「浪花の歌う巨人パギヤん独演会vol.4」・・・『医師・中村哲』前・後編を一気上演。

9月25日(土)

大倉山記念館「浪花の歌う巨人パギヤん独演会vol.4」。

2019年9月15日、2020年1月4日、2021年7月24日と続いたパギヤんと豊子師匠のコラボ。

歌手のパギやんの「浪曲をやりたい。ついては豊子師匠の三味線で」という申し出をたぶん「はいはい、いいですよ」と受け止めた豊子師匠。普通では考えられないクロスオーバーというかフュージョンが実現。人間国宝の申し出を何度も断っているという豊子師匠の懐の深さとパギやんの音楽的な度量の高さのなせるわざ。

それでもはじめは「森の石松」や「紺屋高尾」といった浪曲のオーソドックスな出し物

から始まった。パギやん、これを難なくこなしてしまう。

そしてとうとう自作の浪曲に。それが前回、「医師・中村哲」となった。驚いた。

パギやんと豊子師匠、二人の舞台にアフガニスタンの乾いた大地が二重写しになるのだからすごい。パギヤんは途中ギターを弾いて歌まで歌う。

今回は、予定していなかった前・後編を一気上演すること胴元の小野田さんから伝えられる。

チケットは5月ごろには確保していた。なにしろ30枚限定のプラチナチケット。いやがうえにも期待は高まる。

 

しかし、風のうわさに豊子師匠がコロナに感染したとの情報が入った。玉川奈々福さんのブログだったか。緊急事態宣言のさなか。

小野田さんから変更の連絡はない。

無症状でたいしたことはなかったとのことがブログで分かる。

83歳。豊子師匠の三味線を聴くのを無上の喜びと感じている我ら夫婦。この日もいそいそと・・・。

 

いや少し違った。この日は珍しくクルマで出かけた。

このブログでも触れたが、同期で同僚のSさんの墓参りを思い立ったからだ。

Sさんが去年の4月に亡くなったことをこの夏になって知った。事情を知らせてくれたやはり同僚だった同期のHさん。彼女がお墓の場所を教えてくれたのでこの機会にと出かけたのだ。

Mさんも一時期、隣の中学校にいたSさんと知り合いになっていた。

 

横浜市鶴見区の住宅街。お寺も少し離れた墓地も、両方ともナビを見ていて看板を見過ごし、住宅街に紛れ込んでしまう。

横浜特有の坂道と入り組んだ狭い道路。ナビにはお寺がすぐそこにあるのに、近くまで行けても道がない。3度ばかり同じことを繰り返して近所の人に助けを求め、その指示で再び幹線道路に戻る。

お寺は見つかり、墓地も少し離れたところに。

ここは高速道路横浜環状道路北線の鶴見の馬場出口の近く。

道路はナビとはかなり違っている。新たにつくられた道路の丘の上に開発された墓地にSさんは眠っていた。

雨がぽつぽつと落ちてきた。傘をさしながら駐車場から墓地入口へ。

受付のようなところにひしゃくの入った桶に仏花がはいったのがずらっと並んでいる。一つ買い求め、お墓の場所を尋ねる。坊さんと中年の女性が愛想よく受け答えしてくれるが、名前を言うと外にいる老婦人が「はいはい、私が案内します」と先導してくれる。この人もここの係のようだ。名前を言っただけですぐにわかるのは、墓参する人が多いからか、それともお墓ができたばかりだからか。

 

お彼岸の直後のせいかお墓にはまだ生けたばかりのような仏花が。

案内の老婦人が「まだ大丈夫だね。抜いてあなたたちのを飾って、これは桶に入れておいておいて。あとでなんとかするから」。捨てるには忍びない。

 

Mさんが風をよけながら線香に火をつける。

墓石の隣りの墓誌を見る。六文字の戒名の中に一文字、彼女の名前が入っている。照光というはじめの二文字が、彼女の性格の明るさを表しているように思えた。享年66歳。

遅くなったことを詫び、手を合わせる。

先日亡くなったHくんのことが胸に浮かぶ。彼は墓をつくらず、好きだった沖縄の海に流してもらうと言っていた。

同じ年の友人二人を失くした。胸ふさぐ思い。

 

再び車で大倉山に向かう。

 

駅前の駐車場にクルマを入れる。10分200円の値段に驚く。

 

駅近くのラーメン屋で食事の後、大倉山の坂を上る。5分。Mさん、息が上がる。

 

始まる前に趙さんと少し話をする。

娘さんの翻訳本が売れているという。Mさんが図書館から借りてきて読んでいた。

『私は私にじかんをあげることにした』(レディー・ダック著 趙蘭水翻訳 SBクリエイティブ 2020年12月 1540円)。

 

豊子師匠、ニコニコと登場。元気そうである。

 

きょうは『医師・中村哲』前・後編。それぞれ20分。間に紙切り柳家松太郎さんが30分。

 

物語は、2019年12月に中村医師が凶弾に倒れ、葬儀の時にガ二大統領が自ら棺を担ぐシーンから始まる。

続いて母方の祖父玉井金五郎のはなし。若松市で港湾労働者となった玉井は、義侠心に富み、人を束ねる才覚もあり、港湾労働者の組織玉井組を組織。大企業に対抗して労働者の労働条件の向上に寄与したという。若松市の市議を6期務めた傑物。その息子火野葦平は金五郎をモデルとした『花と竜』を書いた。

金五郎の妻マンが中村に対し、繰り返し差別をするな、弱いものの味方になれと説いたという。マンは金五郎とともにゴンゾとよばれる沖仲仕同士のもめ事を仲裁するなど労働者からの信頼が厚かったことが『花と竜』に書かれている。

中村の義侠心はこの祖母によるところが大きいとパギやん。

 

1978年、中村が初めて訪れたパキスタンの登山の途中に多くの村人が医者がいるということを聞いて押し寄せ、中村に診てほしいと頼んだという。

それがきっかけとなって中村は1984パキスタンペシャワールへ赴任。長くパキスタンで活動するが、政府の圧力で活動が困難になり、アフガニスタンへ。

病気を治すことから井戸を掘ること、そして巨大な用水路を建設するところまでパギやんは語った。

 

途中、2曲自作の歌が入る。

豊子師匠の三味線は相変わらず融通無碍というがごとく、パギやんの語りにぴったり合わせてくる。もちろん音を合わせるときもあれば、全く違った曲調を弾くこともある。まさに融通無碍。

 

前・後編の完全口演は今回が初めてとのこと。まだまだ工夫するところはあるとのこと。楽しみである。

 

終演は4時。Mさんソワソワと席を立つ。「はやくいこ」。気になるのは駐車料金。2時間半を超す。計算するのが怖い。

コラボ玉造☆パギやんスケジュール終了分2021

貰ったチラシのなかに唐十郎作、金守珍演出の『泥人魚』が入っている。18年ぶりの上演とのこと。12月に28回の公演、会場はシアターコクーン宮沢りえ風間杜夫らとともにパギやんも出演する。チケットが取れるかどうか。