『もう死んでいる十二人の女たちと』(パク・ソルメ 斎藤真理子訳 2021年 白水社 2000円+税)『保健室のアン・ウニョン先生』(チョン・セラン 斎藤真理子訳 2020年 亜紀書房 1600円+税)

チョ・ナムジュの『’82年生まれキム・ジヨン』(2018年)は、たしか映画を見てから原作を読んだのだったか。独特の文体で引き込まれたのを覚えている。

その時に初めて気がついた。

訳者は斎藤真理子さん。さん付けするのは、何度か仕事を一緒にしたことがあるからだ。

岡崎勝さんが長く編集人を務めている『おそい・はやい・たかい・ひくい』(ジャパンマシニスト社)という小学生の保護者を対象とした雑誌で斎藤さんは編集に携わっていた。2000年代のなかごろのことだ。通称『お・は』は現在、以前のような隔月刊雑誌ではなく岡崎さんの個人誌のような体裁になっている。したがってもう原稿の依頼はないが、岡崎さんにはいつも無理なお願いばかりしていたから、依頼があればけっして断らずに駄文を寄せてきた。けっこう長い期間だったから、編集者の方も何人かとお付き合いがあったが、斎藤さんはその中でもとっても印象が強い。

お姉さんが文学評論家の斎藤美奈子さんだということは、そのころ聞いて知っていたが、お父さんが新潟大学名誉教授の斎藤文一さんという物理学者で宮沢賢治の研究者であることは知らなかった。

大学時代、私はいい加減な宮沢賢治のファンで卒論も宮沢賢治を選んだので、斎藤文一氏の本は読んだことがあった。

まさかそんな縁(私の勝手なこじつけのような)がある人とは、当時は全く思わなかった。

 

その斎藤さんが『’82年生まれキムジヨン』の訳者だということを聞いても、それほど驚かなかった。

 

翻訳で評価され、ヒット作が出て、映画化される、食べていけるようになって翻訳に専念できるようになるというのは、想像もできないほど大変なこと。副業で教員などをやっている方も多い。

 

出版されている翻訳書は20数冊。今や斎藤さんは、現代韓国文学の翻訳家として確固たる位置を築いたようだ。長年の地道な精進が実ったということだ。

わずかなつながりでもかかわりがあった人が世に出るというのはうれしいものだ。

 

韓国文学というより、私は若いころから在日の文学に好んで接してきたが、韓国人が書いたものを読むというのは『キムジヨン』が初めてだった。

 

新聞の書評で見かけた1冊ともう1冊を読んでみた。

もちろん訳者は斎藤真理子さんだ。敬意を表して図書館ではなく新刊本を購入した。

『もう死んでいる十二人の女たちと』(パク・ソルメ 斎藤真理子訳 2021年 白水社 2000円+税)

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『保健室のアン・ウニョン先生』(チョン・セラン 斎藤真理子訳 2020年 亜紀書房 1600円+税)

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『もう死んでいる』は、大変にシュールな作風の作品。帯には「光州事件福島第一原発事故、女性殺人事件などの社会問題に、韓国で最も注目される新鋭作家が独創的な想像力で対峙し、実感のある言葉で紡ぐ鮮烈な8篇」とある。

 

正直、ついていくのが精いっぱいだったが、最初と最後におかれている「その時俺が何ていったか」と表題作が印象に残った。斎藤さんがあとがきで書いているように

「・・・ある場面を思いつくと同時に人物も思いつくが、自分としてはそれがどんな人であるかはわからなくてもいいようだとも著者は語っている。ここに、距離感そのものが主人公であるかのような、パク・ソルメだけの独創的な物語の土台があるのだろう」

 

「文体がかなり変わっていて」とも斎藤さんは書いているが、翻訳を読んでいてもそう感じる。私など何度も後戻りした。

パク・ソルメに永山則夫を題材にした作品や北朝鮮への帰国運動に参加するために息子を連れて新潟まで行ったが、帰国船に乗らずに帰ってきた李家美代子が出てくる作品などがあるという。読んでみたいものだ。

 

『保健室』は、特殊な霊能力をもつ養護教諭アン・ウニョンは、悪しきものが見えてしまう。菅文教氏とともに学校の中に徘徊する悪しきものを退治する物語。これもまた独特の風合いのある小説。パク・ソルメとは全く傾向を異にした作家。

こっちはドラマを見ているような気分で楽しめた。

2020年Netflixで1シーズンの連続ドラマが放映されているそうだ。うちでは見られないが。