12月後半のあれこれ。良いお年をお迎えください。

前回の続き

 

12月22日、アートフォーラムあざみ野で愉音のコンサート。

「ロマンティッククリスマスコンサート」と銘打たれてはいるが、内容的には重厚なもの。

はじめにクララ・シューマンの「3つのロマンス」OP.22より第1番。

松本紘佳(Vn) 

松本有理江(Pf)

 

クララ・シューマンの「3つのロマンス」には、OP .11 OP .21 OP .22と3つある。

19世紀ヨーロッパで「ロマンス」とは、叙情的な旋律をもつ器楽曲全般のことを指したのだそうだ。

 

夫のロベルト・シューマンにもオーボエとピアノのための「3つのロマンス」(1839年)があり、同じ年にクララもピアノ曲「3つのロマンス」OP.11を作曲している。

さらに1853年に再び「3つのロマンス」OP .21というピアノ曲を作曲。第1曲をロベルトへプレゼントしているが、全体としてはブラームスに献呈されたという。

 

この日演奏されたのはOP .22。

小曲だが、二人の演奏にはなんとも凝縮された濃密な叙情が感じられ、この日のコンサートの空気を決める素敵なものだった。夫に劣らぬクララ・シューマンの才気が感じられる。もっと演奏機会が増えてもいい作曲家。

 

続いて

チャイコフスキーピアノ三重奏曲OP. 50「偉大な芸術家の思い出に」

ピアノとヴァイオリン、チェロのいわゆるピアノトリオと言われる演奏形式。

梯剛(Pf)

松本紘佳(V n)

ドミトリー・フェイギン(Vc)

演奏時間は平均50分くらいになるのではないか。

大変な大曲。

冒頭の哀切なメロディーが、幾重にも重なって変奏を繰り広げる。手を替え品を替えというと軽くなるが、永遠に終わりが来ないような広がりに圧倒された。

盲目のピアニスト梯はじめ、3人のプレーヤーがそれぞれ自己主張をしながら互いに絡み合っていく様は圧巻。なんというか、音楽家の凄さを感じた演奏。参った。

 

休憩のあとは

ドヴォルザーク弦楽四重奏曲第12番へ長調OP.96 「アメリカ」

松本紘佳(Vn)

近藤諒(Vn)

松実健太(Va)

ドミトリー・フェイギン(Vc)

弦楽四重奏曲としてはよく演奏される曲。

愉音のコンサートでも松本絋佳、松本紘佳の師匠の原田幸一郎さんとヴィオラの長谷川弥生さん、ドミトリー・フェイギンさんの忘れられない演奏がある。

この日は第二ヴァイオリンに若い近藤諒さん、ヴィオラに油の乗った松実健太さん、そしてフェイギンでエネルギッシュな演奏を繰り広げた。

聴いていて気持ちが高揚する曲。聴いているだけなのだが、終わってみるとなんだか一緒に演奏していたような気分になる曲だ。

 

アンコールは、松本紘佳が「ロンドンデリーの歌」(ダニーボーイ)。これヴァイオリンの名手クライスラーの編曲。情感たっぷりと。

梯剛のアンコールは、モーツアルトのアンプロンプト?この人の音はいつもほんとうに澄んでいる。ペダルを踏んでいるのにほとんど濁らない。

フェイギンのアンコールは、カザルスの「鳥の歌」。

 

アンコール、あと何曲かあったが、覚えていない。

あれほどの大曲を演奏したあとでも、何事もなかったように力の抜けた演奏ができるのがプロのプレーヤーのすごいところ。

アートフォーラムあざみ野のレクチャールームは200人ほどの定員。音楽専用ではない多目的の仕様だが、響きすぎずクリアな音が伝わってくる。この日は最前列の真ん中。プレーヤーから数mで聴けるのは贅沢。

 

ここに来ると帰りは「タフ」へ。

この名前からこのお店が何屋さんか想像してみてください。

 

12月23日、2つ目の赴任校の最後の卒業生の学年同窓会。新横浜グレイスホテル。

1時間ほど早く元同僚のMさんと会い、お茶を飲む。

2007年卒業だから、今年31歳の人たち。卒業以来という人がほとんど。

会ってもわからないのではと不安だったが、会ってみれば当時の記憶が数珠繋ぎに蘇ってくる。あいさつ、記念撮影、校歌、花束・・・あっという間の2時間。職員は6名が出席。

クリスマス前の新横浜。街は凄まじい人、人、人。それでも懐かしい話に花が咲き、久しぶりの午前様。

 

25日、やさしいコーラス。今回はMさんと二人だけ。1時間半、みっちりと。

 

26日、湘南鎌倉総合病院。年に一度の検査と診察。確か昨年は検査から診察まで5時間かかったような。今回はスムーズ。なんと1時間半で全ての検査と診察まで。となかなとはに問題なく、「また来年ね」と若いドクターに送り出される。

 

夕方、卒業生のT君、夫妻でみえる。久しぶりに一緒に食事。彼はもう59歳。中3からだから長い付き合いになった。

 

27日、久しぶりに「蕎澤」。相変わらず良い仕事。予定表を見ると1月は全休だとか。蕎麦粉を分けてもらう。

 

28日、東京発12時36分のやまびこで福島へ。混雑しているかと思い、指定席を取っていたが、そうでもない。

福島大学の合唱団の定演。高校時代にお世話になった先生が常任指揮者を務めて久しい。久しぶりに勇姿を見に出かけた。

あと4ヶ月で80歳を迎えるという先生。矍鑠(かくしゃく)として、というのは、老人が元気に動いている姿をいうが、こちらの先生は歩く姿も指揮もほぼ昔と変わらない若々しさ。鍛錬の賜物だと思うが、驚かされる。

楽屋で30分ほどお話を伺う。

 

29日、かつて飯舘でコーヒー屋をやっていた方が、福島に移転、ご夫婦でお店を開いている。市澤さんご夫妻。12年前に横浜からツアーを組んで被災地を訪れた時にお話を伺った。

店名「珈琲亜久里」。福島駅からタクシーで10分ほど。開店直後に訪れたのだが、すでに数組の客あり。広くて清潔な店内。コーヒーの香りがお店の外まで漂っている。

 

お話をしているうちに、奥さんの美由紀さんが、上記の先生に歌の薫陶を受けたことがわかり、驚く。私は先生が20代の頃に、奥さんは30代の頃の先生にせんせいに教えを乞うた事になる。

 

美由紀さんは広島の中澤晶子さんとの交流があり、お店には何冊も中澤さんの本が置いてある。

 

隣に座った中年男性が、わたしたちの話に興味を示す。

話をしているうちに、彼が南相馬市の小高区の方であることがわかる。

話は3・11に。

彼は当日避難所に入り、次の日に原発がおかしいという話を耳にし、すぐに避難を決意。昔から原発で働くおじさんから、「何かあったらすぐに避難しろ」と言われていたそうな。

小一と小3の娘にランドセルを背負わせ、ほとんど荷物を持たずに妹のいる須賀川まで逃げたという。

 

静かに語るその口からは、東電や国への批判の言葉はない。かつての自宅は他の方に譲ったという。

「でも、お墓ばっかりはなかなか・・・」。

こういう言い方がいいのかどうかわからないが、福島ではフクシマは今も続いている。

 

今日は大晦日

昨日は次女家族が来てくれ、食事。久しぶりに蕎麦を打つ。

年賀状をやめたせいか、気ぜわしさを感じない年の瀬。

1年間、この気まぐれの駄ブログにお付き合いくださりありがとうございました。

皆様にとりまして、2024年が良い年になることをお祈りして、本年のブログ、終わりにしたいと思います。

 

 

 

広島市長の教育勅語問題と映画「ヴォルテックス」については来年書きます。