① 今年みた 外国映画ベスト5(順番はつけない)

12月31日

午前中、郵便局に用事があり、いくつか買い足すものがあるというMさんと一緒にグランベリーパークへ。

クルマはすんなり駐車場に。郵便局は空いているが、ほかはすさまじいほどの人出。

もう何度も来ているが、まだ施設の全容が掴めていないから、つい無駄な歩き方になってしまう。どうせ

 『人生は「つい」と「せっかく」でできている』2019年自作格言(笑)

と思っているから、まあいいのだが。

さすがにこの混雑、犬連れは少ないが(ここは犬OK、珍しい犬を連れてきて、ちょっと自慢げに歩いている人たちが多い)、子連れは多い。子どもは予想もしない動きをする。傍から見ていると面白いが、目の前でやられるとびっくりする。

 

来年の手帳を本屋で買い、東急ストアではんぺんを買い、八百屋でカリフラワーその他を買い、駄菓子屋で孫たちへの袋詰めの材料を買う。

 

たったこれだけなのに1時間以上かかってしまった。

 

グランベリーモールからグランべリーパークにリニューアルオープンして1か月半。電車が到着すると、いかにも買い物客といった家族連れがどっと降りる。クルマの数もすごい。

駅舎も駅名も変わったのだが、リニューアルというより、別の街に迷い込んでしまったような気分。

閑散としていた駅が、なつかしい気がする。

 

しかし人々にそそがれる陽光は温かく、風もない。大晦日と思えない小春日和。

昼前に帰宅する。

 

① 今年みた 外国映画ベスト5(順番はつけない)

 

 ・『ジョーカー』

 ・『家に帰ろう』

 ・『マイ・ブックショップ』

 ・『ブラック・クランズマン』

 ・『僕たちは希望という列車に乗った』

 

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南町田駅

 

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南町田グランべリーパーク駅

話は映画の話題がほとんど。 なのに互いに見た映画が重なるものがほとんどない。S君は1950年~60年代の邦画が好きだ。私は何でも見る。

忘年会など、人付き合いが少ないせいか一度もない。

それでもぽつぽつと人と会う。

 

17日、今年最後の授業だったので、帰途の田園都市線溝の口でEさんと会う。特に用事はないのだが、数日前に「まだ空いていたら」という連絡があった。

 

知っているようで知らない溝の口

どこかちょっと小体でつまみのうまい店はないかと事前にリサーチ。

 

頭文字「Z」という店に鼻がうごめく。ネットでは判断がつかない。行ってみる。

カウンター5~6席、小上がりテーブルふたつの小さな店。

 

作務衣姿の年配の男性がお運びをしている。調理場には白い帽子に白衣の料理人。

2人とも不愛想だが不親切ではない。

内容、予想以上。驚いた。詳しくは書かない。

 

23日、高校時代の同級生S君、11月には予定が合わなかった。12月初めに再度連絡があった。

「(わたしが)呑んでいるみたいだから」

ブログを見ているらしい。

 

小田急新百合ヶ丘

アルテリオ映像館に行くときにしか下りない駅。

S君、行きつけの店へ。呑み放題だという。S君が

「ちょこちょこ頼むと面倒だから」

と云うと、お運びのロングドレスのお姉さんが赤ワインのボトルを置いていく。剛毅である。常連の強み。

 

2時間という枠なのに結局2時間半ほど。

話は映画の話題がほとんど。

なのに互いに見た映画が重なるものがほとんどない。S君は1950年だから60年代の邦画が好きだ。私は何でも見る。

 

2人とも見た映画があった。『きみの鳥はうたえる』。S君は、この佐藤泰志原作の映画、あまり気に入らなかったようだ。そのうえ、映画の中での石川静河が踊るダンスがよかったと書いた私のブログにも不満があるよう。

「そんなにいいと思わなかった」

海炭市叙景』や『オーバーフェンス』など函館三部作、S君が気に入りそうな映画だと思ったのだが。

 

ダンスと言えば、最近の映画ではやはり『ジョーカー』のアーサーが踊るダンス。

それと、韓国映画母なる証明』の最初に、母親が草原で踊るダンス。

 

今年みた3つのダンス。もう一つあった。アルゼンチンの映画『永遠に僕のもの』で主人公の少年が踊ったダンス。これで4つ。

ダンスなど踊ったことがないが、ダンスを見て「いいな」と思う。不思議なものだ。

 

 

 

「国会議員が逮捕されることは誠に遺憾だ」のコメント以上に、カジノを含むIRを成長戦略の柱としてきたことの一端が崩れたこと、それ以上に東京地検特捜部が、政権に忖度することなく逮捕に踏み切ったことによるショックは小さくない。

秋元司衆議院が逮捕された。25日のことだ。容疑は外為法違反、東京地検特捜部が家宅捜索、そして身柄拘束、収賄の容疑だという。

 

逮捕後、いろいろな情報がマスコミに流れている。日産のゴーン逮捕のときと同じだ。検察からのマスコミへのリークは、いつしか私たちにぼんやりとした事件の全体像を見せていくことになる。

リーク情報が正しいのかどうかは、私たちには判断はできない。賄賂を贈った側が「贈った」と証言していると言われても、ほんとうにそんな証言をしているのかどうかは確かめようがないし、実際に証拠に基づく裁判が開かれてみないと分からない。

 

こうした問題の流れ方を見ていると、いったん堰を切ったように一つの方向に「水」が流れ始めると、もうそれを押しとどめることはむずかしい。

鈴木宗男議員の時もゴーン事件でも、はたまたいじめ事件でも痴漢事件のような身近な事件でも同じである。

出てくる情報が違ったベクトルをもっていたとしても、また当事者が「それは違う」といくら言ったとしても、いったん流れ始めた「水」はいつしか「大河」になっていて、些末な情報や「申し開き」などかんたんにはじき返されていく。

 

テレビのワイドショーなどを見ていると、いつのまにか「やってるな」という心証をもたされていく感じがする。

 

そうは言っても、国会議員の逮捕は大きな事件だ。一般人の逮捕とは重みが違う。

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秋元議員逮捕で、私が最初に考えたのは、多くの人がそうだったように、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)には、裏で利権に群がる人たちが動いていたのだなというある種のほの暗さだ。それはそのまま賭け事、カジノに対するイメージの暗さだ。

 

もうひとつは、林市長が進めようとしている横浜へのIR誘致問題が、これでかなりのダメージを受け、反対派にとっては大きなアドバンテージになるだろうということだ。

 

IR問題自体が、どこか薄汚れたイメージを被らざるを得ず、今後どの自治体が権益を確保しようと、この暗いイメージから逃れられないだろう。

 

この時季に反対運動が盛り上がっている横浜は撤退せざるをえないのではないか。

統合型リゾートはともかく、「カジノ」と「賄賂」が結びつけば、IRそのものがイメージダウンとなる。多国籍企業による利権争い・・・中国でだけでなく、アメリカ、ロシア、中東・・・みんなで日本を食い物する・・・。

かと言ってIRは、カジノ抜きではほとんど意味がない。

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安倍政権は、秋元議員が離党届を出したことで「しらんぷり」を決め込んでいるが、政権にとって、これは大きな痛手だろう。首相の「国会議員が逮捕されることは誠に遺憾だ」のコメント以上に、カジノを含むIRを成長戦略の柱としてきたことの一端が崩れたこと、それ以上に東京地検特捜部が、政権に忖度することなく逮捕に踏み切ったことによるショックは小さくない。

 

来月にもカジノ管理委員会の設立が準備され、安倍政権にとってはいよいよIRに本腰を入れてというときだっただけに、秋元議員逮捕は、政権自体を揺るがす激震であったことは間違いない。

 

以前ならば、こうしたことが起これば自民党内外で政局となったのだろうが、小選挙区制の縛りは厳しい。政権は「桜」でも動かないし、「さいころ」でも動かないとなれば、この政権をひっくり返せるのはなんだろう。

立民と国民の合同が、その起爆剤とはならないだろうことは、素人目にもわかるのだが。

 

 

県立美術館別館「ふたたびの近代」

10日前、12月19日。藤沢のPクリニックの定期受診。天気がいいので早めに出かけて鎌倉へ。

私は一つ用を足して、横浜まわりの横須賀線。Mさんは、小田急線経由の横須賀線

大船から同じ電車に乗っていたらしい。早く着いたのに、それぞれに時間をつぶす。る。 

小町通りを歩いて、鶴岡八幡宮の北側を通って県立美術館別館。「ふたたびの近代」(リニューアル・オープン記念展)を見た。

 

松本俊介、岸田劉生藤田嗣治萬鉄五郎佐伯祐三など。これら以外で印象に残他tのは、横山潤之助《風景》、小杉武久ヘテロダインⅡ》、そして麻生三郎《人のいる風景》。

 

《人のいる風景》は、じっと見ていると、暗闇から椅子に坐っている人物がほの見えてくる。なんだか気にかかる。川村美術館でマーク・ロスコーを見た時のような不安な感じが似ていると思った。

 

ヘテロダインⅡ》は、4つの扇風機にスピーカーをつけて、首振りによって音のうねりが発生するもの。羽の動きが微妙にずれているせいか、繰り返し、がない。

 これもまた不安な感情を呼び覚ます。

 

《ふたたびの近代》という特別展だが、二つとも《近代》の枠組みからかなりはみ出していると感じられた。

 

小町通りは、歩くのも大変なほど混雑。平日の、それもかなり肌寒い日なのに。

 

外国人、とりわけ中国人観光客が多い。韓国語はほとんど聞こえてこない。みかけ、それと見て外国人とわかる人、全く分からない人。

 

団子のようなものを立ち食いする6~7人の集団が店の前で大きな声を出して群れている。

これは中国の人達だろう、と思って近づくと日本語が聴こえてくる。

 

中国人観光客に振る舞いに対して、どこかで忌避感、差別感のようなものがあるからだろう。

国籍に関係なく無礼な人たちは居るということは分かっているつもりなのに。

 

まめやで試食とおみやげ、鎌倉ハムの店でお歳暮用にハムを購入。

 

Pクリニックにはいつものように静かな時間が流れていた。診察を終わって穏やかな気持ちで帰途に就く。

いつものように鶴間の居酒屋で八海山。

 

数日後、店のブログで年内で閉店のお知らせ届く。

 

 

 

 

『みおつくし料理帖』(NHK土曜ドラマ 前・後編)を見た

 録画で『みおつくし料理帖』(NHK土曜ドラマ 前・後編)を見た。特別版。

 

2年前に同じ黒木華主演で連続ドラマを見た。

その前に北川景子が主演をしたテレビ朝日版は印象が薄かったが、黒木華はイメージがぴったりで、とっても印象が良かった。「さがりまゆ」と思い人の小野寺和馬によばれる素朴さがぴったりだった。北川景子は美形すぎる。

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 2017年のPRビデオ

『みおつくし料理帖』原作は高田郁(かおる)の時代小説。全10巻+1巻。

大きな物語とたくさんの小さな物語が組み合わされ、主人公みおの料理でつながれているすばらしい作品。

家族の中を10冊の文庫本が行ったり来たりした時期があった。

テレビドラマになったものでは、『銀二貫』がよかった。この原作は、2008年に日経小説賞の同名小説。小説(幻冬舎)もドラマ(NHK全9回)も唸りながら読み、見た。ドラマの方は、津川雅彦が好演。こちらは韓国でリメイクされている。

 

みおつくし料理帖あらすじ

享和2年(1802年)の水害で両親を亡くし天涯孤独の身となった少女、澪は、大坂随一の名店と謳われる料理屋「天満一兆庵」の女将、芳に助けられ奉公人として勤め始める。やがて天性の味覚を主人の嘉兵衛に見込まれた澪は、厳しい修業に耐え、着実に腕を磨いていくが、隣家からの延焼で店は焼失してしまう。江戸店を任せていた息子の佐兵衛を頼って江戸へ出た3人を待ち受けていたのは、佐兵衛が吉原通いで散財し店を潰し、行方をくらませているという報せだった。

度重なる心労により、嘉兵衛は「天満一兆庵」の再興を澪と芳に託して亡くなってしまう。店の再興と佐兵衛の行方探しを胸に、慣れぬ土地で芳と暮らしながら働き始めた澪は、「祟る」と噂され荒れ果てた小さな稲荷を1人で整えた姿を見込まれ、蕎麦屋「つる家」の主人・種市に店で働かないかと誘われる。

上方との味の違いから、当初は澪の作る料理は評判が良くなかったが、様々な人の助けを得て様々な新しい料理を考案し、愛し合った小松原との別れや、料理人仲間である又次の死などの悲しみを乗り越えながら、「つる家」を江戸で評判の店へと成長させていく。

そんな中、澪は、吉原で幻の花魁と呼ばれているあさひ太夫が、水害で行方不明になった幼なじみ、野江であることを知る。いつしか澪は、自分の料理で評判を取り、その売り上げであさひ太夫を身請けするという、とてつもない夢を抱くようになる。そして、その夢の実現のため、「つる家」を辞めて新しい道に進むことになった。

                      (wikipedia kara)

 

 

今度の特別版は、ようやく気持ちを通い合わせる若き御膳奉行小野寺和馬と別れ、また旭大夫である野江とも別れなければならないみおの自立を描いている。前編はそうでもなかったが、後編は緊張感のあるいいドラマになっていた。

 

この物語、登場人物も多く、説明しきれないが、今回も鶴屋の主人種市(小日向文世)吉原の遊郭の主人伝右衛門(伊武雅刀)登龍楼の主人采女宗馬(松尾スズキ)が好演。楽しめた。

ただ、吉原の奥深く棲むというまぼろしの花魁旭太夫は、成海璃子は生気がありすぎて残念。何で見たのか忘れたが、イメージとしては宝塚出身の野々すみ花の花魁役を見たことがあり、旭大夫にぴったりと思っていたのだが、みお役はやっていない。

 

来年封切られる映画では、テレビ版「この世界の片隅に」で主演を演じた松本穂香がみお役。どうだろうか。

太夫役は、奈緒という女優。よく知られた人のようだが、見たことがない。

 

 

 

 

 

 

「これがまあ」と万感を込めて声に出してみる10年目の冬である。

12月23日、ここへ転居してちょうど10年目の記念日。

 

横浜には4か所住んだ。

 

初めて住んだのは、旭区鶴ヶ峰。76年3月、校長面接のあとに駅前の不動産屋で決めたアパート。風呂なし・水洗トイレなし。1DK。

駅から徒歩10分ほど。3分のところに銭湯があった。ここに2年。

 

結婚して、というより住むところが決まったので結婚したのだが、泉区の立場(たてば)。最寄駅は相鉄線いずみ野駅。歩くと30分かかった。当時は横浜でも不便この上ない場所。78年のこと。

現在は地下鉄が通り、今では便利な場所に。

3DKの庭付きの一軒家。ナスやカボチャを収穫した。となりのおばあさんがよくおかずを届けてくれた。ここに2年。

 

長女が生まれ、義母と同居して半年後、港北区菊名の中古マンションへ移った。10数年の同居で二人の孫を育ててもらった。80年のこと。

独立組合の組合員には「ろうきん」は住宅資金を貸してはくれず、たくわえのない若い夫婦は、銀行から高金利のお金を借りるしかなかった。金利は8%を超えていた。

 

東横線菊名から歩いて7分ほどだが、高低差50㍍以上ある坂の上。キッチンの窓の下には新幹線が通るのが見え、遠くには南アルプス北岳が。もちろん富士山もよく見えたのだが、数年後、新横浜に高層のビルが建ち、見えなくなった。富士通のビルだった。

酔って帰ると、急坂は上るのが辛かった。

義母は、この急坂を孫の幼稚園への送り迎えや用足しに、一日に何度も往復していた。

 

ここに29年と9か月住んだ。子どもたちにとっては生まれ故郷のようなところ。義母は次女が中学に入ったころ、義兄のところへ移る。

 

4度目の転居は突然だった。

 

義母を引き取ることを決めたのがその4年前。Mさんは小学校教員を退職。介護に専念することに。すでに社会人となっていた長女は社宅に入っており、この年、大学を卒業する次女にもそれを勧めた。二人の就職には親は薄氷を踏む思いだった・・・というの就職氷河期にかけたレトリックで。とりあえず自立して働いてくれればというのが親の願い。


大人3人の生活が始まった。しかし、親子4人の生活よりも、認知症の義母との3人の生活の方が「スペース」が必要だった。

同居が始まって4年目のころ。「スペース」というのは物理的な広さや音だけでなく、精神的なものも含む。認知症の義母が占有する「スペース」が広くなり、3人の生活では手狭になっていく。

トイレが2つあるマンション、出来れば1階。不便でも今より「スペース」が広いところ。

 

それで探したのが、瀬谷区五貫目町。「温泉」の意味の英語を名前に冠した珍しいマンション。スペースは広くなったが、もちろん中古マンションである。

 

デイケアの施設が敷地内にある。今までのように送迎の際のもろもろの面倒が減る。

1階の部屋から階段もエレベータも使わずに、さまざまな植栽を眺めながらMさんと二人でゆっくりと歩いていける。

 

 

以来今日でちょうど10年。

 

義母はここに移って6年目に亡くなった。私の退職の10か月後だった。

介護もかなり厳しくなったころ、近くの特別養護老人ホームに空きがあり、入所。

1か月後、倒れた。

入院、闘病生活2か月。享年88歳。

義母はよく歌をうたう人だった。「会津磐梯山」が得意だった。

眠れない夜は♬あ~さはどこから来るかしら♬とうたっていた。

同居しているときは一緒の部屋で寝起きし、入所、入院してからは毎日歩いて顔を見に行ったMさんは、特養でも病院でも義母とよく歌をうたっていた。親子はよく似るものだ。

 

10年ひと昔というが、いつしか2人の子どもは結婚し、それぞれ2人の子どもをもうけた。

私たちも別れることなく、40年以上の時間を過ごしてきた。

 

   これがまあ終の棲み家か雪五尺  一茶

 

「これがまあ」には、雪深いところに住むことへのあきらめ顔だけでなく、親類縁者との遺産をめぐる諍いへの深い嘆息が込められられていると言われるが、俯かずにどこか空を見上げて含み笑いをしているような、上品なユーモアが感じられる。

 

この時代、夫婦が、ふたりとも自宅で人生を全うできるとはかぎらない。いや、可能性としてはかなり低いのだろう。

 

生死は別としてここはいずれは出ていく場所。

 

そんなところだから、「これがまあ」と万感を込めて声に出してみる10年目の冬である。

 

 

 

高校の時の同級生、S君と新百合ヶ丘出会う。

映画や演劇、そして日々の生活について。赤ワインを飲みながら。

 

帰途、中央林間からタクシー。

 

『最近、狭い道でも「早くしろよ」なんていうお客さんが増えました。昔はそんなことなかったんですけどねぇ』

 

と初老の運転手さん。不寛容という言葉が浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

林文子横浜市長、IR説明会で「「市民の多くの方が反対だという認識はありませんでした。大変失礼なことかもしれませんけども」

 私が住んでいる瀬谷区五貫目町は、北へ200㍍行けば町田市、西側の境川を超えれば大和市。横浜の西北のはずれ。

住所は瀬谷区だが、最寄り駅は町田市鶴間の南町田グランベリーパーク駅。相鉄線瀬谷駅には徒歩で40分以上はゆうにかかる。

ミナトヨコハマとは全く縁のない、いわば横浜の辺境。

そんなところだから、カジノを含む統合型リゾート(IR)の候補地問題よりも、米軍上瀬谷通信隊の広大な跡地利用問題の方が関心が高いのかもしれない。

 

とはいえ、IR問題、横浜18区での住民説明会が始まっている。

この問題、林文子市長は選挙の時には白紙状態としながら、8月23日、横浜への誘致を表明した。

以降、この問題をめぐって横浜は揺れている。

 

わざわざ好き好んでそんなものを引っ張ってこなくても、300万人を超える人口はまだまだ増えている。

規模がデカければ、受ける住民サービスが低下するのは必定なのに、「横浜、好き」という人が多く、ヨコハマは膨張を続けている。

 

この問題、北海道が先日撤退を表明したが、巷間言われるように、ほんとうに横浜、大阪が本命なのだろうか。

フツーに考えれば、東京じゃないだろうか。お台場じゃないの?

 

この間、二階幹事長との間で安倍が小池2選容認発言をしたというが、アメリカ資本を入れたいトランプとの密約があるとすれば、すでにそれを材料に小池と取引きをしているとも考えられる。何があってもおかしくないのが政治の世界。横浜が紛糾しているうちに、東京が名乗りを上げる手はずになっているとすれば、横浜はずいぶんと割を食うというか、つまらん役回りをあてられているとも考えられる。

 

どこかでだれかが絵図面を書いているのだろうか。林市長はその誰かに踊らされている傀儡のようなものなのかどうか。

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中区の説明会の様子 ネットから

その林市長、全区の説明会に出席すると言っているが、少し疲れてきたのか、昨日の金沢区の説明会では

参加市民が、

「その時点(8月)で市民には反対が多かった。(市長は)それと逆の判断をした」

というと、それに対して林市長は

「市民の多くの方が反対だという認識はありませんでした。大変失礼なことかもしれませんけども」

と応じたという。

9月の朝日新聞の調査で反対:64% 、賛成:26%という数字が出ている。

 

目立ちたがりでY150清算を投げ出していなくなった中田市長に比べれば、林市長の方がはるかに清廉な印象だったのだが、長い間市長の椅子に座り続けてきて、風向きを読み間違えたのか。

 

これには横浜港運協会の藤木会長が反対していることが報道されている。いわゆる港のドンと言われる人物。

官房長官や二階幹事長とも親しく、何より林市長の後援会会長も務めた人物。

この人が、カジノはダメとばかりに反対に回った。

 

これでいっきに様相が変化した。

 

一説には、どこかでこの人が引いて賛成に回るのでは、という観測もあるようだが、今のところそういう報道はない。

オール横浜でと考えていた林市長の思惑は、いかなるものだったのか。どこまでの成算があったのか。

 

横浜市民はプロ野球やプロサッカーは好きだけれど、一つの政治課題、政策をめぐってこれほどはっきりと反対が多数派を占めるのは今までほとんどなかったこと。

中区の説明会などすさまじい反対の嵐。

それなのに市幹部の中には、対話を求める市民に対して、これは対話集会ではない、説明会だと言っている者がいるらしい。

 

そういう言い草が市民の反発を呼ぶことが分かっていないのが、横浜の役人たち。どこかエラソーで鈍い。40年付き合った市教委もそうだったが。

 

住民投票や市長リコールが呼びかけられているが、はたしてどうなるか。辺境の地の瀬谷区の説明会は、2月までに他の14区が終わっているところを見ると、3月に設定されそうだ。

瀬谷区の中心地?の三ツ境という町にもほとんど出向くことがないので、たまには出かけてみようと思う。

 

それにしても林市長、大きな賭けに出ているように見えるのは、IR問題だからだろうか。しゃれにもならないが。