オンライン誕生会と『存在 増田賢治さんをしのんで』

今年最後の日曜日。

暮れのあわただしさは、いまのところ全くない。

いつもなら、「実家」の営業のためにバタバタと準備をし始めている時期だが、今年は

帰省?は中止。それぞれの家でそれぞれの年越しとお正月に。

 

昨日、午前中に久しぶりに次女のところへ。上の孫の誕生日のプレゼントをもっていく。

 

保土ヶ谷BPと環状2号線が交差する新桜ケ丘まで走るのだが、全く渋滞しない。

運転しているMさんの話だと、土曜日の午前中は保土ヶ谷BPには乗りたくないのだそうだ。そのぐらい土曜日の混雑は激しいとのこと。今日はどこも渋滞せずに80㌔を優に超えるスピード。深夜とは比較できないが、それでも20数分で上星川についてしまう。

 

誕生日は明日なのだが、恒例の?誕生会はコロナ禍のため中止に。山梨の両親は”来る気満々”だが、コロナには勝てない。

 

午後、昨日送られてきた大阪教育合同の増田賢治さんの追悼文集『存在 増田賢治さんをしのんで』を、あらためて最初から読む。

増田さんが逝ってあと3か月で2年になる。

増田さんと親交のあった40人を超す人々の文章。私のよく知っている増田さん、私の全く知らない増田さんが、頁から立ち上がる。増田さんの相貌がはっきりと目に浮かび、耳朶には野太い声がよみがえる。一瞬、会いたい、話したいと切実に思う。

年年歳歳花相似、

歳歳年年人不同、

かなうべくもなし。

 

今日。お昼前にオンラインお誕生会。3つ画面が開いて、3家族を結ぶ。

誕生日の歌、プレゼント開函? 誕生日のひとこととプログラムが続く。

イベント何するものぞと、1歳半の下の孫は、一人黙々とあちこち動き回っている。これが面白い。

週1回、同じzoomで画面が最大21個開いた90分に比べると、同じzoomでも気持ちの持ちようが違う。「何か話さなければ…」という切迫感がない。

イベントは15分ほどで終わる。このぐらいが疲れなくて良い。

 

午後、中島京子映画『長いお別れ』の同名原作を読む。

紙背に流れる空気は映画のものとは明らかに異質。