『夕霧花園』7月24日、全国でたった4館での公開は寂しい。旧日本軍の残虐行為が背景だが、たくさんの題材が埋め込まれているのに、映画全体に静かな通奏低音がずっと流れている。急いでいない。頑として視点をずらさないぞという決意が見える。

映画備忘録。7月27日、あつぎのえいがかんkikiで二本続けて。

1本目。

『夕霧花園』(2019年製作/120分/PG12/マレーシア/原題:夕霧花園 The Garden of Evening Mists/原作:タントウ・アンエン/監督:トム・リン/出演:リー・シンジエ(1940~50年代テオ・ユンリン シルビア・チャン(1980年代テオ・ユンリン)阿部寛/日本公開2021年7月24日)

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タイトルの読ませ方は「ゆうぎりかえん」らしい。直訳ではあるが、阿部寛扮する中村有朋が戦後、日本に帰国せずマレーシアでつくり続ける庭の名前が「夕霧」であり、映画の行き先のメタファーとしても使われているようだ。媚びのないいいタイトルだと思う。

 

この映画、7月24日に封切りとなったが、調べてみると東京・渋谷のユーロ・スペースと私が見たあつぎのえいがかんkiki、名古屋の伏見ミリオン座、そして大分のシネマbisのたった4館での上映。

映画ドットコムのレビューも、この数日で平均が3.2になったが、数日前までは2.5。このままではこの映画、衆目に触れずにお蔵入りになってしまいかねない。

ぜひ見てほしい。独特の手触りの映画だ。私が見てみようと思ったのも、予告編への違和感から。こういう映画はあまりない。

 

感覚的な印象だが、たくさんの題材が埋め込まれているのに、映画全体に静かな通奏低音がずっと流れている。急いでいない。頑として視点をずらさないぞという決意が見える。

背景や物語の流れについての説明は決定的に省かれている。レビューを見ていても全体がつかめないといったものがいくつかあった。

私も初めは戸惑ったが、120分考え続け、帰りの電車でも考え、寝る前にも考えて、次の日、散歩のときにMさんに枠組みを説明して初めて「ああそうだった、こういう映画だった」と自分でも腑に落ちたのだ。

 

物語の外枠は、1941年12月8日、旧日本軍がイギリス支配下にあったマラヤ(マレーシア)コタバル近郊に上陸。占領する。

日本軍はここでも大東亜共栄圏の名のもとに、マラヤ人民に対しすさまじい弾圧を加える。若い女性を慰安所に放り込み、敗戦があきらかになると証拠隠滅の一環として女性らを行動の閉じこめ爆破して殺戮する。

 

この女性の中に、戦前の京都に旅行をして天竜寺の庭を見てとりこになるテオ・ユンホンがいる。その姉、テオ・ユンリンは慰安婦とはならずに強制労働に従事させられ、ユンホンの最期を確認して逃亡する。

 

戦後、妹を置き去りにした罪悪感にさいなまれながら、政府の機関に勤めながら日本人戦犯から日本に私信を代わって送ることを条件に、ユンホンのいた収容所の施設の場所を聴き出そうとする。かろうじて分かったことはその収容所の名前が「金のユリ」ということだけだった。

 

テオ・ユンリンは妹が書き溜めた庭の設計図をもとに実際に庭をつくるべく、戦後も日本に帰国せずにマレーシアで日本庭園を造り続けていた謎めいた日本人庭師中村有朋にたどりつき、庭の作成を依頼する。

 

ここまでが物語のはじまりと言っていいだろう。

 

依頼を断る中村は、テオ・ユンリンに作業員のひとりとして庭づくりを手伝えと命じる。その作業は、何度も同じ岩を据えなおすなどテオ・ユンリンは理解できず、重労働を弄ぶようなやり方に「あなたの中に設計図はあるのか」と中村に食って掛かる。

 

中村はテオ・ユンリンを座敷に招じ入れ、障子戸によって切り取られた庭の風景を見せる。借景ということの重要さを伝える。次第に二人は惹かれあっていくのだが、その部分も全く淡泊であり、つまらん恋愛話にならなくてよい。有朋は有朋のままでユンリンも毅然としたままだ。

 

ただ少しずつ事情が分かってくるのは中村のほの暗い背景だ。

ある日、日本から、遺骨収集団の一員として中村の帰国を促す使者がやってくる。

テオ・ユンリンはその男が戦中に憲兵隊だったこと、戦犯の裁判で無罪となって帰国していったことを伝える。

中村有朋という男がどういう男なのか、戦時中マラヤで何をしていた男なのか。

 

二人は共産党ゲリラに襲われ逃げるうちに離れ離れになってしまう。

テオ・ユンリンは中村を探すが、彼のゆくえはようとしてわからない。

 

1980年代、テオ・ユンリンはマレーシアで二人目の女性裁判官となっている。

中村有朋という日本人が、戦時中に日本軍が某地に埋めたとされる埋蔵金(山下財宝=山下奉文大将がフィリピンの山中に隠したとされる埋蔵金=この映画ではマレーシアの山中に隠されたというのが前提に)に関わるスパイではないかという嫌疑をかけられていることを知って、かつての友人をたどって中村をさがしはじめる。

 

これ以上はネタバレになるので書かない。

ウィキペディアには

「山下財宝は、日本が19世紀から1945年までかけて世界各地から略奪した『財宝』の一部である」と主張する人々もいるが、この話はアジアの近・現代史を背景にしたフィクション作品で著名な作家スターリング・シーグレーヴが著した、「The Yamato Dynasty」や「Gold Warriors」によって広く知られるようになったフィクションを、そのまま「真実」として読み違えたものである。「金の百合(ユリ)」 ("Golden Lily") と呼ばれる架空の財宝を巡るストーリーで、「第二次世界大戦終戦までに、財宝の一部が秩父宮雍仁親王の監督下でフィリピンに分散して隠されたため、一部が今なおフィリピンに取り残されたままになっている」といった内容であるが、虚実入り混ぜたシーグレーヴのストーリー展開の巧みさから、本当の話だと信じる人々が続出した。」

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とある。ユンホンが収容されていた「金のユリ」と合致するのだが、これに中村がどんなふうに関わっていたのかは、後段になって少しだけ明らかになっていく。

 

単なる埋蔵金をめぐる話ならば単純なのだが、この映画には「庭づくり」に込められた中村やテオ・ユンリンの思いがある。

 

テオ・ユンリンのからだに彫師でもある中村はある模様を掘るのだが、これと庭との関連は興味深いし、ユンリンにつながる謎がここに隠されている。借景という言葉が布石であったことが最後になってわかると、「ああそうだったのか」と驚かされる。

 

荒唐無稽ともとれるストーリーがある重さをもっているのは、監督のトム・リンの力量だろう。私はこの台湾人の監督の映画は『百日告別』(2015年)しか知らないが、強烈な印象が残っている。この映画も説明がない映画だったが、やはり静かな通奏低音が流れていた。

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テオ・ユンリンを演じる二人の女優、マレーシアでは著名な女優だが、ふたりとも凛としていてほんとうに美しい。映画を品のあるものしている。

 

あの阿部寛もいい。劇中一度も笑顔を見せない。朴訥とした和製英語がリアリテイを高めている。

 

ネタバレしたい欲求にかられるが、我慢する。かなり面白いネタがこの映画には隠されている。

 

日本、台湾や香港、本土中国の映画でもないマレーシア映画。新鮮この上ない。

 

全国たった4館の上映で終わらせるのはもったいない。横浜ではこのあとジャックアンドベテイでも上映。九州では4館に増えるらしい。

 

 最後にひとことだけ。

たくさんのテーマの裏には、日本のマレーシア蹂躙の歴史があるのだが、それにとどまらない日本へのアンビバレントな憧憬、それは日本の庭であり、有朋であり、日本の文化に対する捨てがたい親近感のようなものがあるようだ。それが府の歴史を払しょくすることなどないのだが、監督のトム・リンの中にはそうしたものが確かにあるようだ。『百日告別』でも同じことを感じた。