県境を越えた外出は自粛をということだったが、予約をしてしまった以上、また開催が中止や延期にならない以上、いかないという判断はなかった。中止の場合は事前に振り込んだ二人分のお金はカンパということになるというので、それはそれでいいのだが、こんな時期にこういう集いを準備している方たちがいると思うと・・・。
吉祥寺まで往復3時間半ほどだったろうか。
先日の神奈川中回りの時は群衆?を見るということはなかったが、この日は土曜日、そうはいかなかった。
渋谷での田都線から京王井の頭線への乗り換えはいったん外に出るが(地下でつながっているのかもしれないが)、通りは人であふれていた。
吉祥寺も駅前の人通りは大変なもの。ぶつかりそうで歩くのが大変。
開場まで30分。あたりをつけておいたラーメン屋『麵屋海神』へ、迷いなく向かう。
あら炊き塩ラーメン へしこおにぎり付き、Mさんはおにぎりなしを注文。
魚の出汁のきれいなスープにしっかりした細麺。うまい。満足。
会場は武蔵野公会堂。開場5分前の到着だが、入り口には30人ほどの行列。
一番後ろに並んでいると、スタッフが「不織布のマスク、どうぞ」と声をかけている。
時間通りに会場。350人の定員のホール。少しずつ埋まっていき、ほぼ満席に見える。
司会の金子あいさんという方が、
「若い方にも声をかけていただいて・・・」とあいさつ。
ステージから見ると高齢者ばかりが目に付くのだろう。
元福井地裁の裁判長、樋口英明さんのお話。
パワーポイント44枚を使って順序だてて、201年5月21日の大飯原発差し止め訴訟の判決の中身を話される。
とつとつとした話しぶり。
誰よりもわかりやすく原発のことを話すとおっしゃる。
最初に
『原発をとめるべきあたりまえすぎる理由』
として
①原発の過酷事故は極めて甚大な被害をもたらす。
②それゆえに原発には高度の安全性(事故発生確率が低いこと)が求められる。
①②は隔離された判例法理
③地震大国日本において原発に高度の安全性が求められるということは
原発に高度の耐震性が求められるということにほかならない。
④しかし、我が国の原発の耐震性は低く、それを正当化できる科学的根拠もない。
原発の運転は許されない
これがパワポ表紙に続いての一枚目。
このことを順を追って話された。
裁判官だった方のお話を伺うのは初めて。
悠揚迫らぬ物腰、とでもいうのだろうか。
年齢的にはほとんど私と変わらないのだが、なんというかたたずまいというか、まとっている空気がどこか違う。元裁判だからそう思うのではない。せこいぞといわれても仕方がない裁判官は何人か見てきた。
焦ることなく、ゆっくりとお話される。大きな声を出すわけではないのだが、迫ってくる迫力がある。
いい話だった。同名の本は読んだのだが、その時よりもよくわかった。なにより裁判官として確信をもって書いたという判決の重さが伝わってきた。
続いて司会を務めている金子あいさんの判決文朗読。
判決文の朗読も初めて聴いた。
これは樋口さんの判決であると同時に、金子さんのからだを通しての一つの解釈。
言葉の一つひとつが立ち上がってくるように感じられた。
休憩のあと、小室等(ギター)、坂田明(アルトサックスとクラリネット)、谷川賢作(ピアノ)3人のトリオ。
配線がうまくいかないとのことで、はじまりが少し遅れる。
結局、楽器のPAは使えず、マイクは3本だけ。演奏はナマで。
歳をとったなあというのと、昔からこんなだったなというのと。声の張りは衰えたようだ。
『階段の子どもたち』これも谷川俊太郎。アウシュビッツをイメージしてつくられた詩だとか。
3曲目が『枯れたひまわりのバラ』坂田明の息子の坂田学の作曲。坂田明のサックスと谷川のピアノで。独特の転調。へえこう来るのかという感じ。新鮮。
サカタのサックスがよく鳴るように感じられる。
ここで、まさかの選曲。
『ひまわり』(ヘンリー・マンシーニ)
坂田のCDにもこの演奏が入っていて、よく聴く。
衰えを感じさせない演奏。ソフィアローレンのひまわりではなく、坂田明のひまわり。
最後は、谷川俊太郎と武満徹、二人でつくった『死んだ男の残したものは』。
武満の曲では一番演奏される曲ではないだろうか。
小室等の歌はやや古く感じられる。
今は、アン・サリーのがいい。
藤木大地も。
谷川のピアノが力が抜けていていい感じだった。
満足。
フクシマを思うシリーズは、2011年からから続いていて今回が30回目。プログラムの最後に1回から29回までの内容が紹介されている。
次回は今年7月の予定。