人に会うことが当たり前だったころに比べると、ここ数か月、いざ出かけるときには「どっこいしょ」とか「さて」とか自分を鼓舞しなければならなくなっているようだ。腰が重い、出不精・・・ということになるのだろうか。
8日(火)
午前中、11年前まで住んでいた港北区のマンションに今も住んでいるHさんに会いに行く。
Mさんの運転で保土ヶ谷バイパスから環状2号に入り新横浜。駅前の道路をまたぐ円形の歩道橋のセンスの悪さいつものようにあげつらいながら、プリンスホテル併設のショッピングセンター「ペペ」へ。歩けば10分ほどだったから、以前はよく来た。地下の食品売り場、閑散としている。
Hさん、元気に迎えてくれる。今日の訪問は彼女の93歳の誕生日を祝うのが目的。ささやかな花束とお菓子をプレゼント。
耳鳴りがするだけで、他はどこも悪いところはないというHさんは小柄で痩身。長生きする人に多いタイプだと思う。
ご主人は十数年前に亡くなった。急なことだったので私たちが病院まで付き添い、Hさんと看取った。Hさんはいまでも○○ちゃんと呼ぶ。
現在、70歳になる娘さんと67歳の息子さんと3人暮らし。お二人とも仕事をしている。年齢のイメージとは程遠いお若いお二人。食事の準備はHさんの仕事。そりゃ大変だわよと言いながら、その合間にマスクをつくったりする。和裁、洋裁もお手の物。
月に一度、息子さんが温泉に連れて行ってくれるそうだが「疲れるのよお」。これもわかるような気がする。
とはいえ、90代になっても、こんなふうにしていられるものだろうかと自問すると、すぐに「無理だな」との答えが自分の中で反響する。
30分ほどで辞去。横浜特有の、小高い丘の上に狭い道路を下ってくる。
もう一人会う予定の人がいる。
最近まで体調を崩して入院していたMさん。会うのは6月以来。
すっきりした表情。
近くの和食のレストランでランチ。入院中のことなどよもやま話。
40分ぐらいで解散。
この日、岡崎勝さんの『15分動画デわくわく!小学生の授業シーズン1』のテキストをジャパンマシニスト社からいただく。
youtubeで公開されているものについては依然このブログで紹介した。そのテキストである。
動画の部分を逐語的に起こし、手書きで示したところも採録。それぞれに1頁ずつの解説がついている。
シンプルだがその分わかりやすい。動画とこれがあれば、何回も使える。
9月末から始まる大学の授業は、オンラインの双方向型(zoom)でやるつもりでいる。
つもりではいるのだが、なんとも気が重い。
からだはウチにいて、全てやりとりは画面を通じて?40年以上も顔を合わせて授業をしてきたのに。
細かな手続きや操作はなんとか準備してきたが、一度も顔を合わせたことのない学生(卒業間際の4年生)20人弱と、はたして画面を通じてコミュニケーションが取れるのだろうか。
今も気が重いのは変わらないのだが、岡崎さんのyoutubeの力の抜け具合を何とか自分のものにできたらいいなと思う。
顔を合わせてもうまく関係がつくれない場合もある。
顔を合わせていれば、言葉のない部分も、つまり『無音』もときに意味を持つが、オンライン上ではただの「不具合」になりかねない。無音をおそれると「雑音」を多く盛り込むことになる。そうならないようにするには・・・。そんなことをこのところよく考える。
でもそれってオンラインだからなのか?
今日の話は「人に会う」がテーマ。「人に会わない」で終わる。