昨日11日、久しぶりの晴天。15℃。湿度60%。ようやく秋の訪れ。寒露とまでは言えないが。
被団協のノーベル賞受賞。驚いた。数年前に I CAN が受賞した時には被団協も一緒に受賞したようなものと言われたが、今回はど真ん中の授賞。長年活動されてきた方々にとっては、世界の核廃絶を除けば、これ以上の喜びはないと思う。
ノーベル賞委員会は授賞理由を端的にこう述べている。
ヒバクシャ(被爆者)としても知られる広島、長崎の原爆生存者による草の根運動であり、核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使われてはならないことを目撃証言を通じて示してきたが受賞理由だ。
証言・継承の活動が評価されたのは素晴らしいことだが、受賞理由はさらに踏み込んで
ノーベル賞委員会は約80年間戦争で核兵器が使われていないという、励みとなる一つの事実を認めたい。日本被団協と被爆者の代表らによる並外れた努力は、核のタブーの確立に大きく貢献してきた。それゆえ、今日、核兵器使用に対するこのタブーが圧力にさらされていることは憂慮すべきことだ。
さらに被曝体験の継承については
いつか歴史の目撃者としての被爆者はわれわれの前からいなくなる。しかし、記憶を守る強い文化と継続的な関与により、日本の新たな世代は被爆者の経験とメッセージを引き継いでいる。彼らは世界中の人々を鼓舞し、教育している。そうすることで彼らは、人類の平和な未来の前提条件である核のタブーを維持することに貢献している。
この受賞が、日本の政治、国際政治に与える影響の大きさははかりしれない。とりわけ国内においては石破新政権の核抑止論に対しては大きな歯止めとなるだろうし、核兵器禁止条約(TPNW 2017年国連採択、2021年発効)を署名、批准していない「唯一の被爆国」を自認する日本政府にとって喉元に匕首を突きつけられたも同然の状況だ。
国際政治においても核抑止論にたった核保有国、TPNWに署名、批准をしていない国々に対してその姿勢を厳しく問うものとなるはずだ。各国の核廃絶を求める市民運動が勢いづくことは間違いない。
卑近なところで言えば、学校での広島・長崎の平和学習だが、さまざまな見えない「保守」の力によって取り止めを余儀なくされていく状況、けっして増えていかない状況に対しても、逆風を追い風に変える契機となるかもしれない。
ヨーロッパ、とりわけドイツ、ポーランド周辺の学校では今でもアウシュヴィッツ見学を必修としているという。
10代のうちにせめて一度は広島・長崎を訪れることを予算も含めて必修とする「教育」がこの国にあってもいいではないか。学習指導要領にヒロシマ・ナガサキの学習をもたない文科省は、この受賞をどう受け止めるのか。
被害をしっかり見ること、そこから感じること、「教育」はそこからしか始まらない。そのためにそこに行くことを大人が準備することが義務であるし、原爆攻撃を招いた国家の責任として、その義務を果たすべきであると思う。
昨日、広島の友人からお好み焼きのKAJISANが閉店したという記事を読んだ、というメールが届いた。
ネットで検索するとたくさんの記事が出ている。一つだけURLを載せておく。
昨年6月、初めてこのお店を訪れた。その時のことはこのブログにも書いた。
原爆孤児の二人がお店を開いて58年、多くの人に支えられて生きてこられたからと
30年間値上げをせずに、お好み焼き500円、ビール大瓶500円(飲兵衛にはわかるが、
この価格、まさに破格)でやってきたというお話を梶山敏子さんからお聞きした。
83歳とは思えぬ元気さ、またいつか再訪できるだろうと思い、今年は行かなかった。
10月3日にお店を閉じられたそうだ。
お店が続いていれば被団協のノーベル賞受賞に常連客で沸き立ったはずだ。
梶山さんご夫妻に「お疲れ様でした」とお伝えしたい。