「来ないで、東京」・・・ポリーヌ・ガルシア=ヴィアルドの生誕200年、ピッタリその日のコンサート。19世紀に花咲いた天才音楽家の軌跡

7月18日。昼前に、新規感染者が1000人を超える東京へ二人で向かう。

神奈川も昨日500人超。連日。

神奈川と東京を結ぶ東急田園都市線の急行。ほぼ100%の込み具合。車内に会話をかわす声は聞こえない。それだけが緊急事態宣言下であることのしるし。

「来ないで東京」・・・多摩川を越える。

 

 

表参道で地下鉄銀座線に乗り換え、銀座下車。地上に出ると射るような夏の日差し。つい空を見上げるお上りさん。アタマがくらくらする。三越裏の王子HD ビル。ホール入り口にはそれらしい人が十数人。開場前10分。

 

朝から眼の調子がおかしい。左目に何か異物が入ったような。目玉を動かすとそれに合わせて黒いものが行ったり来たりする。左手ではらおうとするも、払えない。

飛蚊症のようだ。いつか来るとは思っていたけれど。ネットの眼科のサイトには、飛蚊症は加齢によるものがほとんどだが、他の病気との関連もあるので医師の診察を勧めるとある。

 

 

 

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昨年9月、竹内良男さんが主宰するヒロシマ連続講座で、国立音大名誉教授の小林緑さんの講演を聞いた。中身についてはこのブログにも書いた。

「学校の音楽室の後ろの壁に貼られている作曲家の中に女性がいないのはなぜ?」という問いかけから、西洋、日本を問わず優れた女性作曲家のさまざまな曲を演奏も含めて聴かせてもらった。

その中でも一段と優れた作曲家としてポリーヌ・ガルシア=ヴィアルドの名前があげられていた。

きょう、7月18日はポリーヌ・ガルシアが1821年、つまりちょうど200年前に生まれた日。生誕200年記念と言っても、生まれたその日というコンサートは珍しい。

演奏するのはメゾソプラノ波多野睦美さん。現代曲から古典までさまざまなジャンルをうたい続けるたぶん当代随一の歌手。Mさんはもともとこの人のファンということもあって、二人で多摩川を越えることに迷いはなかった。息を止めて行ってこようと。

 

1階ロビーでチケットを見せる。自分でもぎる。

エレベータには案内の女性が乗っている。定員42名のハコに8名しか乗せない。

ホールの定員は315名。きょうの定員は150人程度。

映画館と同じように座席を一つずつ空けるために、座席にA4版の表示が貼られている。図柄など気にも留めずに中央の通路のやや下手側に席をとる。

 

演奏が始まる前に小林緑さんのお話。

ポリーヌに対する並々ならぬ思いが伝わってくる。講演の時にも感じたことだが、研究者として、話したいこと、伝えたいことがたくさん次から次に出てきてしまうので、言葉がそれに追いつかない様子。その熱情、素晴らしいなと思う。小林さんは1942年生まれ、9月の講演もわずかな休憩をはさんで3時間を話しきった。

 

ピアノは山田武彦さんというピアニスト。私は知らなかったがこの方も大変な手練れ。いつも思うことだが、この国にはどれだけピアノのうまい人がいるのだ、と。

 

前半で印象に残ったのは、ショパンマズルカ嬰ヘ短調を山田武彦さんが弾いた後に、この曲を独唱用にポリーヌが編曲したものを波多野さんが歌うというシーン。

単なる編曲というより、もともとがピアノ曲とは思えない「うた」に変貌している。

つづいてポリーヌのオリジナルの「マズルカ」が演奏されるが、ショパンのものとくらべてもまったく遜色がない。

それと「子と母ー対話」。まるでシューベルト「魔王」の母親版。解説によると、ポリーヌが最も重要視してた作曲はシューベルトだった。当時のフランスではあまりなじみのなかったシューベルトの代表曲50曲を選んで出版したのもポリーヌ。

対話形式は同じだが、「魔王」のおどろおどろしさはなく、最後に子は亡くなっていくが穏やかな母の愛がうたわれる。

 

後半も小林さんのお話から。と言っても、前半で話したりなかった点の補足がいくつも。

初めて知ったことだが、ポリーヌは1855年のロンドンツアーのおりに大英博物館からの打診にこたえてモーツアルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の自筆総譜を購入したという。大変な金持ちでもあったのだが、ポリーヌの功績は「ドン・ジョヴァンニの総譜をまもったこと」に限定する研究者の発言に対し、小林さんは見当違いも甚だしいと指摘。数十年にわたるポリーヌの演奏家、作曲家としての才能の開花が正当に評価されないことがおかしいのであって、ポリーヌが1839年からオペラ界に進出、10年後にはベルリオーズをして「彼女こそ古今最大の芸術家だ」と言わしめたことを紹介している。

ショパン、その妻ジョルジュ・サンドとの交流をはじめ夫ルイ・ヴィアルドを介して広がるきらめくような人脈の広さとロンドンツアー、ロシアツアーなど演奏家としての手腕に加えて作曲家としての大作品群、どうしてこれだけの人が歴史に埋もれてしまうのだろうか。

19世紀、欧州でも日本でも女性の地位は低く、さまざまな才能は正当に評価されなかった。一時代を築いたかに見えるポリーヌでさえ、歴史の中に埋もれさせられてしまう。女性がまともに権利を獲得していく闘いに立つのは、欧州でも、たとえばイギリスのサフラジェットの運動が始まるのは19世紀末。日本で金子文子が大逆罪で死刑になるのが1923年のことだ。

 

後半も「自由こそ!-小姓の歌」「君を愛したい―愛の小唄」でおわる。どれも決して長くはないが、印象の強い歌曲。波多野睦美さんが歌うと、なんだか19世紀のサロンでポリーヌが歌っているような、そんな雰囲気を感じさせる演奏。

 

最後にプログラムの中の一枚の絵について話される。

ポリーヌは絵もよくした人だそうで、自画像が一枚。虫にさされマスクをつけている自画像。

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コロナ禍のなかでのコンサートということで、この絵がA4版で150枚印刷され、一席空くごとに貼られていたことに、この時に初めて気づく。

 

「ポリーヌからのお願い。安全間隔確保着席禁止」

 

驚いたのはそれだけでない。「裏をご覧ください」と小林さん。

なんとそこにはアンコール曲「カディスの娘たち」の歌詞が印刷されていた。

 「ぜひお持ち帰りください」。粋な計らい。

 

クラシックのコンサートでは、演奏者が肉声で話すことは全くないことが当たり前のようになっているが、演奏者自信が演奏にあたって感じていること、考えていることを話すシーンがあってもいいではないかという小林さんの提案で、アンコール後にお二人が話す。

 

波多野さんの第一声を聴いてぞくっとした。歌う声は今までずっと聴いてきたのに、話す声として聴くと全く違うようなのだ。馥郁という言葉が浮かんだ。

この声に近い声は、いつだったか県立音楽堂で演奏後にCDにサインをもらうために並んだ時、歌手の「ありがとう」のひとことを聴いた時のことだ。ナタリー・シュツットマンのわすれられない声。どちらも魅力的な低音だ。

 

山田さんは、軽々と弾いているかに見えたのに、実は技巧的にはポリーヌの曲はとっても難しいのだということを話してくれた。そう感じさせないのが演奏家のすごいところ。

最後に山田さん

「ひとつサプライズを用意してきました。波多野さん、前半の最初の曲「こんにちは、わが心」をうたってもらえますか」。

 

うたいだす波多野さん、嬉しそうに伴奏する山田さん。複雑な音型が続いているうちに、なんとそこから「ハッピーバースデー」のメロディが浮き上がってきた。なんともとってもしゃれた編曲。

 

息をつめて多摩川を越えてきたが、演奏者に対してだけでなく、聴衆に対してもさまざまな配慮の行き届いたコンサートだった。

 

ポリーニは、1896年にジャポニズムの大流行の時代、「日本にて Au Japon」と題するパントマイム付きピアノ作品を作曲、上演されたという記録があるという。

小林さんは、ポリーニが出版に先立って楽器パートなどを書き足したポリーニの自筆コメント付き楽譜を入手、それに基づいて『ポリーヌのジャポニズム観-パントマイム”日本にて”をめぐって』という論文をものしたという。

 

「現下のオリ・パラ狂騒にも耐え抜いてこの国が存続するのであれば、何とか、(全曲上演)実施の可能性をさぐっていきたい、と考えている。/いずれにしても、ポリーヌの音楽は演奏家としての現場感覚が貫かれ、かつサロンのような親密な場で美質が生きる作品ばかりだ。コンサート・ホールやオペラ劇場といった公共の大空間に押されて衰退したサロン文化の再評価こそが、彼女のような存在の復権につながる最良の方法と確信する。それはまた、既得権益に群がる日本の支配層の現状の見直しに対する、音楽界からのアピールともなりうるのではないだろうか。」(プログラムから)

 

こういう視点、貴重だと思う。