夜半から雨。小雨でも風が吹いていなければ散歩に出かける。らいは置いていく。
境川河畔。コサギの群れとカワウの群れが一緒に群がっている。コサギは15~56羽、カワウは30羽を超えている。近くにコサギの3倍ほどの大きさのアオサギが1羽でぽつんと立っている。アオサギはいつもどこか思索的。珍しい光景だ。
一斉にコサギとアオサギが飛び立つと、アオサギとマガモ数羽が残される。
いつもはこんなことがないのに、どういう兼ね合いでこうした光景がうまれるのか。
11月後半から少しだけ?始めたTwitter、若い教員と思われる人たちの投稿を見ていると、時々胸苦しくなる。偽悪的に自分の思いをストレートにぶつける人も多い。こうしたことを職場の中でぶちまけることはないのだろうか。
臨時講師、非常勤講師、臨時的任用教員、さまざまな非正規の教員の投稿も多い。非正規の位置からみえるもの、みえないもの。
「ボロボロ講師」というひとが、昨日、おとといと次のような投稿をしている。
ユーモアの中に、現在の教員の仕事に対する視点がはっきりと打ち出されている。
学校の無駄な仕事で打線組んだ。
1番 中 学校行事
2番 二 給食指導
3番 一 研究授業
4番 三 部活
5番 捕 通信表の作成
6番 左 ネットトラブルの対応
7番 右 家庭訪問
8番 遊 三者面談
9番 指 わけわからんアンケート集計
先発 指導要録の作成
中継ぎ 保護者対応
抑え 無意味な研修
打線から見れば、中軸の3番4番が部活と研究授業。これが最も無駄な仕事と投稿者は考えている。さらに先頭打者に学校行事。
一般的な若い教員、と言ったら怒られそうだが、とりあえずフツーのという意味で若い教員は、部活と学校行事が大好きだ。投稿者は真逆の位置にいることになる。
2番給食指導 5番通信表の作成 7番家庭訪問 8番三者面談 などルーティンでやらざるを得ない仕事も投稿者は無駄な仕事にあげる。
6番 ネットトラブルの対応 が中軸のあとの大事な場所に置かれている。この仕事は、やらざるを得ないが、やってもだれにも感謝されることもなく、というのも匿名性が高く解決には程遠いところで終わらざるを得ず、まったく達成感のないもの。実感としてよく分かる。
2軍?ということになれば、私なら次をのものを上げる。
道徳、清掃指導、職場体験学習、地域行事への支援、祭礼の見回り、校門の立ち番、朝のあいさつ運動・・・
挙げればきりがない。
さて、投稿者が無駄だと考えてはいない仕事はなんだろうか。
授業である。
投稿者は、授業をちゃんとやりたい、無駄な仕事はしたくないということを言っているのではないか。
今の学校で、とにかく授業をちゃんとやりたいというセンスは、まっとうなのかもしれない。
「授業で勝負」などといわれると鼻白むものだが、普通に落ち着いて授業に専念したいというセンスはまっとうな感じがする。
それは、今の、何の解決にもならない働き方改革に対する批判になっているのではないか。
投稿者は、続いてこんな投稿をしている。
害悪教員で打線組んだ。
1番 二 仕事しないベテラン教員
2番 指 体育教員
3番 遊 部活に命をかけてる教員
4番 一 講師に担任やらせる校長
5番 中 嫌味しか言わないBBA教員
6番 左 正規のくせに副担の教員
7番 三 授業ができない教員
8番 捕 飲み会で説教する教員
9番 右 パリピ教員
先発 指導主事
これもまた職場の人々に対する辛らつな批判となっている。やややさぐれている感はあるが、現代教師論ともいえる。
1番 仕事を若い教員に振るのがうまい教員はどこにでもいる。
2番 今でも学校の中心、生徒指導の中心と思っている教員が多い。
3番 今一番多い。部活は本務ではないということが最後まで理解しようとしない。
4番 時間講師に担任を命じるのは明らかに違法行為。労基署人事委員会に提訴。
5番 差別そのものの言い方。日常で使えない言葉は出すべきではない。
6番 子育て中の臨時的任用教員の女性が学級担任をもつこともある。次年度の雇用 続を餌にする管理職もいる。
7番 こういう人たちが出世するケースが結構ある。
8番 自分がやらなかったとは断言できない。
9番 教員は基本的にパリピである。
先発 慇懃無礼・空洞化
正規の教員であっても、現状をまともに批判して丸腰でも闘うという人は少ない。
非常勤の立場は職場で圧倒的な少数派だ。彼らが職場で「ものを言う」ことは、とってもしんどいことだ。
投稿がシニカルなものになるのはよく分かる。
「敵」は見えているのに、武器も兵站もないのが非正規の労働者だ。