オンライン授業「おかざき学級」自然体とか等身大とか言った言葉に近い「ふつうさ」が魅力的だ。 わざとらしいダジャレや無理すじのユーモアはない。ふつうに子どもたちに話しかけている。授業が好きで仕方がないという感じは全くない。 あるのは安心感だろうか。授業の緊張よりも子どもたちはどこかで少しほっとしているような。  

 

8月17日(月)

相変わらずの炎熱ぶり。朝の散歩だけは続けている。

これをしないと、一日中家の中でパソコンかテレビの前、あるいは寝床で過ごすことになる。

録画しておいた『ヤジと民主主義~警察が排除するもの~』を見る。

HBC北海道放送の制作最初の放映は2020年2月2日。

テーマは明確。政権に忖度する警察が表現の自由を極度に抑圧していることへの警鐘だ。

実際の警察の動きを追ったシーンの説得力は迫力がある。

3人の一般市民を追っているが、彼らが感じた恐怖を見る側も共有できるつくりになっている。

 

実際には法律を超えたところで警察は動いているのだが、それを隠蔽するために市民に向けられる懐柔の発言の気味悪さ。男性警官だけでなく、警察は女性に対してあえて女性警官を貼りつかせるが、その懐柔の醜悪ぶりを見事にカメラが切り取っている。

 

中でも最も印象的だったのは、大声でヤジる若者や、スタンディングをしている女性に対して警察が規制するシーンで映し出される自民党支持者と思われる市民や一般市民の表情だ。

「そういうやり方っておかしいじゃないか」という警察への疑念の表情ではなく、ヤジる人へ対して「困った人」「規律を見乱す人」といった軽侮や無関心の表情だ。

 

警察権力の横暴を支え容認していくまさにそういう人々の表情だ。

この規制について北海道警は「問題なし」の姿勢を貫いたまま。それどころかこの2か月後、北海道議会で発言する山岸道警本部長に対しヤジを飛ばした市民を警察官が拘束、排除するという事件も起きている。

施設に勤める3人のうちの一人の男性が、排除をした警察官7名を国家賠償訴訟で訴えたが、札幌地検はこれを不起訴とした。

 

ナレーションが声高に主張をするのでなく、3人の市民のモノローグを忠実に伝えることが映像の迫力と相まって素晴らしいドキュメンタリーとなった。

以下で全編が見られる。

 

 

よる、NHKでおととい放送された『太陽の子』(GIFT OB FIRE)を見た。

第二次世界大戦末期に日本で行われた原爆製造をテーマに取り上げたドラマ。

最後までみたが、どこか流れが悪く、入りきれなかった。

柳楽優弥有村架純、緒形イッセーに国村隼、田中裕子など演技巧者をそろえたわりに(有村架純という役者、初めていいなと思った)集中できなかったのは脚本の問題。製造の実験も陳腐で分かりにくいし、なにより研究者たちが悩んでいることのリアリティが私にはあまり伝わってこなかった。期待していただけに残念。

柳楽優弥の兄役で出演の三浦春馬さんは、7月18日に亡くなった。劇中で入水自殺を企図するシーンが出てくる。なんとも見ていられなかった。

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8月18日(火)

後期もオンライン授業が中心という連絡が教務課より入っている。

小中高+ディズニーリゾートも「対面式」なのに、どうして大学だけが・・・。

 

パソコンが苦手である。画面上で授業?

孫のお誕生会ならZoomでやったことがあるが、顔も見たこともない話したこともない学生相手20人ほどと授業するなんて想像もつかないし、それだけでかなりのプレッシャーである。

 

だからというわけではないが、いやだからか岡崎勝さんがつくった授業動画を5本見る。

 

『おかざき学級』という名のオンライン授業、シーズン1は15分のものが15種、低中高学年に整理されていて、youtubeにアップされている。

岡崎さんは「子どもたちには何か食べたり飲んだりしながら見てください。ふつうの学校と関係あるようで無いけど、無いようである。ま、見てください」と云う。

 

おもしろかった。授業の中身は上手く整理されていて、黒板替わりのさまざまな資料も分かりやすく提示される。

見ていただければわかってもらえると思うのだが、この授業、授業の技術という点でもちろん優れているのだが、それよりも授業をしている岡崎さんには「さ、ここから授業だぞ!身を入れて聴け」といった目を剥いて子どもに迫るような気負いが全くないのが印象的だ。

自然体とか等身大とか言った言葉に近い「ふつうさ」が魅力的だ。

わざとらしいダジャレや無理すじのユーモアはない。ふつうに子どもたちに話しかけている。授業が好きで仕方がないという感じは全くない。

あるのは安心感だろうか。授業の緊張よりも子どもたちはどこかで少しほっとしているような。

 

学校や教育界には「教員は授業が全て」みたいな凝り固まった?考えをもつ人がたくさんいて、児童、生徒はときに大きな迷惑をかけられるのだが、そのあたりが岡崎さんは違う。基本的なゆるさとユーモアが根底にある。

それは、授業や学校というものが本質的に「強制性」「暴力性」をもっているという認識があり、だからこそ「子どもたちは学びたがっている」といったテキトーな言説に惑わされず、向き合う姿勢として「君たちも大変だな」という子どもたちへの共感のようなものがあるからではないか。

 以下は岡崎さんのブログから。岡崎さんの授業への向き合い方がすっきりとまとめられている。

ボクの仲間から受け継いだ、ボクの授業の三原則がある。「①子どもがよろこんで ②管理職が嫌がって ③先生がしんどくない 授業」である。①は「子どもは授業を楽しむ権利がある」ということ。 ②は「授業は国家や権力者が内容を決めるものではない。教師が幅広い研修と教養と修養、そして矜持を持って決めて提供する」ということ ③は「先生は楽な方が良い。先生が頑張っていることが「自己陶酔」と「教育愛」の押しつけに堕することが多いので気を付けなさい」ということなのだ。

8月19日(水)

久しぶりの薄暮シネマアルゲリッチ 私こそ、音楽!』(2012年/96分/フランス・スイス合作/原題:Argerich/監督:ステファニー・アルゲリッチ/2014年日本公開) 

                            ★★★

邦題、ひどい。娘の一人がホームビデオで撮ったアルゲリッチ。よく分からないところが多いが、言葉の分からなさは演奏シーンでOK。まとまってはいないけど、それぞれ父親の違う娘たちとのそれぞれ違い微妙な関係。アーティストの世間一般とは隔絶された独特の生活感?なのか民族性により違いなのか、よく分からないところの多い映画。

 8月20日(木)

通院。診察室で「治った考えてよいのですか」と訊くと「治ったということですね」と言われる。

帰宅して二人で祝杯。