8月に御殿場で行われた教育労働者交流集会で短いレポートをした。そのまとめが冊子となって発行されている。自分の分はデータがあるので、ここに再録する。
2019年秋に可決された”改正”給特法、目玉である変形労働時間制の条例化の背中を押そうと文科省は躍起のようだが、各自治体の動きは鈍い。すでに導入可能という条例が可決されているのは北海道と徳島県のみ。年度内の条例化を予定しているのは11県。時期は未定だが、条例化を進めるという自治体が13都府県。政令市では静岡市と千葉市が予定さしているというが、横浜、東京、大阪、名古屋など大都市ではまだ方向さえ見えていない。改正そのもののおかしさなども以下のレポートで触れている。
学校労働者に対する変形労働時間制に抗して
赤田圭亮(横浜学校労働者組合)
【はじめに】
昨年12月の給特法改正によって教員の働き方に関して新たな動きが始まっています。昨年1月に中教審で出された「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」が、今年4月に法的拘束力のある指針ということになりました。正式タイトルは「公立学校の教育職員の業務量の適切な管理その他教育職員の服務を監督する教育委員会が教育職員の健康及び福祉の確保を図るために講ずべき措置に関する指針」です。何を言っているかよくわからない代物ですが、すでに法的には2020年4月から本格的に実施されていることになっています。
(1)コロナ禍の下、ぼやけてしまった教員の働き方改革
この3月から始まった全国一斉休校や緊急事態宣言のなかで、学校がほぼ3か月以上休みになり、授業だけでなく、卒業式入学式などの学校行事が簡素化あるいはカットされるという事態になりました。これまで阪神淡路大震災や東北大震災の時に地域的部分的に学校が休むことはあったけれども、年度末年度初めのこの時期に全国くまなく学校の動きが空白となったのは前代未聞のことではないでしょうか。 現場ではだれも意識していないようですが、在宅勤務が続く中、この4月から始まるとされた教員の働き方改革問題はその存在すら忘れられたままのようです。本来ならもっともっと緊張感をもって受け止められるはずの在校等時間の上限規制など全くリアリティを失い、現場はコロナ対策一色となりました。
6月の学校再開以降、学校はマスク、ディスタンス、消毒に躍起とならざるを得ず、何をどこまでやっていいのかその限度が見えない中、歯止めの利かない状況で教員は動き回っているようです。「子どもたちのために」の呪文が相変わらず幅を利かせ、やれることはどんどんやりましょうと、気がつけば消毒用のアルコールの補給が続かない状況に。子どもたちには、とにかくマスクを外すな、しゃべるな、離れろと言い続け、分散登校・授業などで疲弊し、相変わらず勤務時間超過は常態化し、働き方の問題はすっ飛んだままになっています。
しかし各地教委は、来年4月からの変形労働時間制導入のための条例案の準備に入っています。文科省の指示は6月か9月の議会でということでしたが、いまのところ9月議会への提案を考えている自治体が多いのではないでしょうか。しかしあとでじっくり見ていきますが、今回の法改正を受けてつくられる条例案、昇進レースの真っただ中の行政マンならともかく、ごく普通に仕事をやってきた行政マンにとっては、とても意欲を持ってやろうとする仕事ではないだろうし、そのぐらい今回の給特法改正は質が低いというか、中身のないものだと思います。少なくとも私だったら、「これって変形労働時間制って言えないよ。こんなの意味ないじゃん」と言ってしまいますね。
(2)『歴史としての日教組』・・・必要なのは給特法の運動論的な総括ではないか
話は少し横道にそれますが、最近『歴史としての日教組』(上・下)という大部の本が出ました。監修したのは広田照幸さんです。日本教育学会の会長で、この間の給特法改正問題でも岩波のブックレットなどで執筆していて、かつては全学労組の横浜集会でお話していただいている方です。上巻には「結成と模索 戦後史のあらたな扉をひらく」、下巻には「混迷と和解 教師たちの闘いと葛藤」という宣伝惹句がつけられていて、ここにきて戦後の日教組運動の総括がなされているのかと思って中身を見てみたら、運動論ではなくて何かといえば、組織問題なんですね。日教組は戦後ずっと社共がつばぜり合いを繰り返してきてゴリゴリの左翼の集まりのように言われ、自民党からは目の敵のように言われてきたが、実はそうではなくて、組織の歴史的な経緯、実態、実像をきちんと見なくてはならないと、そういうコンセプトで時々の組織の現状について書かれた本のようで、残念ながら私が読みたいと思う論文は見つかりませんでした。
組織問題は、学者や研究者にとっては関心の対象かもしれないけれども、70年以上の中央での組織の変転が語られても、運動の歴史が語られなければ、地方の現場にいた者にとっては何の面白みも感じられない。日教組から分裂して40年になる独立組合の横校労の組合員である私にとっては、例えば給特法の成立過程での運動論のぶつかり合いとはどういうものだったのか、今この時にまで影響を与えるような議論があったのではないかといったことが関心の対象なわけですから。
「季刊労働法」(2019年秋号)という雑誌に日教組の元組織労働局長の藤川伸治さんが書いた給特法成立に関する文章があります。そこに「(長時間労働が深刻化しないように)現場の裁量権を確立するためには、当局と労働組合とのトップが交渉する意味がある。残念ながら、敗戦後、70年余年経過した今日、日教組と文部省(文科省)が労使交渉を行い、その交渉結果が教職員の健康と福祉を守る砦となった事例はこの案件だけである」とあります。
これは71年に成立した給特法、この時にたった1度だけ文部省と日教組は協議をしました、と。それが現場の「教職員の労働者の健康と福祉を守る砦」になったと藤川さんは言っているが、問題はそのたった一度の協議が、現場の「教職員の健康と福祉を守る砦」に本当になったのだろうか、と。そこが後から来た私たちにとって一番の問題なわけです。残念ながらこの文章からは、この協議によっても「教員の健康と福祉」は守られて来ず、日常的な超過勤務の蔓延が長い間続いてきてしまったわけです。このことに対する日教組としての総括が、給特法改正というこの時期になされなければならないと私などは思うのですが、藤川さんの文章にはそのことへの組織としての忸怩たる思いのようなものは、残念ながら感じられませんでした。
ほんとうに必要なのは、歴史としての日教組の総括ではなくて、日教組としての給特法の運動論的な総括を歴史的になされなければならないのではないかと私は考えています。
【2】給特法49年の到達地平 ~ 時間と手当をめぐる二つの超過勤務裁判 ~
変形制の話に入る前に、2020年の給特法改正、変形労働時間制導入に至るまでにわれわれを縛ってきた給特法とは何だったのかということを考えてみたいと思います。そのとっかかりとして地公法55条と労基法36条に着目してみていきます。
≪1≫横浜超勤訴訟(1990年措置要求 94年地裁、96年高裁を経て98年最高裁判決確定)
(1)給特法制定後、全国で闘われてきた超勤裁判の多くは超勤手当支払いを求めるもので、時間回復を求めるものは多くない。
回復時間を求めた裁判のうち、ここでは最高裁まで争った横浜超勤訴訟を取り上げます。これは横校労が組織的に担った裁判で、私は原告2人のうちの1人です。71年の給特法の成立段階前後のさまざまな動きについては「教員の労働は本当に特殊なのか~給特法改正前史49年を振り返る」(『現代思想』2020年4月号所収)に詳しく書いていますので省きますが、先ほども触れましたように71年に給特法が国会を通過した直後、7月に文部省と日教組は給特法の運用について話し合いを行い、議事録を取り交わしています。給特法という法律が大変大きな分水嶺であったことがわかります。法律はできたけれど、教員の働き方の現実にどうコミットしていくのか、労使ともにまだ視界が開けていなかったということですね。
文部省はその直後の9日、事務次官通達(「71通達」)を出します。そこで語られたのが「適切な配慮」です。「適切な配慮」というのは超過勤務のあった翌日ないしはそれに近接した日に代休等休養の措置を講ずるということです。さまざまな駆け引きがあった中、「教員には超過勤務を命じない」とした給特法であっても、現実の超過勤務は避けられないという状況に、互いに運用としては代替措置、回復措置を認めようということになったわけです(これがいまでも順守されていれば多少でも教員の健康と福祉に供するところがあったといえますが)。この協議、確認が各自治体において、地教組と教育委員会の間で取り交わされていく、いわゆる地公法55条の9項に基づく協定の基になっているわけです。
(2)措置要求項目
給特法制定から20年近く経っての私たちの措置要求の内容は、①「時間外勤務の記録」(市教委が定めた様式で、現場に配られていました)の集計結果を公表すること、②教員には時間外勤務を命じないことを校長に通知、確認すること、③横浜市教職員組合と横浜市教委の間で結ばれた「給特法に関わる市段階の覚え書き・了解事項」の中の「時間による回復措置」について、各学校において遵守するよう具体的措置をとること。
この「覚書・了解事項」が地公法55条資料①に基づく協定であることは言うまでもありませんが、この中で超過勤務については明確に1対1の時間回復措置が確認されていました。日教組・文部省の協議に基づいてなされた「教員の健康と福祉」に供する取り組みだったわけです。
横浜ではこれによって、勤務時間は8時間45分の法定労働時間に対して休憩・休息時間を勤務の前後に配置し所定労働時間を7時間半としました。市内500を超える学校で8時半出勤の4時退勤という形が固まっていきました。私が横浜で教員になった1976年当時には、これが常態となっていました。
7時間半の勤務時間を超えて超過勤務となった場合は、市教委が作成した「時間外勤務の記録」に記入し、超過時間分に応じた回復時間を後日取得するという形が出来上がっていました。校長は紳士協定的にこれを追認するのが慣例でした。
しかし80年代の終わりごろから市教委による「正常化」の動きが加速し、裁判も含めた抵抗闘争は続いていましたが、90年代終わりには回復措置は有名無実化し、所定労働時間は法定労働時間と同じ8時間45分となり、取得不能な休憩時間が勤務時間内に設定されるようになっていきました。
(3)伝えたかった現場の疲弊
私たちが措置要求を提起した90年前後、現場はどんな状況だったか、少し触れておきます。この時期、
資料① 地公法55条
9 職員団体は、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程にてい触しない限りにおいて、当該地方公共団体の当局と書面による協定を結ぶことができる。10 前項の協定は、当該地方公共団体の当局及び職員団体の双方において、誠意と責任をもつて履行しなければならない。11 職員は、職員団体に属していないという理由で、第一項に規定する事項に関し、不満を表明し、又は意見を申し出る自由を否定されてはならない。
横浜では80年代初頭の「荒れる中学」の状況が引き続いており、私自身は横浜の臨海部の荒れる中学に11年間在職した時期に当たります。日々、超過勤務とならない日はありませんでした。
絶え間なく起こる問題行動は、授業時間、放課後、夜と時間を選ばずに起こります。生徒間の暴力、対教師暴力、いじめ、カンパ、器物破損、喫煙、シンナー吸引などそのつど対応するのですが、一つが解決しないうちに次の問題が起こるというのが日常であり、打ち合わせをして直接生徒を指導、これがうまくいけばいいのですが、なかなかむずかしい。それが終わって家庭訪問、あるいは学校での保護者面談となるのですが、なかなかここに行きつかない。夜の10時ごろに親に連絡すると、なんでこんな早い時間に電話してくるんだと言われてしまう。親は親で平気で深夜に学校に電話をしてくる。教員は深夜の帰宅が続き、心身ともに疲弊していく。私も辛かったわけですけれども、こうした中でようやく卒業を迎える。荒れた生徒たちが、つきものが取れたように晴れ晴れと「ありがとうございました」と言って卒業していく。教員は、大変だったけれど頑張って卒業させることができてよかった、となる。ええ?それで終わっていいの?こういう現場の実態を市教委や世間はちゃんと見ているのか、残業手当など一切つかず、青天井の残業が毎日続く現場の状況ってどうみてもおかしいだろう、教育問題で終わらせてはならない、これこそ労働問題であるということで、措置要求に踏み切ったわけです。
(4)人事委員会判定
横浜市人事委員会の判定資料②は一言でいえば「回復措置というのは、給特法では許容していない」というものです。地公法55条の9項によって結ばれた協定に明確に記されているものが、法的には認められないということがここで初めて出てくるわけです。現場でおきていること、現場の教員の実態からは全く判断しない、71年の取り決めも判断しない、判断したのは、公務員の勤務条件については条例主義であり、条例を超えるものはありえないという判断がなされたわけです。これは「覚書・了解事項」を無用の長物となし、正常化に向かおうとする横浜市教委の姿勢を後押しするものでした。私たちは横浜地裁に判定取り消しの訴訟を起こしました。証人調べには原告被告からそれぞれ一人ずつが証人台に立ちました。
(5)地裁の争点
裁判は私たち原告二人の冒頭意見陳述から始まり、戦後の教員の労働のあり方と給特法制定に至る経緯と問題点を全面的に展開した新美隆弁護士による大部の準備書面、佳境は双方の証人調べでした。
被告側の証人は、市の他部局の部長を務めていた71年当時の教職員課のN係長でした。彼は、当時同席していたはずの覚書・了解事項の協議についてほとんど記憶がないと証言、さらに当時の議論として教員の労働はすべて計測不可能であって、それに対して勤務時間の内外を評価した教職調整額が支給さ
資料② 判定要約
・給特法の法文中に「時間による回復措置」の付与を認めた明文規定は存在しない。
・教員の超勤に対し通常の超勤手当制度を適用するのは教育職員の勤務態様の特殊性から必ずしも適切とは言い難いとの判断から、給特法は一律一定の教職調整額制度を創設した。
・「時間による回復措置」の考え方は、超勤手当制度と志向を軌を一にするか、もしくは超勤の存在そのものを実質的に否定・解消することに帰するから、給特法の法意とは相いれない。
・給特法は、教職調整額の支給のほか、その代償として「時間による回復措置」の付与までも許容しているとは到底理解できない。よって棄却とする。
れることになった、だから超過時間に対して回復措置をとるなどというシステムはありえないはずと証言しました。71年当時、彼は係長として協定が結ばれた場にいたことは間違いなのですが、しらを切りとおしました。
原告側の証人は、前横浜市議で覚書・了解事項締結当時の浜教組の執行委員のTさん。横校労はご存じのように77年に日教組・浜教組から全国で初めて左翼分裂した、当時20数名の組合です。御用組合と化した12000人の組合員を擁する浜教組とは、結成当時から現場でも火花を散らす関係でしたが、Tさんはそんなことを忖度せず、当時の状況について詳細に証言してくれました。
その主眼は、覚書・了解事項は地公法55条9項に基づいて、市教委と浜教組の間で結ばれたという証言でした。給特法成立後に文部省と日教組とが協議をした結果に基づき、全国各地で行われた取り組みのひとつであると証言しました。N係長(当時)の証言のでたらめさが明らかになりました。
(6)94年地裁判決…回復措置という休暇は法律にはない
提訴から4年、判決が出ました。「給特法第7条、第10条の『十分な配慮』『考慮』は法令、条例により許される方法であるべき。『時間による回復措置』の協定(地公法第55条)は、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規定に抵触しない限り許される」というものでした。文部省と日教組が締結した協定が裁判所によって否定された瞬間でした。地公法55条の協定が全国で徐々に形骸化しつつあった状況を裁判所が追認したともいえる判決でもありました。横浜市教委はすでにこの10年以上前に55条による職員団体(組合)との協定については一切行わないことを明言しています。
(7)反響・控訴・上告
しかし世論の反応は案外まともでした。地元紙の神奈川新聞は、タイトルでこの裁判の本質をついていました。「“サービス残業”でどうにか成り立っている義務教育の現状を、法廷はなぜ理解しないのか」(94.8.31)。業界紙の日本教育新聞でさえ『給特法が問われるとき』と題して〈教員の過重労働にたいして給特法は間尺に合わなくなっている〉という論評資料③を掲載しました。
私たちはすぐさま控訴します。一時は高裁から和解勧告がありましたが、こちらから拒否、判決をもらうことになります。再び敗訴です。判決は「地公法55条9項の職員団体と地方公共団体の当局との協定は、拘束的な団体協約ではなく、原則として道義的責任を生じるにとどまるものであり、かつ、法令、条例、規則その他の規程に抵触しない限りにおいて許されるものである」と、ここまで踏み込んで判断しています。55条9項の協定を「道義的責任」にまで落とし込み、条項は鴻毛のごとくどんどん軽くなっていきます。労働組合法が適用されない公務員労働者に対して、地公法55条は労働組合を職員団体と規定しながらも、労働組合としての機能をわずかでも保障しようという条項であったはずです。裁判所はそうした歴史的経緯を捨象し、条例主義に落とし込むことで公務員労働者の労働権をさらに否定したといえるのではないでしょうか。
資料③
『教員の残業“穴埋め慣行”違法判決/望まれる給特法見直し/厳しい労働見合わぬ制度』(読売新聞94年8月31日)
『「“サービス残業”でどうにか成り立っている義務教育の現状を、法廷はなぜ理解しないのか」-。不登校、校内暴力、いじめ、ひとたび問題が生じれば、生徒本人への指導や父母との話し合いなどで解決に奔走する教師たち。「聖職者たる教師なら当然」という風潮の中で超過勤務の実態はタブー視され、明らかにされることはなかった。教員の超過勤務をめぐり争われた訴訟だったが、30日の判決は教育現場が抱える実態に踏み込まないまま現状を黙認する形になった。』(神奈川新聞リード)
(8)新自由主義的再編の一環
ちょうどこの時期、自社さ政権が発足55年体制が終焉を迎えます。同時に労戦統一が完成していきます。日教組は社共が89年に分裂し、日共系は統一労組懇から全教結成へ向かいます。ちょうど文部省と日教組の歴史的和解という時期に重なります。
さて上告した私たちの訴訟は最高裁では弁論が開かれず、高裁判決が確定していきます。現場では勤務条件条例主義、回復措置は違法ということが徐々に定着していきます。給特法制定から20数年、給特法という特殊な法律を現場の運用によって教員の健康と福祉を守ろうとした取り組みは瓦解し、超過勤務は命じられないにもかかわらず、青天井で増えていくいわゆる「定額働かせ放題」という給特法の地金が露出していくことになります。。
歩を合わせるように90年代半ばから全国的にいわゆる既得権について見直しが始まります。80年代から始まった臨教審、国鉄民営化、労戦統一と国家再編が進み、戦後的な護送船団方式が見限られ、自己責任を基調とする新自由主義的な再編が行われていきます。文部省は給特法に対するスタンスを無定量労働の容認、55条の協定を否定したうえで、戦後教育の総決算としての教育改革に向かい、職務職階制の見直し、教員評価の導入など新たな学校再編に着手することになります。
考えてみれば、こうした国家再編は1948年のマッカーサー書簡、芦田内閣の政令201号資料④から始まる、公務員を一般労働者と切り離す大きな潮流の中にあったことがわかります。とりわけ教員については、民営化ではなく国民づくりの先兵として労働者性を脱色する方向に舵を切り続けてきました。その大きな転換点が給特法制定だったのであり、20年を経てこの法律が実効性のあるものとして現場に定着していったわけです。給特法制定を推し進めた自民党文教族のもくろみは、回復措置・適切な配慮、地公法55条といったいわば軟着陸のための材料を否定して完成したともいえます。
≪2≫埼玉超勤訴訟(2018年12月14日提訴)
次にもう一つの超勤訴訟、埼玉教員超過勤務訴訟についてです。今まで、教員の超勤手当についてはたくさんの措置要求や裁判が取り組まれてきました。それら多くの裁判において裁判所の判断は、限定4項目資料⑤以外の時間外勤務については自発的・創造的勤務であって超過勤務命令がなされるものではなく、超過勤務手当の支払い義務はないとされてきました。教職調整額4%は勤務時間の内外を包括的に評価して支給しているのであって、よほどの超過勤務がないかぎりは、超過勤務手当の支払いはないと、いう結論でした(3・11など非常災害時に学校が避難所になりましたが、その際も学校事務職員には
資料④
国家公務員・地方公共団体員の団体交渉権・争議権を否定したポツダム政令。芦田内閣がGHQの指令にもとづいて1948年(昭和23)7月31日公布,即日施行され,高揚していた労働運動は打撃をうけた。正式名称は「昭和23年7月22日付内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基づく臨時措置に関する政令」。52年10月25日に失効するが,48年11月制定の国家公務員法,50年12月の地方公務員法にひきつがれた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
資料⑤
限定四項目 イ 校外実習その他生徒の実習に関する業務、ロ 修学旅行その他学校の行事に関する業務、ハ 職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう)に関する業務、ニ 非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務
超過勤務手当が支払われても教員に支給されることはありませんでした。地域によって何らかの手当が支給されたことはあるかもしれませんが)。
(1)この裁判の特徴
この裁判は小学校教員だった田中まさおさん(仮名)が個人で起こした訴訟です。組合が支援しているというふうには見えません。HP資料⑥があってとっても丁寧に資料を掲載しています。支援はネットを通じて広がっているように思います。この超勤訴訟の特徴は「(教員は)労基法36条資料⑦が適用除外されていない」という点にあります。去年(2019年)11月に国会で共産党議員の国会の審議の中で「教員には36条は適用除外されているのか」と質問したのに対して、厚労省は「除外されているとは考えていない」と明確に答弁しています。労基法37条の割増賃金は除外されているけども36条は除外されてないということです。
限定4項目以外の超勤が36協定の対象だとすると、これだけ長時間の超勤があるのだから36協定が認められるとすれば、37条の除外もはずれ、割増賃金が支払われなければならないのではないかという主張です。
(2)請求の趣旨と原因
原告は1年間の超過勤務時間を算出。835時間分の超過勤務手当242万2725円を支払えという訴えを起こしたということです。時給は自らの給与から2,900円と算出。こうして形にしてみると、いかに教員の労働が理屈に合わないものかよくわかります。
私の場合、勤務した38年間を時間単価を安く見積もって2,000円として計算すると、生涯の超過勤務は少なくとも4,000万円超となります。退職したその日に、実はあなたには4,000万円の超過勤務手当がありました。今日支払います、なんて言ってくれたら最高だったのですが(笑)。それどころか私たちの年回りから退職金が300万円ほども減らされたんですからひどい話です。
(3)原告の給特法の解釈
原告の給特法の解釈は労基法の32条、36条は除外されていないというのがまず1つ。
限定4項目については、校長は原則的に労基法33条の臨時または緊急やむを得ない場合は命じることができるが、4項目以外の時間外について給特法は特に規定していないのだから、36協定締結を要件として時間外勤務が容認されるならば、それに応じた時間外手当が支払われるのは当然ではないかという立て方ですね。
さらに、そもそも「勤務時間の割り振り」という、校長による労働時間調整を認めること自体が異例であり、たった一人の校長が、学級担任、担任外の違い、各教科の違い、さらには校務分掌の違い、養護教諭を含めたさまざまな役職等、種々さまざまな教員の勤務を割り振ることなど不可能ではないか。すべ
資料⑥ 埼玉教員超勤訴訟田中まさおのサイト https://trialsaitama.info/?p=833
資料⑦ 労基法第36条(時間外及び休日の労働)
使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出た場合においては、第32条から第32条の5まで若しくは第40条の労働時間(以下この条において「労働時間」という。)又は前条の休日(以下この項において「休日」という。)に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。ただし、坑内労働その他厚生労働省令で定める健康上特に有害な業務の労働時間の延長は、一日について二時間を超えてはならない。
ての教員に対して一律に「割り振り」をしたとして教職調整額4%を支給しているのはおかしい。まして限定4項目を定めていながら、その上限時間を定めておらず無定量の労働が課せられてしまうのは法理として非常に特異。労働時間規制や割増賃金の支払いによって労働者を保護するという観点から定められている労基法に引き比べてみると、給特法そのものが極めて特異な法である。特異であることを認めるなら、なおのことその運用は厳しく解釈されなければならない。給特法が本来予定していない4項目以外の時間外労働が、教員の超過勤務の多くの部分を占める現状からして、時間外手当の支払いを免除することを法が認めたとは理解できないとして37条資料⑧の適用除外の矛盾をついている。
こういう論理というのは今までの超勤裁判ではありませんでした。現場実態からその実効性は別としても、裁判論理として36協定違反を明確に主張している点は非常におもしろいなと思います。
(4)裁判の争点として見えてくるもの
文科省の立場は〈4項目以外の時間外勤務については「自発的な行為」であって計測不可能な面もあり、時間外労働とは規定できない〉〈教師に関しては、校務であったとしても、使用者からの指示に基づかず所定の勤務時間外にいわゆる超勤4項目に該当するもの以外の業務を教師が行った時間は、基本的には労働基準法上の労働時間には該当いたしません。(2019年国会:萩生田大臣答弁)〉です。本当にそれで理屈が立つのでしょうか。4項目以外の超過勤務時間が36協定の対象と認定されるか否か、これが争点の1点目。
2点目は校長の黙示的命令について。限定4項目以外は校長による黙示的命令が効いていると考えるべきなのではないかということです。逆の言い方をすると、2000年に学校施行規則が改訂されて、職員会議は校長が主宰するとなりました。職員会議では学校運営上の計画が提案されますが、その会議は校長が主宰するわけですから、〈運動会をやるとか、準備はこういう計画でとか〉こうした提案にはすべて校長の黙示的命令が効いているという解釈ができるわけです。文科相がいうような自発的勤務などでは決してなく、実際に業務分担などを通じて黙示的に超過勤務命令が出されていると考えるのはごく当たり前のことです。教員が自分の趣味嗜好で学校行事をやっているわけではなく、そこには命令―被命令の関係があるのは、現場感覚としてもよく理解できる理屈です。
3つ目は4項目以外の業務が現場では増大し、6割が過労死ラインを超えていること。今度の給特法改正の中で、超勤4項目以外の時間外勤務も勤務時間管理の中に入れ、「時間外在校等時間」として週45時間・年間360時間までは上限としてその超過を認めると言ってます。時間外在校等時間。文科省は決して「超過勤務」とは言いません。時間外在校等時間は、法改正によって正式の用語として法の中にはめ込まれています。厚生労働省は、労働時間の適正な措置というのを今世紀初頭から何度か出していて、そこで労働時間をどう正確に計測・把握するかということを進めてきていますが、こうした流れと今度の文科省の給特法改正の中の「時間外在校等時間」という考え方は、ぶつからざるを得ない。このあたりを裁判所がどう判断するか、ということです。
資料⑧ 労基法第37条(時間外、休日及び深夜の割増賃金)
1.使用者が、第33条又は前条第1項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。
≪3ふたつの裁判から見えるもの
2つの裁判から何が見えるでしょうか。給特法制定時には超勤手当支給の可能性がないわけではなかったけれども、この50年近く、教職調整額4%が無定量の超過勤務をすべてカバーしているという言説が広く現場に流布し、ひたすらに「子どもたちのために」が強調されていく中にあって、教員の超過勤務は野放しとなり、その結果、限定4項目以外の膨大な超過勤務による業務なしには学校が立ち行かないという状況がつくり出されてきました。教員も、給特法の定着の前に労働者として当たり前の要求を表現する気概を捨ててきたといえます。地公法55条の形骸化と労基法36条の適用除外、このふたつが骨がらみで特異な給特法を現場で延命させてきたのではないでしょうか。
給特法の原理的な問題点を指摘しておきます。まず労基法37条割増賃金を適用除外としているのは、限定した4項目以外の超過勤務の内容を具体的に想定していないことが挙げられます。超過勤務は限定4項目以外存在しないということになり、たとえ超過して勤務をしたとしても、それは労基法上の超過勤務とは全く別モノ、37条の対象ではないとしていること。明らかにそれなしでは学校が立ち行かない超過勤務について法の視野に入っていないことは大きな問題です。さらに、具体的に中身を示している限定4項目については給与の4%という額面を示しながらそのの業務量、時間の上限を示していないのも法律としての枠組みが極めて不安定なものと考えられます。これが一点目。
2つ目には、現実的に4項目以外の超過勤務が存在し、業務量のかなりの部分を占めているのにそこには指揮命令権がない、ということになっている点。では4項目以外の超過勤務を拒否した場合、我々現場にいる教員はどういう扱いになるのでしょうか。例えば中学校で言いますと、明らかに4項目以外の業務である進路面談、中学ではとってもセンシティブな業務で、親子との面談や説明会、事務量の膨大さからしても非常に大きな業務ですが、進路面談や進路にかかわる事務、打ち合わせなどは中3など単独の学年で取り組むことが多く、勤務時間内に設定されていない場合がほとんどです。まさかこれを自発的勤務とは呼べないし、これなしでは卒業もさせられない。
〈生徒間のいじめがありました。生徒同士の指導にかなりの時間がかかりました。その後、双方の保護者宅への家庭訪問をしなければなりません。連絡は取れましたが保護者の都合で訪問は明日夜間に行います〉。こうした家庭訪問については4項目の中の「非常災害等緊急やむを得ない場合」を援用した生徒指導には該当しません(横浜の場合、緊急の生徒指導に特勤手当が支給されることもありましたが、時間外の家庭訪問は予定されたものとして対象とはなりませんでした)。これも自発的勤務となるでしょうか。
こうした勤務が自発的勤務か否かを確認するのは、超過勤務の拒否を想定してみればよくわかります。
4項目以外の超過勤務は、校長の命令によるものではない割増賃金の対象にならない自発的勤務なのだから拒否できるはずですね。しかし、予想されるのはそうした行為は職務専念義務違反が問われ、命令されていないにもかかわらず職務命令違反とされ、懲戒処分あるいは分限的な処分ということになるのではないでしょうか。
給特法が学校の現実、教員の勤務の現実を予見できない状況を成立当時からもっていたことの証左ではないでしょうか。給特法自体が現場でぐらぐらして、非常にあやふやな、形がはっきりしない、倒れそうで倒れない、そんな鵺のような格好でここまで生きてきてしまったと言えないでしょうか。
これら2つの裁判から見えてきたものは、こうした給特法の現在的なありようだと思います。
【3】改正給特法の「改正」変形労働時間制とは何か
«1» 教員版「1年単位の変形労働時間制」の立法経過と「改正」の中身
(1)中教審答申、何か目玉がないか?で出てきた変形労時間制
「中教審働き方部会」というのがあって、19年の11月頃もかなりいろんな議論があり、連合も入って、「教員の働き方の見直し」という議論をしています。そのなかで4%の教職調整額の見直しという案も一応出ますが、すぐに否定されます。小川部会長自身が、「私の試算によれば、教員の働き通りに教職調整額を支払うとすると、一年間で九千億円から1兆数千億円が必要」というが、だからけっして彼らも官僚も超過勤務という言葉を使わないわけです。働き方通り割増賃金を払えば1兆数千億円になる、一年で。教員はどれだけのただ働きをしているかということですね。
そこで出て来たのが「業務の適正化」。例えば掃除時間や昼食の時にはボランティア、部活指導員など地域の力、保護者の力、外部の力を借りて教員の業務を代替させれば教員の業務は適正化できる、減らせるというのです。現場にいる人間からすると外部の人が入ってきた場合、たとえボランティアであっても、そこに相応の調整が必要となります。そのための組織が必要となり、手間もかかる。業務量を減らすために別の業務量が増えるということにもなります。「チーム学校」というとかっこうがいいのですが、手助けしてもらうのはいいけれど、それよりはこの数十年の間に拡大を続けてきた部活動や各省庁が恣意的に学校に持ち込んだ膨大な「〇〇教育」というものをとりあえず減らしてくれればいい。
2020年アタマには教員の働き方について中教審は答申を出さなければならない。教職調整額の見直しはダメ、業務の適正化も画餅に近い。ならば何か目玉になるものはないかということで出されてきたのが、1年間を単位とする変形労働時間制です。
(2)似ているのは名前だけ。労基法変形制資料⑨とはべつもの
労基法には80年代から徐々に変形労働時間制が組み込まれていきますが、詳しくは展開しませんが、
変形労働時間制は資本の側の残業手当支払い抑制につながる点からして労基法の精神を歪めてきたもののひとつです。それでも労基法の変形制は外枠だけでも労基法の精神を守ろうと36協定を義務化して
1.使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、次に掲げる事項を定めたときは、第32条の規定にかかわらず、その協定で第2号の対象期間として定められた期間を平均し一週間当たりの労働時間が40時間を超えない範囲内において、当該協定(次項の規定による定めをした場合においては、その定めを含む。)で定めるところにより、特定された週において同条第1項の労働時間又は特定された日において同条第2項の労働時間を超えて、労働させることができる。 1. この条の規定による労働時間により労働させることができることとされる労働者の範囲 2. 対象期間(その期間を平均し一週間当たりの労働時間が40時間を超えない範囲内において労働させる期間をいい、一箇月を超え一年以内の期間に限るものとする。以下この条及び次条において同じ。) 3. 特定期間(対象期間中の特に業務が繁忙な期間をいう。第3項において同じ。)
4. 対象期間における労働日及び当該労働日ごとの労働時間(対象期間を一箇月以上の期間ごとに区分することとした場合においては、当該区分による各期間のうち当該対象期間の初日の属する期間(以下この条において「最初の期間」という。)における労働日及び当該労働日ごとの労働時間並びに当該最初の期間を除く各期間における労働日数及び総労働時間)
5. その他厚生労働省令で定める事項
いる。今回の教員の変形労働時間制というのは、労基法上のもとは全く別物なんですね。つまり一年間の変形労働時間制を公務員に導入するのなら、労基法そのものを改正しなければならない。つまり今までの変形労働時間制とはシステム的に全く違ったものをつくるわけだから改正が必要になる。ところが今回の導入はすべて給特法改正の枠内で行われている。名前は同じでも、じつはその中身、システムは労基法の変形労働時間制とはまさに似て非なるものなんですね。
ではどんなふうに給特法の改正が行われるか。これが一言で言えば「やりたい放題」です。
(3)泥縄的でずさんな改正の中身
まず労基法32条の四に変形労働時間制はあるが、地方公務員には適用できないことを地公法の58条が決めている。労基法にはあるけれども、地方公務員法58条が1年を単位とする変形労働時間はできませんよとしている。ところが、給特法「改正」案では、「できません」とされている地方公務員のうち教員だけは「適用される」と58条を読み替えるという、なんとまあ、泥縄みたいなやり方で「一年間の変形労働時間制」導入を可としています。役人のやりたい放題の一つです。
二つ目は、労基法上は変形労働時間制を導入するには雇用者と労働者間で36協定が必要だとしています。変形制の対象となる労働者の範囲、対象期間・労働日毎の労働時間を決めることを民主的に決める、過半数を組織する組織との交渉、民主的かどうかは別として、形の上では、そういう民主的なやり方を必須としています。給特法の改正案ではこの部分を外しています。36協定はいらない、勤務時間は条例主義だからというわけです。乱暴としか言いようがありません。この時点で給特法改正案は労基法の枠組みを勝手に飛び越していると言えます。これがやりたい放題の2つめです。そして取ってつけたように55条の9項は使ってもいいですよと書いてある。協定です。東京高裁判決でいうと「・・・職員団体と地方公共団体の当局との協定は、拘束的な団体協約ではなく、原則として道義的責任を生じるにとどまるものであり、かつ、法令、条例、規則その他の規程に抵触しない限りにおいて許されるものである」。いわば刃のついていない切れない包丁は使っていいですよということです。
三つ目は、この4月すでに実施されている改正給特法に位置付けられている「指針」資料⑩です。超過して勤務することについての位置づけです。先ほどから述べているように教員には超過勤務はありません。「時間外在校等時間」という言葉をひねりだし、そこに「命令はないけれども勤務の実態はある、実態はあるけどもお金は払わない、お金は払わないけど適切に管理する」この凄まじい論法です。これがやりたい放題の3番目です。
«2» 教員版「1年単位の変形労働時間制」の問題性
整理をしますと、効果があるかどうかは別として36協定が排除され、条例主義によって当事者としての労働者のかかわりを排除している点。労基法は労働者の働き方の最低基準です。最低基準を平気で無視してこういうことを決めていくことの問題性は放置できません。
資料⑩ 「公立学校の教育職員の業務量の適切な管理その他教育職員の服務を監督する教育委員会が教育職員の健康及び福祉の確保を図るために講ずべき措置に関する指針」(抄)
「超勤4項目」以外の業務を行う時間も含め、教育職員が学校教育活動に関する業務を行っている時間として外形的に把握することのできる時間を「在校等時間」として勤務時間管理の対象とする。
上限1か月の時間外在校等時間45時間以内。1年間の時間外在校等時間350時間、臨時的な場合は月100時間年間720時間。
2つ目は、では現場の教員の意向はどう反映されるのか。19年11月の全学労組の文科省交渉の中で、審議官が地公法55条があるのでどんどん使ってもらっていいです、と言うわけです。一方で条例主義を謳っておいて、一方で55条は使えというわけです。文科省の指示では、労働日や労働時間は各校の校長と調整したうえで教育委員会の規則で決める、ということになっている。これを超えて55条の協定で決めることは難しいし、すでにるる述べてきたように55条そのものが実態、実効性を持たないものになっているわけです。
次に、夏休みを「閑散期」にしているけれども、1年間の繁忙期の残業を夏休みと相殺なんて不可能です。これは労基法上の変形労働時間制が総労働時間規制しているわけですから、原則、導入にはそれをしないといけないのに、それを割増賃金を支払わない時間外在校等時間の上限を決めることで代替している。
現場の感覚からいうと、「繁忙期」に2時間勤務時間を多く設定して10時間とすると、感覚的には今までと仕事は一緒だけれども、10時間に設定したほうが、会議も部活もゆっくりできるし仕事もできていいと言う人が出てきますね。教員というのはそういうところが鈍感です。給特法がつくってきた「文化」とも言えますが。
実際には保育園の送迎とか、親の介護とか、時間で動かないといけない人もいる。そういう人のことに頭が回らない。やらされているに過ぎないのに自分が仕事を支配しているような気分をもつ人が多い。いつの間にか繁忙期でなくても〈10時間があたりまえ〉という話になってしまう。つまり現状維持。そこから超過勤務が始まっていく。やめた方がいい。
【4】「改正」給特法、どういう闘いが可能か
(1)条例制定への闘い 現場からの業務の適正化を
これに対してどう闘いをすすめたらいいのでしょうか。
自治体レベルでの条例制定への闘いがまず挙げられますが、現在それほど進んでいるようには思えません。コロナ禍のせいばかりではないと思います。条例化への推力を改正法自体がもっていないことが一番の理由だと思います。それでも問題を顕在化させていくような運動が必要です。
それから、この制度は選択的導入が原則ですから、条例ができたとしても学校でやらないと言えばやらなくてもいいわけです。月45時間、年間360時間の時間外在校等時間の上限を守ることも条件なのだから数字としてしっかり示していくことも重要です。基本的に変形労働時間制を入れていく必然性が存在しないことを示すことです。導入すれば管理職の時間管理もさらにいいかげんになっていくと思いますし、教員のほうも勤務時間意識が揺らいでしまう。夏休みに5日間の休暇を作るのなら年休完全消化でいいし、特別休暇を条例化すれば済む問題です。
次に変形制を入れる前に業務の仕分けをきちんとやるということ。中教審の「業務の適正化」ではなく、現場の人間が考える業務の適正化が必要です。ほんとうにやるべき業務とそれこそ不要不急の業務とにはっきり分けること。コロナ禍によってそれはかなりはっきりしたのではなかったでしょうか。やらなくても学校ってもつじゃないかと考えたことが多々あったはず。もう一度、そこをやってみること。
どの職務の人間も勤務時間内で適正に「割り振り」ができるように業務のスリム化を徹底してやってみる。
(2)休憩時間を確保すること 36協定、措置要求の運用
休憩時間についても「取れなければ仕方がない」ではなく、きっちり考えていく。教員は人事委員会に届けを出しさえすれば分割付与ができるようになっているわけです。分割すればとれるかと言えば、それは逆に「休憩時間」という法的な概念すら学校から放逐することにつながってしまいました。
アルバイトでは取れた休憩時間が、教員の世界ではないものになってきました。罰則規定のある休憩時間条項をしっかり現場に定着させること。その上で、限定4項目以外については36協定を要求する。ここまで来るのも大変ですが、ここからがせめぎあいになります。割増賃金にまで到達しなければ、仕分けがしっかりできていなければここでまた元の木阿弥になる可能性があります。最後は個人の闘いとして措置要求をする。措置要求というのは、71年の給特法制定の国会議論の中で、佐藤人事院総裁が限定4項目とともに2つのブレーキとして称揚したもの。私は愚直にやって跳ね返されましたが、異議申し立てとしては有効性をもっているはずです。基本的に現場の実態を声を出して外部に向かって表現する、そういう姿勢がないと教員の労働問題は顕在化していきません。以上が改正の5条関係です。
(3)部活動(運動・文化)ガイドラインの運用を
次に7条関係ですが、「指針」がどれほど不十分であってもこれを運用していく必要があります。一番大事なのは時間外在校等時間の上限規制です。
部活動については文化部は文化庁、運動部はスポーツ庁がそれぞれガイドラインを出しています。これを最大限運用していくべきです。文化庁のガイドラインでは「中学校の1週間当たりの授業時間数は24時間10分。それに対し部活動の時間は「21時間を超える」と回答した生徒が5分の1の21%、「14時間を超える」と言う生徒が42%。授業が24時間なのに部活の時間が多すぎる」としています。そのうえで部活の時間はせいぜい週11時間程度でいいのではないかと。平日は少なくとも1日、週末は少なくとも1日は休む、1日の活動時間は平日では2時間、休業日は3時間。いずれ部活動については学校から外して運用すると文科省が言っています。その際の一番の抵抗勢力が生徒や保護者以上に教員にならなければいいなと思っています。
(4)国会の付帯決議の運用
次に国会の付帯決議資料⑪です。これはかなり使える部分があります。
例えば、①服務監督権者がICT等を活用して客観的に在校等時間を把握せよ。これは教員個人が記録するだけでなく、管理職がしっかり把握せよということです。さらに公文書として保管せよとあります。これは重要です。問題が起きた時には情報の開示請求につなげられます。
もちろん時間外在校等時間は上限が決まっているけれども、付帯決議は②持ち帰り残業が増えないようにしろとあります。これもいざというときには重要です。
③として適正な業務量の設定と校務分掌の分担によって在校等時間の縮減に取り組めとあります。これは先ほど言いましたが、校内仕分けですね。
④の3では、言わずもがなではありますが、新たな変形労働時間導入によって新たな業務を増やすなと。職員会議や研修は所定の勤務時間でやれとあります。現状があまりにもひどいものだし、それをさらに悪化させる可能性を持つのがこの法律改正だから、付帯決議でこうした指摘がなされているわけです。いくつものシーンでこの付帯決議の内容は運用できると思います。
【5】おわりに
最後に付け加えますが、私学でもごく一部ではありますが変形労働時間制を導入しているところもあります。もちろん労基法上の、です。36協定を結んだうえで、年間の法定労働時間に対して所定労働時間を上回らない形で、シフトを組んでやっているところもあります。週休日を土曜に使わないで、他の曜日にばらけさせて勤務のシフトをいくつか作る。週時間を超えないでやって、年間の所定労働時間内に収める。出てきた超過勤務については支払う。そういうふうなことをやっている学校もあるようです。大学付属の学校で規模としては大企業の部類に入るところですが。はたしてどのような運用がなされているのか注視していく必要があります。これは独立法人化された国立大学の付属学校でも同様です。交流が盛んになることを祈ります。
給特法の歴史というのは、地公法55条を形骸化し、労基法36条を使用不可の無用の長物とした奴隷労働の歴史だと思います。改正給特法を運用して、教員の働き方の実態を明らかにして、36協定の締結と55条の強化を軸に時間の回復措置と労基法37条の適用除外を外させ割増賃金を支払わせるということを運動の目的とすべきだろうと思います。
教員のほとんどの業務は計測可能です。自発的創造的労働ということで、教員の勤務を特殊なものと認めてしまってはいけないと思います。最低限の労働時間のもとで働きたいし、そのために給特法は撤廃すべきだろうと思います。
資料⑪ 公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法の一部を改正する法律案に対する附帯決議
政府及び関係者は、本法の施行に当たっては、次の事項について特段の配慮をすべきである。
一 本法第七条の指針(以下「指針」という。)において、公立学校の教育職員のいわゆる「超勤四項目」以外の業務の時間も含めた「在校等時間」の上限について位置付けること。また、各地方公共団体に対して、指針を参酌した上で、条例・規則等において教育職員の在校等時間の上限について定めるよう求めること。服務監督権者である教育委員会及び校長は、ICT等を活用し客観的に在校等時間を把握するとともに、勤務時間の記録が公務災害認定の重要な資料となることから、公文書としてその管理・保存に万全を期すこと。
二 指針において在校等時間の上限を定めるに当たっては、教育職員がその上限時間まで勤務することを推奨するものではないこと、また、自宅等における持ち帰り業務時間が増加することのないよう、服務監督権者である教育委員会及び校長に対し、通知等によりその趣旨を明確に示すこと。併せて、「児童生徒等に係る臨時的な特別の事情」を特例的な扱いとして指針に定める場合は、例外的かつ突発的な場合に限定されることを周知徹底すること。
三 服務監督権者である教育委員会及び校長は、教育職員の健康及び福祉を確保する観点から、学校規模にかかわらず、労働安全衛生法によるストレスチェックの完全実施に努めるとともに、優先すべき教育活動を見定めた上で、適正な業務量の設定と校務分掌の分担等を実施することにより、教育職員の在校等時間の縮減に取り組むこと。また、政府は、その実現に向け十分な支援を行うこと。
四 政府は、一年単位の変形労働時間制の導入の前提として、現状の教育職員の長時間勤務の実態改善を図るとともに、その導入の趣旨が、学校における働き方改革の推進に向けて、一年単位の変形労働時間制を活用した長期休業期間等における休日のまとめ取りであることを明確に示すこと。また、長期休業期間における大会を含む部活動や研修等の縮減を図るとともに、指針に以下の事項を明記し、地方公共団体や学校が制度を導入する場合に遵守するよう、文部科学省令に規定し周知徹底すること。
1 指針における在校等時間の上限と部活動ガイドラインを遵守すること。
2 所定の勤務時間の延長は、長期休業期間中等の業務量の縮減によって確実に確保できる休日の日数を考慮して、年度当初や学校行事等で業務量が特に多い時期に限定すること。
3 所定の勤務時間を通常より延長した日に、当該延長を理由とした授業時間や部活動等の新たな業務を付加しないことにより、在校等時間の増加を招くことのないよう留意すること。なお、超勤四項目として臨時又は緊急のやむを得ない必要があるときに行われるものを除き、職員会議や研修等については、通常の所定の勤務時間内で行われるようにすること。
4 所定の勤務時間を縮小する日は、勤務時間の短縮ではなく勤務時間の割り振られない日として、長期休業期間中等に一定期間集中して設定できるようにすること。
5 教育職員の終業時刻から始業時刻までの間に、一定時間以上の継続した休息時間を確保する勤務間インターバルの導入に努めること。
6 一年単位の変形労働時間制は、全ての教育職員に対して画一的に導入するのではなく、育児や介護を行う者、その他特別の配慮を要する者など個々の事情に応じて適用すること。
五 一年単位の変形労働時間制を導入する場合は、連続労働日数原則六日以内、労働時間の上限一日十時間・一週間五十二時間、労働日数の上限年間二百八十日等とされている労働基準法施行規則の水準に沿って文部科学省令を定めること。また、対象期間及び対象期間の労働日数と労働日ごとの労働時間等については、事前に教育職員に明示する必要があることを周知徹底するとともに、一年単位の変形労働時間制の導入は、地方公務員法第五十五条第一項及び第九項の対象であることについて、通知等による適切な指導・助言を行うこと。(以下略)