『星の子』原作の「文学臭」が消えて、上質の青春映画に。ただ、邦画の定石?走るシーンと海のシーンはいらない。

19日、月曜日。雨もよい。気分が晴れない。

こういう時は映画。

二人とも原作を読んでいる『星の子』。

座席はもうひとつ空けにはなっていない。

ネットで予約するが、空席多し。

 

雨なのでクルマで。10分もかからず着く。郵便局など一つ二つは用事が済ませられる。

 

『星の子』(2020年/110分/日本/原作:今村夏子/監督・脚本:大森立嗣/出演:

芦田愛菜 岡田将生 大友康平 黒木華 高良健吾 新音ほか)

Mさんの評判はイマイチだったが、私はかなり良いと思った。

原作を読んだ時は、それまでの今村夏子作品とは少し違って(寡作なのでほとんど読んでいる)、奇をてらっているように感じたのだが、大森監督の脚本で「文学臭」がきえて、上質な青春映画になった。

大森監督の映画はこれまで『日日是好日』『菊とギロチン』『光』『俳優 亀岡拓次』 『セトウツミ』 『さよなら渓谷』 『かぞくのくに』 『まほろ駅前協騒曲』を見たが、『日日是好日』だけが群を抜いていて、あとはあんまり。『光』『かぞくのくに』などひとりよがりだなあと思った。

 

『星の子』は系列的には『日日是好日』。特に大きなドラマもなく、淡々とした味わい。

主人公芦田愛菜の造形は驚く。

中学3年が主役なのに、芦田の演じるちひろは、ミニスカートでもなく、髪の毛も染めていない。長めのスカートに白いソックス。おかっぱ頭。この姿は横浜で言うと何十年も前からの中学1年生女子の格好。

対照的なのが友達のなべちゃん。新音(にのん)。どこかで見たことがある。『まく子』に出ていた。主人公だった。不思議に印象に残っている映画。草彅剛が父親役で出ていた。新音も宇宙からやってきた子のようだった。

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このなべちゃんと付き合っているようないないような男子新村くんのからみが味がある。   

さらに岡田将生の南先生。言葉遣いにたいへんなリアリティがある。

教室もすごい。これはつくられたセットではないだろう。本物にちかい。

 

ちひろが生まれた時にすがる思いで頼った健康食品、じつは新興宗教なのだが、10数年経った今もちひろの両親はこれにどっぷりとはまったまま。

 

ちひろの姉は家を出てしまう。

ちひろのおじは、えせ宗教ぶりを暴くがかえって妹であるちひろの母(原田知世)と父に反発される。

 

ちひろが憧れる南先生に、両親が夜の公園で頭にタオルを載せているところを目撃され…。

 

両親、伯父、教員、黒木華と高良健吾が演じる宗教団体の若いリーダーなど、ちひろが何人もの大人たちに関わりながら感じていく精細な違和感を芦田愛菜が好演している。

誰もが善意で接しながら、思春期の子どもたちのやわらかい部分を容赦なく突き刺す。

大きな声でそれに対して反発すればドラマチックではあるが、実際の多くの子どもたちは、反発を飲みこみ、何とかつじつまを合わせようとして内向する。

そんなところを映画として掬い取った今村夏子、大森立嗣。すばらしい。でもどうして大森監督、演出の良しあしが映画によって激しく出てしまうのだろう。

 

文句があるとすれば、芦田が走るシーン、それと海のシーン。

このふたつが邦画にはほんとうに多い。これだけで映画の品が落ちるような気がする。

 

「走る」というのは、登場人物の中で何かがはちきれたことを象徴していることが多いが、芦田が走るシーンほどこの映画にふさわしくないものはないと思った。

 

海のシーンは、たいていの映画で「場面転換」によく使われる。登場人物の心象風景が切り替わる、あるいは違うステージに向かうようなところで。

このシーンもいらない。

 

しかし、それを差し引いても、この映画、私は好きだ。