『武満徹・音楽創造への旅』(2016年 立花隆) と 『いまここに在ることの恥』(2006年 辺見庸)について

4月に作家の立花隆が亡くなっていたことが報じられた。80歳。死因は急性冠症候群(ACS=冠動脈が突然閉塞し、不安定狭心症心筋梗塞が起きること)とのこと。

他人事とは思えない。

 

例によって、私は立花隆の熱心な読者ではない。では誰の著作に対して熱心なのだ?とと問われても沈黙で応えるしかないのだが。

   

よくある偶然の一つ。先月末、立花隆さんの本をアマゾンの中古で購入した。少しずつだが、読み進めているところだった。

 

読み始めている、のではなく読み進めているというのは、大きな山に少しずつ踏み入っているという感じがするからだ。

武満徹・音楽創造への旅』文芸春秋/779頁・二段組/2016年/定価4400円を2601円で購入)。

 

刊行当時の朝日新聞の紹介の一部

 

・・・約800ページ、2段組みの大著を前に、武満徹という音楽家の人生を咀嚼(そしゃく)しようともがいてしまった。誰しも人の一生は一冊の本に納まらないほどの物語があるだろう。だが、ここまでやるとは。本書を読み進めるうちに、いつしか武満本人が目の前で語っているかのように思えてくる。それは著者立花隆の徹底した取材の成果だろう。しかも立花は、音楽への深い知識と洞察力を持っていた。それゆえに難解な現代音楽の理論、例えば12音階のセオリーや音響を素材にしたミュージック・コンクレートなども、わかりやすく説き明かされている。・・・

 

 

ほんとうにわかりやすいだろうか。

冒頭で立花は若いころからの現代音楽への造詣を語っている。意外だった。彼を紹介しる記事ではたいてい「・・・生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたり・・・」とあって、その中に音楽は、ない。「知の巨人」と言われるが、これらの守備範囲のほかに60年~70年代において現代音楽に関心を持ち通暁していたというのは、やはり只者とは思えない。

 

読み進めていくうちに、紹介子の書くように「武満本人が目の前で語っているかのように」の思えるとしたら望外の喜びだ。まだ100頁あたり。秋には読了できるだろうか。

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辺見庸の『いまここに在ることの恥』(角川文庫2019年3刷り・単行本2006年毎日新聞社

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 を読み終えた。辺見ががんと脳梗塞を患う中、2006年4月27日夜、毎日新聞社東京本社地下「毎日ホール」で行った辺見庸講演会「憲法改悪にどこまでも反対する」を改題、講演原稿を大幅に修正、補充したもの。

 

 改題は 「今ここに在ることの恥 ー 諾(うべな)うことのできぬもの」

 

 例によって不熱心な読者だから、なかなかすっきりと彼の言葉が深奥に入ってはこない。ただ、気になったり、引っかかったりはする。

 

かなり長いものだが、私なりに関心をもった部分を引用をしてみる。

 

  

彼はこのころ脳血管障害の病院に入院していたのだが、そこには認知症の方も多かった。

 

 

 リハビリ室まで車椅子で行きますと、認知症のおじいさんやおばあさんが何人かいます。ハルミさんというとても小さなおばあさんがいました。・・・私はそのおばあさんがなんだか好きでした。…その人はいつもセラピストに訊かれています。「ハルミさん、あなたの名前はなんていいますか?」「ハルミさん」と言っているのですから、ハルミさんに決まっているのではないかと思うのですが、セラピストは「お名前はなんていいますか?」と問うわけです。「今日は何年何月何日ですか?」ともセラピストは訊ねる。また、「あなたはどこからいらっしゃいましたか?」と話しかけるわけです。そして「あなたは何をしている方ですか」と。

・・・脳出血の後遺症のため、私がその質問に答えられないということも、もちろんあります。いつも自分が訊かれているような気がしていました。「あなたは誰ですか」「あなたはどこから来たのですか」「あなたは何をしているのですか」よくよく考えれば、これらは脳血管障害者でなくても難問中の難問に違いありません。私は電話番号もパスワードも、自分の住所も、すべて忘れていました。新潟にいたのに、一時、横須賀にいるように思っていました。場所と時間の感覚が、みんな崩れてしまったのです。そのことにとても傷ついてもいました。私は何とか現実に合わせようとしました。陥没したものを取り戻して、それを埋めたいと思ったのです。でもよく考えてみると、パスワードとか電話番号とか住所とか、それらは果たして生身のわれわれが生きてい行くうえで真に必要不可欠な、本質的なものなのだろうか。そういう疑いをかかえながら、私はハルミさんへの質問を私へのそれのように聞いたものです。・・・

 

ハルミさんはいっかな答えませんでした。ときどき眠ってしまいます。いびきをかいて寝たりします。でも私はハルミさんをじっと見ていて、不思議だなと思ったことが何度かあります。そのセッションが終わってリハビリ室を出るときに、なんとなく私にウインクをしたような気がするのです(笑)。〈私は私よ。つまらないことを訊くものよね・・・〉とでも言っているようでした。

 

私の好きな日本語に「潜思」という言葉があります。心をしずめて深く考えることで、潜思黙想という表現もあります。私には問うているセラピストより問われていて答えようとしないハルミさんのほうが、はるかに哲学の深みについて潜思し黙想しているように見えました。そして、この人は意識的に黙秘しているのではないかと思いました。緘黙という言葉があります。おそらくかつて全学連で暴れた人たちは、すぐピンとくるでしょう。でもその完黙にとどまらない、もっと内面的な「緘黙」ー 躰の芯から沈黙するという言葉があります。私はこの言葉がとても好きです。ハルミさんは世界に対して緘黙しているのではないかというふうに思えてきたのです。なぜかというと、彼女は深い森の湖みたいなまなざしをしていたから。そして、じつに不可思議で魅力的な笑いをする。皮肉っぽくも見える。また英知にあふれているような表情をする。そういったありようを、人は「形骸」というかもしれない。形骸に見えるかもしれない。形骸とは「人間としての機能を失って、物体としてのみ存在する躰」と辞書にはありますが、でもどうなのだろう。形骸なんているのだろうか。形骸というものが一体世の中にあるのでしょうか。(84ページ)

 

この二年と一か月の時間の、そうですね半分以上、私は死ぬことを考えていました。自然死ではなく、自分で死ぬことをです。楽になりたいと思ったのです。この躰を楽にしたい。毎晩ひたすらそう考えていました。美学からではなく、苦痛の脱出口として自死を思い続けました。そして、一九九九年に自殺された江藤淳さんのことが頭を離れませんでした。江藤さんのメモ、ー 遺書と言われていますけれども私はメモだと思いますーが忘れられず、ベッドの上で何度も想いだしました。彼はこう書きました。「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、みずから処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ。これを諒とせられよ」。非常に印象深いメモです。吉本隆明さんはこれを読んで、のちに「さすが名文だ」と書きました。「死に際がすっきりしている」というわけです。私はそうは思いません。別の作家はそれを批判しました。脳梗塞の人は大勢いるじゃないか。その人たちに、こういうことを書いたら失礼だというのです。私は当初はそれほど関心をもたなかったのですが、自分が脳出血になって半身が不随になり、不如意になってきたら、この問題を非常に身近に感じるようになったのです。江藤さんの苦しみは、たぶん脳梗塞だけではなく、奥様に先立たれたことや、他の心身の苦痛やいろいろな失意もあったでしょう。だから余人が簡単にいうことはできない。それを肯定したり賛美したりするにせよ、あるいは否定するにせよ、この場合は、死者を貶めるようなことはやはりいけないと思う。でも、これだけはいわれなければいけない。もの書きのはしくれとしていわざるをえないことがある。江藤さんが書きのこしたこの言葉には、日本という国固有の精神の古層、サムライの精神のごときもの、もっと拡大し、敷衍していえば、ファシズムの美学のようなものがあると私は思うのです。無様や恥をこの美学は嫌います。しかし私は、この場合の無様は毫も無様ではないと思います。この場合の恥は毫も恥ではありえない。恥とはむしろ、脳梗塞で心身が不如意になった自己身体を恥としてとらえる人間観の、狭さと尊大さにあるような気がします。江藤さんの苦しみはと孤独は、名状不可能なほど大きく深かったろうと想像します。しかし、あのメモは名文でも何でもない。内容も完全にまちがっている。先陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」が名文でも学ぶべき哲学でも断じてあり得ないように、あのメモは、悩乱のあまりとはいえ、まちがっている。そういうことが私の故江藤淳さんへの経緯になるのだと思います。

 ずっと私は自死を考えていました。私は易きにつく根性なしの人間ですから、楽に死にたいなと思いました。首吊りは、右手の麻痺でロープで輪をつくれないし、感覚障害で高いところには立てないから、だめ。ベッドで好きな音楽を聴きながら眠るように…なんて怠惰なことを夢見ていました。したがって、その準備として買ったものは、ガムテープに大型の七輪です。炭はあるかたからいただいた備長炭を山のようにもっていましたから、大事なものはそろったわけです。七輪を買いに行くときには、深刻な顔でヨロヨロしながら行ったら「ああ、この人やるのかな」と勘繰られるから、偽装するために魚を焼く網までいっしょに買ったりしました。ニコニコしながら。道具をそろえると妙に安心するものなのですね。私は飽きっぽい癖があります。買い物で一仕事が終わった気になり、それをクローゼットに入れたまま今日に至っているわけです(笑)。

 でもほんとうに「や^めた」と思ったのは、この江藤メモを凝視するように読んでからなのです。「違うよ、江藤先生。これはちがいますよ」と思えてきました。江藤さんと私とではもちろん立場が根本から異なる。たぶん、どこにも接点のようなものはない。だか、しかし、これは間違っている。「江藤先生、もの書きに形骸はないですよ」と私は思う。いや、もの書きにかぎらない。人の実存に形骸はありえないと私は思ったのです。だから、江藤さんの遺書と言われるこの江藤メモこそ、私に「おまえは、みっともなく無様でもいいから、生きろ。いや、お前は、みっともなく無様であるがゆえに、死ぬな」と教えてくれたようなものなのです。いずれの日にか私も自死するかもしれない。それを否定しません。しかし、今は、そして予見できる長くもない未来は「おまえは、みっともなく無様であるがゆえに、死ぬな」と自身に言い聞かせるでしょう。

                           (145ページ)

 

さきほども申し上げましたが、暴飲で私は、世の中から「形骸」とみなされてしまう人々をたくさん見ました。私などよりずっと大変な症状をかかえています。その人たちの神秘的な心の動きも眼にしました。非常に深い眼の色をしています。微妙な表情をします。形骸に見えて、形骸では断じてありえないわけです。私たちは彼らを見る。ときに、盗み見る。見るという専制を行使する。〈見る専制者〉は、彼らをもっぱら〈見られる被専制者〉であると錯覚する。しかし、かれらは、ただ押し黙って〈見る専制者〉の餌食になっているわけではない。彼らもまた、内側からじっと視ている。あるいは食い入るように見ている。そとではなく、反転した自分の内側の深みに視線を注いでいたりする。そこに気づかなければならない。その「形骸」といわれる者の実存こそが、いま表現されなければならないなにかではないか。 彼ら彼女らの目の眼角、視差、明暗覚、色覚、形態覚、運動覚などの視感全般がもっともっと想像されなければならない、と私は思うのです。どの面さげて、もの書きである、表現をする私がそれらの想像を放棄し「形骸を断ずる」などということがいえるでしょうか。(146ページ)

 

こんないたって大真面目な話をしていると、臭い息をして、腐った眼つきをした男たちがヘヘンと笑う。なんだかがんばってるね、でも意味ないよ、と。冷笑、シニシズムです。そして嬉笑、つくり笑い。あるいは嗤笑、あざけり。これを殺す必要がある。「殺す」というのは穏やかではないけれども、これは私のなかにもあります。自分の中の境界線を消し、冷笑、嗤笑、嬉笑、あざけりというものを殺そう。そして、必死で考えようとする人間、それがだれであろうが、殺人犯だろうが、もはや「形骸」ときめつけられたような魂でも、その声、聞こえないつぶやきに耳を傾けたい。蒙居心地の良いサロンでお上品に護憲を語り合う時代はとっくに終わっている。一線を越えなければいけない。改憲反対をいうこと自体はたいしたことではない。ただ、たいしたことなのは、そのために指の先から一滴でも血を流す気があるかどうかそのことではないでしょうか。今まで口先で言っていただけののことに、一切の冷笑を殺し、万分の一でも実存をかけること―たぶん、誰より手に負えない冷笑家である私は今、そう考えております。

                        (163頁)

 

 

 

どこまで誤植なく打ち直せたか自信はない。

ただ、これを読んで辺見が『月』(2018年)で相模原やまゆり園を書いたわけが少しだけわかったように思えた。

 

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