『マルモイ ことばあつめ』映画のつくりとしては、先行きが見渡せる分、それほど目新しさはないが、それでも惹きつけられるのは、「言葉を奪う」という日本の皇民化政策の残虐性とどこまでも言葉を守ろうとする朝鮮の民衆のエネルギーのせいだ。  

f:id:keisuke42001:20200914165143j:plain

あるがままのアート展から


9月11日(金)

久しぶりに厚木kikiへ。7月に『プリズンサークル』三島由紀夫VS全共闘を見て以来。

8時半まえに家を出た。マークからのバスは満席。まだ通勤時間帯。

9時半、本厚木着。

地下通路を通ってアミューあつぎというビルまで5分。9階までエレベータで一気に上る。降りると明るい眺望が開ける。すぐそばに大山、丹沢方面。眼下に小田急線と厚木の街。映画館としては抜群の眺望。

コロナ禍が始まって以降、ロビーに置いてあったソファはすべて撤去されている。坐れるのは大きな窓に面したベンチふたつ。たいてい誰かが坐っている。

早く着きすぎると4階?のBOOKOFFで時間をつぶすことになる。

 

本日1本目。9時55分から。

『マルモイ ことばあつめ』(2019年/135分/韓国/原題:Malmoe: The Secret Mission/監督・脚本:オム・ユナ/出演:ユ・ヘジン ユン・ゲサン/日本公開2020年7月10日)★★★☆

1940年代・京城(日本統治時代の韓国・ソウルの呼称)。盗みなどで生計をたてていたお調子者のパンスは、ある日、息子の授業料を払うためにジョンファンのバッグを盗む。ジョンファンは親日派の父親を持つ裕福な家庭の息子だが、父には秘密で失われていく朝鮮語(韓国語)を守るために朝鮮語の辞書を作ろうと、各地の方言などあらゆることばを集めていた。日本統治下の朝鮮半島では、自分たちの言語から日本語を話すことへ、名前すらも日本式となっていく時代だったのだ。その一方で、パンスはそもそも学校に通ったことがなく、母国語である朝鮮語の読み方や書き方すら知らない。パンスは盗んだバッグをめぐってジョンファンと出会い、そしてジョンファンの辞書作りを通して、自分の話す母国の言葉の大切さを知っていく。(bangerから)

 

 

史実と創作部分がうまくかみ合わさっていて惹きつけられた。

創氏改名皇民化政策によって朝鮮半島から朝鮮語を一掃し内鮮一体を進めようとする帝国軍隊と朝鮮総督府。そんな中で朝鮮語を守るために朝鮮半島各地の方言を集めて辞書をつくろうとする人々の物語。

 

朝鮮総督府のすさまじい弾圧があっても、戦後に完成する「朝鮮語大辞典」。この刊行をゴールとして実在、架空の人物たちが自在に動き回る。

 

正直、脚本の巧みさに引き込まれた。監督も務めるオム・ユナは『タクシー運転手 約束は海を越えて』の脚本を担当した人。細部まで血が通った脚本。細部に驚かされる。

 

 

もうひとつ驚いたのは、言葉集めのスケールをあらわすシーン。

本屋の店舗から奥の通路を通りドアを開けるとかなり広い執務室。ここもリアリティのあるつくりだが、真ん中のテーブルを取り払って床を開けると階段があらわれ、地下の書庫が姿を現す。これがすばらしい。一見の価値あり。映画のスケールを美術がしっかり支えている。

 

主人公は、非識字者であるチンピラですりのパンス、これをあのユ・ヘジンが演じている。

「タクシー運転手」の中で、光州現地でソン・ガンホを助けるノンポリの地元タクシー運転手を演じたユ・ヘジンである。『1987、ある闘いの真実』でも看守の役を演じて素晴らしかった。

 

(ネタバレ注意)

映画にはいくつもの仕掛けがある。

辞書編纂の中心人物であるジョンファンが主宰しているのは朝鮮語学会。総督府はこれを解散させ総督府傘下に置こうとする。彼の父親は京城中学の校長で、かつて独立派であったが、総督府の弾圧の前に学会を解散するようジョンファンを説得する。(朝鮮学会事件参照)

ja.wikipedia.org

 

 

この中学に通っているのがパンスの息子。学校で進められる皇民化教育、とりわけ日本語の使用と創氏改名、そして学費滞納のあいだで、息子は悩む。父親が朝鮮語学会に関われば自分は勉強ができなくなると、妹にも朝鮮語を使うなという。しかし・・・。

 

そしてもうひとつパンス自身の中の問題。学会の活動にかかわることから、文字とことばが奪われることが、自らのアイデンティティーの喪失につながることに気が付いていく。

 

それぞれのアンビバレントなありようを物語がつないでいく。

 

映画のつくりとしては、先行きが見渡せる分、それほど目新しさはないが、それでも惹きつけられるのは、「言葉を奪う」という日本の皇民化政策の残虐性とどこまでも言葉を守ろうとする朝鮮の民衆のエネルギーのせいだ。

 

総督府の役人はじめ日本人役をすべて韓国人俳優が演じている。日本語も流ちょうなのだが、やはりネイティブとは言えない。日本人俳優が務めた方がリアリティは増したと思う。

これは『焼肉ドラゴン』『新聞記者』『金子文子と朴烈』などの作品のように、韓国人俳優が日本語を話すときの独特のニュアンス、つまり韓国人が時間をかけて覚えた日本語といったシチュエーションの場合と全く逆で、総督府の残虐性が半減するような気がした。

 

辞書をつくる話というと、映画『舟を編む』があるが、ずいぶんと趣きを異にする。

 

印象に残るシーンとしては、方言収集のためにパンスが集めてきた刑務所仲間やすり仲間たちを一堂に並べて、それぞれの出身地ではこの言葉は何と発音するか、と聞き取りをするシーン。映画館で映画上映を偽装して方言集をするシーンもあり、生き生きとしたやりとりがすばらしかった。この映画の大きな醍醐味である。

 

「時間がない」ということで、看板にヒントを得て学会報に「方言を求む」という告知をするのだが、弾圧をおそれてか反応は薄い。しかし後段で、膨大な郵便が全国から朝鮮語学会に送られてきたものが、全て総督府に没収との策がとられていたことがわかる。しかし、ここでも郵便労働者の手によってその大部分が倉庫に隠される。

上記のwikipediaでは、収集資料は弾圧の過程でそのほとんどが失われたとあるが。

1947年に「朝鮮語大辞典」が完成したを考えると・・・。 

 

 

民衆の力への信頼がオム・ユナのおおきなテーマ。

これは韓国映画の一大テーマでもある。

 

最後まで楽しめた。

 

 

二本目、三本目は次回に。