『旅立つ息子へ』(2020年製作/94分/PG12/イスラエル・イタリア合作/原題:Hine Anachnu 英語 Here We Are/シャイ・アビビ ノアム・インベル/日本公開2021年3月)普遍的な子離れの物語である。なのにしみじみと訴えるものがあるのは、父親としてはかなり高齢のアハロンの内に内に閉じていく救いのなさ。いつの間にかウリのことではなく、アハロンに寄り添って映画をみていることに気づく。この映画のいいところだと思う。 

きのう、ワクチンの1回目の接種。真夏の強い陽射し、帽子か日傘があればよいと思うほど。

 

横浜駅近辺中心にいくつもの診療所を経営している整形外科。駅を出てすぐのところにあるビルの4階と地階に診療所がある。この二か所全部を使ってワクチン接種を行っている。前日にリマインドメールが届く。

待たされず、着いてから10分で終了。終わった後の待機時間も含めて30分で済んだ。

副反応は、今朝起きた時に注射をした箇所が少し痛むこと。発熱なし。薬剤師の友人Hさんによると、これは感作(かんさ)反応というのだそうだ。異物が体内に入ったことを示すもの。2回目が免疫反応で、こちらのほうが副反応が強く出るとのこと。心配はいりません、とのこと。

 

6月29日と7月27日に予約していた横浜ハンマーヘッドでの大規模接種はキャンセル。

1昨日、接種ができる850の医療機関名が公表されたことで、私のような対応をする人が多いのではないだろうか。

電話やパソコンでもうまく予約できなかった人がたくさんいる。そういう人のほとんどは、いつかできるだろうと半分あきらめている。父親に頼まれて代わりにやっていやろうと思うのだが、なかなか時間が取れず、やろうとしたときには「終了しました」になってしまうとは元同僚の弁。

気がかりなのは、65歳以下の人たちに接種券が届けば、またまた高齢者が置いてけぼりを食わないかということ。今やどれだけ早く65歳以下の接種をやるか、自治体間の競争のような様相もある。

850機関の公表の遅さは不作為ミス。5月に公表していれば、多くの高齢者が地元で接種できたのではないか。

 

映画備忘録。6月8日。

『旅立つ息子へ』(2020年製作/94分/PG12/イスラエル・イタリア合作/原題:Hine Anachnu 英語 Here We Are/シャイ・アビビ ノアム・インベル/日本公開2021年3月26日)

 イスラエルが舞台だが、どこにもパレスチナのことは出てこない。静かな田舎町や一部都会も出てきたが。パレスチナとの関係が日々の生活に現れることはないのだろうか。

 

邦題に違和感。「旅立つ息子へ」と先に言われると、なんだかなあと思ってしまう。チケットの窓口で声にするのもなんだかなあである。

 

グラフィックデザイナーのアハロンは仕事をやめ、自閉症スペクトラムを抱える息子ウリと田舎町でのんびり暮らしている。星形のパスタが大好きで、金魚のヨニとヤロンとダニエルをかわいがり、ウンベルト・トッツィの「Gloria」を歌いながら髭を剃るウリ。身体は大人でも、中身は純粋無垢な子ども。世話は大変だけど、アハロンにとっては満ち足りた日々だ。
そんな折、別居中の妻タマラが、ウリの自立を促すため全寮制の特別支援施設に入所させるという。裁判所からも、定収入のないアハロンは養育不適合と判定を受ける。仕方なく、ウリを施設に連れていく途中、乗換駅でウリは父と別れたくないとパニックを起こしてしまう。アハロンは、施設に行くのをやめ、ベエルシェバの同級生宅から、さらに海辺のリゾート地エイラットへとあてのない旅に出る・・・

 

状況の説明がない。父子でのんびり穏やかに生活しているところへ、別れた?母親が訪ねてくる。

「新しい家の話、ウリにしてくれた?」

新しい家とは、障害をもつ人々が協働で生活するところだ。

 

不機嫌そうに無視する夫アハロン。ウリに話はしていないようだ。

かた結びの糸がほどけるように少しずつ事情が分かってくる。

 

ハロンは著名なグラフィックデザイナーだったが、今は仕事をしていない。

人間関係を築くのが得意でなく、仕事は自分から辞めたようだ。しかしウリとの穏やかな生活に満足しているし、ウリのことは自分が一番よくわかっていると思っている。

母親は現実的だ。いつまでも親は生きていない。少しでもウリが自立できるように準備をしていかなければ。

 

収入のないアハロンは裁判所の決定に従うしかないのだが、施設に送り届ける途中、駅のホームでウリはパニックを起こす。父親と別れたくないのだ。

 

ハロンは海外に二人で出奔しようとする。しかしカードは妻に止められてしまう。動きが取れない。

 

かつての大学の同級生の女性の家を訪れる。

母親の葬儀が終わったところだ。泊めてもらうのは難しいが、ウリは2頭の犬と一緒に泊まりたいという。彼女はぜひ泊ってほしい、一人になりたくないから、と。

女性は母親を亡くしたことと、それにほっとしている自分を責める。アハロンに慰めを求めるが、アハロンはそれを受け入れられない。この二人の機微がとってもいい。

 

成功している弟のヨットを訪ねる。

一緒にレストランで食事をするが、アハロンはお金がないため、ウリとシェアする安価な料理を注文する。ウリは魚料理を食べる弟の妻に抗議する。魚はウリの友達だ。

支払いの時になけなしのお金を払おうとするアハロン。呆れている弟。

 

どう見ても弟のほうが大人でバランスが取れている。

「義姉の話をちゃんと聞いてほしい」と弟は云うが、アハロンは聞き入れない。それどころか、弟が黙ってネットで購入したアハロンの絵を(それでアハロンは助かっているのだが)「センスのない額に入れやがって」とくさしてしまう。

 

どこまでも偏屈なアハロン

妻に対しても最後まで意地を張り続ける。唯一の慰めはウリがいつも自分のほうを向いていること。アハロンがウリの支えになっているのではなく、ウリがアハロンの支えになっている。

 

自立というより、誰もが離別を受けいれざるをえないときが来る。ラストシーンがいい。

 

自動ドアのシーンがある。

ウリは自動ドアが苦手だ。勝手に開くのが怖いのだ。アハロンは、ドアの横の壁にマジックでスイッチを書いて、それを押すしぐさをする。ウリは安心してそのスイッチをして自動ドアを通る。

 

このシーンがラストの布石になっている。

 

普遍的な子離れの物語である。なのにしみじみと訴えるものがあるのは、父親としてはかなり高齢のアハロンの内に内に閉じていく救いのなさ。いつの間にかウリのことではなく、アハロンに寄り添って映画をみていることに気づく。この映画のいいところだと思う。ロングランとなっていることがよくわかる。

 

ウリを演じているノアム・インベル。オーディションの時からこの役は自分のものと確信していたという。こだわりの強い自閉症スペクトラムの青年を好演している。アハロン役のシャイ・アビビも素晴らしいが、妻も弟夫婦も同級生もみな深みのある人物造形。逸品。

 

私なんかには決して気がつけないことを指摘している人がいる。

 

父と息子二人暮らしのシーンがいつも綺麗なパステル調の色合いです。部屋も着ている服も。息子を施設に置いて初めて離れたときに、初めて父親が黒っぽい地のシャツを着ました。お父さんの心情が現れているのかしら?

                           (シネマジャーナルから)

 

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