広島旧陸軍被服支廠保存をめぐっての自民党の提言を考える。さらに『マウスーアウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』について

f:id:keisuke42001:20200823120137j:plain

特別展あるがままのアート 人知れず表現し続ける者たち 於:芸大美術館

夏の備忘録の続き

8月16日(日)

 昨日、広島で「広島の原点 旧陸軍被服支廠の全棟保存・活用を~原爆・反戦詩を朗読する市民のつどい」が開かれた。暑かったけれど出席したとのメールを広島の中澤晶子さんからいただいた。

 主催は広島文学資料保全の会・広島花幻忌の会・四國五郎追悼の会の3つの団体。

 

どの団体についても私は詳細を知らない。調べてみると「保全の会」はかつては「広島に文学館を! 市民の会」。これは耳にしたことがある。

名称変更の経緯は、行政の方針に文学館創設が盛り込まれなかったことから実質的に文学館づくりは無理と判断、現在の名前となったとのこと。引き続き貴重な文学関連資料の保全を行っていく団体に。

それにしても、多くの無辜の人々とともに「もの」もなくなってしまった広島にとって文学資料の保全は他地域と意味、意義が違うはずだ。被服支廠の利用の選択肢としても文学館は挙げられているのだが。

 

花幻忌の会は、原民喜の文学の研究と継承を目的とする会。原爆ドームの前に原民喜の小さな碑があるが、そこには

 「遠き日の石に刻み 砂に影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」

と刻まれている。

 

四國五郎の追悼の会は、画家、絵本作家、詩人であった四國五郎氏を顕彰する会。四國五郎さんの弟子と言われる画家のガタロさんのお話をお聞きしたことがある。この日もガタロさんがいらしていたとのこと。

 

イベントの様子は、毎日のように発行される竹内良男さんの「広島連続講座」の通信〈ヒロシマヒロシマから〉392号の写真入りの中国新聞の記事で読んだ。

 

この号には、戦争遺跡保存全国ネットワーク(十菱駿武・出原恵三 共同代表)が、文化庁長官と広島県知事に対する「旧陸軍広島被服支廠倉庫4棟の国史跡指定と世界遺産登録を求める要望書」が掲載されている。

それと併せて、7月に自民党の寺田稔衆議院議員が行った発言に対し、「発言撤回」を求める要望書も掲載されている。

 

寺田稔議員は自民党内の「被爆者救済と核兵器廃絶推進議員連盟」の代表世話人広島5区選出の議員である。

いったんは取り壊しが決まった支廠が運動の高まりによって世界中から注目され、4棟保存が叫ばれるのに対して、議連の代表世話人として「主導権」を発揮しようと表舞台にしゃしゃり出てきたというところ。東京大学ハーバード大学院を出て大蔵省に勤めたアタマのいい!人がどんな主張をしているのか。要約すると

① 全棟保存は考えない

② 1棟はこわして来場者向けの駐車場にする。

③ 残り3棟のうち1棟は30億円をかけて耐震化工事を施して内部利用すべき。

④ 残り2棟は外壁だけの保存。

 

発言撤回を求めるネットワークの要望書は舌鋒鋭くこれを批判している。これも要約すると

① 世界史的、人類史的な歴史的価値を有する一棟を駐車場に、とは本末転倒。発想の貧困、自民党の議員の劣化は甚だしい。

② 8月6日を前にしての2棟外壁保存という発言は、地元選出国会議員として原爆投下と被ばくの実体のどう向き合ってきたのか、嘆かわしい。

③ 被爆遺構や戦争遺跡は最大限調査して保存、次世代に伝えるべきもの。今やらないと歴史の空白をつくってしまう。お金の計算をしている場合ではない。

 

として、発言の撤回を求めている。

 

これを単なる価値観の違いと言ってしまってはいけない。国会議員として地元広島の原爆と被ばく実態をどう受け止めるのかという、これは重要な試金石。机上の金勘定で馬脚を現してしまった寺田議員、もう一度真摯に人々の声に耳を貸すべきだと思う。

 

100年以上も立ち続け、原爆の被害を今に伝えるこれほど大きな被爆遺跡は他にはない。4つあるからひとつだけちゃんと残せばいいという発想には、原爆を人類の歴史的な負の遺産として継承していこうとする視点は全く感じられない。被服支廠が安っぽい合理主義で葬られてしまうことは何としても避けなければならない。

現物を見ていないが、ついこのあいだも、貴重な遺構である平和公園内のレストハウスが、「合理的な保存」でその意義を半減させてしまったという。

多くの遺跡、遺構は、いったん壊してしまえば元に戻すことは不可能だ。問われるのは歴史に対する想像力だ。

 

朝日新聞広島支局の宮崎園子さんの文章。

 

夜、『BSスペシャル「果てなき殲滅戦~日本本土 上陸作戦」(8月15日放送)を見る。

 

75年前、アメリカは沖縄戦のあと日本を完膚なきまでにたたくために用意した九州上陸の為のオリンピック作戦。さらにはいくつもの原爆。

大竹しのぶをナレーターに起用し、76万人もの米兵が上陸するシミュレーションがアメリカの記録から明らかになる。

しかしどこか焦点が絞れていない。証言とテーマにもずれがあるように感じる。前のめり感は大竹のナレーションにも感じられる。

もっと客観的な数字を前面に出して作戦全体をイメージできたらと思った。

 

Mさんが図書館から借りていた『マウスーアウシュヴィッツを生きのびた父親の物語Ⅰ』(アート・スピ―ゲルマン・小野耕世訳 1991年晶文社刊 2000円+税)

f:id:keisuke42001:20200823135415j:plain

を読む。マンガである。上下2巻本だが、今年5月に1冊の完全版としてパン・ローリングから出版されている(3850円)。1992年ピュリッツアー特別賞受賞。

戦後、息子がアウシュヴィッツから生還した父親に話を聴くというシチュエーションだが、ユダヤ人はすべてネズミとして描かれ、ナチス(ドイツ人)はネコ、ポーランド人は豚アメリカ人はイヌとして描かれる。

ホロコースト下の極限状況での人間の弱さ、愚かさ、優しさが、人々を動物にシンボライズすることで不思議なリアリティで描かれている。

それだけでも独特なのだが、このノンフィクションは、話を聴こうとする戦後生まれの息子と吝嗇で心の狭い父親の、気持ちの上での小さくない齟齬もまた描く。さらに自死した母親を忘れられない父親が二度目の妻とうまくいかない様子もリアルに表出する。

ヒューマニズムの視点からナチスを断罪するだけでなく、人間の業のようなものを直視しようとしている。ユダヤ人=被害者=善人というステレオタイプではなく、人間の複雑な心性を描こうとしている点で優れていると思った。

ついのめり込んで読んでしまい、図書館に「下」を予約。今読み始めている。

この本のこと、まったく知らなかった。30年近くを経て再刊というのも珍しい。

 

 

 

ノンフィクションにもかかわらず、ユダヤ人がネズミ、ナチス(ドイツ人)が猫、ポーランド人が豚の顔で描かれる。描写はリアルで、ユダヤ人迫害が次第に住民の意識に浸透し、エスカレートしていく不気味な緊迫感が読者を引き込む。また、極限状況下や戦後のトラウマに苦しむ人々の人物像も複雑、多面的で、人間の弱さや優しさ、愚かさが突きつけられる。

 

ノンフィクションにもかかわらず、ユダヤ人がネズミ、ナチス(ドイツ人)が猫、ポーランド人が豚の顔で描かれる。描写はリアルで、ユダヤ人迫害が次第に住民の意識に浸透し、エスカレートしていく不気味な緊迫感が読者を引き込む。また、極限状況下や戦後のトラウマに苦しむ人々の人物像も複雑、多面的で、人間の弱さや優しさ、愚かさが突きつけられる。