12月17日。
午前中、鶴間、藤が丘とバスと電車を乗り継いで歯科、眼科をはしご。
S歯科は、ここ5年ほどかかりつけに。10時の予約。
感染症対策もあり、S医師は顔面に大きなシールドをつけマスク、目には小さな手術用の双眼鏡のようなものをつけているので、表情はまったく見えない。
いつも淡々と診察。老人の歯科治療などうち続く大雨で崩れていく堤防の応急措置のようなものだが、S医師は冗談などひとことも言わない代わりに、患者には十分な安心感を与えてくれる技量と話術の持ち主だ。
以前かかっていたN歯科のN医師は、治療の最中、口の中を覗き込んだ瞬間に
「ああー」「うーむ」という悶絶するような感嘆句を発するので、こちらはそのつど自分が悪いことをしてしまったような罪悪感を感じてしまう。
「これは口中で何かよほど悪いことが起きているに違いない、困ったぞ」と思っているところに、最大の困難をわずか回避したような解決策をぼそっと告げる。少しほっとして「じゃあ、それでお願いします」となる。感嘆句はそのための策かと思ったことだ。
これに比べればS医師、駆け引きは皆無。治療方針はS医師の中であらかじめ確立されており、患者はそれを粛々と受け止めればいいだけ。
この安心感は、崩れゆく堤防の持ち主からすれば得難いものだ。すべてお任せしますのでよろしくという気持ちになる。
会計の窓口の下には、ゆずが10数個入ったかごがあった。
「12月22日は冬至です。ゆず湯などいかがでしょうか。ご自由にお持ちください」との貼り紙。
こういう心配りはうれしい。次に眼科にまわるのでいただくことはなかったが、近所でゆずは農家の門の前にワゴンを置いて5個200円ほどで売られている。
S医師の穏やかさが伝染するのか、歯科衛生士や受付の女性らも大きな声を出さない。いちように穏やかな話しぶり。次回の治療日を決めるのもどことなくおっとりと急がない。
かくしてS歯科の診察は心穏やかに終わる。
明日から寒くなる予報。行けるときに行っておこうと、藤が丘のS眼科へ。中央林間まで小田急線、そこから田園都市線。
ここは予約制ではない。待合室には6人ほどの患者さんたち。予定では10月だったのだが、延ばしに延ばしてようやく。
眼のまえを糸くずのようなものがちらちらする。手で払っても取れない。糸くずは眼の中にあるようだ。飛蚊症。初めて確認したのが7月某日。ネットで調べてみると眼科受診を勧める記述が多いので、その日のうちに受診。5か月が経ってしまった。
最後となった職場の乗降駅に隣接していたので「眼が赤い」とか「眼の中がごろごろする」とかで何度か受診したことがあった。机の中から古い診察券が出てきた。最後の受診から10年が過ぎている。
駅隣接という記憶をたどって駅にくっついているビルの2階を探すが見つからない。あるのは整形外科だけ。
ネットで検索すると、すぐ近くに移転したことがわかる。
久々の受診。10年経ってもS医師の印象は変わらない。大柄な女性でアルトの声。丁寧にゆっくり話す。背中の棚には夥しい数のディズニーを中心にしたぬいぐるみ。
Mさんに「ディズニー好きなんだよね」と言ったら、「子どもの患者向けなんじゃない」という。いや子どもの遊び道具ではなく、コレクターのような几帳面な並べ方。ご自分の趣味だろう。
種々の検査の結果、その時のS医師の診断は
「飛蚊症は悪くならなければほおっておいてもよい。それより白内障、緑内障どっちもある。眼圧は下がってないから薬は出さないが、定期的に検査をしたほうがいい」というものだった。
それから5か月。待たされるかと思ったら意外に早く名前を呼ばれる。
年配の小柄でやせた男性が、待合室まで迎えに来てくれる。検査技師。
ほかに若い男性の検査技師が2人いるが、そちらはベージュのしゃれたおそろいのユニフォーム。この年配の検査技師のユニフォームは変哲のない白。
たたずまいも話し方も穏やかかつ丁寧。ただどこか時代がかっていて独特。Mさんに伝えるときには「昭和の検査技師」ということに。
とにかくやさしい。おだやか。眼底検査、検眼。視野検査では、私がボタンを押すたびに「そう、そうですね。うんそう」と相槌を打ってくれる。
ほどなくしてS医師の診察。
ここでも望遠鏡のようなもので眼をのぞいたり、顎を載せる検査機械で眼を見たりして検査をする。
「変わっていませんね。お薬も出しません。また3か月後に」
というのが結論だが、ゆっくり丁寧に説明をしくださる。
到着後、1時間半で終了。
医院はしご終了。いったん帰宅。
夕方、再び二人で外出。南町田までバス。田園都市線で中央林間。小田急線快速急行で藤沢。
藤沢市民会館で神奈川フィルの第九を聴く。
同じメンツで明日は横浜の県民ホール。どちらも時間的には同じようなものだが、横浜は席が取れなかった。
第九は今までにずいぶん聴いたし、レコードやCDが何種類かある。ベートーヴェンの交響曲では7番とともにたぶん一番回数を聴いた曲。
実際に歌ったのは3回。ずいぶん若い頃のことだが。
今回は、常任指揮者の川瀬賢太郎が来年3月に退任するため最後の第九。
座席は11列。下手寄りだが、川瀬の姿はよく見える。
若い若いと思っていた川瀬ももう30代後半。
1楽章での激しい動きに最後までもつかなと思ったが、オケと合唱を最後までしっかり引っ張った。
ちょっと驚いたのは、3楽章が短く感じられたこと。緩徐楽章。ロマン派の雰囲気を感じさせる流麗なメロディが延々と続く楽章。若い頃はここでよく寝た。仕事が終わってから会場に駆け付け、1,2楽章と開始20分がすぎたころ3楽章が睡魔をつれてやってくる。突然、4楽章の怒涛のようなティンパニに驚き、ウッと目を覚ましたものだ。
その3楽章、いくつものパートの音がよく聴こえた。ナマのオケを聴いていて気持ちがいいのは、こういう時。
とりわけヴァイオリンやコントラバスのピチカート。金管、木管のリズムの裏を打つようなメロディ。
耳のいい人には当たり前のことだろうが、哀しいかな素人には長年聴いて初めて聴こえてくるものがある。愉しかった。
川瀬の一番近くでヴァイオリンを弾いているのが、首席のコンサートマスタ―石田泰尚。
硬派の弦楽アンサンブル「石田組」を主宰する組長でもある。
入場の時の歩き方からして違う。肩をそびやかして、やくざ映画にでてくるチンピラ以上中堅幹部未満のたたずまい。
ヘアスタイルは短髪に刈り上げたところに何本かソリ込みが入り、眼鏡は派手に吊り上がった白?
しかしいったん演奏が始まると、その動きはまさにコンマス。第一ヴァイオリンばかりかオケ全体にその磁力が届く。
wikipediaによると、ユニットは石田組ばかりでなく、ピアソラを中心に演奏する「トリオ・リベルタ」弦楽四重奏団「YAMATO String Quartet」ピアノトリオ「Bee」。
使用楽器は、1690年製G.Tononi、1726年製 M.Goffriller だそうだ。よくわからないがすごい楽器らしい。
ソリスト。
印象に強く残ったのは、アルトの林美智子。他声部のソリストとのバランスが良く、それでいて下がらず気持ちよく聴かせてくれる。
もう一人はテナーの清水徹太郎。ソロ同士のアンサンブルはもちろん軽やかに合唱を引っ張る明るい声色が良かった。
男声合唱と掛け合いになるマーチの部分も出色の出来。
この部分、いまだに忘れられないことがある。ついからだを乗り出して聴いてしまう。
あれは1985年、秋。県民ホール。オケは神奈川フィル。指揮は現在神奈川フィルの桂冠指揮者となっている故山田一雄。
合唱はアマチュアで構成された県民合唱団。この年一年間、私は超少数労組の専従だった。独立労組のため給与はゼロだったが、時間には余裕があった。春から定期的に何回かの練習に出た覚えがある。
ソリストは、プロを目指して勉強している声楽家志望の人たちがオーディションで選ばれた。
テナーのソロが入るマーチのところで事件は起きた。
指揮は山田一雄。往年の名指揮者だ。量のたっぷりあるロマンスグレーの髪を揺らしながらタクトが小さくマーチのリズムを打ち始める。木管にトライアングルやシンバル、大太鼓などが順に加わり、クレッシェンドしたところでテナーのソロが、
明るく意気揚々と「Froh,Froh, wie seine Sonnen fliegen」と入る・・・はずだった。
聴こえない。入るはずのテナーのソリストの表情は、合唱の位置からは見えない。
こちらから見えるのはクラシック界の泰斗、山田一雄だけ。
2000人を超す聴衆からは固まっているテナーのソリストが見えるはず。
どうするんだ、ヤマカズさん、このままソリストが入らずに行くのか?
ドキドキしながら待っていた時間はたぶんとても短かったのだろう。
山田一雄は、振っていた指揮棒を徐ろにおろした。
オケの音がすうっと消える。
ヤマカズさんは再び指揮棒を小さく振り上げ、マーチのリズムを打ち始める。同じ個所からのやり直しだ。
若いソリスト君、二度目はしっかり出ることができた。
このまま終曲まで怒涛の演奏が続いた。
何があってもたじろがない、すべての責任は指揮者に。その肝の坐った凄さを見せられた思いだった。
あの時のテナーのソリスト君の名前も忘れてしまった。今どこでどうしているのだろうか。
さて最後に合唱。コロナ対応ということで、10月に多人数の市民合唱団は取りやめてプロの声楽家30人による合唱団に変更するとの告知があった。
今まで聴いた第九の合唱で最も人数が少なく、そして最も素晴らしい演奏だった。
オケも若干編成を小さくはしているのだろうが、ほぼフルオーケストラ。そのオケにどこまで合唱が伍することができるのか。ソリストらのあとに入場してきた様子を見る限り、こころぼそい感じさえした。なにしろ広いひな壇に歌い手がパラパラと見えるだけなのだ。
一人ひとりの間は1.5㍍ほどもあっただろうか。
しかしいざ4楽章が始まってみると、その声量も響きもまさに圧巻。
一人ひとりが頑張りに頑張り、120%の声を出して必死に…というのではない。
一人ひとりが余裕をもって排気量の?7割ほどで歌っているのに、位置はオケの後ろでも全く遜色なく、独立した別のパートのように歌声がはっきりと聴こえてくる。
各パートの響きがこれ以上ないほどまとまっているが、一定の人数がいるようにも聴こえる。少人数の合唱団とはとても思えない重量感。
アマチュアの合唱をハラハラして聴くのが第九だし、それが第九の良さ愉しさでもあるのだが、こういう演奏を聴くと、ベートーヴェンが考えていたのは、今はやりの何百人の合唱ではなく、こういう演奏だったのだろうかと思う。
たった30人。各声部それぞれ7~8人。想像を超えている。
どの声部も素晴らしかったが、あえて挙げるとすればやはりソプラノ。力みなくよく響いていた。
素晴らしい演奏だった。それ以外の言葉はない。
シルバー料金で1割引きだったが、演奏は5割増しの気分。
7時ちょうどの始まったコンサート。
前振りのオペラのコリオラン序曲とかフィデリオ序曲とか一切なく、すぐに第九。
終わってからのカーテンコールは長く続いたが、アンコールもなし。
会場を出たのは8時15分。藤沢で1杯やれる時間がある。
外は南風から激しい北風に変わっていて、Mさんは一瞬からだごと飛ばされそうになっていた。
いい夜だった。