『銀河鉄道の父』父と賢治でなく、役所広司と菅田将暉。退屈な映画だった。

映画備忘録。6月6日(火)。本厚木kiki

銀河鉄道の父』(2023年/日本/128分/原作:門井慶喜/脚本:坂口理子/監督:成島出

/出演:役所広司 菅田将暉/2023年5月5日公開)

 

2年ほど前に門井慶喜の原作読んだ。素晴らしかった。今までにない賢治像がほの見えたような気がした。今まで見えなかった父親像を、読みながら造形していくような楽しみがあった。

映画は、役所広司が全面に出過ぎてイメージを狭めてしまう。菅田将暉も賢治のイメージから程遠い。エキセントリックであるのだが、エキセントリックのイメージが違いすぎる。面白くない。トシに至っては、品がなさすぎる。

明治、大正の岩手に生きた家族、親子の空気感、リアリティが感じられない。現代的すぎる。

 

「永訣の朝」も「雨ニモマケズ」のエピソードが盛り込まれているが、受けを狙い過ぎて俗っぽく、興醒め。

門井の原作には、父親が死の床の賢治の前で、「雨ニモマケズ」を大声で暗誦するというシーンはなかったと思う。やり過ぎ。

「永訣の朝」も、賢治を主語として詩が展開、完結しているのであって、それをドラマ風になぞっても詩の醸し出す空気は再現できない。

 

浄土真宗の檀家総代の父親と、日蓮宗国柱会にのめり込む賢治。これほどの宗教対立はないはずなのに、画像25

役所の父親は軟弱で、いつまでも子煩悩な父親。対立の根深さが全く見えない。

小説『銀河鉄道の父』は、父子の厳しい対立の中に、一瞬、親であることの逃れられなない業のようなものが感じられて感動的であったのだが。

 

今までさまざまに語られてきたエピソードを並べ直しただけのように感じられた。脚本の問題。

賢治が亡くなる前、親子二人だけの関西旅行があったはずだが、それは映画にはなかった。親子の間では重要な要素だと思ったのだが。

ポスターが軽さというか安易さをよく表している。そこを狙ったと言われれば仕方ないが、私には退屈な2時間余だった。