山荘五合庵を見つけたのは、今はもうないが「一個人」という雑誌の中だった。そこに載っていた下の写真と朝食の素敵さに惹かれた。ご夫婦二人だけの営み。
標高1200m。向こうに見えるのは入笠山。電線は全くない。一枚の絵のような風情に惚れた。
二間ある別棟の風呂の水は山から引いたもの。検査はしていないからというものの、間違いなく温泉。
一日一組の宿だから、予約が取れたのは宿泊申し込みをしてから2年半ほど経った頃。2004年ごろだろうか。それ以来、年に一度か二度、二人で通ってきた。きょうだいや友人といっしょに泊まったこともあった。
いつも夕食に3時間、朝食も2時間以上の時間をかけた。ずっと食べ、飲んでいるわけではない。食事があらかた終わったあとに、コーヒーやお茶を飲みながらのご夫婦とのおしゃべりの時間が始まる。私たちは座っているが、お二人はいつも立ったまま。
毎年のことなのに、同じ話が出ることは一度もなかった。飼っていた犬のこと、料理や酒のこと、地域のこと、旅行のこと・・・縦横無尽のユーモア、飽きることがなかった。いい時間だった。
帰る田舎がなくなってしまった私たちには、里帰りのような旅と宿になっていった。
写真が下手で鮮やかさが出ていないが。
昨日、遅く帰宅したら、五合庵から封書が届いていた。
例年なら、1月中には「今年のお泊まりの予定」というハガキをいただくのだが、今年はこなかった。あらかじめ宿泊可能な曜日だけ伝えてあって、葉書には例年違う季節を選んで日程が書かれていた。ここは泊まる日にちは宿が決める。たいてい春か秋だったが、時には「たまには夏もいいですよ、エアコンいらないし」と夏真っ盛りにきたこともあった。
封書は廃業のあいさつだった。
ダイニングの入り口
お二人らしい挨拶文。
「謹啓 年明けたその日に大地震に見舞われた能登や北陸の方々に思いを寄せながら、日頃ごひいきを頂戴している皆様方に御礼とお知らせを申し上げたく存じます。
まことに突然ではありますが、山荘五合庵は令和五年をもちまして二十八年の営みを終えることといたしました。長野県伊那市高遠の山の中に庵を結んで以来、一日一組のお客さまに心を込めたもてなしを心がけてまいりましたが、私どもも齢八十まで指折り数える頃となりました。このあたりまでと見当をつけていたことでもございます。何卒、皆様方にはご理解を賜り、併せてご容赦いただけますようお願い申し上げます。
先人の至言に「かけた情けは水に流せ、受けた情けは石に刻め」とありますが、この二十八年間、私どもは「情けは石に刻み込む」思いの毎日でした。山荘五合庵を閉じるにあたり、これまでの皆様のご愛顧に改めまして心より御礼申し上げます。
「うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ」 良寛禅師 署名 」
長くお付き合いしていただいて、見てきたままの掛け値なしの言葉。
見事な宿仕舞いのあいさつである。
こんなおつきあいのできた宿は他にない。寂しいが、仕方がない。
お二人のことだから、これから温かく滋味深い料理のような生活が始まるだろう。
長い間、ありがとうございました。おせわになりました。
あいさつ文の後に書かれた手書きの文章。
「この春に自分達で定年を決めました。長いおつき合いを有難うございました。たくさんの楽しい会話が残りました。思い出が残りました。これが私たちの仕事だったのかもしれません。楽しい思い出を有難うございました」。