私たちがひそかに「マーク(スプリングス)の3人組」と呼んでいる方たちがいる。
井上さんご夫妻と天谷さん。散歩の、いわば常連だ。3人とも80歳を超えていて、天谷さんは89歳。
あの年になってもあんなふうに歩いていられたらいいね、とMさんはよく云う。
すれ違うと少しだけおしゃべりをする。
天谷さんはカメラが趣味で、散歩している人たちや連れている犬を撮影して、写真をプレゼントしてくれる。うちのらいも2,3度撮ってもらったし、私たちもツーショットを撮ってもらった。散歩中の写真も珍しいのでリビングに飾ってある。
昨日の朝、遠くに井上さんご夫妻の姿が見えた。
今日は2人なんだ、と思って挨拶をする。すると奥さんの方が小さな声で
「天谷さん、亡くなったの」と云う。びっくりする。
3人がいつもで横断する目黒という交差点。八王子街道と国道246号が高架で交わる大きな交差点。その横断歩道を歩いているところをクルマにはねられた。
6時25分のころのこと。
土曜日、私たちがその近くを通りかかったのは7時半ごろ。
警察車両が側道に入る道路を通行止めにして、なにやら捜査をしているのを見かけた。
帰途、1時間後のことだが、通行止めはまだ続いたままだった。
道路わきには白いワンボックスカーが止まっているだけ。運転手の姿は見えない。クルマ同士ではない事故かな、人身事故だろうかなどと話していた。
その日、帰宅してネットを見ても何も出ておらず、そのことはもう忘れていた。
日曜日も月曜日も同じ経路を散歩した。
すぐにネットを検索してみると、yahooニュースで土曜日の20:28に次のような記事がアップされていた。
29日の朝早く、横浜市瀬谷区の交差点で、80代の男性が右折してきたワゴン車にはねられ死亡しました。
事故があったのは横浜市瀬谷区五貫目町の国道246号線沿いの交差点で、県警によりますと、29日午前6時半前に信号を渡っていた男性が右折してきたワゴン車にはねられました。
男性は町内に住む89歳で、頭などを強く打ち病院に救急搬送されましたが、およそ7時間後に死亡しました。
この事故でワゴン車を運転していた大和市に住む53歳の男が過失運転傷害の疑いで県警に現行犯逮捕されました。運転手の男は「対向車に気を取られていた」などと話し容疑を認めているということで、県警が事故当時の状況について詳しく調べを進めています。
帰りにその交差点に。手を合わせる。
警察の立て看板があり、
令和3年1月29日(土)午前6時25分頃、この付近で白色ワンボックスクルマと横断歩行者の交通事故が発生しました。事故を知っている方、事故を目撃している方はご連絡をお願いします。
運転手の証言だけでは事故の全体像が分からないということだろうか。
今、日の出は6時45分ごろ。6時25分はまだ薄暗い。
大きな交差点のため、この横断歩道は2つに分かれていて、途中いったん止まる場所がある。途中まで来て信号が点滅すれば慌ててわたる人もいるだろうが、天谷さんはいつもゆったりとした歩き方で、慌てるところなど見たこともない。
やはり運転手の不注意だったのだろうか。
立ち話で、お酒が好きなこと、今も自分で調理して友人にふるまうことなど伺ったことがあった。いつもカメラをかかえていた。シャッターを切るためか真冬でも散歩中は手袋をしなかった。
細ふちの眼鏡をかけ、口ひげをたくわえた頬のこけたやせた顔。細身で肩をゆするようにゆっくりと歩く姿。ダンディな雰囲気のせいか、一人で歩く老婦人たちの人気者だった。
それほど親しくしていたわけではない。
ただ、毎日のように会う近所の人は、そうはいない。
今朝も向こう岸を歩く井上さんご夫妻と手を振りあった。
「天谷さんが一緒に歩いていてもおかしくないよね」
「でも、死んじゃったんだよね、天谷さん」
そんな会話の朝、なんともさびしいものである。