『ドライブ・マイ・カー』既視感なく惹きつけられた。ただ少し過剰すぎる。もっとシンプルのほうが伝わるものがあるのでは。

らい。今日、ようやく定時定量のえさをすべてたいらげた。

この4,5日復調傾向にあったが、薬を仕込んだ鶏肉やサツマイモは食べても、通常の餌(ドッグフード)には口をつけなかった。

 

夏の終わりの不調は例年のことだが、ずいぶん心配をした。夏バテなのだろうか。

 

一時はまったく何も食べず、足を引きずったり、腰がふらついたりしていた。

人と接触するが大好きなのに、ひどい時はまったく人に近寄らず部屋の隅にじっと蹲っていた。

からだの中に埋め込まれている不調を治癒するシステムにひたすら耳を傾け、預けているように見えた。

今朝、ソファで横になっている私の腹の上にあがり、あおむけになって寝ていた。

 

完全復調まで18日間かかった。

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桐野夏生の小説『日没』(2020年)。図書館に予約をしたのが去年の11月。やっと順番が回ってきた。

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一気に読んだが、読後感は「いまいち」。

書いている小説が公序良俗に反するとして小説家の表現の自由を規制する秘密組織にとらわれ、療養生活と称して監禁状態となる主人公。

「更生」の一環として書かされる作文のなかみによって、その後の処遇が変わる。

この「作文」と現実がもっと交差して、広がりを持っていけば面白いなと思ったのだが、主眼は表現の自由規制の問題となってしまい、文学的な面白さは薄まっているように思えた。随所に桐野らしいブラックさが垣間見えるのだが、徹底していないというか。

最後の15行は単行本化の時に付け加えたというが、なくてもいいと思った。

 

 

鴨居のららぽーとのTOHOシネマズで

『ドライブ・マイ・カー』(2021年製作/179分/PG12/日本/原作:村上春樹/脚本:濱口竜介 大江崇允/監督:濱口竜介/出演:西島秀俊 三浦透子 霧島れいか 岡田将生/2021年8月20日公開)

これも作中の物語が面白い。

 

既視感なく、新鮮。原作は読んでいないので、映画についてだけ少し。

面白かった。引き込まれた。でもすこし力が入りすぎというか過剰な気がした。

 

一番外枠に家福(西島)が演出する多言語演劇としてのチェーホフの「ワーニャ伯父さん」(劇中劇)があり、その喪失と再生の物語にかぶせられる三つの関係、家福と音という穏やかだが深くつながれない夫婦の関係、家福と高槻(音と不倫関係にある俳優、家福は「ワーニャ伯父さん」のオーディションに来た高槻を採用する)の関係、そしてドライバーのみさき(広島の演劇祭での家福の滞在先と会場を往復するため、家福のクルマサーブを運転するドライバー。高度な運転技術習得のわけから岬の物語が始まる)と家福の関係、が措定されている。

 

3つの物語がそれぞれ示されていくところどころに、「ワーニャ伯父さん」のオーディションやセリフ合わせ、立ち稽古、リハーサルが挿入される。

 

この劇中劇が3つの物語に彫りの深さを与え、集約していくように見えるのだが、独特の多言語演劇というかたちが感情の伝わらなさを際立たせ、また逆に韓国手話の女優の雄弁さによって言葉以外の伝わり方の豊かさを表している。

 

魅力的なのは、家福と音とのセックスのあとに音が語る物語を家福が書き留めて脚本にするという設定。この方法で音は脚本家になり、俳優としての高槻と知り合う。

ここで語られる物語が魅力的だ。最も村上春樹っぽさを感じさせるところ。

ある女子高校生が男友達のヤマガの留守宅の彼の部屋に入りこみ、妄想を膨らませながらタンポンなどさまざまなものを残してくるという、この物語をめぐって家福と高槻の間に繰り広げられる闘い?が面白い。

高槻は家福が聞いていないこの物語の続きを語る。それは高槻が音とセックスの関係があることを示していて、家福は自分と音とのつながりより音と高槻のつながりのほうがじつは勝っていたことを認めざるを得ない。

 

ある時、女子高生がヤマガの部屋にいると、玄関のドアが開けられ誰かが階段を上ってくる、ヤマガか父親か母親か・・・それとも。

このシーンの岡田将生の演技が凄みがある。

 

 

それに比べみさきの物語はやや平板。

みさきは水商場をしている母親の送り迎えのために中学のころからクルマの運転をしていたという。下手な運転をすると蹴られるためまったくストレスを感じさせない運転を技術を習得したという。

みさきは、北海道の地元で起きた地滑り事故で母親を見捨てたことにこだわりを残しているのだが、家福はみさきとともに広島から北海道に渡り、事故現場に行ってみたいという。

その現場で家福が感情を爆発させるのだが、それよりクルマの中で交わされる二人の会話のほうがイメージが豊かに思えた。三浦の演技の深さもそこでこそ生きていたなと思う。かえって具体的な展開をすることで二人の間の会話が深さを失くしたように感じた。

 

書けば書くほど取りこぼしているものが増えていくような気がするから、もうやめるが、やっぱりこの映画少し過剰だな。もっとシンプルでいいのではないか。そっと差し出されたものをやわらかく受け止めるだけでいいような。

でも楽しめたのは事実。劇場でのいい時間が過ごせた。

ラストシーン?なぜか韓国でのみさきの生活。クルマは赤いサーブ。

よくわからない。

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