転んだ話と小説『幼な子の聖戦』(木村友祐)

きのう、散歩の途中で、転んだ。

 

いつ以来だろうか。たぶん10年は転んでいない。藤が丘駅のホームで、ベンチあるだろうとあたりをつけたところにベンチはなく、そのまま尻もちをついてしまったことがある。素面だったが。

 

Mさんが歩道の植え込みに足をとられて転び歯を地面にぶつけ、手首を骨折したのはいつだったか。加齢によるものだね、と嗤ったものだ。

ばちがあったのかもしれない。

 

歳を取ると転倒が増えることは知っていた。自分は大丈夫だろうと思っていた。皆そう思っているらしいが。

 

7時過ぎ。自分だけ少し先を歩いていた。

畑のわきの、横断歩道のない道路をクルマが来ないかどうか確認して横断した。

Mさんは後ろから来て、横断しないでそのままこちら側の歩道を歩いていた。

もうすぐわたり切るというとき、何の気なしに右手を見てしまった。クルマが遠くから近づいていた。Mさんも見えた。

右手を見なければ何も起こらなかったのだろう、と思う。

意識がクルマに向かったぶん、足下への注意がおろそかになった。

左足のつま先が、歩道の縁石の一部低くなっているところに上がり切らず、躓いたらしい。

高さにして3㎝ほどの縁石。10cmもあればたぶん転ばない。3㎝だから転ぶのだ。

 

「過ちすな、心して降りよ」

 

ほんの1~2秒ほどの時間だが、記憶はスローモーション。からだがゆっくりとだが、たたらを踏むようにとんとんとんとつんのめっていく。なんとかして足を出して転ばないようにと考えているのだが、足は出ず、からだは止まらない。

気がついた時には、アタマを歩道の反対側の畑との境界のコンクリートにぶつけ、両ひざと両掌をついてごろんと尻もちをついた、ようだ。

Mさんに言わせると

「ゴロンと行ったね」。

ご多分にもれず、意識はからだをすぐに立ち上がろうとさせる。転ぶ姿の無様さを消し去りたいがためか。体裁ばかりつけたがる性癖のせいか。

怪我は全く大したことがなかった。アタマはたんこぶ、手の指3か所と手のひらは擦り傷。両足の膝はやや内出血ぽい。尻は無傷。

 

出血も大したことがない。ティッシュで強く押さえるとそれまで。

 

冠動脈にステントを入れるために「血液サラサラ」の薬を1か月前から毎朝2錠飲んでいる。

血液サラサラ」を飲むなら、剃刀はやめて電動髭剃りを使ったほうがいいと書いてあった。いざというときに出血が止まらないというのだ。

 

しかし、擦り傷程度では問題ないらしいことがわかった。

 

「加齢によるものだね」とはMさんは言わなかった。

 

「歳を取ったということだね」。同じような意味にも思えるが、言い方が私のほうが冷たい。

 

報いがやってきた。天に向かって吐いた「つば」がちゃんと返ってきた。

 

木村友祐(きむら・ゆうすけ)の『幼子の聖戦』(集英社 2020年1月 1600円+税)

が面白かった。表題作と「天空の絵描きたち」の中編2作が収められている。第162回芥川賞(2019年下半期)の候補作。

 

この間、ここで紹介した『対抗言論』Vol.2の「文学は今何に『対抗』すべきか?」(温又柔×木村友祐×杉田俊介×櫻井信栄)という共同討議が面白かったので、読んでみた。

 

木村は1970年生まれの作家。

表題作は、ある地方都市~青森のようだが~が舞台。東京から戻った「おれ」は父親の家業は妹のだんなが継いでしまい、その代わりに村議の椅子に坐ることになった。村は突然の村長辞任を受けて村長選に突入するが、2500人の人口の村のことはたいていが村議の談合によって決まる。

候補は「おれ」の同級生で、村おこしに熱心な仁吾に決まる。ところが、県議の介入で対抗馬が出馬することに。「おれ」ははじめ仁吾を推すが、県議の妻とのスキャンダルをネタに脅され、対立候補のために仁吾陣営の切り崩しに動くことになる。

人望熱い仁吾は、県議の応援を受けた対抗馬に村の若者、女性の応援を得て勝利の勢い。そこでおれが考えたのは・・・。

 

真綿で首を絞められるようにおれは行き場を失っていくのだが、その寄る辺なさは「おれ」だけのものではない。

村をめぐるエピソードを重ね上げてつくられる「おれ」像とその思考が魅力的。単に政治の中央と地方といった問題にとどまらない現在の閉塞したこの国の意識が見え隠れして面白く読めた。初出は「すばる」(2019年11月号)

 

「天空の絵描きたち」の初出は、2012年(文学界10月号)。ビルの窓ふきの会社に勤める女性小春の視線で、「絵描きたち」の群像を魅力的に描いている。ディテールがとってもリアルで、登場人物も輪郭がはっきりしていてすっと入ってくる。みな非正規雇用ではあるが、リーダーのクマさんと小春のからみがせつなくていい。

 

しばし、時間を忘れて楽しめた一冊。

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