10月6日 紀尾井ホール「魅力あふれる協奏曲の世界」

コンサートの備忘録。

10月6日、東京・紀尾井ホール。愉音第24回コンサート。

今回は「魅力あふれる協奏曲の世界」

冒頭、いつものように音楽評論家の奥田佳道さんのプレトークが15分ほど。

ラジオで聴くのと変わらないやわらかいバリトンで、ヴィヴァルディやバッハ、モーツアルト、そして今日の出演者のジェラール・プーレさんについて話される。

いつも思うことだが、音楽、作曲家、演奏家に対しての思いの強さが、お話の中に溢れていていいなと思う。お話ぶりは軽妙だが、この程度のことを話しておけばいいかといった軽薄さがない。音楽への造詣の深さとともに人柄が伝わってくる。優れた演奏家の演奏に似ているなと思った。

 

プログラム

 (1) ヴィヴァルディ(1678‐1741)

     2台のヴァイオリンのための協奏曲作品3 第8番

       第1楽章 Allegro

       第2楽章 Larghetto e spiritoso

                         第3楽章 Allegro

        Vn:松本紘佳・ジェラール・プーレ

 

 (2) サン=サーンス(1835 -1921)

                 ハバネラ作品83(1887)

  Vn:ジェラール・プーレ

 

 (3)モーツァルト(1756‐1791)

     ピアノ協奏曲K488

       第1楽章 Allegro

               第2楽章   Adagio

                          第3楽章 Allegro assai

   P:梯 剛之

                                  休憩

 

 (4)ブラームス(1833‐1897)

     ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲作品102

       第1楽章 Allegro   

       第2楽章   Andante

       第3楽章   Vivace non troppo

   Vn:松本紘佳 Vc:ドミトリー・フェイギン

 

 オーケストラ:ベル・カント室内管弦楽団 指揮:アントニーン・キューネル

 

(1)は指揮者を置かず、プーレさんが弾きながら指示を出している。オケは初めて聴く合奏団。若い演奏家が多いように見えるが、よくまとまっている。特に弦が良い。

冒頭の合奏の出だしは、聞き覚えのあるメロディではあるが、そのせいだけでなくゾクっときた。

 指揮者がいないにもかかわらず、2人の独奏者とオケが渾然一体、破綻なく聴かせてくれた。快速に飛ばす第一楽章、2人は全く違うメロディを弾いているが、時に重なりまた離れてといったふうに、なんとも自由闊達、オケもそれにしっかり応えているように感じられた。

2楽章。 e spiritosoは翻訳ソフトによると”機知に富んだ”といった意味のようだが、ゆっくりとしたテンポでじっくりと聴かせる。3楽章はテンポが戻って、これぞヴィヴァルディ…いつまで聴いていても飽きがこない。

松本にとっては師であるプーレとの演奏だが、松本は臆することなく師に対峙し、がっぷり四つにくんでの堂々たる演奏、ますます腕に磨きがかかってきた印象。

 

(2)は、指揮のアントニーン・キューネルが登場。このオーケストラの首席指揮者。チェコプラハ御出身。1941年生まれだから81歳。独奏のプーレは1938年生まれの84歳。若いオーケストラと2人の熟練の演奏家。興が乗ったのかプーレは指揮者の横でもっとテンポをあげてといったふうに腕を振るシーンも。こういう光景は珍しい。演奏家は互いに職分を侵さないものだが、信頼感のなせるところであろう。

非常に技巧的で難解な印象を受ける曲だが、プーレの手にかかると信じられないほどの「軽み」が感じられて、聴いていてとにかく心地よい。18歳の時にパガニーニコンクールで優勝したというから、それ以降だけでも世界のコンサートホールで65以上年弾き続けている。録音したCDの数が70枚以上というから驚く。84歳で若者たちを引っ張って演奏を続けているのもすごいが、その演奏がもつ”軽み”には凄みさえ感じられた。

 

(3)梯剛之のピアノは今まで何度か聞いたことがあるが、すべて独奏かソナタ。協奏曲を聴くのは初めて。それもモーツアルトの23番。定番。

演奏のあとに「久しぶりの協奏曲で緊張したが、楽しかった」との感想を述べていたが、それほど簡単なことではないはず。盲目の梯には指揮者は見えない。指揮者とオーケストラの息遣いをとらえて演奏することになる。その独特の感覚のありえない鋭敏さがないと、協奏曲の演奏は成立しないだろう。

こちらには、きらびやかなモーツアルトの粒だった音一つひとつがひときわ際立って聴こえた。いつも思うことだが、彼独特の流麗かつ超繊細なタッチが、オケをバックにみごとに浮き彫りになって聴こえた。

 

アンコールは、ドビュッシーの『月の光』。気持ちのいいリズムの揺れ、眼前に窓にさしかかるあわい月の光が見えるようだった。

 

(4)そしてブラームス。二重協奏曲とは、(1)のような2台の同じ楽器による協奏曲ではなく、2台の違う楽器による協奏曲のことをいうようだ。奥田さんのお話によるとバッハの時代にはいくつもこうした形の曲があったが、バッハ以降は少なくなっていったという。Wikipediaにはよく知られた曲としてモーツアルトメンデルスゾーン、リヒャルトシュトラウス、フンメルなどの曲が挙げられているが、その筆頭にこのブラームスの曲がきている。有名な曲のようだが、初めて聴く曲。

初めてなのに冒頭のオーケストラの重く暗いメロディには聞き覚えがある。そこにチェロが低音から入り、ヴァイオリンが重なる。

室内管弦楽団なのに前半より音がよく鳴ってきているような印象。特に弦がいい。コントラバスは2本だが、小気味よく響くし、全体のバランスが非常に良いと思った。2人の独奏者は、フェイギンが楽器の特性もあるのか下支えに徹し、松本のヴァイオリンを引き立てていく。時に闊達に飛び出るとヴァイオリンが負けじとそれに重なる。二重協奏曲というのはこういうものかと納得。その複雑、巧妙なつくりに感じ入った。30分を超える大曲。キューネルの指揮もようやく興が乗ってきたように感じた。

 

アンコール。

ハルヴォルセン:パッサカリア

この演奏、度肝を抜かれた。なんだこの曲は?はじめはバロックのように聴こえるのが、途中から印象派風の自由な展開が始まり・・・。松本とフェイギン二人の、もう100回も演奏したのではないかと思えるほどのこなれた技巧とアンサンブル。驚いているうちに終わった。

はて、あれは誰の曲?

家に帰ってからMさん、聴いたことがあるような気がする・・・と。調べたらしく、2021年の1月のコンサートで、松本と大江馨がヴァイオリン2台で演奏していたという。その時も私は驚いたようで、ブログにこんなふうに書いていた。

 

ハルヴォルセンは19世紀のノルウエーの作曲家。クラシック音楽に造詣の深い人にはよく知られた作曲家のようだが、私は初めて耳にする作曲家。ヘンデルハープシコード組曲7曲の中の最後の1曲。パッサカリアは舞曲の一種。原曲はヴァイオリンとヴィオラで演奏されるようだ。YOUTUBEでいくつも演奏を聴くことができる。/ヘンデルのつやのあるリリックなメロディーラインが現代風にアレンジされ、思いがけない瀬の深みをのぞき込むような曲。19世紀ヨーロッパの混沌とした様子をイメージさせるよう。二人とも力みとは無縁で、互いに闊達に弾き合いながら全く破綻することなく絶妙なアンサンブルを保つ。互いへの信頼感が感じられて心地よかった。

 

単に忘れていただけなのだが、思い出してみても演奏から受ける印象はかなり違う。ヴァイオリンとチェロの組み合わせのせいだろうか。

 

古くてたくさんの名演奏家の音を吸収してきた紀尾井ホール、残響が特に長いわけではないが、穏やかな感じに響くホール。

高齢者の観客が多い中、スタッフが座席まで案内することが多いのだが、どのスタッフもゆっくりとできる限り座席近くまで案内し、座面を下ろしてくれるのが目に付いた。こういうところも格式あるホールの特徴だろうか。