隠居生活、始まる。

先日、授業が終わった。

2016年から8年間、下高井戸の文理学部に通った。いや、2020〜21年の2年間は自分の部屋から授業をしたから通ったのは6年間か。

 

公立の中学校には着任式や離・退任式というのがある。そこでは教員一人ひとりが、職員や生徒の前でひとこと挨拶をするのが習いだ。

新卒でも定年退職者でも、また正規職員でも非正規職員でも、差はなかった。最近では雇用形態によって扱いが変わってきているという話も耳にするが。

 

学校は「式」が大好きで、生徒が集まる行事にはなんでも〇〇式とつけたがる。明治以来の格式ばった「公」の表れで、卒業証書「授与」式のように、たいていが上から目線。「登校」もそうか。

 

学校はそういうところだと思っていたのだが、大学は違った。

8年前の最初の授業の日、どこかに顔を出せという指示もなし、もちろん誰かが挨拶に来るわけでもない。紹介してくれた教授の部屋に行くには行ったが、お茶を飲んだだけ。

誰が私を管理しているか、8年間、結局わからなかった。

 

事務棟の2階に講師室という大部屋がある。職員証をそこに置いてある機械にかざして出勤となる。

同じ2階のエレベーターホールの前に重厚な磨りガラスでできた両開きの自動ドアがある。エレベーターを降りた時、たまに中の様子が窺えたことがあった。

驚いたのは床が赤い絨毯敷き。外と中ではずいぶんと雰囲気が違う。正面に受付。若い女性職員が坐っている。想像するにここは学部長などの上級管理職の部屋があるようだ。非常勤講師400人ほどが利用する大部屋とは大変な格差、トイレも別にあるらしい。

ところが学内の配置図を見ても、事務棟2階には庶務部と講師室の記載しかない。構造的にかなり広さを占めているはずの管理職スペースの存在が秘匿されているのは、どういう理由によるものなのか。

私には、この間の一連の日大問題に通底するものがあると感じられた。権威主義と閉鎖性からくる狭隘な組織実態。

同じようなものを見たことがある。

横浜市の新市庁舎だ。以前にも書いたが、閉鎖的という言葉がぴったりのこの庁舎。

市民は職員の執務室に面倒な手続きなしでは入れないし、自由に出入りできる展望フロアもない。さらには、案内図の中には市長室が記載されていないのだ。

同じ発想?

かたや学校、かたや行政、建物のありようからの勝手な思い込み・・・だろうか。

 

さて、最後の日。普通に授業をして、講師室に戻り、二人いる職員に「おせわになりました」と声をかける。すると驚いた表情で、「お疲れ様でした」。

 

8年間、連絡のほとんどは、郵便とメール。提出書類は郵便で返送するが、シラバスや成績はパソコン上でのやりとり。

成績と言っても、「提出」というアイコンをポチッとするだけ。提出の実感がなく、最初はなんとも心もとなかった。

実際に顔を合わせてやりとりをしたのは、1度だけ。オンラインの設定がうまくいかず、学科所属の助教の方に直接会って教えを乞うた。

メールのやり取りが多かったのも、著書の交換をしたのもこの方だけ。

 

そんなわけで驚くのも当たり前で、二人の職員が私を認識しているとは思えない。

 

今、最後の授業資料「番外編」を作っている。完成すればブラックボードというネット上の学習管理システムに送るだけ。

このBbには随分お世話になった。

はじめの4年間は、学生から提出された手書きの課題をいちいちパソコンで打ち直し、講師室で印刷、帳合して配っていたのだが、オンライン授業以降はメールで提出してもらい、それをコピペして資料としてまとめた。字体や字の大きさ、校正など面倒だったが、一人一人の文章がじっくり読めるのが楽しかった。

 

レポートはペンネームを付して提出してもらい、そのまま掲載。学科の違う学生同士、互いがどんなふうに考えているのかが、よくわかったようだ。毎回20ページほどにもなるので、学生は閉口したと思うが、こちらの記録には役に立った。

 

といったわけで、これからこうした授業の内外に要した時間がすべていらなくなる。

いよいよ隠居、である。

 

カワセミの姿はスマホではなかなか捉えられないのだが。コイも一緒に写り込んでいる。