『武満徹・音楽創造への旅』読了。

今年の6月に、このブログに次のように書いた。

 

武満徹・音楽創造への旅』文芸春秋/779頁・二段組/2016年/定価4400円を中古で2601円で購入)。

刊行当時の朝日新聞の紹介の一部

・・・約800ページ、2段組みの大著を前に、武満徹という音楽家の人生を咀嚼(そしゃく)しようともがいてしまった。誰しも人の一生は一冊の本に納まらないほどの物語があるだろう。だが、ここまでやるとは。本書を読み進めるうちに、いつしか武満本人が目の前で語っているかのように思えてくる。それは著者立花隆の徹底した取材の成果だろう。しかも立花は、音楽への深い知識と洞察力を持っていた。それゆえに難解な現代音楽の理論、例えば12音階のセオリーや音響を素材にしたミュージック・コンクレートなども、わかりやすく説き明かされている。

 

 

ほんとうにわかりやすいだろうか。

冒頭で立花は若いころからの現代音楽への造詣を語っている。意外だった。彼を紹介する記事ではたいてい「・・・生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたり・・・」とあって、その中に音楽は、ない。「知の巨人」と言われるが、これらの守備範囲のほかに60年~70年代において現代音楽に関心を持ち通暁していたというのは、やはり只者とは思えない。

読み進めていくうちに、紹介子の書くように「武満本人が目の前で語っているかのように」思えるとしたら望外の喜びだ。まだ100頁あたり。秋には読了できるだろうか。

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昨日、最終頁まで読了。

半年かかった。

読まない時は何週間も読まず、読むときは一気にページ数が進んだ。

音楽には半可通ではあるけれど、愉しい時間だった。

 

朝日新聞の紹介子が書いたように、読んでいる間中、ずっと武満が目の前で話をしている臨場感があった。

内容的には、音楽、文学、映画、自然、交友、死生観、宇宙まで多岐にわたるが、不世出の音楽家にそこまで語らせた立花隆の功績は讃えられるべき。大変なインタビュー集だ。

とにかくカバーする範囲が膨大で、読んでいてわからないことだらけだった。気になるところわからないところは、鉛筆で傍線をひたすら引いた。そうまでしても、読んだそばからみな忘れていくのだが、読み終わってみると自分なりの武満徹の世界がぼんやりと目の前にあるように思えてくるから不思議だ。

 

全65回の連載の途中で武満が急死する。立花はショックから立ち直れない。

 

「武満さんの96年の死はあまりに唐突だった。身体の調子がよくないことは知っていたが、まさかあそこであんな形で、突然亡くなってしまうとは夢にも思わなかった。第42章に書いたように、その知らせを受けた時、私は人前にいたにもかかわらず、思わず「エーっ」と大声をあげてしまった。あのとき私はすっかり気が動転してしまった。そして何もやる気がなくなってしまったのである。/一言でいえば、私の精神と神経がコラプス(崩壊)状態を引き起こし、仕事の継続を拒否したのだ。それくらい私はあの連載に自分をかけていた。私は武満さんも武満さんの音楽も大好きだった。その気持ちが武満さんにも伝わってか、武満さんは私が何か質問すると、なんでも答えてくれるという関係を築くことができた。あの連載は、始める前に、30時間の事前インタビューを行っている。始まってからも毎回それに補充インタビューを重ねるという形で進められたから、通算したら100時間を超えるインタビューがベースになっているという話は冒頭に書いた。よそのインタビューでは全く出てこない話が次から次に出てきた背景にあるのはそういうことなのだ。それだけの深い思い入れをもってつづけていたあの仕事が武満さんの死によってすべてが潰えてしまうということは到底容認できることではなかった。」

 

だから、この本の後編は武満が亡くなったあと、残された資料を基に立花が2年1か月を要して書き継いだものだ。

この作業を立花氏は、「心の中の空洞を埋めるために精神的リハビリ作業になるのではないか」と思って始めたというが、実際には「武満さんの喪失感が胸に突き刺さり、リハビリなどには全くなら」なかったという

連載が完結したのが1998年。5年11か月の連載だったが、その後、単行本になるまで18年の時間があった。

連載終了後にゲラは出来上がっていたというが、立花は「ゲラから手が遠のくばかりだった」」と言う。

そうして18年、2016年、本書刊行に至らせたのは、立花にひたすら病床から「あの本、お願いね」と、声帯を切除しながら口パクで伝え続けた女性の存在だった。

本書のあとがき「終わりに~長い長い中断の後に」で,立花はこの女性、「ノヴェンバー・ステップス」の尺八奏者・横山勝也さんの高弟子のひとりだったO・Mさんという方とのなれそめと彼女の闘病生活について語っている。書くのはもちろん、読むのもつらい話なのだが、立花は、

 

「この本を完成させないうちは、向こうに行って武満さんにあってもO・Mに会っても顔向けできないと思っていたが、O・Mの没後、わずか数週間で本書を一気に完成させることができた。彼女にほらちゃんと持ってきたよ、と早く言いたかったのだ。」

 

その立花も今年亡くなった。

 

2人にささげられた本書は、日本の音楽界にとって大変な財産であると同時に、立花の人生にとっても大変に重要な本であったことは間違いない。