1週間で季節が入れ替わったようで、ようやく秋色のきざし。

この1週間で季節が入れ替わったようで、ようやく秋色のきざしが見えた。

セミは9月の初めに虫と重なって鳴き、無事に選手交代をはたしたのに、気温がいつまでも下がらず、本当に長い夏だった。

 

このブログ、前回のアップが9月18日。ずいぶんあいだが空いてしまった。書くことがなかったわけではない。余裕がなかったのだ。目の前の雑事にあたふたしているうちに、あれよあれよと時間が過ぎていく。いつものことなのだが。

日々の備忘録でもあるので、少しだけ振り返っておく。

 

9月18日、上星川に住む孫のA人君小学2年生が、保土ヶ谷公園で開かれる「みんなのパークフェス スポーツとカルチャーを楽しもう」に空手の演武で出るというので、午前中から出かける。

天気は上々、というより真夏の日差しの中、保土ヶ谷バイパスから環状2号、16号線に降りて、天王町に住むIさんのところへ届け物をしてから、保土ヶ谷公園へ。もちろんMさんの運転。

9時半に会場に着いたら、後ろから次女一家の車がついてきていた。韮崎のご両親も一緒。A人くんの応援に、大人6名に4歳のH人君の7人が駆けつけたことになる。

会場はすでに動き始めていて、まさにフェスティバル。スポーツ体験にマルシェ、アートホールでは吹奏楽のコンサートも。こういうところにほとんど足を踏み入れたことがないので、なんとなく身の置きどころがない。

 

10時半頃から野外ステージで演武が始まる。A人くん、型がなかなか様になっている。

ついこの間、黒帯になったいとこのSちゃんのあとを追っているわけではないが、孫2人が空手に夢中というのも不思議なもの。

板割りなどもあって、楽しめた。なかなか割れずに痛そうな顔をして手を振っている少年もいたりして、楽しかった。

親子4人はその後、炎天下、スタンプラリーへ。老人4人は公園の中の喫茶室へ。明らかにわたしたちより高齢に見える女性のワンオペ。厨房に人の姿はいない。調理もフロアもたった一人。客はどんどん入ってくるが、お冷やを持っていくのも滞る。

どうしてこんなことに?手伝ってあげたくなるが、そうもいかず、呆然と彼女の動きを目で追ってしまう。

20分後、ビールが我慢できず、悪いとは思ったが、断って冷蔵ケースから自分でビールを取り出す。つまみはキャンセル。女性二人の飲み物も来てお店を出たら40分ほど経っていた。

 

親子と合流して、食事へ。

選んだレストランが「ハングリータイガー」本店。懐かしい。

まだチェーン展開になっていない頃に来たことがある。はっきり覚えている。就職した年のことだから1976年の5月か6月のこと。それ以来の入店。ネットには

「1969年、保土ヶ谷の丘陵に一軒のレストランが誕生しました」とある。

ハンバーグといえば、マルシンハンバーグしか知らなかった時代。コマーシャルの歌は今でもうたえる。

建物は昔と変わっていない。洋風の重厚な木造。大きな窓、高い天井。目の前でソースをかけてジューっと飛び跳ねるソースを両手でナプキンを持ち上げ受けとめる。今では珍しくないパフォーマンスと、初めて食べる本格的なハンバーグに驚いたものだ。

洒落たレストランなど入ったことがないお上りさんの若者を連れて行ってくれたのは、横浜育ちの三浦友和似の同僚Nさん、さすが都会育ちは違うと思った。

 

このハンバーグ、何店かある支店では食したことがあったが、ここは40数年ぶり。

しかしその感想はといえば、あまりに肉肉しくて口に合わない。期待していたのだが残念。ふだん食べているMさんのハンバーグの方が、味に深みがあってうまいと思う。

 

 

夏前に頼まれていた福岡のフリーターユニオンが発行している通信への原稿、9月に入って手をつけたのだが、難儀する。テーマはなく、好きなことを書いていいということだが、かえって難しい。一旦書いたものを破棄して別のテーマで書くも、また元に戻して・・・などとやっていたら締め切りがすぐそこに。4日前になんとか形にして送稿。いつもこんな具合。

 

7月に『飢餓陣営』(2023年夏・57号)に一文を書いた。これも早く依頼があったにも関わらずぎりぎりに。300ページを超える大部の雑誌。読み応えのあるいくつもの論考の中に拙稿がちんまりと。

大したものではないが、

 


ここに載せておく。