雪の重みで折れた近所のミモザの木、裂かれた枝が無惨だったが、今朝は片付けられていた。樹影は3分の2ほどに。
ひとり散歩。Mさん、昨日から不調。風邪のようだ。
出かける予定を変更。先日、本を整理中の友人K氏からもらった『老いの道づれ』(沢村貞子 1995年 岩波書店)を読む。30年前の本だが面白かった。明治生まれの男女の再婚、”赤い女優”と呼ばれた沢村の戦後の映画界での独特の位置。つい読み耽った。つれあいの大橋恭彦の話も面白かった。
映画批評からテレビ批評に転じた大橋の、雑誌『映画芸術』や通信社をめぐる奮闘、暗闘も興味深かったが、それ以上に沢村が大橋が書いた山田太一の『ふぞろいの林檎たち』や『男たちの旅路』の批評をかなり長く引用していて面白かった。
『男たちの旅路」の中の斉藤とも子が車椅子の娘を演じた「車輪の一歩」に対して、
大橋が山田を絶賛。
「今日まで多くのプロデューサーたちが、タブー視し目をそらしてきた身障者の問題に、真っ向から取り組んだ優れてテレビ的な発想の意欲作であった」(テレビ注文帖)と冒頭で述べたあと、大橋は脚本をもとにこのドラマの流れを忠実に再現している。大橋が見たように主観的な再現なのだが、これが実にいい。
放送は1979年、養護学校が義務化された年だ。それまで就学免除・猶予されていた障がい者の就学が義務化された年だ。
義務化されることによって、新たな選別と排除が引き起こされることから長い反対運動が続いた。私もささやかだがその運動に関わったし、現場でも共に育つ取り組みを続けてきた。
そんな時代に山田は、主演の鶴田浩二演じる吉岡にこう語らせる。
「電車に乗るのに、誰かの手を借りなければホームにも上がれないのなら、手を貸してもらえばいいじゃないか。嫌がらせの迷惑はいけないが、ギリギリいっぱいの厄介はかけてもいいんじゃないだろうか。君は、そんな横着な気持ちで行動したら、世間の人は思い上がるな、というに違いない、と早くも取り越し苦労をしているが、世間に通用しようが、しまいが、それを通用させるのさ。そのうち世間の君たちへの対応の仕方が、きっと違ってくるとおもう。なにげなく手を貸してくれるようになるとおもう。どうだ、胸を張って堂々と他人(ひと)に迷惑をかけることをおそれない青年になろうじゃないか」
当時の青い芝の会の発想に近い。台本からの引き写しだが、大橋は長い引用をやめない。少し口を挟むだけ。
「吉岡の大胆な発言に、はじめはついていけない若者たちも、会うたびに彼の心情に打たれ、説得されてゆく。その経過が見ていて楽しかった。さわやかでもあった」。
続けて斉藤とも子演じる車椅子ユーザーの娘良子の母親のセリフを引用。
「もう世間なぞ信用していない。私にそういう決心をさせたのは世間なのだ、外へ出ないから勇気がないとか、そんな十把ひとからげな言い方をしてもらいたくない」
娘は「母の言うことには逆らえない」と口を挟む。
ここで吉岡(鶴田浩二)のセリフ。山田節だ。
「お母さんにさからえ、とは言っていない。お母さんは君が可愛いから、これ以上傷つけたくないと思っていらっしゃる。傷付けるのがこわいんだろう。
君は一歩も外へ出られないほど、ひどい身体だろうか。そのことを君は自分で判断しなければいけないんじゃないのか。このまま、お母さんの言いなりになっていたら、いつか、きっと君はお母さんを恨むようになるだろう。みんなが君を待っている。自分の大事な一生じゃないか」
特攻の生き残りとして、自分の人生を見つめてきた吉岡の言葉。山田は自分の思いを吉岡に語らせている。
最後のシーンで、私鉄の駅で改札口に通じる階段下、良子は周囲に
「誰か、誰か、あたしを上まであげてください」「どなたかあたしを上まであげてください」と呼びかける。近くを通りかかった人が二人がかりで駅構内まで連れて行ってくれる。
大橋は、
「駅前の自転車置き場の前で良子の母が泣いていた。無言で立ち尽くしている吉岡司令補の大写しで、ドラマは終わった」
と締めくくる。ややできすぎた感のあるラストシーンだが、大橋は感動している。
このドラマには、車椅子ユーザーの若者が
「おふくろにいっぺんでいいから、トルコに行ってみたいと頼んだことがある。どうせ、女の子にもてっこないし、嫁さんがくるとも思えないし。いっぺんでいいから、女の子と付き合ってみたいんだ。一生、女なんて縁がないかもしれないからね」と回想するシーンも紹介されている。
隣りの部屋で黙って聞いていた父が「四万ほどやっとけ。いいか、チップなんかケチるんじゃねェぞ」と怒鳴るような調子で言った。おふくろも「行っといで、いいから言っといで」と言ってくれた。明くる日の晩、おふくとに新しい下着を着せてもらって出かけた。
しかし車椅子はダメだとと言われ、彼はそのまま帰ってきた。そのことを両親には言えない。
「行ってよかった、よかったよ母さん」とニコニコしてみせた。奥にいた父に「そうか、よかった」と言われたトタン、俺は泣き出してしまった。こんなこと、なみの親子じゃないよね。オレたちは普通の人とは違う人生を歩いているんだね」
障がい者の社会との関わり、あたりまえに支援を乞うことはもとより、多くの人にとって避けられぬ問題である性について、今でも触れられにくい問題だが、40数年前に山田は、障がい者自身の自己決定や主体性という視点からこれらの問題に切り込んでいる。
『ふぞろいの林檎たち』もそうだが、山田はマイノリティへの眼差しをいつも携えているが、その位置関係が独特だ。マイノリティの心情に深く入り込んでいるからこそ、そこから紡ぎ出されるセリフはラディカルで鋭く突き刺さってくる。
大橋はそれをしっかりと受け止め、沢村も同じ思いで長く引用する。
明治生まれの稀有な夫婦の人生が詰め込まれた良書である。