スカっと晴れ上がった秋空にならない。曇天ときどき小雨。
それでも境川の水辺の鳥たちはにぎやか。母親らしい親ガモに連れられ6羽の子カモが水面を渡っていく。その横に、アオサギ、サギ。潜っているのはカワウ。キセキレイ、ハクセキレイが飛び交う。一昨日はカワセミのホバリングを久しぶりに見た。
せせらぎの音に慰められる。
映画備忘録。
10月14日午前中、12時過ぎの『マイ ブロークン マリコ』を見に行こうと思い、念のためネットでスケジュールを確認。12過ぎの会は消えていた。18過ぎの1回上映に。今日は金曜日、上映スケジュール変更の日。
9月30日公開なのに2週間で1回上映に。そんなにたくさん見ているわけではないが、タナダユキという人のつくった映画には魅力があると思っているから、ちょっと残念。
夕食・晩酌の時間だが、グランベリーパークへ。
『マイ ブロークン マリコ』(2022年製作/85分/G/日本/原作:平庫ワカ/脚本:向井康介タナダユキ/監督:タナダユキ/出演:永野芽郁(ながの・めい)奈緒 窪田正孝 小尾としのり 吉田羊/公開2022年9月30日)
平庫ワカの同名コミックを、永野芽郁の主演、「ふがいない僕は空を見た」のタナダユキ監督のメガホンで映画化。鬱屈した日々を送っていた会社員・シイノトモヨは、親友のイカガワマリコが亡くなったことをテレビのニュースで知る。マリコは幼い頃から、実の父親にひどい虐待を受けていた。そんなマリコの魂を救うため、シイノはマリコの父親のもとから遺骨を奪うことを決意。マリコの父親と再婚相手が暮らす家を訪れ、遺骨を強奪し逃亡する。マリコの遺骨を抱き、マリコとの思い出を胸に旅に出るシイノだったが……。亡き親友マリコを奈緒、シイノが旅先で出会うマキオを窪田正孝、マリコの父を尾美としのり、その再婚相手を吉田羊が演じる。(映画ドットコムから)
面白かった。
85分はきょうびの映画としてかなり短い。それがテンポの良さになっている。全体の流れに無駄がなくキレがある。
一つひとつのシーンがよく考えられている。脚本と演出の妙。
冒頭、食堂で若い女性ががひとりおっさんのように食事をしている。リクルートスーツのような恰好がどこかやさぐれている。シイノがマリコの死をテレビのニュースで知るシーンだ。食堂のつくりもテレビのニュースも妙なリアリティがある。このシーンで主人公シイノのエキセントリックさが印象付けられる。
すべて終わったラストシーンもこの食堂、やはりおっさんのように食事をしているシイノ。マリコとの旅を終えてもまだわだかまるたシイノの気持ちのわずかな変化、諦念、あるいは成長?
お骨を奪うシーンはハードボイルド。シイノのけれんみのない気持ちがそのまま行動に。
狭い団地の部屋。お骨の前に悄然と坐る父親。口から出まかせを言いながらその部屋に侵入し、シイノは突然マリコのお骨をかっさらってしまう。
マリコの母親、父親、シイノ3人のくんずほぐれつ。
このとき、驚き激昂してお骨を取り返そうと「返せ―ッ」と絶叫する父親(小尾としのり)の目に一瞬映るのは、包丁を突き出すシイノの顔ではなく、死んだマリコだ。自分が虐待したマリコ。父親はシイノに向かって「マリコ―ッ」と叫ぶところで、お骨を抱いて裸足で窓から飛び降りるシイノ。いいシーンだ。
シイノはマリコが行きたがっていたマリコ岬?に向かう。お骨を抱いたロードムービー。
道々思い出すのは、小学校から今に至るまでのマリコの自分に対する過剰とも思える思いの強さ。面倒くさいと思いながら、実はシイノ自身がマリコ抜きには生きてこられなかったことを旅は気づかせていく。
バスの中でもマリコは隣に坐っている。抱きしめる。
バスを降りて海に向かおうとするシイノをバイクの引ったくり魔が襲う。
お骨以外をすべて盗られてしまうシイノ。
不思議な男マキオが手を差し伸べてくれる。
海を前にした火サスのような断崖にマリコが立っていると、若い女性が男に追いかけられながらシイノのほうに向かってくる。助け求める女性。追いかけている男は引ったくり魔のようだ。
シイノは意を決してマリコのお骨で男に襲い掛かる。
マリコを助けられなかったという忸怩たる思いを、シイノはマリコのお骨でもって晴らしているようだ。
そしてシイノは、発作的に思わぬ行動に出る。
マキオに助けられ命拾いするシイノだったが、マキオの言葉がシイノに響いているようには思えないところがいい。
マキオは腹をすかしているシイノのために駅弁を渡すが、電車に乗ったシイノは車窓のマキオに目もくれず、弁当に食らいつく。このシーンもいい。
旅を終えても気が晴れないシイノ。なぜ何も言わずに自分を置いていなくなってしまったのか。シイノの断崖での思わぬ行動はその疑問に対する一つの答え。一緒に死んでしまいたかった。
ブラックな会社の「クソ上司」に辞表をだすも破られてしまう。この会社もクソ上司もよくできている。やさぐれてタバコを喫うシーン、いやいやタバコを喫うシーンがちゃんとやサグれている。23歳永野の気合いがやさぐれ具合にしっかりと顕れている。
マリコの母親がシイノの留守の間に、シイノが部屋に脱ぎ捨てていった靴と手紙の入った紙袋をドアノブにかけていく。
封筒の中にはマリコからシイノにあてた手紙が入っている。
手紙を読むシイノの表情が徐々に変わっていく。ここがまたいい。
手紙の中身は読まれない。
そして食堂のシーンに。
他にもいいシーンがいくつもあるのだが・・・。屋上の花火や教室でのリストカット。
意味のないシーンがない。すべて一枚の絵の部分を過不足なく構成している。
行きつくところは人と人との関係、友情のようなものの非対称性、それぞれがもっているものもいびつであるし、求めるものと求められるものも、いつもズレていく。
その満たされなさの中で生きていくかないということか。
死んだ者を忘れず、死んだ者とともに生きていく。
エキセントリックなシイノの行為の中に、どこか悲しみを感じるのはそのせいだろうか。
永野芽郁は、その眼にエキセントリックぶりがしっかりと表れていてよかった。子役の二人、中学生の二人も素晴らしかった。
奈緒は『君は永遠にそいつらより若い』『草の響き』でもよかったが、ここでも存在感のある演技。
全体に演出と編集の良さが観客を緩みなくちゃんと引っ張ってくれる。この監督の次回作品が心待ちになる。