人でファミレスで食べていればプライベートということになるが、人に会えばすべて仕事。

朝食も夕食もみな使い放題の官房機密費から支出されているのだろうと推測する。

 領収証もいらない、開示の対象にもならない機密費。 

首相動静を見ると、ガースーは土日でも横浜のみなとみらいにあるタワーホテルの自宅に帰っていない。公邸とは書いてないから議員宿舎にいるようだ。よくわからない。そのぐらい総理という仕事は大変だということ?犬抱いてお茶飲んでくつろいでいる人もいたのに。それとも帰れない理由があるのか?

 

ドイツのメルケル首相はレストランでひとりで食事をすることがあるが、周囲は彼女に気付いてもことさらに声をかけたりしない、という記事を読んだことがある。日本ではありえない。

 

一人でいる、ことなどないのだ。何しろ回遊魚だから、いつも誰かと群れていないと死んでしまうから。

いやいや茶化してはいけない、総理大臣という大変な仕事だからこそ、たまには有名人と気がねなく野球談議でもして気晴らしをということか。

 

それでは男芸者じゃないかなんてけっして言われない品行方正な王氏は「仕事とかなんとかは関係なく…」と生真面目な答え。

大人の世界はそれも含めて仕事、かつてのサラリーマンはそう云った。ゴルフもマージャンも宴会もすべて仕事のうち。

経費で落とせば自腹は痛まぬ。

おんなじじゃん、ガースー。

数キロも離れていない公園では、職を失い、住むところもない人たちが寒空の下、路頭に迷っているのに・・・。

云うに事欠いていつものように

「国民の誤解を招くという意味では真摯に反省…」

コロナ禍の中、5人以上の会食には気をつけてと言っていた人が、7人で会食したというのがまぎれもない事実。

誰が誤解したのか。事実を正しく理解したからこそのガースー批判。

誰も誤解などしていない。過ちてはあらたむるに憚ることなかれと昔から言うではないか。アベ譲りの口先三寸内閣の首相には無理なことか。

今朝の新聞にあった昨日のガースーの動静。六本木の「ステーキそらしお」でフジテレビの会長、社長、五輪組織委員会の理事と食事。懲りない。

でも決まりを守って4人だけ!

毎夜毎夜、ステーキ店での食事会。鉄の胃袋。

ガースーには、けっしてコロナにかからない、あるいはたとえかかっても庶民には考えられない特別な医療が用意されているのだろうと勘繰りたくなる、厳冬到来の夕餉である。

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レストラン"ORIGAMI”の朝食のメニュー 

 

 

相撲道とかサムライなんて言わなくても、200キロ前後の男たちが直径4.55㍍の土俵で頭からぶつかり合うという、世界に類を見ない独特のスポーツをさまざまな視点から解き明かすというようなものをやってほしい。

まさかこういう映画、午前中から見に来る人はそうはいないだろうと思って,オンライン予約をしないで若葉町のジャック&ベティまで出かけた。50人近く入っていた。レディスデーであったせいか女性の姿も目立った。何とかいつもの席につけた。

 

『相撲道 サムライを継ぐ者たち』(2020年/104分/日本/監督:坂田栄治/語り:遠藤憲一

 

2018年から半年の間、境川部屋高田川部屋の稽古場の様子を中心に描いたドキュメンタリー。

 

タイトルがよくない。サムライ? はあ?である。

「男たち」としなかったところはエラい。女相撲の系譜もある。

 

日本ではなにかとスポーツに「道」をつけたがる。

「剣道」は全日本剣道連盟が定義した言葉だし、「柔道」は加納治五郎によって明治時代につくられた言葉だ。

 

武士道だって概念のぼやっとしたよくわからない言葉。

近世になって一般化したというから、武士が戦わなくなってつくられた言葉と言えるだろう。実践よりどんどん精神性が強くなる。

 

力士の士は、その武士に由来するという。

 

へえ、知らなかった。相撲は神事にちなむように相撲協会は言っているように思うが、

武士だとするとこれはまた面倒な話になる。

 

「相撲道」という言葉をネットで検索すると、ほとんどがこの映画に関連したことが出てくる。

 

一つ「相撲道」で出てくるのは、元横綱大鵬が書いた「相撲道」という本。

 

剣道や柔道に比べて「相撲道」という言葉はまだ世にまったくなじんでいないということだ。

 

この映画、おもしろかった。それなりに。

相撲道と言いながら、サムライと言いながら、その実、豪栄道や竜電、妙義竜などのインタビューにはそんな堅苦しさがなく、人柄がにじみ出るようなほほえましいものばかりだった。互いに切磋琢磨し、互いに存在を認め合う。厳しいけいこの中で関取になるというのは大変な出世で、年齢的には若くても精神的にも肉体的にも老成するところがあるのだなと思った。

 

ただ不満は、相撲の技術的な面、私たちには計り知れないところを明らかにしようとしているのか、それとも力士たちの普段の生活やしきたりなどのトリビアを描こうとしているのか、それとも神事やサムライなど精神的な面を押し出そうとしているのか、とにかく枠組みがはっきりしないことだ。

 

歴代の名取り組みというわけでもないし、何といっても白鵬鶴竜も全く登場しないのも変。

監督が部屋の全員を焼き肉屋に招いて「すきなだけたべて」と言って、会計の時に80万円を超す金額に驚くというのも、面白くないとは言わないが、なんのために?という疑問が残った。

 

相撲道とかサムライなんて言わなくても、200キロ前後の男たちが直径4.55㍍の土俵で頭からぶつかり合い、そして表面的には全く感情を表に出さないという、世界に類を見ない独特のスポーツをさまざまな視点から解き明かすというようなものをやってほしい。たぶんシリーズものになるだろうけど。

 

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市が尾店

次の日、木曜日。病理検査の結果を聞きにクリニックへ。

4つのポリープ、すべて腺腫(アデノーマ;adenoma)良性のものとのこと。

2年後にまた検査に来てと言われる。

 

帰途はちょうど昼時、国道246号沿いにある壱語屋へ。

去年、胃がんの手術をする前に来て以来。

 

店の雰囲気は昼間でもやや暗めで天井が高くていいのだが、客の話し声が響き過ぎるのが難。それと運んでくる若者があまり愛想がないというか、忙しすぎて余裕がないのが少し残念。肉はうまいのだが。

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無人オーケストラコンサート 立体音響技術の臨場感 ナマの音への飢餓感を増幅させるすごい音

火曜日が終わるとホッとする。

Zoomによる授業、12回目が終了した。あと3回、今年に限ってはあと1回。ようやく向こう岸が見えてきた。毎回オンラインでの90分はかなり疲れる。早く岸辺にたどり着きたいものである。

 

天気が安定している。西高東低の冬型が定着しつつある。気温も今朝は4℃まで下がった。ニュースで渋谷あたりの気温が出るが、たいてい1、2℃、こちらが低い。

緯度的にはここは房総の袖ケ浦とほぼ同じだから、やっぱり東京よりは温かいのかもしれない。

 

このところ、カワウの群れがどんどん大きくなってきている。けさはサギが一羽、カワウの群れの最後尾について飛んでいた。別のところにサギの群れはまとまって餌を食んでいるのだが。どうしたわけだろう。

 

一方、どうして1羽だけなのかという鳥も。

バンという鳥だと思うが、ここ1週間ほど同じ場所の川の中ほどに浮かんでいる。飛んでいるふうでもない。いつもクイクイと首を前に出しながら泳いでいる。

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ネットから拝借しました

バンかどうか自信がない。ネットの写真を見るとくちばしの色が違うような気もする。

 

それと珍しいのはカモメだ。これも海では群れになっているが、境川上流に一羽だけぽつんと。一日だけだったが。

 

境川の河口は藤沢の先、江ノ島あたり。ここから20キロほど下る。そのあたりから飛んできたのか。一羽だけ迷ってしまったのだろうか。いざこと問わん都鳥、どっから来たの?である。

 

先週、みなとみらいホールで風変わりなコンサート。

無人オーケストラコンサート。

いつもはオケの団員が坐ってる椅子に大小さまざまなスピーカが載っている。

事前に川瀬健太郎指揮神奈川フィルの演奏を無観客で録音したという。

普通の録音ならせいぜいが5,6本のところ、それぞれの楽器に1~2本、全部で175本のマイクで録音。ヴァイオリンだけでも20本近い録音マイクを使用したという。

そのうち100ほどの音源をそれぞれのスピーカから流すという試み。本邦初の試みとのこと。

当たらないだろうと思ったが、メールでの応募だったので片手間にやっておいた。ほどなく封書が届き当選とのこと。チケットが2枚入っていた。こういうのに運を使ってしまう(笑)

 

1日に4回、1回200名の聴衆。

 

今まであるようでなかった試み。大きなスピーカを舞台の上で鳴らすのとどう違うのか興味があった。

 

曲目はスターウオーズのメインテーマとベートーベン交響曲5番の「運命」。

座席は自由席、早く着いたMさんがちょうど真ん中あたりの、ふだんのコンサートならS席の中でもすぐに売り切れるところあたりを取っておいてくれた。

 

目をつぶって聴き入る。

いい音である。ホール全体にきれいに響いている。音に切れもあり、広がりもある。ば

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らばらにスピーカが鳴っているというのとは違う。機械の音っぽくないと思った。

じゃ、ナマのオーケストラかというとそれとも違う。

とにかく70ほどのスピーカが同時に鳴っているのだ。ちなみにスピーカはすべてヤマハ製。高性能だなと思う。

しかし度肝を抜かれた、という感じではない。

 

仕掛け人が何人かステージで、その仕組みなど話してくれたあと、聴衆はステージに上がっていいとのこと。これがすごかった。

 

下手からステージに上がっていく。第一ヴァイオリン。一つひとつのスピーカに耳を近づける。聴いたことのないクリアな切れのある音。第二ヴァイオリン、木管金管、打楽器、チェロ、コントラバスと巡って最後は指揮台に上がる。

客席とは聴こえ方がまるで違う。音に包まれる感じ。それも多種多様な音がしっかりまとまって聴こえてくる。若いころ吹奏楽を指揮したことはあるが、それとはまったく違う。弦があるせいか。初めての体験。ヴァイオリンがすぐ近くから左手下から聴こえてくるのなんとも気持ちがいい。もともとの演奏がいいことが一番なのだろうけれど、それにしてもこのなんというか、たくさんの楽団員が確かにそこにいて演奏をしているような、そんなふうに聴こえた。

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ここで聴こえるほんとうの音がどんなか知らないから何とも言えないが、機械とナマどっちと言えば俄然ナマに近い。

ただ椅子の上にスピーカを置いているだけではない。スピーカの向き、台の材質、ミキシング、なによりスピーカの種類。それぞれの楽器に適したスピーカを準備できるというのがメーカーの強み。しかしもっとも大事なのは再生音をミキシングしていく人の耳。

yokohamawebstage.jp

1時間ほどのコンサート?だったが、驚かされた。

しかし月並みだが、出口に向かいながら考えたのは、ああナマのオケが聴きたいということだった。機械に飢餓感を増幅させられたようなものだ。

 

 

 

 

 

竹内良男さん「ジャーナリスト基金賞奨励賞」を受賞、北村小夜さん「多田謠子反権力人権賞」を受賞。

年に二度叙勲受章者が発表される。

文化功労者文化勲章の違いもよく知らない。

勲章にもいろいろな種類があって、色があって・・・。

新聞を見ながら「おお、この人もこういうのをもらうのか」と思う人もいる。スポーツや音楽、美術の分野の人に対しては「そうでしょ、そうでしょ」と思うが(偏見か?)、映画、演劇、文学などとなると、「そういう人だったのか。”晩節を汚す”という言葉を知らないのか!」と小さい声で毒づいたりしている。

 

上から下までいろいろと取り揃えている勲章。上は中曽根大勲位から下は・・・。

学校について言えば、退職の時には叙勲申請のようなものを副校長が作成するということを聞いたことがある。可もなく不可もなく勤め上げ、賞罰のうちバツがなければ退職して数年後にはもれなく(たぶん)めでたく叙勲ということになる。まあ既定路線。

叙勲が決まるといくつもの業者が営業に訪れるのだそうだ。

叙勲ビジネス。勲章を入れる額や返礼品の数々、記念写真に披露パーティー・・・。

 

私の係累でも数年前に勲章をもらった人がいる。私よりいくつも若くて現役での叙勲だった。

親戚の中でも酒飲み友達だったのでお祝いの会に出た。返礼品には菊の紋章が入っていた。う~ん。

 

 

国民栄誉賞というとっても名誉?な賞を固辞したという不世出の盗塁王福本豊は、受賞を打診されたときのことかそれとも後日談なのか、名セリフを残している。

 

「そんなもん(国民栄誉賞)もろたら、立ちションもできなくなるわ」
 
もともと国民栄誉賞王貞治氏のホームラン記録がその嚆矢。福本豊がもらってもおかしくない。
ジャイアンツの監督として川上、長嶋、王に準ずる原辰徳など嬉々としてもらうだろう。たとえ女性問題で球団に1億円も払わせたり、賭けゴルフの常習者であることをみな知っていたとしても。
 
福本豊はいらない、というだけならまだしも、「立ちションもできなくなるわ」と云うところが並の人間のうつわではない。今のせせこましい時代なら「不謹慎だ」とバッシングにあうような言い草だし、授与するほうからすれば栄誉賞と立ちション、一緒にするな!と怒るかもしれない。
83年。時代はまだまだゆとりと自由があったころ。
 
なぜこんな話を?と思われるかもしれない。
というのも、最近、友人というのもおこがましい、知人お二人がそれぞれ賞を受賞されたのだ。
 
竹内良男さん
元埼玉県の高校の教員。
2016年から「ヒロシマからヒロシマへ」という講座を開催。すでに100回を軽く超えている。通信は今でも日に2号出ることもある。
広島に限らず戦争、平和に関する情報の広さ、深さは私などの想像をはるかに越している。
竹内さんが受賞したのは、第26回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞だ。
 基金賞はひとつ

信濃毎日新聞社編集局「連載企画・記憶を拓く 信州 半島 世界」

奨励賞は7つ

★伊藤絵理子・毎日新聞記者の連載「記者・清六の戦争」

九州朝日放送「良心の実弾~医師・中村哲が遺したもの~」<20・5・29放映>

★Kプロジェクト「ドキュメンタリー映画『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』」

静岡新聞取材班「長期調査報道・サクラエビ異変」

★元教員・竹内良男さん(東京都)の「ヒロシマ連続講座」と通信「ヒロシマへ ヒロシマから」の発行

西日本新聞社取材班「戦後75年企画『言葉を刻む』『あの日、何を報じたか』」

★柏井宏之・樋口兼次・平山昇共同編集「西暦二〇三〇年における協同組合」<社会評論社

 

見てもお分かりのように受賞者のほとんどが新聞やテレビで優れた仕事をされた人たち。その中に小さな講座と通信を出し続けてきた竹内さんが入っている。これはちょっと感動的なことだ。

 

竹内さんは通信519号でこんなふうに書いている。

 

・・・ぼくの他に選ばれた方々の一覧を拝見すると、毎日新聞西日本新聞九州朝日放送静岡新聞・・・、とまさに錚々たる方々の長期にわたる重厚な取り組みが並んでいて、ぼくのささやかな取り組みがここに一緒に並ぶというのは、どうにも面映ゆい感じが拭いきれません。というか今まで振り返って「賞」というモノにはとんと無縁でしたから、戸惑っているのが正直なところです。なのであまり大っぴらには言わないことにしようと思っていたのですが、新聞に掲載された昨日から、とてもたくさんの方々からお祝いのメールや電話をいただきました。お一人お一人に返事をきちんと出来ていないのですが、まずはこの場を借りて御礼を申し上げます。ありがとうございました。
それから、取り組みを推薦してくださった方、選んでくださった選考委員会の方々、そして今までの「ヒロシマ連続講座」に来ていただいた講師の方々、また講座の参加者のみなさん、さらには「<ヒロシマヒロシマから>通信」の読者のみなさんにも
心からの感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。ありがとうございました。

 

不真面目な読者の一人である私もお祝いのメールを差し上げた。

竹内さんと私のつながりは、たった一つ。

東京都の中学校の教員として初めてヒロシマ修学旅行を実施した江口保さんの教えを、互いに乞うていること。不真面目な私と違って、竹内さんは現役時代から退職後まで一貫して江口先生の教えを受け継ぎ、今やその活動と人脈の広さは考えられないものがある。それをもとにヒロシマを世界に広げる活動を地道に続けていらっしゃる。正直、ごく普通の市民生活はできているのかと思うほどの活動量だ。

からだを大切にして息長く続けてもらいたい。

 

もう一人は、北村小夜さん。

北村さんが受賞したのは、

第32回多田謠子反権力人権賞

tadayoko.net

 

今年の受賞者は3人。
 

● 宮城秋乃さん  (沖縄北部訓練場での軍事廃棄物撤去闘争)

 子どもの頃から虫が大好きで、成長して蝶の研究者を目指した宮城秋乃さんは、沖縄北部の大自然の中で生物の生態調査を行ってきました。
 2016年12月、ヤンバルの広大な土地を占めていたアメリ海兵隊北部訓練場の約50%が日本に返還されましたが、海兵隊のジャングル野戦訓練基地として使用されてきた森に、調査のために入った宮城さんが見た物は、PCB、DDT等で汚染された土地であり、訓練設備の残骸、汚染廃棄物、不発弾など、軍事訓練によって生み出されたおびただしい軍事廃棄物でした。日米地位協定によって、米軍は返還後の土地の原状回復義務を負わないのです。日本政府はこの土地を現状のまま世界自然遺産の候補として推薦し、来年夏の登録をめざそうとしています。
 これらの軍事廃棄物が貴重な自然、生態系に悪影響を与えることを危惧した宮城さんは、生物調査よりも優先して軍事廃棄物の問題を社会に告発し、原状回復と保護を訴えて活動しています。リュウキュウウラボシシジミなどの貴重な昆虫たちやヤンバルの自然、彼らの命、そして自然の一部である私たちの命を守るために闘う蝶研究者、宮城秋乃さんに多田謡子反権力人権賞を贈ります。

● 青木惠子さん  (冤罪との闘い、冤罪被害者支援の闘い)

 1995年7月、青木さんの自宅が火災にあい11歳の長女が逃げ遅れて亡くなりました。警察は保険金詐欺と邪推し、青木さん夫婦を任意同行、「自白」させました。裁判では一貫して無実を主張しましたが、99年に大阪地裁で無期懲役判決、2006年に最高裁で無期が確定し、青木さんは和歌山刑務所へ下獄されました。
 弁護団と支援者、そして何より青木さん自身の不屈の努力で再審開始への活動が続けられ、ホンダの軽ワゴン車からのガソリン漏れ、引火が火災の原因だったことが実験で明らかとなります。事件ではなく事故だったことが証明され12年に再審開始が決定、16年に真っ白な無罪判決を勝ち取りました。
 逮捕から釈放まで20年間、家族と引き裂かれ、自由を剥奪されて監禁され、あろうことか娘殺しの汚名を着せられた獄中生活は想像を絶します。その悔しさをバネに生き抜き、雪冤を果たしたのち、冤罪という権力犯罪に対して国家賠償請求を提訴し、火災の原因を作ったホンダに対する訴訟を起こします。そして全国で冤罪に苦しむ被害者たちを力づけ支援するために、飛び回っておられる青木惠子さんに、多田謡子反権力人権賞を贈ります。

● 北村小夜さん  (天皇制・戦争との闘い、障害児・者の人権のための闘い)

 およそ70年におよぶ北村小夜さんの活動の根もとには、つねに自分自身が経験した事実があり、自分自身が生きてきた道筋を曖昧にせず、それと向き合う姿勢がありました。「この世で会えなかったら靖国で会いましょう」。海軍に行ったボーイフレンドにそう言われて、女でも靖国に行ける道をいこうと決心し、従軍看護婦となって満州に渡った軍国の少女。無知ゆえに侵略者となり、天皇のために青春を費やした自分と向き合うことで、北村さんは天皇制と戦争の歴史を曖昧にする戦後の日本社会、戦後日本の教育と対峙し続けてきました。  できない子に教えられる教師になろうと赴任した特殊学級で、生徒に「先生も落第してきたの?」「先生なら大丈夫…試験受けて普通にもどりな」と言われた北村さんは、無理やり子どもたちを特殊学級に排除する「教育」の間違いをさとり、みんなが一緒に学ぶ教育のための活動をはじめました。  「できる子」と「できない子」に選別し、「できない子」を排除する教育は、愛国心を養う「教育」と一体となって「戦争は教室から始まる」。95歳の今も、大嘗祭違憲訴訟をはじめとする闘いの先頭に立つ北村小夜さんに、多田謡子反権力人権賞を贈ります。

 

北村さんに初めてお会いしたのは77年のこと。そのころ北村さんはすでに50歳。私は新人の教員だった。

この年代の方で、こんなふうに言葉に真摯な思いが込められる方初めてだった。

以来、その印象は変わらない。

いまだに会うたびに緊張する。お話を聴き洩らさないための緊張だ。

 

軍国少女が彼女の出発地点。どんな問題でも北村さんはそこを外さない。どんなに時間を経てもそこをずらさない。

これができるようでできないことなのだ。

いつのまにか自分を許し、見栄えのするように自分を変えたくなるもの。

北村さんにはそういうところがみじんもない。

だから、いまでも人気がある。

北村さん、おめでとうございます。

 

 

 

 

 

 

『泣く子はいねぇが』作り手の思い込みが強すぎて、伝わるものが半減しているような気がする。あちこちで冗長だなと感じるシーンがいくつもあった。

二日続けての早朝映画。4日(金)。昨日の『シラノ・ド・ベルジュラック』は9時40分からだったが、今日はもっと早く9時10分。1回だけの上映。

 

『泣く子はいねぇが』(2020年/108分/日本/監督・脚本:佐藤快磨/出演:仲野太賀 吉岡里帆/2020年11月20日公開)

 

期待していただけに、少しがっかり。

なにやら凝った作為が張り巡らされているようにもみえるが、基本的に2時間近くを映画として楽しませてくれなかった。

仲野太賀演じるたすくが、子どもが生まれた直後、なまはげで泥酔し裸で街を歩くところがテレビで放送される。地元にいられなくなったたすくは吉岡演じることねと離婚し東京へ。すぐに戻ってきて、「やり直し」をはかるのだが・・・。

 

どうしてたすくとことねの間がうまくいかなくなったのか、よくわからない。なまはげのような伝統行事の伝承に酒はつきものだし、ときに羽目も外すだろう。たすくのはだかによってなまはげそのものが続けられなくなっていくような事情が発生したように感じられるが、それが離婚、上京、そして舞い戻りという具合に流れていくのがまったくわからない。

大人になり切れない男を仲野はいい感じで描いているが、たすくが特別ではなくほとんど若い男はあんなもの。女に比べて男は、鈍い分育つのに時間がかかる。焦点の当て方がずれているのではないか。

たすくの中途半端さが仲野によく合っているのはいいとして、ことねの吉岡里帆は活きてない。

たすくの母親、アイスを売りながらパチンコに興じる余貴美子との関係、家を継いでつぶしてしまう兄の山中崇との関係、、必死で伝統のなまはげを守ろうとする柳葉敏郎、それらをつなぐ「なまはげ」がもっと前面に出てもいいのにと思った。

 

作り手の思い込みが強すぎて、伝わるものが半減しているような気がする。あちこちで冗長だなと感じるシーンがいくつもあった。

ラストシーンは見せ場ではあるが、ラストシーンがすとんと腑に落ちるような映画を作ってほしかった。企画は是枝裕和。彼が脚本を書いてメガホンをとったら違った映画になっていたのではないか。正直ちょっと残念。

 

 

 

『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい』何も書かれていない脚本から始まり、上演禁止を経てパリの民衆の力で上演に至るまでのドタバタ劇が、小気味よいほどに繰り広げられる。

どこのシネコンでもそうだが、封切り時には一日4回ほども上映したものが、早いものでは2週間で早朝を含めた2回になり、1週間後には早朝だけになる。「鬼滅の刃」の勢いは最終巻初版395万部とともに衰えを知らないが、10月11月と封切られた邦画は早々と姿を消していく。『スパイの妻』はもうどこのシネコンでやっていない。みなとみらいのブルク13での上映も行こうと思った時には終わっていた。

 

早朝の一日1回の上映を二日続けてみた。

 

3日、『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい』(2018年/112分/フランス・ベルギー合作/原題:Edmond/監督:アレクシス・ミシャレク/出演:トマ・ソリベレ オリビエ・グルメ/日本公開2020年11月13日)

 

原題の「Edmond」は、主役で戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」の作者のエドモン・ロスタンのこと。フランスで長く演じられてきたこの戯曲に対するオマージュの映画。

シラノ役のコクランを演じているのがベルギーの俳優オリビエ・グルメ。役者の顔はなかなか覚えられないが、この人は一目で「見たことあり」。

カトリーヌ・ドヌーヴ主演の佳作『ルージュの手紙』(2017年)、そして時代的には少し前の19世紀半ばのパリを舞台にした『マルクス・エンゲルス』(2018年)でも達者で個性的な演技をしていた人。今作は共同主演と言っていいほどはじけていて素晴らしかった。

 

19世紀末のパリを舞台に、ベル・エポック時代を象徴する戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」の誕生秘話を描いた伝記ドラマ。1897年、パリ。詩人で劇作家のエドモン・ロスタンは、もう2年近くもスランプ状態に陥っていた。そんな彼のもとに、大物俳優コンスタン・コクランの主演舞台を手がけるチャンスが舞い込む。しかし決まっているのは「シラノ・ド・ベルジュラック」というタイトルだけで、執筆は一向に進まない。そんな中、親友レオが愛する女性ジャンヌと、レオになり替わって文通することに。彼女との詩美あふれる手紙のやり取りに刺激され、自身の脚本執筆もついに進み出す。やがて、借金だらけの俳優や気まぐれな女優ら崖っぷちの舞台人たちが劇場ポルト・サン=マルタン座に集い、それぞれの人生を懸けた舞台の稽古が始まるが……。

                    (映画ドットコムから)

何も書かれていない脚本から始まり、上演禁止を経てパリの民衆の力で上演に至るまでのドタバタ劇が、小気味よいほどに繰り広げられる。さまざまな仕組みが縦横無人に張り巡らされていて、飽きが来ない。時代考証は重厚でまるで19世紀末のパリにいて、芝居を見ているような気になってくる。ほぼ完ぺきなつくり。こんな映画をつくる映画人がまだまだいるということに驚く。日本でいえば凝った時代劇をつくる感じ?

観客は私を入れて6人だったが、早朝映画、いい時間を過ごせた。

 

「時計じかけのオレンジ」の原作者アンソニー・バージェスが脚色・脚本翻訳を手掛け、2007年にリチャード・ロジャース劇場で上演されたブロードウェイ再演版を収録した映画『シラノ・ド・ベルジュラック』が3月に公開されている。「会いたい」をつけたのは後発のせいか。