レンギョウが咲いている。『ケナリも花、サクラも花』を読む。

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境川の菜の花

一昨日は急に気温が下がったのだが、今朝は12℃。歩いていると日陰は少し寒いが、朝日が当たると、すぐに温かくなる。

つがいで飛ぶカワセミを見かける。あまりないことだ。シジュウカラメジロはたいていつがいだが、カワセミは一羽のことが多い。

2羽連れ立って、水面すれすれを切るようにハイスピードで飛んでいく。

 

4月もいつの間にか1週間が過ぎる。種々の花が次々と咲く。庭では今コデマリが満開。

福島・会津の友人のメールに

「いま梅と桜とレンギョウハクモクレンとコブシ、そして椿の満開の花々に囲まれて

います」

とあった。会津に住んでいたのはそろそろ50年ほど前のことになってしまう。

10代のころ、一斉に咲きだす花々に目をくれることなどなかった。

 

こちらでは、梅が咲き、椿が咲く。モクレンとコブシはそのあとか。今桜とレンギョウが咲いている。

 

レンギョウのことを韓国語ではケナリというのだそうだ。何がきっかけだったか、最近『ケナリも花 サクラも花』(1994年)という本を読んだ。鷺沢萌という作家のエッセイ集だ。鷺沢は1968年生まれ。祖母が朝鮮人で鷺沢は4分の1朝鮮人の血を受け継いでいる。エッセイは20代前半、ソウルの延世大の語学堂に留学した時のことが書かれている。

 

日本から来た女学生に対し、「韓国語が話せて当然」といきなり韓国語でインタビューを依頼してくる韓国ジャーナリズムに対して、鷺沢は嫌悪感を隠さない。

 

 

 

 だから、ある春の日の午後にかかってきたその電話での取材依頼をどうして承諾したのか自分でもよく判らない。たぶん、受話器の向こうから聞こえてきた韓国語がとてもやさしく聞こえたことが原因の一つだろうと思う。

 たいていの場合、そういった電話はいきなりものすごい早口の韓国語で始まる。こちに住んで勉強してるってんだから、これくらい理解できるのは当然だろう、と言わんばかりの調子である。

 

その感じの良い同い年の記者のインタビューを受けたあと、二人は写真撮影のために公園を歩く。

 

 公園の中では、黄色い花が咲き乱れていた。日本語でいえば、「れんぎょう」の花だ。わたしは思いついて、この花の名は韓国語で何というのか、と彼女に訊ねた。

「ケナリ」

 彼女は答えた。

ふうん、と言ってしばらく歩いたあと、わたしは再び立ち止まった。行く道の両側では相変わらず満開の黄色い花が風に吹かれてそよいでいる。

「…ナグネでしたっけ?」

 わたしは訊いた。花の名をいっぺんで覚えられなかったのだ。ナグネというのは「旅人」という意味の単語で、その単語はちょうどそのころ学校で使っていたテキストに出てきたばかりだったのである。どこかで混線してしまったらしい。

 母国語として韓国語を使っている人には可笑しくてたまらないだろうこの単純な間違いに、スヨンも陽射しの中で声をあげて笑い、それから一音一音区切るようにして、「ケ・ナ・リ」と大きな声でもう一度教えてくれる。

写真もほぼ撮り終え、公園の出口ところまで来たとき今度はスヨンがふと立ち止まった。そして彼女は、今を盛りと咲き誇っている傍らの黄色い花を指差した。

「もう一度、復習しましょう。この花の名前は?」

 あろうことかウッと口ごもったあとで、わたしはまたもや言った。

「ナグネ…?」

 スヨンは驚いて目を見開き、それから弾けたように笑った。

                        (第7章から)

 

 

この後スヨンは、手帳のページを破いて「ケナリ」と書いて鷺沢に渡すのだが、タイトルとなったこの文章にひかれた。

 

鷺沢の小説は若いころに読んだ記憶があるのだが、それほど強い印象はない。

今回、この本と一緒に『私の話』(2004年)も読んだのだが、やや露悪的、自虐的とも思えるようなところもあって、すっと入れないものがあった。

 

このころ鷺沢は家庭崩壊のはざまで小説を書くかたわら、川崎の青弓社に出入りし、オモニたちの識字学級に足を運んでいた。日本人の子も在日の子も一緒に集まる学童クラブの名前がケナリクラブ。実在のペ・ジュンドやその娘も登場する。

1985年の指紋押捺の運動のころ、ペさんや青弓社の理事長だった李仁夏のお話を何度お聞きしたことがある。その数年後の90年ころに鷺沢はここに来ていたことになる。

ケナリの話はその前後のことだ。

 

どちらのエッセイも、自虐的にどこかはぐらかしながらも、その底には「私は何者なのか」という問いがあるように思えた。外国人登録証をもっていない鷺沢は、明らかに朝鮮人ではないが、かといって自分を日本人とは言えない出自を強く意識している。

 

鷺沢は36歳で自死するのだが、破滅型を感じさせる文章とともに、ケナリのことをナグムと何度も言い間違えるというエピソードに鷺沢の哀切を感じた。

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