子ども図書館、広島市、見直し案を提示。一見いい話のように見えて、こすからいまやかし。これでは子ども図書館の機能の分散化だ。縮小するときの常とう手段。

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今朝の中国新聞の記事。突然出てきた折衷案。

現地の情勢はよくわからないが、子ども図書館の閲覧室、学校の教室でいえば12教室分を4教室分に縮小して残すということだ。そうして移転先のエールエールA館では現在の2倍の広さを用意するという。一見いい話のように見えて、こすからいまやかし。これでは子ども図書館の機能の分散化だ。縮小するときの常とう手段。

こういう案はいずれ水が低い方に流れていくように、雲散霧消しA館に吸収されていく。中央図書館と合体する子ども図書館の独自の存在価値は、そこから薄まっていくのではないか。子ども図書館を主体に考えた市民の使い勝手からは、あえてこんな折衷案は出てこない。

全国でも珍しい子ども図書館の歴史と独特のあり方を捨ててまで、新たに箱モノをつくらなければならない理由は何?国際文化都市ヒロシマ、どっちを向いている?。

長い間、市民の間に根付いてきたものを「そっと大事にしておく」「あるいは秘かに充実させる」ことは考えないのか。

「あってよかったね」と、大人になったかつての子どもたちに言われるような行政をやってほしいものだ。

前回載せた、つくられたばかりのころ、1953年の閲覧室の写真。こんな図書館、全国のどこにもなかっただろうなと思われる明るさと開放感。まだ原爆の爪あとが残る中、この図書館が広島の子どもたちにとってどんなものだったか、想像するだに今回の移転は暴挙というしかないものと思える。