『作曲家・武満徹との日々を語る』(武満浅香 小学館 2006年 2730円)あれから50年。好きなときに好きなようにただ聴き散らかしてきただけだが、今もって、好きな作曲家は?と聞かれれば(聞かれたことなどないが笑)武満とこたえる。

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この本、新本で買ったのか中古を買ったのか、記憶がない。そういう本が本棚にけっこうある。

 

『作曲家・武満徹との日々を語る』(武満浅香 小学館 2006年 2730円)

 

この本は小学館が武満の全集をつくるのを契機に、大原哲夫編集長が聞き手となって武満徹の妻であった浅香さんに行った長時間インタビューの記録。古い写真が何枚も入っており、厚手の紙で、武満自身のイラストもたくさん入り、装丁自体もしゃれている。それで買ったのかもしれない。

 

今まで知らなかった武満の若い頃のエピソードがふんだんにちりばめられている。

1930年生まれの武満が音楽を志すことを決めたのは、1945年。学徒動員先の半地下壕の宿舎でリュシェンヌ・ボワイエのうたう《聞かせてよ、愛の言葉を》を聴いた時、戦争が終わったら音楽をする決心をしたという。浅香さんは幼馴染。武満の近所に住んでいた。

 

武満の面白さは、音楽のエリートでないことだと思う。誰に影響されたということもなく(あるとすればバッハか、『マタイ受難曲』をいつも聞いていたというし、亡くなる前も聞いていたという)、ピアノも習ったことがないし、大学で音楽を専攻したわけでもない。食べていけるとも考えていなかったようだし、ただただ自分の中に「自分の音楽をつくりたい」という気持ちだけがあったという。

 

抜き出したいところがたくさんあって、頁がたくさん折ってある。

高橋悠治岩城宏之谷川俊太郎黛敏郎井上陽水篠田正浩山本直純、池辺普一郎、荘村清志、などとの交友関係が面白い。

 

自分が初めて武満の音楽を耳にしたのはいつだろう、と今回初めて考えた。

若いころから意味もなく本を買い、捨ててきたが、今でも武満の本は『音、沈黙と測りあえるほどに』(1971年)を筆頭に何冊か持っている。大学生の時に買ったものだ。

どこまで理解できたのか心もとないが、初めて読んだのはこの本だ。

では初めて聴いたのは?

あれは高校2年のころ、町の映画館にある映画を見に行った。今は薬剤師となった友人のH 君を誘って行ったらしいとH君からきいた。

その映画は『心中天の網島』(1969年/103分/監督:篠田正弘監督:篠田正浩/出演:岩下志麻 中村吉右衛門(2代目)

岩下志麻は篠田監督の妻、吉右衛門は今は重要無形文化財保持者(人間国宝)だ。

出演者このほか、小松方正加藤嘉、滝田裕介、左時枝藤原釜足浜村淳・・・。

錚々たるメンバー。

原作はもちろん近松門左衛門。この映画の音楽を担当したのが武満だった。

映画をみて何を考えたのか、今となっては記憶はない。ひたすら背伸びをしていた時代。難しいことは格好いいことだった。

 

ただ、近松の世界に惹かれていたことは事実だ。義太夫に関心があったし、大学のゼミ(形ばかりの国文専攻)での長文の暗誦に近松の『曽根崎心中』の『この世の名残り世の名残り~」を選んだ。

だから、武満の音楽だ!と言って映画を見に行ったわけではない。

どんな音楽だったのか。覚えているのは義太夫の語る世話物の世界とは全く違う、肺腑をえぐるようなかわいた無調の音楽だったような気がする。

 

あれから50年。好きなときに好きなようにただ聴き散らかしてきただけだが、今もって、好きな作曲家は?と聞かれれば(聞かれたことなどないが笑)武満とこたえる。

 

      オーケストラの初演は小沢と岩城宏之が多い。 

 

 

 

武満徹に会ったことはあるか?と、これも誰にも聞かれたことはないが、実は会ったことはある。いや、あれは会ったとは言わない。みかけたのだ。

 

いつのことだったか(80年代から90年代初めのころか)、誰のコンサートだったのか(小澤征爾だったか)も覚えていないが、場所は東京文化会館サントリーホール。休憩時間のロビー。オーラというのだろうか。そこだけ光がさしているようだった。数人で談笑している姿。武満だ!と声には出さなかったが、鳥肌が立った。

長髪、短躯、眼光の鋭い年齢不詳の人。忘れられない。

 

 この『小さな空』が武満の東京の下町での原風景のようだ。

指揮をしている田中信昭は日本で初めてのプロの合唱団、東京混声をつくった人。1928年生まれだから武満の二つ上。同時代を生きてきた音楽家。1973年から始まる武満の「うたⅠ」「うたⅡ」12曲のうち8曲は、東京混声と田中信昭が初演している。