埼玉教員超勤訴訟の判決文を読む。給特法全面肯定。校長の時間外命令と教員の自主的自発的勤務は「渾然一体」、ほとんどの時間外は文科省の云う「在校等時間」。旧態依然のクソ判決。

判決文を読んだ。

ひどい判決である。ムカムカした。旧態依然。今の時代からすれば、それ以上だ。

 

報道では、弁護団は「画期的」と評価したとあるが、何を言っているのかと思う。「32条で損害賠償が認められる可能性を示した」と云うけれど、判決で言っているのは、非常識な時間外命令が長時間に及んだ時には損害賠償が認められると言っているだけで、逆に原告の時間外勤務の多くは時間外勤務ではなく「在校等時間」であり、国賠の対象にはならないと言っている。これを評価してどうする?どうしても評価するというなら控訴せずに、判決を確定すべきでは?

 

さすがに原告は怒っている。何も認めていない、と。

原告の怒りをこそ、全国の教員は共有すべきだと思う。教員はこんなにふうにナメられていると。

 

給特法を全面肯定してうえで、文科省が昨年「時間外労働時間」を「在校等時間」と言い換えたことをてこに、労基法36条は適用できないし、したがって37条も適用できない。

その根拠は、校長の時間労働の命令と教員の自主的自発的勤務は「混然一体」だから、判別、選別不可能なので、給特法が「勤務の内外を包括的に評価」して支給する4%で問題なし、とした。

 

雑、この上なし。そのうえ、最後に「まとめ」と称して、原告の主張をここまで否定しておきながら、

 

なお、本件事案の性質を鑑みて、付言するに、本件訴訟で顕れた原告の勤務実態のほか、証拠として提出された各種調査の結果や文献を見ると現在の我が国における教育現場の実情としては、多くの教育職員が、学校長の職務命令などから一定の時間外勤務に従事せざるを得ない状況にあり、給料月額4%の割合による教職調整額の支給を定めた給特法は、もはや教育現場の実情に適合していないのではないかとの思いを抱かざるをえず、原告が本件訴訟を通じて、この問題を社会に提議したことは意義があるものと考える。

 

「一定の時間外勤務」じゃないぞ。全国各地でセブンーイレブンが常態化=「定額働かせ放題」がまかり通っているからこその提訴じゃないか。

給特法が間尺に合わないのなら、なぜ判決でそれを言わないのか。給特法全面肯定しておいて、この言い草はないだろう。

 

我が国の将来を担う児童生徒の教育を今一層充実したものとするためにも、現場の教育職員の意見に真摯に耳を傾け、働き方改革による教育職員の業務の削減を行い、勤務実態に即した適正給与の支給のために、勤務時間の管理システムの整備や給特法を含めた給与体系の見直しなどを早急に進め、教育現場の勤務環境の改善が図られることを切に望むものである。

 

よく言うよ、である。「現場の教育職員の意見に真摯に耳を傾け」なかったのは、あなたたち裁判所じゃないか。何を他人事のように言っているのか。しっかり「耳を傾けた」判決が出ればさまざまな改善が進むのだ。

主張を全面的に否定しておいて、無責任に客観的にな状況に乗っかって、わたしたちだって事情は分かってるんだけどね、と言い訳をしているに過ぎない。

 

結論。クソ判決。

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東京新聞、タイトルの打ち間違いだろう。