『山中静夫氏の尊厳死』(南佳士)の原作を読んでみた。その一

このあいだ、映画『山中静夫氏の尊厳死』について書いた。梅雀と津田寛治という二人の役者を起用したにしては、出来は決して良いものとは思えなかった。どこかひっかかるかるものがあったので、原作を読んでみようと探したら、2004年に出た文庫本が中古で見つかった。きのう届いたのでさっそく読んでみた。

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長いものではないが、読みごたえのある小説だった。

 

作者の南木佳士さんは1951年生まれ。長野県佐久市に住み、佐久総合病院に勤務している。1989年に「ダイヤモンドダスト」で第100回芥川賞を受賞している。映画化された作品に『阿弥陀堂だより』がある。

 

名前を知っている作家より知らない作家の方がずっと多い。南木佳士という名前も今回初めてみた。芥川賞作家であることも知らなかった。

映画『阿弥陀堂だより』(2002年)はタイトル名は見覚えはあるが、これも見たことがない。

 

映画に比べて原作の方は、山中静夫という患者の人間像がもっと重層的で豊かなものだということ。山中氏の尊厳死を山中氏とともに貫徹しようとする医師今井の人物像も、映画では十分に描かれているとはいえず、中途半端な印象があったが、原作では奥行きのある人物として山中氏に向き合っていることが分かる。

 

今井の独白のような作者の死生観。

『「なぜ死んだのか」

 「人はいずれ死ぬものなのです」

 「もっといい病院に入ればよかった」

 「どんなことをしても死ぬ人は死にます」

 「癌は治る時代だなんてマスコミにも出てるじゃないか」

 「治る癌もあれば治らない癌もあります」

 「なぜうちの人に限って」

 「だから、誰でもいつかは死ぬんです」

 こんな不毛なやり取りを何百回繰り返してきたことだろう。日本人はいつから自分やその身内だけは死なないという共同幻想を抱くようになったのだろう。来年のことを言うと鬼が笑うといわれて育ったのに、どうして何十年ものローンを組んで家が建てられるのだろう。

 いい大人を相手に、人間ていうのはいつか死ぬものなのです、などという初歩の話から始めないと会話が成立しなくなったのいつ頃からなのか。

 死にゆく患者への家族への病状説明や、死後の死因説明で、死者を看取ったばかりの今井の徒労感に追い打ちをかけるのはいつも、死をどこかに置き去りにして生きている人たちのあまりの幼稚さであった。これはその人の学歴などとは無関係で、むしろ、理屈をこねて死を遠ざけようとする傾向は高学歴の人たちに目立っている。』(70頁)

 

山中静夫氏は、婿に入って何十年も住んだ町の病院ではなく、自分の故郷の病院で「楽に死ぬ」ことを望んでいると今井に告げる。

 

山中氏は自分の手で実家のお墓のとなりに墓をつくるという。自分で入る墓を自分の手でつくるという。入り婿先の墓には入りたくないようだ。

余命を三か月と告げられた山中氏は、病院から長靴姿で山のお墓に通い続ける。

しかし病状は待ってくれない。

 

『「山中さん、そんなにまでして自分の手でお墓を造らなくても、奥さんが誰かに頼めば造ってくれますよ」

ああ、これでは今まで繰り返してきたとおりのただの医者と患者の会話になってしまうな、と思いながらも、今井はほかに適切な文句が浮かばなかった。

「先生。これは反乱なんですよ。婿が起こした一人だけの反乱なんですよ。そこんとこ、分かって下さい」

山中さんは味方に裏切られたような、哀しげな目で今井を見た。』

 

山中氏の妻は、家業もあってなかなか病院には来られない。

『「あとどれくらいでしょう」

 廊下に出た今井のあとを、連日姿を見せるようになっている奥さんが追いかけてきた。

 「分かりませんが、そう長くはないと思います」

 今井は小声で言った。

 「私の方も疲れてしまって」

 奥さんは正直だった。

 「生き残る人の都合に合わせて人は死ぬわけじゃないですから」

 疲れているのは自分も同じなのだ、と今井は言いたかった。

 モルヒネの量を今の二倍にすれば、おそらく山中さんは深く眠ったまま静かに呼吸を止めるだろう。そして、誰もそんな今井を責めないだろう』(116頁)

 

さらに病状は悪化する。

 

『「本人が言っている通りに楽にしてやってもらえませんか」

 読影室のソファに坐るなり奥さんは詰め寄ってきた。

 「ですから、もう一度チューブを入れて水が抜ければ楽になりますよ」

 今井はため息を隠さなかった。

 「モルヒネですか。その薬をもっと多くしてもらえませんか」

 奥さんの声は鋭く、高くなっていた。

 「これ以上増やすと呼吸が止まる可能性があるんです。死んでしまうんです」 

 今井はかえって声を低くした。

 「あの人が楽になりたいって言ってるのはそういうこと意味だと私は思います」

 奥さんは深呼吸して声を下げた。

 「あのねえ、奥さん。正直に言いましょう。私もつかれています。モルヒネを増やしてしまおうかとも考えました。でも、今の山中さんは死にたがってるわけじゃあない。少しでも長く、苦しくなく生きたいんだと思います。そのためにはチューブを入れ替えるしかないんです」』(120頁)

 

                       以下、次回。