『泣く子はいねぇが』作り手の思い込みが強すぎて、伝わるものが半減しているような気がする。あちこちで冗長だなと感じるシーンがいくつもあった。

二日続けての早朝映画。4日(金)。昨日の『シラノ・ド・ベルジュラック』は9時40分からだったが、今日はもっと早く9時10分。1回だけの上映。

 

『泣く子はいねぇが』(2020年/108分/日本/監督・脚本:佐藤快磨/出演:仲野太賀 吉岡里帆/2020年11月20日公開)

 

期待していただけに、少しがっかり。

なにやら凝った作為が張り巡らされているようにもみえるが、基本的に2時間近くを映画として楽しませてくれなかった。

仲野太賀演じるたすくが、子どもが生まれた直後、なまはげで泥酔し裸で街を歩くところがテレビで放送される。地元にいられなくなったたすくは吉岡演じることねと離婚し東京へ。すぐに戻ってきて、「やり直し」をはかるのだが・・・。

 

どうしてたすくとことねの間がうまくいかなくなったのか、よくわからない。なまはげのような伝統行事の伝承に酒はつきものだし、ときに羽目も外すだろう。たすくのはだかによってなまはげそのものが続けられなくなっていくような事情が発生したように感じられるが、それが離婚、上京、そして舞い戻りという具合に流れていくのがまったくわからない。

大人になり切れない男を仲野はいい感じで描いているが、たすくが特別ではなくほとんど若い男はあんなもの。女に比べて男は、鈍い分育つのに時間がかかる。焦点の当て方がずれているのではないか。

たすくの中途半端さが仲野によく合っているのはいいとして、ことねの吉岡里帆は活きてない。

たすくの母親、アイスを売りながらパチンコに興じる余貴美子との関係、家を継いでつぶしてしまう兄の山中崇との関係、、必死で伝統のなまはげを守ろうとする柳葉敏郎、それらをつなぐ「なまはげ」がもっと前面に出てもいいのにと思った。

 

作り手の思い込みが強すぎて、伝わるものが半減しているような気がする。あちこちで冗長だなと感じるシーンがいくつもあった。

ラストシーンは見せ場ではあるが、ラストシーンがすとんと腑に落ちるような映画を作ってほしかった。企画は是枝裕和。彼が脚本を書いてメガホンをとったら違った映画になっていたのではないか。正直ちょっと残念。