今朝、河畔にさしかかったところで低空を飛ぶカワセミを目撃。
上流(町田方面)に向かって歩き始めるのだが、この辺でこのところ毎日、ユスリカに遭う。50㍍ぐらいの間、顔の高さでついてくる。いや、ついてくるというより次々と現れる。うっとうしいことこの上なし。日本には2000種類もいるらしいが、関心はない。
昨日は久しぶりにホバリングを見た。2回も。何度見ても美しいもの。狩りはうまくいかなかったが。
カワセミは敏感ですぐに飛び立ってしまうので、なかなか近くで見ることができない。この日、珍しく3㍍くらいまで近づくことができた。Mさんが撮影を敢行(上の写真)。望遠のないiPhoneではこれがギリギリか。
いつの間にか5月。
感染者が減る気配はない。それどころか医療が激しくひっ迫している。
なぜかテレビのニュースはオリンピックの選考会の結果も当たり前のように報じる。
無策、というか愚策としか言いようがないこの国のコロナ対策。
こんなことやってる場合じゃないだろう!というジャーナリズムは、ない。
オリンピックを早く中止し、医療にかかわる人々への支援をまっとうに行い、とワクチン接種を遅滞せず早急に行うこと、人出を抑えるための策を明確にして、それを保証するお金をしっかり出すこと。
子どもでもわかることができない政府。
オリンピックに看護師500人・・・「休まれている人もいるので…」とガースー。なぜ休んでいるのかに思い至らない。ワクチン調達失敗。
灯火管制に走る小池。要請を振り切って営業を続ける店をあぶりだそうとする愚策。
ワクチン申し込み、45分でクラッシュする横浜市。
まずは最大の障壁であるオリンピックを中止することだ。
噓と金で誘致したイベント、はなから意義などない。引っ張れば引っ張るほど問題がどんどん出てくる。私たちが考え付かないような問題がこれからたくさん出てくるはずだ。
去年、延期した時よりもはるかに状況が悪化しているのに、緊急事態宣言が解除できる見込みもないのに、なぜオリンピック?
中止の雰囲気は充満している。こズルい言い出しっぺは、どう点数を稼ぐか、考えていることだろう。
映画備忘録
『大米コメ騒動』(2021年/106分/日本/監督:元木克英/出演:井上真央・室井滋
左時枝)
つまらなかった。監督も俳優も富山県出身をそろえて、富山弁はとっても懐かしかった。富山には若いころ、労働組合のあるまりで何度も出かけ、よく酒も飲んだ。地元の人たちとの交流の中で聞く方言は今でも忘れられないインパクトがあった。室井滋の富山弁、素晴らしかった。
でも、この映画、そこまで。富山県内の企業や行政がみんなで応援してつくったのだろう、エッジのないダラーッとした映画になってしまった。
元木克英という人は、今まで『高速参勤交代』(2014)『高速参勤交代リターンズ』(2016)『居眠り居眠り磐音』(2019)などを見たが、いわゆる社会性など吹っ飛ばしてもエンターテインメントが楽しいつくり手。富山の米騒動もこの監督にかかると、時代背景も何もさらっとなでるだけで、あとは割合軽い人間模様の面白さ。それを富山県が県をあげて応援しているから、今から100年前の社会のすさまじい状況と湧き上がる全国的な労働運動の中に位置づけられる米騒動がずいぶんと矮小化されてしまったように感じられた。
意図的な米の高騰に対して行われた女たちの実力行使の意義を、個人の事情や自己批判に封じ込めてしまっているように思えた。イギリスではこの30年ほど前から、実力高裁による激しい婦人参政権運動サフラジェットの運動があったが、期せずしてそれに連なる運動であることもこの映画では捨象されている。サフラジェットを描いた秀作『Suffragette』を『未来を花束にして』というような情緒的な邦題をつけてしまうこととこの映画の能天気ぶりは通じるところがあるのではないか。
それにしてもこの時期、日本の男は一日に米1升を食べていたという。富山の女たちも八合の米を食べていた。そもそも米以外の副食物が少なかったのだろうけれど、生活の中で米が占める位置は今とは比べものにならない。
宮沢賢治は「一日ニ玄米四合ト少シノ味噌ト野菜ヲ食ベ」と「雨ニモ負ケズ」に書いたのが1933年。この数字にも驚く。