25〜6℃の日が続いたらと思ったら、今朝は14℃台。3から4mほどの風と冷たい雨。
今年から始めた登校見守り、週1度の横断歩道の旗持ちも、真新しい黄色い旗が雨でびっしょり濡れてしまった。
学区の小学校、上瀬谷小学校の校外委員をしている方の一人がMさんの知り合いで、旗を持つ人がいなくて困っているという話が去年からあった。子を持つ校外委員の人たちが分担して横断歩道の旗持ちをやったり、学校まで付き添っていく毎日。なんにしても手が足りず、地域の人で誰か手伝ってくれる人はいませんかというチラシをポスティング、しかし残念ながら反応はなかったという。
やれることはやってあげるべきだというくらいの感覚で、少なくとも私は軽い気持ちで引き受けたのだが、旗はともかく、渡された黄色い帽子に黄色いベスト、黄色いカードケースを身につけてみると、かなり強い違和感(笑)があった。黄色いおじいさんにおばあさん・・・自分達でなくなったような感覚。ここにマスクをするからなおさら。見知らぬ人になり得たような感覚。見えないからいいっか、なのだが。
実際に旗を持って信号と横断歩道に立つのは短時間だから負担でもなんでもないが、それでも子どもの横断中は緊張感がある。道路は天下の国道16号、交通量も多くかなりのスピードで大型トラックが走り抜けていく。終わるとほっとする。
Mさんは少し離れた大きな事業所の前で旗を持っている。ここは常時クルマの出入りが多く、ひとり社員の制服のおじさんが立っている。その方と協力して安全確保をしている。
終わって二人で歩いて戻ってくる途中、何人かの母親らしき方々に「ご苦労様です」「ありがとうございます」などと声をかけられる。ふだん歩いていてもそんなことまずないからドキッとする。
黄色の威力は大きいということ。思えばこうした制服らしきものを身につけたことは今までの人生で一度たりともなかった(30年ほども昔、横浜の学校で教員にジャンバーのような制服らしきものが配られたことがあった。もちろん一度も着ることはなかったいつの間にか消えたが)。
制服(の如きもの)は全くの別人格、役割を表すことを実感する。警察官まがいの制服を着用して交通安全指導をする人を見かけるが、そういう人は、制服着用によってどのような心性を持ち得ているのだろうか、気にかかるところだ。
昨日の散歩、久しぶりにカワセミの「狩り」を見かける。
バシャっとからだごと水に飛び込むと、くちばしに5cmほどの小魚を咥えて岩の上に。それから10回ほど咥えた魚を岩に叩きつける。動かなくなった魚をすっと呑みこむ。
すぐに何ごともなかったように羽ばたきをせずに水面をすべるように飛び去っていった。